王太子の事情
「一体何をしているんだ、お前は」
呼び出された国王の執務室で真っ先に言われた言葉だった。何を言われているのかわかっていたが、気がつかない振りをする。
「何のお話です? 陛下」
「陛下じゃない。父上と呼べ」
今は仕事中だから陛下と呼んだにも関わらず、父親として訂正してきた。これは早めに逃げなければとあれこれと算段する。
「デヴォン。彼女が後宮に入ってからすでに半年。その間、一度でも夜に訪れたことがあるか?」
「……ないですね」
「それが問題になっていると思わないか」
呆れを含んだ声で窘められて、むっと口を閉ざす。黙り込んだ息子に国王はため息をついた。
「とりあえず座れ。少し話をしようじゃないか」
「話すことはありません」
「ほう。では昼間に後宮に何をしに行っているのだ?」
昼間、と言われて思わず目が泳いだ。動揺を隠しきれなかったデヴォンににやりと国王は笑った。
「気に入っているのであろう?」
「それは」
「そうでなければ、4カ月も毎日訪れないよな?」
どうしてバレたんだ。
デヴォンはここまでばれてしまっているものを、誤魔化せないと舌打ちした。ちらりと後ろに立つ護衛に目をやる。後宮に通っていることを知っているのはいつも護衛しているこの男しかいなかった。幼少の時からの付き合いだ。国王から命令されれば、報告するだろう。護衛の男は申し訳なさそうな顔をする。
「彼を責めるなよ? 気になって聞いただけだ」
「……彼女のことは気に入っています」
仕方がなく、シェルビーへの思いを伝えた。国王は嬉しそうに破顔する。
「そうかそうか。聖獣になって会いに行っているのだ。その、夜の方もだな、そろそろ……」
デリカシーのない言葉を言い始めた国王をデヴォンは睨みつけた。そんな単純なものではないのだ。無言ではあったが、デヴォンの言いたいことが通じたのだろう。誤魔化すような咳ばらいをした。
「まあ、お前が彼女を気に入っているのなら心配はいらないな」
「……もう戻ります」
これ以上話すことはない、とデヴォンは切り上げようとした。退出の挨拶をしようとしたときに、国王が引き留めた。
「コールター侯爵令嬢が登城している」
「――もう関係ないでしょう」
コールター侯爵令嬢、と聞いてぎゅっと右手を強く握りしめた。
「関係ないというのなら、挨拶をさっさと受けておけ。あちらとしてもお前に挨拶を、と事前に面会を申し込んでいるのだから」
「わかりました」
大きく息を吐いて、退出した。
******
この国の王族はとにかく聖獣の血が色濃く出る。特に銀髪と赤目の印を持って生まれると、聖獣の姿を取ることができた。未成年の間は聖獣の姿になることはできず、王族男子の特別な成人の儀の後になって初めて変化する。どの聖獣の姿をしているかで、その時代の加護がわかるのだ。
初代国王の王妃だったはじまりの聖獣は美しい白い狼だったという。ずっと狼だけでいけばよいのだが、聖獣というのは不思議な存在で、次代の国王は白い鳥だった。いくつかの聖獣が現れ、現国王、デヴォンの父は白い大きなネコで、デヴォンは白蛇だ。
長いこの国の歴史の中、白蛇は女性にとって許せない存在らしく、正妃を娶ることが非常に難しい聖獣でもあった。だがどの形になるのかは成人の儀式を行わないとわからない。
そのような事情から、側室に選ばれる令嬢は何があっても受け入れられるように育てられる。もちろん、愛情を持ってもらうのが一番であるから、心の交流も重要視されていた。
デヴォンの3人の側室は皆デヴォンと幼馴染でそれぞれに好意を持っていた。愛情とは言えないが、幼いころからの親しい付き合いが親愛の情を芽生えさせていた。ままごとのような関係から、大人の関係になれば自然と愛情に育つだろうと、周囲からはほとんど心配されていなかった。
4人で茶会をすれば、たとえどんな聖獣になったとしても付き合いは変わらないと彼女たちは口々に言っていた。
きっとその時の言葉には嘘はなかったのだと思う。だが、理性で理解していても、受け入れられるかどうかは別だった。
成人の儀式に参加していた側室たちはデヴォンが白蛇となった瞬間、真っ青になった。2人は腰が抜けてしまい、1人はその場に卒倒した。その後も何とか受け入れようと努力してくれたものの、近寄れば青くなり震え上がられて、近寄るのが怖くなってしまった。
それでも慣れればきっと大丈夫だ、と不安と少しの不愉快さを誤魔化すように毎日を過ごしていた。
この国の聖獣の加護は愛情から成立しているため、聖獣の姿を受け入れなければ子供はできない。恐れや嫌悪感を感じながらのキスでもダメなのだ。心の繋がりが本当に重要だった。
「きちんと話し合った方がいい」
そう諭したのは現状を見かねた国王だった。白蛇はとても拒絶反応があるとは聞いていたものの、ここまでとは思わず周囲の大人たちは非常に心配していた。次代の後継者が生まれなければ、この国は聖獣の加護を失う。
「わかりました」
デヴォンにしてもこのままではお互いの精神状態がよくないとは思っていた。そこで意を決して、3人が茶会をしていると聞いて庭の方へと向かう。3人がテーブルを囲んでいつものようにお茶を飲んでいる。声を掛けようとしたが、すぐに立ち止まった。
――わたくしには受け入れは難しいですわ。
――本当よね。せめてモフモフであったら。
――あのつるっとした冷たい感触がどうしても苦手で。
成人したデヴォンは体の一部に聖獣の印が現れていた。左肩から背中にかけて、肌が蛇の鱗となっていたのだ。思わず左肩を右手で覆う。
「殿下」
護衛が気づかわし気に小さく声を掛けてきた。3人はデヴォンが聞いていることに気がつかず、本音を零し始める。
「殿下」
強く肩を掴まれ揺さぶられた。ようやく護衛へ顔を向ければ、彼は非常に心配そうな顔をしていた。
「……戻る」
「いいのですか?」
このままでいいわけではない。だがこれ以上、ここにいることはできなかった。彼女達への信用は全くなくなっていた。
その日以降、デヴォンは3人の元には通わなかった。何度も何度も来てほしいと側室たちから申し入れがあったが、何かと理由を付けていかなかった。
顔を合わせるのが恐ろしかった。嫌悪感を隠した作られた微笑みを見ていられなかった。あれほど大丈夫だと親しく付き合っていたにもかかわらず、だ。
結局あの茶会で聞いた日以降、一度も顔を合わせることなく定められた月日が経ち、彼女たちは後宮を去った。
**
廊下を歩きながらデヴォンは大きくため息をついた。思い出したくない過去を思い出し、気持ちが重くなる。
「嫌なことを思い出した」
「殿下は優しすぎるのです」
デヴォンの呟きに答えたのは護衛だ。彼が仕事中に口を挟むことはないので驚いて立ち止まる。
「何か言いたそうだな」
「ローリング伯爵令嬢は大丈夫だと思います」
「そうかな? 彼女だって女性だ。もし真実を知ったら……」
儚げな容姿に微笑みを浮かべるシェルビーを思い出す。
彼女だって……。
「……そう思いたいのは山々ですが。あの方は案外平気な気がします」
「――そうだな」
白蛇を平気で素手で捕まえ、名前を付け、毎日の話し相手とする。
言葉の通じないと思っている白蛇相手に延々としゃべっている。今ではシェルビーと同じぐらいローリング伯爵家の内情を知ることになった。
「それに」
護衛がさらに何かを言いつのろうとしたが、すぐさまデヴォンを背中に庇うように立つ。
「王太子殿下」
デヴォンはため息をついた。何もこんな場所で会わなくてもいいだろうと思ったのは仕方がないだろう。威圧をかけている護衛の腕に手を置いた。
「控えろ」
「わかりました」
護衛が下がれば、第一側室だったシーリア・コールターが見えた。あの本音を聞いて以来顔を合わせるのは初めてだ。年を重ねて落ち着いた女性になった彼女は少しだけばつの悪そうな顔をしている。
ぐっと腹に力を入れ、デヴォンは笑みを薄く浮かべた。
「コールター侯爵令嬢、久しぶりだ。元気そうで何より」
「おかげさまで。あの、これから少し時間を頂けないでしょうか?」
今さら何を話すというのだろう。懐かしい昔話に花を咲かせるつもりか。
じっと彼女を見つめれば、瞳が揺れた。その表情には覚えがあった。幼いころから何か頼みごとがある時にする目だ。気がついてはいたが、あえてそれを無視する。
「申し訳ないが、時間は取れない。挨拶だけならこれで」
「待って! ねえ、お願い。話を聞いてほしいの」
デヴォンは冷たい視線を彼女に向けた。
「今さらする話などないと思うが」
「そう思うのは仕方がないと思うのだけど」
彼女は以前とは違う態度を取るデヴォンに怯んで言葉がなかなか出てこない。視線を床に落としながら、手を閉じたり開いたりしている。
「では失礼する」
縋るような視線を振り切って、デヴォンは足を動かした。急激に過去が思い出されて、嫌な気持ちになっていく。
「くそっ」
デヴォンは小さな声で悪態をつくと、自分の執務室ではなく後宮へと方向を変えた。
「殿下?」
「後宮に行く」
「わかりました」
護衛はデヴォンを止めなかった。向かう先を後宮に変えると後ろからついてくる。
デヴォンは荒れる気持ちを落ち着かせようと必死になるが、どうしても過去に引っ張られる。
無性にシェルビーに会いたかった。