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22 やっぱり天才なのかもしれない

 ヨアキムは真実を語ってくれた。感情を表に出すこともなく、ただ淡々と。


 最初は自身だけの研究だったが、戦場で精神に変調をきたす兵士が増えるにつれ問題となり、ついには魔術研究部の一番のプロジェクトになったらしい。


 女嫌いの性格が治るわけではないが、少なくともきっかけとなったトラウマは消える。

 ロルフにとって青天の霹靂とでも言うべき事態が、自分の身に起こっていたのだ。


「ちなみに、研究にはフレヤ・マットソンも関わっているんだぞ。お前も会ったことくらいあるだろ」


 マットソンの奥方であるフレヤとは結婚式に出席した時が初対面で、それ以来特に顔を合わせていない。


 魔法省の魔術研究官だという彼女は今は育児のために非常勤職員となり、自宅での研究に専念していると聞く。優秀な魔術師である彼女の発明は、知られざるところで人々の役に立っているのだとか。


「……そうか。魔術師とは……お前は、すごいな」


「何だよ、今更か?」


「いや、知っていた。実感する機会がなかっただけだ」


 突然のことで感情が追いつかないが、知ってみれば辻褄が合う。近頃の変化にもすべて説明がつくのだから、嫌でも納得せざるを得ない。

 ロルフは静かに苦笑して、どうやら本当に天才だったらしい幼馴染兼義兄と目を合わせた。


「勝手に薬を盛るなと言っただろう」


「やっぱりそれは怒られたか」


 冗談めかして首を傾げた顔は殴りたいほど腹が立つが、それでもロルフが感謝しなければならない立場なのは明らかだ。


「いや、いいんだ。感謝する、ヨアキム」


 珍しくも礼を述べた義弟に、ヨアキムはちょっと瞠目して、それからすぐに笑った。


「あとはまあ、ゆっくりだな。いきなり女に触ったりなんかしたらまた元に戻る可能性があるから気をつけろ。引き続き薬を飲んで様子見だ」


「……世話になっていいのか?」


「当たり前だろ。俺が中心に作った薬だし、何よりお前は俺の家族なんだからな」


 ヨアキムは肉親ではないが、ロルフのことを本当の弟のように扱ってくれる。

 あの殺伐とした家から何度も連れ出してくれた思い出が蘇り、胸が詰まった。素直に今までの感謝を伝えることはなかなか難しいけれど、ヨアキムなら理解してくれているような気もする。


 まあ、魔術の実験に巻き込むのだけは心底やめて欲しいのだが。


「つってもこれ、製品化前の薬なんだけどな!」


「……は?」


「いや〜、治験に協力してくれる人を探してたからちょうどよかったわ。

 はいこれ、毎日の薬と記録帳な。味のないシロップ薬だから水と一緒に飲めばいい。記録帳には食事とか睡眠についてとか、その他もろもろ書く欄があるから。

 他にもなんか気付いたことがあったら備考欄にメモしといてくれよ」


 紙袋に一式まとめられた治験セットを手渡されたロルフは、自身のこめかみに青筋が浮き上がるのを感じた。

 本人に無断で新薬の治験。普通に考えて違法。だめ、ぜったい、である。


「……お前に純粋な感謝をした俺が馬鹿だった」


「大丈夫だって! 魔術師が作る薬は基本的に副作用が出ないんだからさ」


 ヨアキムは全く悪びれもせずに笑っている。非常識な振る舞いも早くロルフに飲ませたいがゆえのことなのかもしれないし、何より恩着せがましくないようにしてくれたのかもと思いついてしまえば、もう怒る気も失せてしまった。


「……わかった。治験とやらに協力させてもらう」


「わーいやったー!」


 無邪気に喜ぶ34歳。絵面がかなり残念なのでやめてほしい。


「今回が最後だからな。今後は絶対に薬を勝手に盛るのはやめろ」


 諦めを多分に含んだ溜息を吐いたロルフは、そこでふとあることに気付いた。


 ——この薬でトラウマが解消されたら……もう、彼女と共に過ごすことができなくなるのか。


 エディットと甘いものを食べに出掛けていたのは、ロルフの女嫌いを治すため。

 それ以外に理由などない、はずだ。もちろんエディットにだってそうした認識しかない。

 それなのに、どうしてこんなにも残念だと思ってしまったのだろうか。




 その日はリンドマン一家と夕飯を頂くことになった。


 ミートソーススパゲッティがメインの食事を堪能した後、お腹の大きいマリアの代わりにヨアキムとケントが皿洗いを買って出る。ロルフも手伝おうとしたのだが、三人だとキッチンが狭くなることを理由にゆっくりしていろと気遣われてしまった。


「あの二人はよく働くな。大したものだ」


「ふふ、そうでしょ? 助かっちゃう」


 リビングのソファに腰掛けてコーヒーを飲みながら雑談に興じる。妊婦のマリアは白湯を飲んでいて、いかにも幸せそうな笑みを浮かべていた。


 本当はフィリップから連絡が来たこと、そして近頃の実家について何か聞いていないかを尋ねてみたかった。


 しかし臨月を迎えた妊婦に心的負担をかけるのはよくない。あれだけ家に戻りたくないと言っていた弟に爵位の譲渡が持ちかけられたと知ったら、きっとマリアは酷く心配してしまうだろう。


「……なあ、姉上は俺たちに弟がいることを思い出すことはあるか」


 だからそれだけを聞いた。マリアは少し思案するように首を傾げて、やがて複雑な笑みを浮かべた。


「心配だなって、思うことはあるわ」


 そう、優しいマリアが気にしていないはずがなかった。

 しかしロルフとマリアにとっては最低だったあの家も、弟のヴィクトルにとってはそうじゃないかもしれない。彼には実の母親がいるのだからこそ、今まで干渉できなかったのだ。


 あの手紙には、爵位はヴィクトルが継げばいいとだけ書いて返信しよう。


 その反応によっては弟を連れ出す必要もあるのかもしれない。ロルフは小さな決意を固め、温くなったコーヒーを飲み干したのだった。


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