4 このドレスは誰が為に
買い物をしている間にすっかり日が落ちていた。
それでも大通りは街灯もあって明るい。上機嫌の店員に見送られて店を出るなり、エディットは先を行こうとするロルフに追い縋るようにして歩き始めた。
彼は大きな紙袋を手にしているのだが、その中には買い物をした全てが収められている。
「大佐殿! 一体どうしてこのようなお買い物を?」
「遥か東の国には、将を射んと欲すればまず馬を射よ、という格言があるらしい」
ロルフが前を見たまま硬い声で言う。エディットは脈絡のない発言に首を傾げ、それでも必死で考えてみた。
「将、ですか。ええと、それはつまり……敵を攻め落とすならまずは周りから、という意味でしょうか?」
「その通りだ。理解が早くて助かる」
「はあ……」
格言の意味はわかっても、それがこの状況に繋がる意味が全くわからない。彼には何らかの敵がいるのだろうか。
エディットは困惑しきりで、ついには足を止めてしまった。
ロルフはすぐに気が付いて後ろを振り向いたが、その目には何故か焦りが垣間見えたような気がした。
「気に入らないのか」
「気に入らない……? 何のことでしょうか」
「だから、このドレスが気に入らないのかと聞いている」
「まさか、こんなに素敵なドレスですもの」
そう、こんなに綺麗なドレスは見たことがないくらいなのだ。エディットが慌てて首を振ると、ロルフは安堵の溜息を吐いたようだった。
「エディット」
「はい、何でしょうか」
改まった調子で名前を呼ばれたので、背筋を伸ばしてじっと見つめ返す。ロルフは覚悟を込めた眼差しでエディットを射貫くと、手に持った紙袋をずいと差し出してきた。
「これをやる」
今に至るまでの流れで、流石のエディットも自身へのプレゼントらしいということは理解していた。
しかしこうして実際に差し出されてみると、どうしたらいいのかわからない。喜べばいいのか、恐縮すればいいのか。そもそもこんなに高価なものを、理由もなく受け取ってもいいのだろうか。
「でも……勿体無いです」
どうにも分不相応だと思えて、エディットは俯いた。
ああ、本当に自分は可愛げがない。
ありがとうございますと可愛く笑って、受け取れるような女の子になりたかった。
本当は、嬉しいのに。こんなことではそろそろロルフに愛想を尽かされてしまうかも。
「どうせ遠慮するだろうと思っていた。だから、今回は年度末パーティを口実にする」
ロルフが不可解なことを言い出したので、エディットはのろのろと顔を上げた。
プレゼントをした相手が立ち尽くしたまま動く気配がなくても、ロルフは紙袋を引っ込める気はないようだった。
「本来はドレスこそを誘う口実にするつもりだったが、先程試着した姿を見たらどうでも良くなった。俺はこれを着た貴女と年度末パーティに参加したい」
すぐには言われた内容が理解できず、エディットはしばしの間瞬きを繰り返した。
口数の少ないロルフらしく、そもそも最低限の説明しか為されなかった気がするが、まずはゆっくりと理解に努めてみる事にする。
「……ええと。大佐殿はそもそも、年度末パーティに誘ってくださるおつもりだったと?」
「そうだ」
ロルフが開き直った調子で頷く。そうか、だから「将を射んと欲すればまず馬を射よ」だなんて。
「そこで先にドレスを買って、断られる可能性を極限まで減らす事にした、とか?」
「その通りだ」
そこまで聞けばもう理解できてしまった。思い返してみれば、ロルフは洋品店にて似合うと言ってくれていた。
つまりはパーティへの参加そのものを口実に、このドレスを着て見せてくれと、彼はそう言っているのだ。
エディットは無言のまま、自身の頬に体中の熱が集っていくのを感じていた。
そういえばこの人はこう見えてもかなりの軍略家なのだったか。
この年で大佐にまでのし上がるには絶大な指揮能力と戦術への理解が求められるものだ。エディットが耳にした評判によれば、ダールベック大佐は突撃も防衛も撤退もなんでもござれらしい。因みに特に防衛戦で力を発揮したからこそ、女嫌いとかけて鉄壁と渾名されるに至ったと言う。
だとしても、軍略家にしては随分と回りくどい作戦だ。わざわざこんなことをしなくとも、普通に言ってくれれば喜んで付いて行ったのに——。
「……あ。もしかして、あの時ですか?」
「何の話だ」
「オデアン軍医中尉と入れ違いでいらした時の話です。もしかして、大佐殿はあの時に、お誘い下さるおつもりだったのではありませんか」
今度は肯定が返ってくる事はなかったが、苦々しげに寄せられた眉が何よりの返事だった。更には大通りの街灯に照らされた顔が赤いのに気付いて、エディットはおかしくなって吹き出してしまった。
「……何故笑う」
「す、すみません。ふふっ……確かに私、あの時、誰に誘われても参加しない、だなんて。あははっ……!」
駄目だ、笑いが堪えきれない。
随分と平和なすれ違いをしたものだ。ロルフがパーティに誘ってくれるだなんて想像もしなかったから、力一杯言い切ってしまっただけなのに。
「あれは、万が一大佐殿以外の方からお誘いがあっても、お断りという意味です。パーティ自体に行きたくないわけではありません」
エディットは表情に笑みを乗せたまま、指の先で目の縁を拭った。ロルフは相変わらず憮然としていたが、やっぱり怖いなどとは少しも思えなかった。
いや、むしろ可愛い、かもしれない。
「ドレス、ありがとうございます。すごくすごく、嬉しいです」
紙袋を受け取れば、幸せな気持ちが自然と表情に表れた。エディット自身は気付いていないが、「ありがとうございますと可愛く笑って受け取る女の子」に、いつの間にか変身することができていた。
ロルフはその笑顔をじっと見つめて動かなかった。訝しく思ったエディットが首を傾げると、ぷいと顔を逸らされてしまう。
「……うむ。喜んでくれたなら、まあ、いい」
「はい、本当に嬉しいです。年度末パーティ、楽しみですね!」
パーティは二週間後の週末だ。それまでに美容室を予約したり、ハイヒールを慣らしたり、色々と準備をしておかなければ。
*
パーティ当日の朝、エディットは自室のベッドで頭を抱えていた。
「喉、痛い……」
よりにもよってこんな大事な日に風邪をひくだなんて。
これは本当に、やらかしたかもしれない。




