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玉ねぎごはん食べたい  作者: 新丸子の不動産屋です
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昭和の懐かしい5人家族のお話です

先日自転車に乗って高尾山に行ったとき、八王子の道の駅で見つけた。玉ねぎご飯、私のイメージしてたのとは少し違っていたが、それはまさに玉ねぎご飯だった。八王子は玉ねぎが有名で道の駅の一つなんだろう。私が知っている玉ねぎご飯ではなかったが、玉ねぎをみじん切りにして、卵の黄身を中心に添えたどんぶり飯。

子どもの頃食べたものとは違ったが、まさしく玉ねぎご飯だった。


両親とも兄弟は多くてともに4人以上いて、皆結婚していて従兄弟も多かった。父の祖父母は関西にいたので、父の実家に行くことよりも母の実家に行って集まることが断然多かった。で何かあれば兄弟たちが集まって大人たちは宴会、子どもたちはゲームや百人一首トランプで楽しい時間を過ごした。

特に正月は子供達にはお年玉という一大イベントがあるわけで、正月の新年会というのは欠かせない行事である。その年は年子の弟と二人でカセットテプレコーダー(ラジカセはまだ高価だった)を持ち込んで末弟が家で得意に踊っていたピンポン体操を披露、大人たちにも大好評一役従兄弟の中の中心に上りつけた感じ。


従兄弟たちは私の世代を中心に6つい離れた年上の男と三郎が私と七つ離れていてその間にいる、さすがに三郎は何をやっても半人前でゲームをやっても勝てない。ピンポンパン体操は水を得た魚のようだった。その新年会の勢いのまま、母の妹に今晩泊まりに来ると誘われ、やすやすとのってしまい暫く叔母さんのところでお世話になることになる。


そのとき父がグアム島に単身赴任中で、成人式の連休を挟んでグアムに訪問することになっていて、その間兄弟三人は叔母さんの家で生活。二日間ではあるが、小学校へも練馬の叔母さんのうちから通うことになっていた。

叔母さん曰く、最初の頃は元気だったようだが、日に日に元気がなくなっていく感じに。男兄弟の中で育っているので、叔母さんのところは年は離れていないとういっても姉妹の中にないるわけで、自宅より居心地がいいわけがない。

そんなときに急に玉ねぎご飯が食べたいといいだした、困った叔母さん玉ねぎご飯なんて聞いたこともない。当然三郎に聞いても作り方もわからない、玉ねぎとご飯を使って料理してみたけれどギブアップになったわけだ。


母に電話がかかってきて、事の顛末を伝えると母が調理法を伝授。伝授するほど立派な料理じゃなくて、玉ねぎをみじん切りにして炒める、そして醤油と最後にちょっと味の素を加えるだけ。そう炒めると甘くなる玉ねぎが、醤油をけることで香ばしくなりますます甘みを増す、この甘さが彼には答えられないらしい。私は玉ねぎ嫌いではなかったが、おいしそうに食べる三郎を見て年子の弟までも一緒によく食べていた。彼が今でも玉ねぎご飯を作っているかは不明だが、この前この話題が出たときに断然胸張っていたから、きっと今でも好きな食べ物だと思っている。


小学校の冬休みは短い。クリスマスイブが来て、大晦日、新年あけましておめでとう、お年玉をもらって、凧を上げて始業式がやってくる。

新学期が始まっても三郎は帰ってこなかった、まだ幼稚園にも入学していなかったのでそういう風になるのだろう、まあ週末には我々兄弟が練馬に行くので特に寂しさを感じることもない。ただ一人賑やかな弟がいないのは、普段より一人少ない家をさらに感じるくらいだろうか。


母も初めての海外に準備も慌しかったのだろうが、弟と三人で羽田空港に向かった。父が貿易の仕事をしていて、何度か家族総出で見送りしたこともあり、そこで見る飛行機にも特にワクワク感はない。母の出発を見送り、そのまま練馬の叔母の家に向かう。


従姉妹を含めると総勢5名、上から5年生4年生2年生1年生、そして三郎。見れば5人兄弟のようにも見えるので、よく叔母さんは「大変ね」と声を掛けられていた。最初の頃は自分の子供は娘二人で、男兄弟は姉の子供ですといちいち説明していたが、慣れてくるとその説明も面倒くさくまた貫禄で、「そう大変なんです」などと答えていた。

そんなにわがまま言ったりする子供たちではなかったが、やはり5人の子供を連れて歩くのは大変で、電車に乗り換えたり、切符を買うだけでも大変だ。


池袋駅について西武線に乗り換える、あまり乗ったことがない西武線に少しワクワク感もある。大泉学園駅で降りて、15分くらい歩いたのかな叔母さんの家に到着する。我々とあってからは、三郎もだいぶお調子者として飛ばしている感じだった。明日は7時頃には出発なので早々に久しぶりに兄弟三人で床に入った。


朝6時頃に起きて一回の茶の間で叔母さんが作った朝食を伯父さんと弟と私と三人で食べて家を出発。練馬は川崎よりだいぶ冷える、朝からストーブを焚いてこたつに入っての朝食だ。大泉学園駅までは歩いてもよかったのだが、叔父さんの自転車の荷台に弟が乗って従姉妹の自転車を私が運転した。自転車を預ける場所のせいか、いつも歩いている裏通りの細い道ではないところを自転車で走っていく。やっと明るくなりだしたころだが風は冷たい。10分もかからないところで駐輪場に到着、公共の駐輪場とかじゃなくて、個人の家が経営している民間の駐輪場。自転車二台を預けると預かり券をもらって私が預かり、大泉学園の駅に向かう。


まだ七時を過ぎたころなのでラッシュアワーには随分早い時間だったが、子ども心には随分人がいるイメージだった。通勤ラッシュなんて経験することはないが、野球を見に行った帰りに地下鉄が混んでいて、まあそんな感じかなと思っていた。

大泉学園駅は各駅停車と準急しか止まらない駅だが、ラッシュアワーの時間帯だけ大泉学園駅からノンストップ(石神井公園も止まらない)の電車があってそれで池袋まで。

途中で乗降客があると三人がはぐれてしまったり、そんなことを避けるためだったのだろう。

ホームに電車がやってきて、無事三人とも車内に乗り込む。


途中電車がつまって徐行することはあったがノンストップで終点の池袋についた。祖父の家が池袋にあったのでまあ慣れた道。一人でここまで来たことはないが、弟と二人では来ることはあったので叔父さんがいなくても大丈夫だった。叔父さんは新宿で総武線に乗り換えるので新宿までは一緒だ。

西武線の改札を出て山手線のホームへ、もう陽もだいぶ暖かくなってきた。駅のホームに人は多かったが、すぐ来る電車に次々と人が飲み込まれてゆく。

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