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28 もし彼女に何かあれば

「お前……!」


 瞬時に理性を吹き飛ばしたロルフは、子供相手であることも忘れて弟の胸ぐらを掴み上げた。

 歴戦の軍人の動きに対処できるはずもなく、ヴィクトルは苦しそうに眉を顰めたが、その顔に浮かんだ不敵な笑みが消えることはなかった。


「俺は、魔術師だ。この石は遠隔操作で爆破できる。彼女を失いたくないなら、俺に協力しろ……!」


 息遣いに苦渋が混じるのは、単に息が苦しいせいか、それとも自らの行いに罪悪感を覚えたが故なのか。それでも気の毒などとは微塵も思うことができず、ロルフは腕に力を込めた。


「旦那様、今の爆発音は……⁉︎」


 扉を破るようにして入ってきたトシュテンが荒らされた部屋の中を見て息を呑む。その姿を確認すらしないまま、ロルフは大声で言った。


「来るな、トシュテン! モンスを連れて外へ出ろ!」


「しかし、旦那様……!」


「これは命令だ、早くしろ!」


 僅かな間の後、ロルフはトシュテンが部屋を後にする足音を背後に聞いた。


 ——落ち着け。俺が下手を打たない限り、彼女は無事だ。冷静を失ったらそれこそ相手の思う壺だぞ。


 深く息を吸って、吐く。そうして鋭くした眼光で睨み据えると、流石のヴィクトルも慄くように肩をすくめた。


「そうまでしてあいつらを殺したいのか」


「……殺し、たい」


「何故だ」


「生きている、意味がないほどの、下衆野郎だと思うからだ……!」


 ヴィクトルの手が宙を彷徨って、胸ぐらを掴み上げる太い腕に指を食い込ませた。兄を見つめる眼差しに相変わらずの覚悟が底光りしているのを見て取って、ロルフはようやくその手を離してやった。


 ソファに沈み込んで幾度か咳き込んだヴィクトルは、それでもすぐに居住まいを正して顔を上げる。尚も挑むような瞳と視線が絡み合い、ロルフは対面のソファにもう一度腰を据えた。


「お前を置いて出て行ったことを、申し訳なく思う」


「……何だって?」


「俺はあの家には二度と帰るまいと誓い、お前のことを救い出そうとすらしなかった薄情な兄だ。恨むなら俺を恨め」


 静かに告げた言葉に、ヴィクトルは絶句したようだった。

 謝罪を望んでいないことなど百も承知だ。それでも、ヴィクトルは再会してからずっと兄と呼んでくれた。便宜上のことかもしれないが、それこそ血も繋がっていない上に、会話を交わしたことすらなかったのにだ。


「だが、殺しだけはやめろ。一度曲がった鉄は二度と元の形には戻らない。

 正当性も、結果として得た平穏も、世間が許したかどうかすら、何一つ関係がない。ただ事実として一生涯心の奥底にこびりつく」


 だからやめろと、ロルフは言った。

 諭すでもなくただ経験則だけを淡々と告げたのは、彼の覚悟に感情論は意味がないと悟ったからだ。


 この兄が戦場帰りであることを、ヴィクトルは思い出したのかもしれない。ぐしゃりと顔を歪めて感情任せに両手で机を叩くと、割れた陶器の破片が寂しげな音を立てた。


「じゃあ、黙って見ていろって言うのか! あいつらが、まわりを……! 俺の大事なものを踏み躙るのを、受け入れろって言うのかよ⁉︎」


「そうは言っていない。少し落ち着け」


 ロルフはソファにまで吹き飛ばされた個包装のマドレーヌを手に取ると、問答無用でヴィクトルの口へと押し込んだ。

 むご、とくぐもった悲鳴を上げて、ヴィクトルは不可解な様子でマドレーヌを咀嚼している。イライラするときには甘いものが良い。


「俺も腹を括る。連中の悪行を暴き、しかるべき処罰を受けさせよう」


 ヴィクトルは目を大きく見開いて何かもごもご言ったが、口の中が一杯になっているせいでよく聞き取れなかった。茶の入ったコップは先程の爆発で全部割れてしまったから、少々可哀想なことをしたかもしれない。


 ようやくマドレーヌを飲み込み終えたらしいヴィクトルが、息を鋭く吐いて困惑の眼差しを向けてくる。


「処罰って、一体どうやって」


「簡単だ。俺から告発すればいい」


 まだ成人していないヴィクトルと違って、世間的にも名の知られたロルフなら、証拠でもあれば警察も喜んで動くだろう。今までそうしなかったのは関わりたくなかったのと、弟が継ぐはずの家を潰す気にはなれなかったからだ。


「要はお前の大事なものとやらに、あいつらが手を出せない状況になればそれでいいんだろう」


「……でも、捕まったって、死刑にはならない」


「爵位は失う。それで納得しろ、ヴィクトル」


 爆風に晒された部屋を沈黙が支配した。先に口を開いたのは、苦いものを飲み込んだように顔を歪めたヴィクトルだった。


「……わかった。やっぱり兄上には、敵わなかったな」


 頷いて苦笑をした弟は、その時ばかりは年相応の表情を取り戻したように見えた。

 けど、とヴィクトルは話を続ける。そうしてもたらされた情報は、今まさに問いただそうとしていたことと同じ内容だった。


「兄上がエディットさんと仲が良いと知ったのは、伯爵が調べさせた資料を盗み見たからなんだ」


 ロルフは声もなく立ち上がった。

 にわかに表情を険しくした兄に怯んだのか、ヴィクトルは罪悪感の滲んだ顔を背ける。


「多分、爵位を譲渡するために兄上の弱みを探してたんだと思う。あいつが行動を起こす前にと思って、エディットさんには今日会ってきたけど……今頃、もしかすると」


 全て聞いていられるほどの忍耐を持ち合わせていなかったロルフは、弟を置き去りにして走り出した。


 焦った声で兄上と呼ぶのが聞こえたが足を止めている場合ではない。まずはどこに行くべきなのかは分かりきっていて、怒りのあまり噛み締めた奥歯が軋む音が聞こえた。


 こんな形であの忌まわしい家に足を踏み入れることになるとは思わなかった。だが今は感慨も感傷もなく、ロルフは陽が落ちて熱を無くした街を走るのだった。


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[気になる点] 血縁無いと聞いても、当たり前に弟として接してるのがいいよね [一言] そう来たか
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