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6 色々な人に会えました

 歳の頃は二十代前半くらいだろうか。白に近い銀色の髪に、静謐な光を湛えたアイスグレーの瞳。白い肌は輝かんばかりで、人形のように整った顔立ちと相待って雪の女神を連想させる。全体的に色素の薄い彼女には、夜空を連想させる紺色のドレスがよく似合っていた。


「フレヤ、ハンカチは見つかった?」


 マットソンが溶けたような笑みを見せる。対する女性は無表情のまま静かに頷いた。


「ええ、やっぱり廊下に落ちていたわ」


 エディットはこの女性に見覚えがあった。そう、確かマットソンと戦地で会話をした際、去り際に落とした写真に映っていた人物だ。


「モニカ、良い子にしていたの」


「まぁま!」


 女性にぷにぷにとした頬をつつかれたモニカは、今までで一番の笑顔になった。

 間違いない。この美しい女性こそが、度々話題に上がっていたマットソンの奥方なのだ。


「ダールベック大佐殿。大変ご無沙汰しております」


「奥方、お久しぶりです」


 綺麗な礼をして見せた奥方に対して、ロルフが珍しくも敬語で挨拶をする。どうやら彼女もまた真面目な性質らしい。

 エディットはお似合いのマットソン夫妻を前にして思わず拝みそうになった。

 見たことがないほどの美男美女の組み合わせに、更には天使の娘さん。これを眼福と言わずになんと表現できるだろう。


「エディット。マットソン中佐の奥方の、フレヤ殿だ。……奥方、こちらはエディット・メランデル軍医少尉。私の恋人です」


 エディットはぼうっと見惚れていたのだが、ロルフの紹介によって更に冷静を失った。

 パーティへの参加を決めた時点で覚悟していたこととはいえ、改めて紹介されるとなるとやっぱり照れてしまう。

 案の定マットソンは身見たこともないほど嬉しそうな笑みを浮かべており、フレヤをそっと前へと送る。


「メランデル軍医少尉は初めてだったね。妻のフレヤです」


「初めまして、マットソンの家内のフレヤです。お会いできて光栄です」


 無表情ゆえにともすれば冷たい印象のあるフレヤだが、紹介を受けて微かな笑みを浮かべたように見えた。

 心臓を撃ち抜かれたエディットは、極力平静でいるよう気をつけながら挨拶することにした。


「は、初めまして。エディット・メランデルと申します。こちらこそ、お会いできて嬉しいです」


「素敵な二人……」


 ——ん?


 エディットは空耳を聞いたような気がして首を傾げた。クールなフレヤから脈絡なく放たれた台詞とは思えなかったからだ。

 しかしフレヤはハッとした様子で口元に手を当てて、「ごめんなさい、不躾に」などと呟いている。


「あはは。フレヤは正直だからなあ」


「恥ずかしいわ、私……」


「俺も同感だし、良いんじゃないかな」


 夫妻は本当に仲が良いようで、恥じ入るように俯いたフレヤをマットソンは笑い飛ばして見せる。

 二人の様子に憧れを抱いたエディットは、今しがた言われた内容をすっかり忘却した。その背後でロルフが照れたような顔をしていることは、少しも気が付かなかった。

 そしてロルフが薬の開発について礼を伝えたことで、フレヤもまた魔術師だということが判明した。何でもトラウマ解消薬の開発に、魔術研究官である彼女が大きく関わっていたらしい。

 お互いに魔術師であることを知った女二人は大いに盛り上がった。エディットは魔術研究官とはあまり話したことがなかったので、貴重な機会に興奮が抑えきれなかった。


「今の魔術研究室では、やはり薬品の開発に最も力を注いでいるのですね!」


 初めて聞く話につい勢い込むと、フレヤもまたすぐに返答をくれる。


「ええ、そうですね。戦争で物価が高騰している今、魔術師への目は厳しくなっていますから。ですので目に見えるような研究が最も優先されています」


「魔術医務官の間でも、地方治癒院の設置が急務とはずっと言われています。薬品の開発を進めているのも、上層部が併せての利用を考えているのでは?」


「そうかもしれません。民間への還元は重要ですが、長期的に見ると重視すべき点はいくつか……」


 フレヤが思案げに顎に手を当てたところで、モニカがふにゃふにゃとぐずり始めた。時刻は十八時半、子供は夕飯を食べてお風呂に入る時間なのかもしれない。


「おっとモニカ、眠いか〜?」


「うー」


「パーティに行きたがるなんて、お姉さんになったと思ったけどなあ」


「うあー」


 モニカを抱えたマットソンが体を揺らすも、中々機嫌が治らない。娘を溺愛する父親は早々に撤退を決意して、目だけで敬礼して見せた。


「大佐殿! 娘が眠そうなので、帰ります!」


「ああ。気をつけて帰れよ」


 そしてロルフもまた特に咎めることもなく頷いている。

 むしろフレヤの方が本当に帰って良いのかと躊躇う様子だったが、夫の決意が硬いと見て安心したようだった。エディットとロルフに向かって綺麗な礼をした彼女は微かな笑みを浮かべていた。


「それでは失礼致します。お二人とも、今度我が家に遊びにいらしてください」


「フレヤ、良い提案だな! ぜひ来てください、お二人なら大歓迎です!」


 テンションの落差があるのに仲が良い不思議な二人だ。有難い気遣いを微笑んで受け取ると、マットソン一家はあっさりと会場を後にして行った。


「素敵なご家族でした……!」


「ああ、そうだな」


 ロルフは見間違いではなく、目を細めて三人を見送っていたようだった。いつになく穏やかな瞳をしているが、思い返せば男性陣そっちのけで随分と盛り上がってしまった気がする。


「あの、申し訳ありません。奥方様とのお話に夢中になってしまって」


「構わない。マットソンも微笑ましげにしていたし、俺も貴女が楽しそうで嬉しかった」


 何だか今日の大佐殿はおかしくないだろうか。

 こんなに甘いことを言うなんて、今までならあり得なかったのに。冗談など言わない人だからきっと本心であるはずで、だからこそより一層気恥ずかしくなってしまう。


「おや。おやおや」


 すると笑みを含んだ声がかかって、エディットとロルフは同時に後ろを振り向いた。


「こんばんは、お二人さん。楽しんでいるかね」


 ユングストレームは穏やかな笑みを浮かべ、ケーキを載せた小皿を手にしていた。

 超大物の登場に二人して俄に背を伸ばして挨拶をすると、大将閣下は鷹揚に片手を上げて見せた。


「ふふふ……そうかそうか」


「大将閣下、何か?」


 やけに機嫌が良さそうなユングストレームに、ロルフが決まり悪そうに言葉を絞り出す。結局のところ問いに対する返答はなく、優しいお爺ちゃん然とした歴戦の猛者はケーキを食べるばかりだった。


「年度末パーティのデザートは馬鹿にできないよ。二人で沢山食べなさいね」


「は。承知しました」


「君はやっぱり真面目だね、ダールベック君。それじゃ、邪魔してはいけないから私はこれでね」


 背中からも楽しそうな雰囲気を漂わせたユングストレームが、軽い足取りで遠ざかっていく。その途端に緊張から解放されたエディットだが、小さくため息をついたロルフも同じだったようだ。


「ここからは堅苦しい挨拶は無しだ。大将閣下のおっしゃる通り、料理でも頂こう」


 それからは自由に、楽しい時間を過ごした。

 料理を食べたり、出会った人と話をしたり。ロルフは酒が苦手とのことで、最初のシャンパン以外はずっとジュースか茶を飲んでいたのが何だか微笑ましかった。


 その間にはロルフの同期達がやってきて彼を連れて行ったと思ったら、何かしらの内緒話をして、結果的にもみくちゃにされて戻ってくるという出来事もあった。


 せっかくの礼装を崩されたロルフは憤慨しきりといった様子だったが、整えるのを手伝ったら機嫌を直してくれたので、エディットはほっと息を吐いた。何を話していたのかはよくわからないが、仲の良い同期の存在はきっと彼にとって大きな励みになるだろう。


 ふと気が付くと音楽が流れており、ホールの一角ではダンスが始まっていた。エディットはここでようやくこのパーティがダンスを伴うものだと知り、血の気を下がらせた。


 ——ダンスって全員踊るものなのかしら。私、まったくやったことがないのに……!


 庶民にダンス経験などあるはずもなかったし、そもそも目立つようなことはあまり得意ではないエディットである。

 どうしようかと身を固めていると、ロルフが唐突に皿を差し出してきた。


「そろそろケーキを食べるだろう」


「……え」


 確かに料理は満足するまで食べたし、甘いものが欲しいところではあった。

 けれどダンスはしなくともいいのだろうか。疑問が顔に出ていたのか、ロルフは微かな笑みを浮かべた。


「貴女はダンスよりケーキだと思ったが」


 その言い方は大変優しいものだったが、エディットは図星を刺されて赤面した。

 色気より食い気だとバレている。当たっているけれど、何だか乙女心として凄く恥ずかしい。


「で、ですが、大佐殿は踊りたいと思われていたりなどは」


「俺も別段興味はない。女嫌いになる前に習ったきりだしな」


 ロルフは本当に関心がなさそうで、確かに彼の性格上はダンスを踊りたいなどとは思わないのだろう。

 しかし彼は教育自体は受けてきているし、踊れないわけではないのに、エディットに合わせようとしてくれている。


「おっしゃる通り、ケーキの方が百倍素敵です。食べましょう!」


 エディットはもう躊躇わずに差し出された皿を受け取った。デザートの区画は趣向を凝らした色とりどりの品で華やいでおり、以降の二人は気兼ねなくスイーツタイムを楽しむのだった。






「すみません、お手洗いに行って参りますね」


 そうしてしばしの時間が流れた頃、エディットはそう断ってロルフを見上げた。


「心配だな。近くまでついていこう」


「ありがとうございます、大丈夫ですよ。すぐに戻ってきますので、大佐殿はごゆっくりなさって下さい」


 ロルフは最後まで心配そうにしていたが、エディットは何とか説得してその場を離れた。申し出は有難いのだが女子トイレ付近で待たせるのは悪いし、何だか気恥ずかしいような気もした。

 振り返ればロルフは既に何人かの軍人に話しかけられている。

 やはり付いてきてもらわなくて良かった。笑みを溢したエディットは、一人会場を後にした。


 人気のない廊下は清涼な空気で満ちており、熱った頬を冷やしてくれる。しかし用を済ませたエディットがトイレから出てくると、そこには思いがけない人物が立っていた。


「こんばんは、メランデル軍医少尉。今日の君はいつにも増して綺麗だね」


 マルク・オデアン軍医中尉があまりにも突然現れるので、エディットは驚きのあまり小さな悲鳴を上げそうになった。


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