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9 うつつの中にて

 今、エディットの目の前には懐かしい祖母がいる。

 在りし日の元気な姿で、お気に入りのセーターを着てこちらを見て微笑んでいる。

 エディットは俄かに駆け出すと、大好きな祖母に思い切り抱きついた。


「おばあちゃん!」


「エディット。大きくなったねえ」


 背中を撫でる手の優しさが幼い頃の時間を想起させた。なのに祖母の背は自身よりも小さくて、遠く離れた存在であることを思い出さずにはいられなかった。


「良く頑張ったね。エディットがまさか魔術医務官になっちゃうなんて、おばあちゃん想像もしなかったわよ。本当に立派になったねえ」


 まさか仕事について褒めてもらえるとは思わず、エディットは驚いて体を離した。祖母は同じ梔子色の瞳で、優しい輝きを孫へと向けている。


 もしや空の上から見ていてくれたのだろうか。ならば孫の失敗についても、良く知っているのかもしれない。


「でもおばあちゃん、私、失敗ばっかりなの。今も倒れて……体調管理は治癒魔術師の基本なのに。これじゃ大佐殿に、呆れられちゃう」


 落ち込んだ様子の孫に何を思ったのか、祖母は優しい顔で笑って見せた。


「大丈夫よ、とっても良い方じゃないの。そんなことで呆れたりしないよ」


「そうかな……」


「そうだよ。むしろもっと迷惑かけていいの。あれはなんだって受け止められる男と見たね、ばあちゃんは」


 冗談じみた言葉を投げかけられて、エディットは思わず吹き出した。

 そういえば生前の祖母はおしどり夫婦であり、「おじいちゃんを選んだ私は流石だった」と豪語していたのだったか。


「そっか。おばあちゃんが言うなら、間違いないね?」


「そうそう。エディットは私の自慢の孫なんだから、必ず大事にしてもらえるよ」


 自慢の孫。初めて言われた言葉に、目の奥がつんと痛んだ。

 祖母はずっとエディットの目標だった。祖母のようなかっこいい治癒魔術師になりたかった。まだまだかの背中は遠いけれど、少しは近付けたのだと思っても良いのだろうか。


「おばあちゃん。私、頑張るね」


「エディットは頑張りすぎなくらいだよ。でも、そうね。ずっとずっと、応援しているからね」


 優しい笑顔があまりにも懐かしく、もう会えないのだと思うと胸が詰まって、エディットはもう一度祖母に抱きついた。

 見知った腕の中は温かく穏やかだった。エディットは微笑んで、最後に一言だけを伝えることにした。


「おばあちゃん大好き。ありがとう」



 *



 目を覚ますと知らない天井が視界に広がっており、エディットはぱちぱちと瞬きをした。無意識に乾いた目を擦ろうとしたら、手に触れていた感触が急激に力を増したようだった。


「目が覚めたか」


「大佐殿……?」


 何かを堪えるような顔をしたロルフがじっとこちらを覗き込んでいる。服装は灰色のセーター。自身の手元は布団の波で良く見えないが、どうやら手を握ってくれているらしい。

 エディットはこの状況が理解できずにゆっくりと首を傾げた。


「ここ、は?」


「俺の家の客間だ。パーティの後倒れたから、運んだ。覚えていないか」


 倒れたから、運んだ。簡潔な説明によって記憶の断片を取り戻したエディットは、一気に血の気が降りていくのを感じた。


 そうだ、覚えがある。

 パーティの間中、何となく体が熱かった。しかしこの楽しい時間を中断して帰るなんて考えたくなくて、無意識のうちに風邪をひいたことを忘れようとした。

 その結果倒れたのだから、謝っても謝りきれないとはこのことだ。


「も、申し訳ありません! 私、とんだご迷惑を……!」


 しかも飛び起きたエディットは更なる混乱に見舞われることになった。いつの間にか柔らかな生地の寝巻きに着替えているのだが、これは一体どうしたことか。


「リディア嬢を呼んで着替えさせてもらった。今日の午前の話だな。今は日曜の夜、パーティからそろそろ一日だ」


「ええっ⁉︎」


 つまり今回の己の振る舞いはこうだ。


 風邪を引いたというのにこれを見過ごし、その結果倒れてロルフに運んでもらい、恐らくはトシュテンとヴィクトルにも面倒をかけ、更にはリディアにまで着替えさせてもらった。


 そして最終的には他所様の家で丸一日眠りこけていた、と。


 最悪すぎる。もう手遅れかもしれないが、とにかくここは平に謝るべきだ。


 しかしベッドから飛び出そうとしたエディットは、ロルフによって押し戻されてしまった。


「まだ熱があるはずだ」


「そうは仰いましてもっ……!」


「駄目だ起きるな。明日の仕事は休め。絶対に寝ていろ」


 かつてない程に怖い顔で三連続の命令を受けてしまった。言われてみればまだ目眩がするし、この程度のやり取りで息も上がっている。

 直属ではないとはいえ上官であるロルフに逆らう気も起きず、エディットは仕方なくもう一度横たわった。


 当たり前のことではあるが、どうやらロルフは怒っているらしい。

 他人に厳しく自分にはもっと厳しい彼が、本当は優しい人であることを知っている。怒っているのは良く見かけるが、出会った頃以降は直接の怒りなど向けられた覚えがなかったエディットは、まともに悲しくなってしまった。


「……すまなかった」


 だから謝られるなどとは夢にも思わず、何が起きているのかすぐには理解できなかった。


「ずっと苦しそうにしているから、このまま息ができなくなって、死んでしまったらどうしようかと思った」


 ロルフは眉を寄せて相変わらず怖い顔をしている。

 よほど怒らせてしまったのだろうと思ったのだが、これはもしかして。


「俺が浮かれて、連れ回したせいだ。許してほしい」


 落ち込ませてしまったのだろうか。


「そっ……そんな! 大佐殿のせいなどでは、ありません!」


 エディットは真っ青になって声を上げた。いきなり大声を出したせいで咳き込んでしまい、ロルフが慌てて止めるので普通の音量まで落とすことにする。


「……私が、いけなかったんです。体調が悪いことには気付いていたのに、どうしてもパーティに参加したくて、知らないふりをしてしまいました」


 ああ、駄目だ。自分で話しながら、情けなくて泣きたくなってきた。


「大佐殿が誘って下さったことが、嬉しかったんです。本当に、ごめんなさい……」


 エディットは何とかそれだけを言って、鼻の上まで掛け布団を引き上げた。

 涙声には気付かれてしまったと思う。どんな反応が返ってくるのか考えると体が竦んで、エディットは布団の中で肩に力を入れた。


「そんなに、嬉しかったのか」


「はい、とっても」


「……そうか」


 ほんの少しの変化ではあったが、ロルフの声が上擦った様な気がした。見上げれば相変わらずの仏頂面だったので、恐らくは気のせいだったのだろう。


「俺は、体調が悪いところを押してまで、参加してほしいなどとは思わない。軍の行事ごときにエディットより優先すべきことなど何もない」


 まっすぐな眼差しを受けて、エディットは思わず絶句してしまった。

 少しは下がったはずの熱が再び上がってきた様な気がした。ロルフが誠実な人であることはよく知ってるつもりだが、照れる様なことを照れずにはっきりと言うのはとても珍しい。


「もうこんな無理はしないでくれ。何かあれば俺に言って欲しい。必ず、力になって見せる」


 エディットは唐突に、先程の夢を思い出していた。

 祖母は笑って言った。「そんなことで呆れたりしないよ」と。


 全くもって祖母の言う通りだ。ロルフはやっぱり優しくて、エディットのことを精一杯大事にしようとしてくれている。そもそもが体調の悪い相手に怒るような人ではないと、知っていたのに。


「……はい。ありがとうございます」


 エディットは幸福な気持ちになって微笑んだ。

 想いを通じ合わせてから少しの時間が流れたが、ロルフは日毎に甘くなっているような気がする。それをくすぐったいと思うけれど、自分も以前よりは気安く話せる様になったから、これはお互いに訪れた変化なのだろう。


 やはりまだ熱があるのか、幸せな気持ちと混ざり合って頭がぼうっとし始めていた。だからロルフが続けた言葉を、エディットは理解することができなかった。


「エディット。貴女が大変な時、支えるのは俺でありたいと思う」


「はい……」


「今回は門のところで倒れてくれたから良かったが、あのまま部屋に帰していたらと思うと肝が冷えた。貴女が一人で倒れているところなんて想像すらしたくない。守りたいんだ」


「はい……」


 すごく嬉しいことを言われたことだけは解った。けれど頭は内容までは理解してくれなくて、それでも幸せで、エディットは微笑み続けていた。


「眠いのか?」


「はい……」


「そうか、ならば眠ってくれ。……貴女が元気になったら、伝えたいことがある。聞いてくれるか」


 結局のところ、最後の言葉だけが夢現の中で耳に残った。

 

 ——伝えたい、こと?


 改まってどうしたのだろう。話の内容には想像がつかないけれど、何となく、素敵な話のような気がする。


「はい……」


 エディットは笑って、小さく頷いた。

 意識が途切れる寸前、大きな手が頭を撫でた様な気がした。


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