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24 さよなら

「私の後輩が失礼いたしました! 本当に、本当に申し訳ございませんでした!」


 勢い任せに腰を折って謝罪を述べると、すぐに構わないとの返答があった。恐る恐る顔を上げると、ロルフはどこか疲れたような顔をしていた。


「貴女のせいではない。これくらいよくあることだ。慣れているから、気にしなくていい」


「よ、よくある……?」


 エディットは呆然と呟いた。

 こんなことがよくあることだというのか。一方的に言い寄られて、言葉はきついとはいえ正論で返して、すると怒った相手に罵倒されるようなことが。


 握りしめた拳に爪が食い込む。言いたいことが沢山あるのに、感情が絡みついて言葉にならない。


 ロルフはとても顔が整っていて、しかも地位ある軍人だから、きっと昔からモテてきたのだろう。けれど女嫌いだから当然拒絶する。

 そうして勝手に期待して勝手に失望した女性たちは、彼を罵って去っていく。


 これでは女嫌いになるのも当たり前だ。こんなに酷い悪循環があっていいはずがない。


「大佐殿、お時間はありますか」


「仕事は終わったばかりだが、どうかしたのか」


 怪訝そうに首を傾げるロルフに微笑みを返す。最低な悪循環で今日という日を終わらせることは、エディットこそが我慢ならなかった。


「甘いものを食べに参りましょう」





 カフェというのは夜になると酒を出す店も多いが、いつでも甘いものをちゃんと用意してくれているものだ。

 チーズケーキがおすすめとの看板を見て入店した二人は、早速運ばれてきた名物を前に顔を輝かせた。


「わあ! よく焼けていて、美味しそうですね!」


「うむ。悪くないな」


 食前の祈りもそこそこに食べ始める。ねっとりとしたチーズのコクと、焼き目の香りが混じり合う味わいは、確かに名物の名に相応しい。


「美味しい! 私、こういうベイクド系のチーズケーキが一番好きなんです」


「同感だ。どんなチーズケーキでも好きだが、このタイプが一番食べ応えがあるように思う」


 夜という都合上、店内は女性ばかりではなくカップルの姿も多い。この環境ならきっとロルフも肩身が狭い思いをせずに済むだろう。


「これはアタリですね。目についたお店に入るのも、スイーツ探しの醍醐味ですから」


「目についた店にか。確かに、やってみたこともなかったな……」


 ロルフは柔らかい苦笑を落とした。

 バルやレストランならともかく、女性の多そうなカフェに適当に入るなどとは今まで考えもしなかったのだろう。


 嫌なことがあった時は甘いものに限る。その嫌なことを呼び込んだのはエディットなので、ここはお詫びも兼ねてご馳走するつもりだ。


「大佐殿、この店はパフェもおすすめだそうですよ。頼まれては?」


「……パフェか」


「お召し上がりになられたことはありますか?」


「ない。あんな綺麗な食べ物にはとんと縁がない」


 ロルフは憮然と言った。女子が好む食べ物だというのが一般的な認識だから、エディットと一緒の今ですら頼みにくいと感じているのではないだろうか。


 エディットは「気になりますよね」と言いながらメニューを開いた。わざとらしく映っていないと良いのだが。


「ほら、とっても美味しそうですよ。如何ですか」


「俺はいい。貴女は遠慮なく食べるといい」


「そうですか? では、お言葉に甘えて」


 ウェイトレスを呼んでフルーツパフェを注文する。程なくしてやってきたパフェは想像以上の大きさで、アイスやクッキーなどと一緒にフルーツがふんだんに盛り付けられていた。

 とても綺麗なパフェなのだから、ロルフに是非食べてもらいたい。


「わあ、美味しそう!」


 長く造られたフォークを持ちつつちらりと店内に視線を走らせると、手の空いたウエイトレス達が恋する乙女の瞳でロルフを見つめていた。

 やっぱりここでもモテモテで注目を集めているのだ。そんな中で恥をかかせずにパフェを食べてもらう方法はただ一つ。


「美味しそう、なのですが。お腹が痛くなってきてしまいました」


「何? 大丈夫なのか」


 小娘のわざとらしい演技にも、ロルフは真剣な面持ちで眉をしかめている。つくづく素直で実直な人だと実感しつつ、エディットはパフェの器をロルフへと渡した。


「ただの食べ過ぎだと思うので、流石にもうやめておきます。大佐殿、大変恐れ入りますが食べていただけますか?」


 言いながらも緊張と不安で心拍数が増してゆく。

 いらない気を回すなと迷惑がられたらどうしよう。しかし、そんな不安はあっさりと覆された。


 意図に気付いたらしいロルフが、微かに見張った灰色の瞳でパフェとエディットの顔を交互に見て、ふと柔らかく微笑んだのだ。


「……仕方がない。ならば、頂こうか」


 生真面目で融通が効かなそうな大佐殿が小芝居に乗ってくれたことは少しばかり意外だった。パフェを食べるロルフは喜びが隠しきれずに口元をにやけさせていて、エディットはひっそりと微笑んだのだった。






「すっかり世話になった。礼を言う」


 店を出た二人は路面電車の停留所までの短い道を歩く。ロルフが改まって礼を告げるので、エディットは慌てて首を横に振った。


「いえ、そんな。こちらこそすっかりご馳走になってしまいまして……!」


 ご馳走するつもりだったのに、結局のところご馳走されてしまった。ちょっと手を洗いに行った隙に会計が済まされていたのだ。

 申し訳ない思いでいっぱいだが、女性扱いしてくれているみたいで面映い。


「それくらい当然だ。随分と気を使わせてしまったな」


 自惚れでなければ、ロルフはかつてないほど穏やかに微笑んでいるように見えた。

 どうやらパフェはお気に召して貰えたようだ。女性客が隣に座っている中でも落ち着いて食事ができていたようだし、これは殆ど女嫌いを克服したと言ってもいいのかもしれない。


 ——もう、これで本当に終わりにしよう。


 実のところエディットがそう決意したのは、軍務省の前で甘いものを食べに行きましょうと誘った瞬間のことだった。

 ダニエラという嵐が過ぎ去って最初に感じたのは安堵。ロルフはやっぱり女性が嫌いなのだと、それなら誰のものにもならないかもしれないだなんて、本当に最低なことを思ってしまった。


 女嫌いを克服する手伝いを申し出ておいてこんな裏切りはない。ロルフの嫌悪する女性像よりも、エディットの心は遥かに醜かったのだ。


 だからもう終わりにする。ロルフにとって悪くない思い出であるうちに。


「……大佐殿、お願いがあるのです。私と握手をしていただけませんか」


 停留所に辿り着いたところで、エディットはそっと右手を差し出した。


 接触に関してはまだまだ嫌悪感があるかもしれないが、ロルフはエディットの手首を掴んできたこともあった。気の強い魔術医務官を女だと思っていないが故のことかもしれないが、これで握手を返してもらえるなら。


「何だ急に。構わないが」


 そうして、エディットの寂しさと緊張が入り混じった期待は、あっさりと叶えられた。


 骨張った大きな手が白く細い手を握り、冷えた外気を跳ね返すような熱さを伝えてくる。一切の躊躇いも感じさせない動作に瞠目したエディットは、しばらく呆然と繋がれた手と手を見つめたあと、切ない気持ちを押し殺して笑った。


「……ようやく触れることができました。これで、もう大丈夫ですね」


 まさか女嫌いなど忘れてしまったとばかりに、あっさりと握り返してくれるとは思わなかった。


 もうエディットにできることなんて何もない。決意を固めるまでもなく、これは明らかな潮時だ。ロルフは伯爵家の御曹司なのだから、しかるべき場所に出て似合いの令嬢と交流を持つべきなのだ。


「大佐殿は、ご立派なお方です。女性が苦手では無くなったのなら、今までとは比べ物にならないほど行ける場所も増えて、きっと……その、楽しくお過ごしになれると思います」


 素敵な出会いもあるはずだと、言葉にすることはできなかった。


 本当は自分のことを見て欲しいと伝えたい。けれどそれはしてはいけない。

 今までの時間で得てきた信頼を、欲に塗れた一言で失うのが怖い。お前も下心を持ったよくいる女の一人だったのかと、軽蔑されるのが怖い。


「もうお怪我なんてなさらないで下さいね。でも、また戦争が起きて、大佐殿がお困りになられたら……私が、必ず治します。どんな場所だって、駆けつけますから」


 けれど、せめてこれくらいは許されるはずだ。魔術医務官としての仕事を果たすことだけは。


 ロルフは今までありがとうとお礼を言ってくれた。その顔が寂しそうに見えたのは、きっと自分に都合のいい幻だったのだろう。


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