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婚約破棄後の後悔、子供だった私は大人になりたい

作者: 黒川恵

最近聖女ものが主流ですが、婚約破棄(解消)ものも、まだまだ勢いはあるはず───と、勢いで書いたら何かが足りなくなった話です。



(───あぁ、疲れた)



 人知れず大広間を抜けて辿り着いたバルコニーで、完璧な淑女の微笑みとして形取っていた口元が、ゆっくりと力無く、緩んでゆく。

 依然として背後では、社交に興ずる人々の喧騒と熱気、宮廷楽師らが奏でる音が絶え間なく続いている。けれど、り抜けるようにして通ってきた、天井近くから重厚に垂れたカーテンに半ば覆い隠された掃き出し窓によって、どれも遠く籠もっていた。

 また、四方八方に配された王国騎士らの警備の目を出し抜き、ここまで誰にも阻まれることなく辿り着けたこともあってか、ようやく息ができた心地となって、柄にもなく弱音が漏れ出てしまった。


 胸中に吐露した自身の思わぬ疲労の濃さに、緩く首を傾け苦笑する。


 その際、高く結い上げていた髪に差し込んだ幾つものの銀細工の髪飾りがささやかに鳴った。細い鎖状のそれは、艶やかな黒髪を網のように抑えるとともに、散りばめられた小さな柵状の飾りは、どれも精巧な透かし彫りが施されていた。

 髪だけでなく、形の良い耳、細くたおやかな首や手首にもまた、繊細な銀細工を台座にして透き通った青紫の宝玉が、品良く装飾されている。

 身に纏うドレスも、背の高さを生かしたほっそりとしたラインを描きつつ、だがけっして胸元と腰元を下品に見せない深い藍色のもので、小さなダイヤが無数に縫い付けられている。

 身を飾るものに妥協を許さない、流石はこの王国で屈指の資産家である侯爵家である。以前はその名声にもうひとつ加わっていたものがあったけれど、それも今はもうないものだ。


 脳裏に過ぎるのは、学園での卒業パーティーでの一幕。


 婚約者であった公爵家次男が声高に婚約破棄を宣言し、傍らに侍らせた子爵家の庶子である女生徒との愛を公表すると共に、女生徒に対する元婚約者の非道を激しく非難してきた。

 けれど、婚約者であった公爵家次男と子爵家の庶子である女生徒の非常識さは、既に学園内では数多あまた顰蹙ひんしゅくを買っており、結局彼らが始めた断罪劇はお粗末な結果となり、後日それぞれの家の判断をもって三者の進退が決定づけられたのだ。


 それ故に、卒業後の現在、デビューした社交界で新しい結婚相手探しを余儀なくさせられているのである。


 それと言うのも、相手側に婚約破棄だと声高こわだかに宣言されはしたが、実際の所は婚約解消でおさめられたからだ。侯爵と公爵とを比べれば、身分上では公爵家が上であることは不変の事実。だが、醜聞を揉み消すにしても目撃者が多数であったことが災いして、その立場を少々揺るがせたのもまた事実。

 それは目撃者の中にいた貴族籍の留学生たちの存在だ。

 彼らを通じて外交問題へとらぬ発展をさせないよう、王家から公爵家に圧力を掛かけたことで、破棄した以上の多額の慰謝料が侯爵家に支払われることとなったのだ。

 当然、王家から睨まれた次男は公爵家から籍を抜かれ、領地の片隅で平兵士として再出発し、子爵家の庶子である女生徒もまた、家から籍を抜かれ、規律の厳しい修道院へと送られていった。


 元より侯爵家の一人娘な為、婿を取らざるを得ないこの身は、実家の跡を継げぬ次男から下の子息や、貴族の庶子や裕福な商家の子息らには恰好の獲物であることは、重々承知していたことだ。

 しかし、学園という囲いが取れた現在の境遇は酷く目まぐるしく、より人間不信に拍車を掛けるばかりだった。



(今度・・は私の希望を汲んでくださるというお父様のお言葉が、こんなにも重荷に感じるなんて、思ってもみなかった………)



 あの卒業パーティーから既に半年が経っている。近年の結婚適齢期は20歳前後な為、まだ数年の猶予があるはずだ。焦る気持ちはあるけれど、正直そんな気がおこらないのも確かで、こうして侯爵家としての見栄を気にしつつも地味な色彩での装いで社交に繰り出しては、気鬱を蓄積させてゆくばかりの日々を送っているのだ。

 けれどそれがかえって美貌が磨かれ、衆目を集めていることに本人は気が付いていない。


 身の内に迫る雑多な想いを振り切るように目を閉じ、そして夜空を見上げた。


 王宮の大広間から漏れ出る明かりが強いのか、見上げた夜空の星の光は僅かしか見当たらない。しかし、細く弓形ゆみなりに弧を描く月が、まるで童話に出てくる猫のように、こちらをわらっているかのようだった。



(───そう簡単に、振り切れるわけがない)



 それは、政略で決められた相手と上手く心を通わせられなかった自身の怠惰たいださへの後悔と、自己嫌悪。胸中にくすぶるこの苦い想いは、あの日からずっと消えてくれないのだ。


 これは公爵家あいてを立てる為だからと、周囲まわりにそううそぶき、学園で醜聞を広げつつあった彼をいさめることや、両親に伝えることもせずに、領地経営の師事をあおいできた。

 侯爵家の継嗣けいしとしての矜持きょうじゆえにあった上位貴族である公爵家への──婿むこではあるが事実上の侯爵家当主となる婚約者への反発心。尊敬する父から与えられる領地経営への深い造詣と郷土愛を、改めて再確認し、深めた愛着とやりがいのある楽しさ。

 一方で、婚約者の不誠実さに、胸の奥にあるやわらかな部分が傷付つけられている事実から目を背け、反発相手に抱く淡い期待と好意をかたくなに認めようとしてこなかった。


 たとえ顰蹙を買う軽薄な触れ合いだったとしても、幾度も目にしてきた婚約者と子爵家庶子の女生徒との仲睦ましさ。内心では決して無関心ではいられなかったその理由わけは、相手への呆れと軽蔑だけでない、明らかな嫉妬心があったからだ。

 婚約者との心の距離を縮めることができずいた所に、するりと彼の傍に定着してしまった彼女の魅力にも、ひそかに抱えていた劣等心を否応いやおうなしに刺激されもした。


 学園の生徒だけでなく、貴族社会でも多くの者たちの目に映るはしたなさは当然見習いたくはないけれど、婚約者の心を惹き付けたその素直さだけは、酷く羨ましかった。

 あの天真爛漫な明るさは、自身にはないものだった。



(………彼女に、貴族令嬢としての礼儀さえ備わっていたならば、どんなに得難い長所だったことか)



 偽りの罪をなすり付け、こちらをおとしめようとしてきた相手だが、どちらかが一方だけに非があるとは言い切れない内情がある。それは当事者以外からは決して見えてこない、ある側面。我が身をかえりみればみるほど、自身の婚約者への態度のまずさが浮き出てくるのだ。



(彼らだけじゃない、わたくしも子供だった)



 婚約者であった彼と、心から対峙したことなどなかった。おさない頃に初めて対面した際、身分をかさに着る幼い彼の言動に傷付いてから、真っ直ぐ見つめることも出来なくなったのだ。会えば必ずこちらのあらをあげつらう婚約者に、困ったように微笑みを浮かべることしか出来なかった。



(もっと、話せば良かった)



 初めて会った際、日の光に当たったあなたの髪がキラキラと輝いていて、とても綺麗だったと。自身とは正反対の明るい髪色がとても羨ましかったのだと。

 会えばいつも辛く当たる言葉に、悲しみと寂しさを募らせていたことや、けれど共にお茶を飲む時だけ会話らしい会話を交わせていたことの嬉しさを、伝えれば良かったのだ。

 初めておおやけの場で踊ったダンスでも、至近距離から見下ろされて瞳と同じ水色のドレスを褒められた、あのくすぐったいほどの恥ずかしさと嬉しさを、素直に、伝えれば良かったのだ。

 学園に入学してからは、次第に疎遠となり、焦りと寂しさを感じたことや、噂や実際に目撃した彼らの仲睦まじさに傷付き、そして怒りを覚えたこともすべて、隠さないで伝えれば良かったのだ。



(そう、わたくしは、傷付くことが怖くて逃げていた)



 ようやく目をそむけることなく対峙できたその事実に、だからこそにじむ苦い後悔と自己嫌悪。

 卒業パーティーでの一件以来、一度も会うことなく公爵家領地へとくだった彼のことを思うと、さらに苦くなる。

 この婚約解消で一番多くのものをうしない、そして過酷なとがを受けることになった彼は今、どんな想いを抱いているのだろうか。

 愛する女性と強制的に別れさせられたことへの悲哀か、それとも貴族籍を抜かれた絶望か、そのどちらでもなく、元婚約者へのうらつらみを際限さいげんなく吐き続けているのかも知れない。

 唯一判ることと言えば、あの自尊心の高かった彼のことだ。平兵士に身を墜とされたことに対する不平不満は相当なものだろう。

 不名誉な騒動となった婚約解消ゆえに、世間から被害者として周知されている為か、必要以上に彼の近況を知る手段を断たれていることが酷くもどかしかった。


 破綻すべくして破綻したとはいえ、偽の断罪劇を起こさせるまでに追い詰めたのは、彼に対して何も行動を起こさなかった自分自身せいだ。相手からの歩み寄りを期待するばかりで、希望と違う言動に失望しては、より反発心を高め、悪い噂が拡がってゆく早い段階から彼を見限っていたのだから。



(彼らばかりを責められない。わたくしにも非はあったのだから)



 結局の所、被害者面して新たな婚約者を見つける気にならないとうそぶくのも、冷徹で薄情な一面を自身に見出みいだしたことに対する気鬱が一番、こたえているからだ。


 長めに瞑目めいもくし、夜空を見上げていた首を戻してきびすを返す。そして、その背後にいた相手に驚くことなく軽めの会釈をする。



此度こたびも、御配慮を賜りありがとうございました」


「………いえ、客人の警護も任務のひとつですから」



 いらえをかえした相手は、近衛騎士団のひとりであり、今宵の王宮での警備を担当する副隊長。そして、父である侯爵が最近になって三人の婚約者候補を挙げてきた、その内のひとり。半年経った現在も一向にその気配を感じさせない娘に危機感を募らせた父親が、数多あまたある求婚者の中から選りすぐった相手だった。

 また、候補者として対面させられた以前から、幾度いくどかこうして会場を抜け出した自身の、物思いにふけ一時ひとときを誰にも邪魔されることなく見守ってくれていた相手でもある。


 今宵も窓近くに待機し、薄暗く人目がない場所にいる未婚の淑女としっかりと距離を保つ彼の姿を見て、かすかに苦笑する。


 社交デビューして実感出来たのは、元婚約者がいかに貴族男性としての礼節さを欠いていたかということだ。次男とはいえ、れきっとした公爵家の人間が、あれほどの稚拙ちせつさで問題にはならなかったのだろうか。

 元婚約者に対して悔恨はあれど未練はないが、こうも貴族男性としての格の違いを見せ付けられると、本人でもないのに酷く居たたまれなくなる──そんな感情の発露はつろこぼれ出た微苦笑だった。


 かすかに片眉をあげた騎士の彼だが、こちらの歩調に合わせて窓の片面を開いてくれたばかりか、結った髪が崩れぬよう頭上にかぶさるカーテンのたわみを手の甲で押し上げてくれる。



「もしお疲れであれば、今からでも退席でるように取り計らいます」


「お気遣い頂き、ありがとうございます。ですが、今宵は父とでなく、別の───」


「存じております。我ら候補者のひとりであるルヴァイン殿が、今宵の会でエスコート役をされると、侯爵様から事前に伺っております」



 まるで上官に報告をするかのように無駄をはぶいた──感情の起伏すら感じさせない単調な声色でさえぎられた、思わぬ言葉に歩みが止まる。そして、腕を伸ばせば触れてしまうほどの距離で、互いの目と目が合った。

 その目に宿る確かな熱に動揺する。

 自身の胸の内ばかりに目を向け過ぎていてうっかり忘れていたけれど、彼らは──彼はこちらから掛け合って出来た候補者ではなく、あちらから望んできた候補者なのだ。

 求婚者すべてが次期侯爵の地位にだけ魅力を感じる訳ではないのだと、今更ながらに自覚する。



(───そうだ。この方は、お父様が選んだ求婚者・・・)



 前回のような高位貴族からの回避不可な縁組ではなく、同位かそれ以下の貴族子息から選ばれている今回は、侯爵家こちら側が優位に立った縁組となっている。無論のこと、相手側とて承知の上での求婚である。

 ひとりは目の前に立つ、王立近衛騎士団に所属する彼、侯爵家の四男であるエルミネ・アイ・リッツ・クリシュナ。

 もうひとりは、今宵のエスコート役である子爵家次男であり、実業家でもあるルヴァイン・ミディス・ラットランド。

 最後のひとりは先のふたりよりも年若い、来年春には学園を卒業し、宰相府勤務が内定している伯爵家次男のキース・レオル・イルセイン。



(三人の中から誰かひとりを選ぶのか、それとも自力で別のひとを探すのか………)



 まだ彼らと対面させられてから一月ひとつき。その答えを導き出すには、未だ心の整理がついていないのが実情だ。また、彼らからそそがれる眼差しひとつにも宿る熱量の高さに、ほとんど経験がないと言ってもいいくらい異性からの好意にさらされ、浮き足だってしまうような子供染みた困惑もある。

 特にこの目の前にいるエルミネという近衛騎士は、職務上ゆえなのか、本人の気質ゆえなのか、三人の婚約者候補の中で一番口数が少ない分、目が雄弁ゆうべんだった。

 現に今、穴が開くのではと、心配になるくらいじっと見つめられている。その目が語る相手へのいたわりと、焼け付くような思慕。そして隠しもしない妬心、その独占欲の現れ。

 真っ直ぐに注がれる無言の熱情と、足の裏からジワジワとのぼりゆく自身の熱とが合わさり、息苦しくなる。



「エルミネ殿、今宵は私がエスコート役だ。退席が彼女の希望なら、私がかなえよう」



 品のある落ち着いた声音が、外せなくなった視線と喉元をふさぐ熱い塊をするりときほぐす。

 耳に心地良く響く美声を持つ今宵のエスコート役が、閉じられていたもう片側の窓を押し開いて現れると、ゆったりと笑った。



「だが、貴殿は挨拶回りに熱心だ」



 三人の求婚者の中でも年上であるルヴァインに向ける眼差しや声音に、険が宿るのも隠さない。それは侯爵家と子爵家との家格の差からの見下した物言いではなく、貴族男性としてエスコート役の不足を指摘する生真面目さゆえの反論だった。


 左右の窓が開けはなたれたことで、大広間からの喧騒が大きくなる。エルミネ側と対になるカーテンのそばに立つルヴァインは、その皮肉に苦笑した。



「これは耳が痛いな。たちが悪い相手が話し掛けてきたから、彼女が標的にならないよう上手く逃がしたつもりだったのに、恋仇こいがたきに付け入る隙を与えてしまったようだ」



 子爵家次男という身分より、実業家として成功を納める年配者としての余裕に満ちたその物腰は、侯爵家四男で近衛騎士相手であろうとも決して見劣りするものではなかった。それどころか、目をく優雅さえあった。

 ルヴァインの眼差しが、改めてこちらへと向けられる。



「どうかこの私に、挽回の機会を与えて頂けませんか? 」



 情緒豊かに紡がれる彼の声は、まさに魔性と言えた。誘われるままに差し出された手を取り、まるで地表を滑るかのように歩き出す。その際、自身の頭上で交わされた婚約者候補らの鋭い視線に気付くことはなかった。それでも、エルミネの前を横切る際に感じた謎のあつひるみながらであるが、軽く会釈をするだけの分別は残っていた。



「すみません」



 全身まるごと飲み込まれてしまいそうだった熱情の余韻よいんと、耳朶じだに残る声に半ば魅了され、ふわふわとした気もそぞろなところに落とされた謝罪の言葉。

 はっと我に返って隣を仰ぎ見れば、真摯な眼差しに目を見張った。



「………なんの謝罪でしょう」


「貴女をひとりにしたことです」



 エスコートの為に手を添えさせていた腕を解き、爪先をこちらに向けたルヴァインの表情に、彼の衣服の質感が残る指先が震えた。



「婚約者候補として真っ先に名乗りを挙げ、認められたことで慢心していました。先の婚約解消で受けた貴女の心の傷が癒えるまで、待つつもりでいたのです。………他の候補者に感化されるなど不本意でしかないが、大人振って痩せ我慢した結果、貴女を奪われるのならば、取り繕う余裕など今後持たないことにする」



 途中から雰囲気の変わった口調と声音に───そして何よりも告げられた内容に驚きを隠せず、息を飲む。

 実業家である彼との交流は、父侯爵との商談が始まった七年前から今日こんにちまで続いているが、ここまで身の内をさらけ出す言動は初めてのことだ。


 父母や使用人らに酷く心配を掛けていた頃。当時の婚約者からの心無い言葉に傷付き、部屋に閉じ籠もることが幾度かあった。公爵家へと同行する使用人らの報告を受けていただろう両親に、自身の現状を訴え出ることは簡単で、後々のことを思えば、そうすべきだった。婚約者との関係改善が図れる余地がまだあることは、十分理解していた。しかし、だからと言って格上の公爵家に楯突かせたいわけでもなかったのだ。自身の不甲斐なさを、優しい両親にあがなわせたくなかった。

 そんな折りに、ラットランド子爵家次男であり当時新鋭の実業家として活躍し出した彼が、ふさぎ込む商談相手の妻子らに手土産を持参するようになったのだ。

 後に残るような装飾品のたぐいではなく、花や菓子といったそれほど高価な物でないえ物ばかりなところも、配慮の深さがうかがわれた。

 そうした気遣いに感銘を受けた父が、実業家としてまだ駆け出しだった彼への信頼の幅を厚くしたのも納得だろう。それに、彼から贈られた花々の一部を押し花として残し、本に挟むしおりとして活用している自身もまた、彼の優しさに慰められていた。それどころか、領地にいる遠くの親類よりも近しい、年の離れた兄のような存在として彼のことを慕ってもいたのだ。

 そんな彼が、学園内だけでなく社交界においても醜聞となった公爵家との縁談解消できずのついた令嬢の名誉回復の為、手を差し伸べてくれた。

 彼が婚約者候補に名乗りを挙げたことに驚いたし、昔から知る商談相手の娘への手厚過ぎる気遣いに申し訳なさがあった。それに年齢が一回り以上離れている上、次男といえども子爵家の貴族男性で、実業家として成功を納めている彼に、意固地を張り続けた自身は相応しくないとも考えていたからだ。

 そう、これは本気の求婚ではないのだと、勝手に納得していたのだ。

 だがその認識は、間違っていた。間違いなのだと、彼自身の言動でもって、気付かされてしまった。

 そして、気付いてしまうのだ。

 詮索好きな貴族が近付く度、角が立たないようにそっと逃がしてくれるだけでなく、終わった出来事を回顧し、物思いに耽る時間をも作ってくれていたことに───。


 己の想いのたけが予想以上に響いていることに満足したのか、笑みを浮かべたルヴァインは一歩後退すると、片手を胸に当て一礼する。

 そして魅惑の声で、名を紡ぐ。



「エメライン・リィ・ディア・イグリアス侯爵令嬢」と。



 柔和に細められた眼差しと甘さを含んだその声音。暴風雨のような激しい熱量を向けてくるの騎士とは違う、真綿に包まれているかのようなやわらかさを持つ深い包容力に、痺れるような甘さが爪先から頭の天辺へと駆け上がってゆく。



「私と踊って頂けますか?」


「───はい」



 マナーにのっとった正式なダンスの申し込みを断る理由はなかった。

 差し伸べられた手に手を重ねれば、優しく握られる。そのまま流れるような所作しょさで腕に添えさせた彼の歩みに続けば、華やかに賑わうダンスホールへと辿り着く。


 繋がられた手と腰を支える手、エスコート時よりも近い距離で向かい合う互いの熱と眼差し。


 元婚約者程ではないけれど、幼い頃から知る相手だった───これまでは。だが今、こうして向き合う彼は、まったく知らない男性だった。否、そうではない。彼とて、自身の婚約者候補のひとりであり、求婚者なのだ。

 自身に向けられた真剣な想いを、義理と憐憫れんびんゆえからのものだと決め付けていたことが酷く恥ずかしく思う。それと同時に、彼への甘えがあったことを認識する。………認識を、せざるを得なかった。



「───いいな。私を意識する貴女は、とても可愛らしい」


「………ッ、」



 そんな心の内を見透かすように囁きを落とす彼に、危うくステップを踏み外すところだった。

 クツクツと愉快げに喉を鳴らす意地悪な彼に、恨みがましく睨み付けるものの、彼に対する不誠実さに自己嫌悪しているところを見抜かれ、鼓舞こぶしてきた彼の配慮に脱帽する。


 だが───。



「では、このまま二曲目を踊って頂けますか? 」



 社交界において、同じ人物と連続して踊ることは特別を意味する。二度、三度と踊る相手は、親族以外だと配偶者か婚約者、恋人であることが暗黙の了解として周知されていることだ。

 彼とは親が指定した婚約者候補だ。対外的に見ても、彼と連続して踊ることは何も可笑しいことはない。至極当然でもある。


 だが───。



「まだです。まだ、踊りません」



 従来から持つ反骨心を刺激されたことで、とっさに飛び出た自身の言葉。それがいかな理由で紡がれたものであるのか、この時はまだ自覚はなかった。………本当に。



「───まだ、ね。まだ駄目なら、二曲目を踊ってくれるまで待つしかないな」



 どこか気落ちしたような声音と表情に、バツの悪い思いが込み上がる。彼からそっと視線を外した隙に、捕らわれていた手と腰が強く引っ張られた。

 その際、目の端に映った彼の口元が笑っていたことに、何故かしら胸が騒いだ。



「だけどこれからは、大人しく待つなんてことはしないよ。………覚悟はいいかい、お姫様」



 耳元で囁かれた甘い宣戦布告に、自身の危機意識が正常であったことを知る。だが、悲しいかな。否、悔しいかな。商談だけでなく、恋愛事にも百戦錬磨な片鱗を見せた求婚者に返す言葉が見つからない。

 耳まで真っ赤にさせ、パクパクと口を開閉するばかりな自身が酷く子供染みていて恥ずかしかった。



(………だけど、今はこれが精一杯)



 こちらの慌て振りに対して余裕たっぷりな態度を貫く彼の足先を、曲の終わり目に靴の踵で踏みつけることで溜飲をさげる。だがいつかは、彼にも言い返すくらいの大人になれるのかと、思わぬ反撃に息を詰めた彼の顔を見上げ、自嘲するのだった。







足りなくなったのは、二人目がなんか無双してくれたおかげで、三人目のエピソードを挿入する意欲が足りなくなったこと。否、筆欲が力尽きたこと。

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― 新着の感想 ―
[一言] 年下3人目は出さないで良かったでしょう、なんなら1人目も読了後は当て馬感バリバリで気の毒な、何気にウブな令嬢は年上の掌の上でコロコロされて落ちる未来しか見えない、末永くお幸せに
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