第一話 旅立ち前夜
まだ旅立ちません。
コンコン、ガチャ
返事も待たずおもむろに自室のドアが開き、緋褪色の部屋着のローブを着た元気っこのシリルがドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせた。
まだ10歳という年齢から幼さと愛らしさはあるが、将来美人さんになるであろうことが予想される程に整った顔をしている。
「晩御飯出来たから下りておいでって、お兄ちゃん」
言いながら薄めの茶髪のポニーテールを揺らして部屋に入ってくる。
「ノックしたなら返事くらい待てよ」
「キュウ」
旅立ちの準備の手を止めることなく苦笑いを浮かべ、チラリとドアの方を見るニノン。
こちらは山葵色の部屋着のローブを着ており、ショートボブの薄い茶髪が兄弟であることを意識させる。
先日16歳になり成人を迎えたばかり、少年から青年へ成長する移り変わりの時期特有の幼さと大人っぽさが感じられる雰囲気を出している。ただし、母親譲りの童顔のせいで少年の色が濃いのは本人も自覚しており気にしていたりする。
そして、その頭の上には体長50㎝程、紫の色味を帯びた黒いうろこを纏ったブラックドラゴンの使い魔、ノワールがしがみ付いており同調するように小さく鳴く。その体長からサイズ変更の能力持ちであることがうかがえる。
妹に甘い兄の抗議も気することなくそばに寄ってきて、所狭しとベットの上に並べられた道具類に目をやる。
そこには、大好きな採集に使うナイフやハサミ、大中小と3種類の試験管型のビンに同様に大きさの違う麻袋、大小の金属製ピンセットにヘラ、ポーションや薬の入った小型のポーチの付いたツールベルト、解体用のやや大きめのナイフ、採掘用のハンマーとピックに各種鏨、そしてひと際目を引くのが、多種多様なスパイスや塩、独自に調合したスパイスミックスに調味料類を入れた小瓶が道具類を押しのけるようにその存在感を示して所狭しと並べられている。
ベッドの横にある机の上には数冊の本が置かれており、その横の本棚にもまばらに本がささっているが虫食い状態で主要な本の大半が抜かれたようになっている。
「そこの本は持っていかないの?」
机や本棚を見て何気なく聞くシリル。
「んー、必要なのはもう空間庫にしまったからね。そこのは初歩の魔法書や錬金の指南書だからさんざんやって覚えてるし、置いてくよ」
手元で仕分けの作業を継続しながらニノンは答える。
「私がまだ習ってない本もあるからお兄ちゃんが旅に出たら見ててもいい?」
少しさびしさを滲ませ聞いてくるシリルに笑顔を向け答える。
「いいよ、でも、実践するのはかーさんやじーちゃんに習ってからにしろよ」
言いながら手元のスパイスの瓶に手を伸ばすニノン。
「うん」
素直に頷くシリル、チラリと兄の手元に視線を走らせる。
「やっぱり、それもってくんだね」
圧倒的な量のスパイス類を見ても驚くことなく、むしろ受け入れつつも呆れ顔でじっとり見つめる。
「当ったり前だろう、これがなかったら餓死してしまうじゃないか」
「キュウキュウ」
ムキになって抗議するニノン。それまで機嫌よく尻尾をフリフリしてニノンの作業を頭上から見ていたノワールも激しく同意してブンブンと首を縦に振る。
「え~、そこまでじゃないよ~」
プクッと頬を膨らませるシリル。
「そこまでのことなんだ。いいかいシリル、旅先では常に宿に泊まることができるとは限らない、そんな時は野営をすることになるんだが、くっそまずい携帯食なんか食べられたもんじゃないし、仮に宿に泊まれたとしても美味しいご飯にありつけるとは限らない。そんな時は自炊するしかないけど、もしそこで調味料もスパイスもないただの塩だけの食事とか味気が無くて食が進まないだろう。そんなことを何日も繰り返してみろ、あっという間に飢え死んでしまうから!」
無駄に熱く語る兄を見て、これまでも何度も同じやり取りをしてきて学習しているシリルは、このまま語らせるととてつもなくめんどくさい話が続くことを察する。
「ふ~ん、そうかもね~」
と、当たり障りない返事をして流そうと踵を返してドアへと向かう。
ちなみに、ニノン曰くクッソまずいと揶揄されたこの世界の保存食は、普通の乾パンや塩漬けされた干し肉などであり、旅人や冒険者からは重宝されていて決してクッソまずいという程のものではない。
ましてや、旅の途中の食事のために大量の香辛料を持ち歩く者など世界中を探してもいないであろう。
賢者である祖父から魔法の手ほどきを受け一定以上の魔法を操る術を学び、尚且つ空間魔法の素養があるニノンだからこそ出来る手段ともいえる。
最も空間庫が使えなくてもニノンならばその食い意地で持っていきかねないのも事実ではあるが。
「ごはん冷めちゃうからはやくいこ」
そういうと、ドアを閉めシリルは部屋を出ていく。
「おい、まだこれからきちんと理由を説明するところだったのに……」
ドア越しの室内から不穏な声が聞こえてきたが、スルーして階段を下りる。
「いつもはとってもいいお兄ちゃんなのに、食べ物のことになった途端に残念なんだよね~」
階段を下りながら小さくつぶやくシリル。ふと足元の階下を見ると、そこには母の使い魔のスピリットフォックスのモモが尻尾をフリフリさせて様子見に来ていた。
「モモ~、来てくれたの~♪」
と、言いながら素早く階段を駆け下りるとその首元に抱き着きモフモフの毛を堪能する。
「キュゥ~ン」
モモの方もうれし気にのどを鳴らすように鳴くと、尻尾を激しくフリフリする。
「邪魔するぞ~い!」
おもむろに玄関の方から祖父ウォートの声が響いてくる。
その身には”赤の賢者”と呼ばれるに相応しい葡萄色のローブを纏いたっぷりの白い髭とほんのり赤味のある長い白髪を蓄えた、いかにも大魔導士といった風体である。
「おじいちゃん、こんばんわー」
入ってきたウォートに満面の笑顔のシリルが挨拶すると、そのまま連れ立ってリビングへ向かう。
「もうすぐ出来るぞ」
剣士の普段着姿で、鍛え抜かれたガチムチの筋肉に包まれたその身をソファに押し込みくつろいでいた父エクトルが、入ってきたウォートを笑顔で迎える。
濃い赤髪を短く切りそろえ無精ひげを湛えたその姿は歴戦の戦士の風格に包まれている。
「そろそろじゃろうと思ってきたんじゃが、丁度よさそうじゃの」
ダイニングテーブルに並べられた料理の出来栄えを見つつ答え、エクトルの対面のソファに腰を下ろしひと息つくウォート。
「わ、今日の晩御飯は豪勢だね、しかも、ボクの好物ばっかりだ」
自室から降りてきたニノンがテーブルに噛り付き、並べられた料理を見て満面の笑顔を浮かべる。
「そりゃあ、かわいい息子が旅立つ前の晩餐だもの、力を入れたわよ!」
最後の料理をテレキネシスで静かに飛ばした母フリーダがキッチンから顔を覗かせる。料理がテーブルに着くと、ムンっと腕を上げ力こぶを作って見せる。が、そのしぐさは46歳とは思えぬ童顔と薄い茶髪のショートボブの髪型が似合いすぎており、想像以上にかわいらしい。
「やったね、ありがとう母さん、じゃあ早く食べよう!」
待ちきれないと言わんばかりに席に着き、ゆっくりしているエクトルとウォートを急かすように見る。
「ニノンの食い意地だけは、成人しても変わらんか」
諦めつつも微笑ましく目を細めてニノンを見るウォート。
「はっはっはっ、それは生まれ持ったニノンの才能だから、無理だろうなァ」
優しさをにじませつつ快活にエクトルが笑った。
「もう、いいから早く!早く!」
まるで駄々っ子のように椅子をガタガタと揺らして急かすニノン。
「ああ、またお兄ちゃんが子供になってる」
いつものことで慣れているシリルは、呆れてじっとりニノンを見る。
「ふふっ」
ニコニコと微笑んだフリーダが静かに席に着く。
「せっかくじゃから、わしがとっておきを出すかの」
全員が席に着いたのを見届け、パチンとウォートが指を鳴らす。すると、テーブルに置かれているグラスに、大人にはワイン、子供(ニノンも含む)には果実水が湧き出るように満たされ、追加のワインと果実水の瓶がテーブルの上に現れる。
ワインは年代物らしくコルクやラベルが良い感じにくたびれており、果実水の方からはふわりとスモモのような甘酸っぱい香りがほんのり感じられ、さっぱりとしていそうで食事に合いそうである。
「ほれ、グラスを持って」
ウォートの音頭でみんながグラスを手に取る。
「では、明日旅立つニノンの旅路の安全に」
「旅路の安全に」
ウォートの音頭にニノン以外の家族が復唱し、グラスを掲げ一口飲む。
「ありがとう」
笑顔で受けて素早くひと口飲んだニノンはさっそく料理に手を伸ばす。
「やっぱハンバーグうま!こっちのロールキャベツも味が染みてて最高!」
ひと口ひと口味わうように口に運んでは唸ったり喜んだりと忙しく表情と反応を変えるニノン。
「そういえば、ニノンが小さいときにハンバーグやらロールキャベツやらと、見たことも聞いたこともない料理を食べたいとゴネたときはたいへんだったな」
そんなニノンを見て当時を思い出したエクトルが笑った。
「そうねぇ。いろいろ聞いて回ったり、お父さんに聞いてもわからなくて。ニノンに詳しく聞いたら夢で見たって言われた時には思わず笑っちゃったわよ」
フリーダも思い出して楽し気に笑った。
「極稀に、前世なのかわからんがそういった記憶を思い出したり夢で見る者がおるという話は聞いたことがあったがのぅ。大抵はおぼろげだったりはっきりしないもんじゃが、ニノンの話は食べ物に限っては具体的だったの」
ウォートが感心するように髭をなでつけた。
そんな親たちの話題には目もくれず食べることに集中しているニノン。
「キュッ、キュッ」「カフカフ」
仲良く並んで満足そうに喉を鳴らしながら料理を堪能しているノワールとモモ。機嫌よくシタンシタンと尻尾で床を叩き、片やモフモフしっぽをフリフリして床掃除していた。
「ニノン、こっちにくるんじゃ」
楽しく談笑しながらの食事も終えてゆっくりとお茶を楽しんでいるところでウォートがニノンを呼ぶ。
「どしたのじいちゃん?」
シリルと一緒に使い魔たちと遊んでいたニノンが立ち上がり両親と祖父の座るソファの対面に腰を下ろす。そっとシリルと使い魔たちも後に続いた。
「うむ、エクトル達とも相談しての、餞別を用意したんじゃ」
と、いいつつエクトルとフリーダの方をチラリとみる。
「明日になるとバタバタして時間も取れないだろうしな」
「そうねぇ」
自分の時を思い出したのか、エクトルが目を細めながらつぶやき、それに同意するように小さくうなずいたフリーダ。
「私も用意したんだよ!」
ニノンの隣に座ったシリルもスチャッと手を挙げてアピールした。
「そうなんだ、ありがとね」
にっこり微笑みシリルの頭を優し気に撫でてやる。
「で、何をくれるの?」
祖父と両親に向き直る。
「まずはわしから」
いいながら、スイッとソファテーブルの上の空間を横に手を滑らせる。手が止まる寸前、その空間がフッとゆがむと、そこに木の杖と指輪のケースが現れた。
木の杖は、持ち手のところが捻じれて指にフィットするように出来ており、持ち手から下に向かってストレートに伸びている。持ち手の上の部分は鉤状に木がくねった形をしていて、鉤の内側に透明な緑がかった紫の石がはめ込まれた小型のランプの様な意匠を凝らしたものが飾られていた。
指輪の方は、革に木の葉等の模様が掘り込まれたケースに入っているようだ。
「私たちのはこれよ」
そういうと、フリーダが手をかざす。ウォートの時と同様に空間にゆがみが生じると、そこには武骨な鞘に入った鋼のショートソードと薬やポーションを入れる小型のポーチが現れる。
「剣はお父さんでポーチの中の薬とポーションは私とお母さんからだよ」
得意げな笑顔でそう告げるシリル。
「ポーションはシリルが作ったのが5級でお母さんのはちょっと頑張って2級を入れておいたわ、薬は痛み止めとか腹痛なんかのお役立ちセットになってるわよ」
そういうと優しく微笑む。
この世界では、様々なポーションが存在するが、総じて庶民に流通してるものは4,5級品が主で、3級が流通してるものの中では上位になる。2級以上となるとひと財産になり1級やその上の特級となると作れる者が世界でも数人というレベルで、貴族でもなければめったにお目にかかれるものではない。錬金術師が作ったもの以外となると、ダンジョン下層の宝箱からの出土品などが一般的である。
「ニノンはじーさん直伝の魔法があるから大丈夫だと思うが、冒険をしてるとどんな状況になるかわからないからな、それの扱いは一通り教えたし、今使ってるやつはそろそろヘタって変え時だからいざという時の備えで装備しとけ。極稀に魔法が効かない魔物もいるからな」
剣を手に眺めているニノンにエクトルが笑いかける。
「そうそう、その指輪じゃがな、それも杖と同様に魔法の発動体になっておる。杖と合わせて使えばどちらか単体より強い威力で魔法が使える、何かの拍子で杖が使えなくても指輪をしておけばどうとでもなるで、身に着けておくんじゃぞ」
「わかった、ありがとうじーちゃん、それに父さんに母さんにシリルも!」
ウォートの言葉にうなずき、順にみんなを見いく。
「ま、今のニノンの腕で扱える中では上々なものにしたが、そこまでとんでもない性能ってわけじゃないから安心して使いつぶすつもりいいぞ、上等な装備は冒険の中で腕を磨きながら手に入れたほうがいい」
「そうじゃな、持ちつけん装備を持つと実力を十分に発揮できずに危険に陥ったり、その道具を見てよからぬ事を考える者もでかねんからの」
優し気な顔をしつつもまじめな雰囲気に、顔を上げたニノンは小さくうなずき返事をした。
「強力かどうかにかかわらず、今より強い装備を手にしたら、使いこなせるように慣らすことを忘れずにの」
優しい笑みを浮かべる祖父にニノンは深くうなずいた。
「わかった、ふわ~~ァ…」
返事をした直後、大きくあくびが出たニノン。
「明日は出発で朝からあわただしくなるから、ここらでお開きにしましょ」
フリーダがそう言うと皆が頷き各々部屋に戻った。
灯を落とした自室でベッドに座るニノン。その手には先ほど貰った指輪のケースを持ち凝った意匠に目を奪われつつも眠気が徐々に襲ってくる。
「いいもの貰っちゃったな…」
その思いにふけり、ふと窓の外の空を見上げる。
『星がきれいだ、明日はこのまま晴れだといいな』
そう心の中で思い布団にもぐると静かに寝息をたてはじめた。
雲一つない満点の星空から、一筋の星が流れた。
読んでいただきありがとうございます。
初投稿作品となります。
色々つたない点があるとは思いますが、温かい目でお読みください。
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