新しい出会い
シェルビーは実家から送られてきた手紙を丁寧に畳むと、封書の中に戻してテーブルに置いた。長椅子に背中を預け、大きく息を吐いた。
「よかった。何とかなったみたいね」
ビクターが作った借金は何とか返済のめどが立ったそうだ。支度金として用意された金額では半分ぐらいしか返済できなかったが、残りの半分は美術品など金目の物を売って作ったらしい。とにかく資産を食いつぶす借金がなくなり、ほっとした。
ビクターがまた同じように投資しないとは限らないが、今回のことは流石に懲りただろう。それでも安全策として来月からの給金は半分、妹名義にして別に取っておこうかと考えていた。
来年、ジェンナは社交界デビューだ。きっと彼女はライリーと結婚するだろうから、婚約者の心配はいらない。だがビクターの使い込みには注意しなくてはいけない。
「ジェンナに会いたいな」
ぽつりと呟いた。脳裏にはいつも何かしらの問題を起こしているビクターと後始末に奔走するパトリックが思い浮かんだ。こんなことになってしまっても大して反省もせず、同じことを繰り返しているのではないかと想像し、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「今頃どうしているかしら」
ジェンナの恋を本人の口から聞きたかったし、ライリーを揶揄ってやりたかった。家を出てくるときには思いつきもしなかったことを思いながら、ため息をついた。
シェルビーはとにかく退屈で退屈で仕方がなかった。
貴族令嬢の生活など、茶会や夜会などの社交がなければ家の中で刺繍をしているか読書をしているかなので、後宮で閉じこもった生活と大した違いはない。
シェルビーは後宮に来た当初はそう思っていた。
だけど、一日一日、過ごしていくうちに家族がいない寂しさを感じるようになっていた。良くも悪くも、ローランド伯爵家は浮世離れした当主である父と現実的な面を支える苦労性の叔父、いつでも楽し気な妹と彼女に振り回される従弟がいた。特に話すことはなくても話題はいつだって溢れているし、唖然としてしまうような問題も年中起こっていた。鬱陶しいとは思わないけれども、たまには静かに暮らしたいわ、なんて呟いていたこともある。
それなのに、2カ月経ってみるとそれが非常に懐かしく、そして自分が独りぼっちだということがとても悲しくなっていた。
たった3年だ。
その3年で借金も返せて、自分一人が暮らしていく分には十分なお金が手に入る。そこしか見ていなかったことを少しだけ後悔した。
もっと覚悟を決めておけばよかったと。デヴォンがこまめに後宮に通ってくれたのならまだ寂しさも紛らわせたかもしれないが、彼と会うのは一週間に一度の茶会の時だけ。
茶会も1時間と短く、満足するようなおしゃべりは出来なかった。穏やかで優しいが、どうしても親しくできない壁も感じていた。
それならば、と侍女や護衛に話しかけても、やはり一線を保った会話で、あまり弾まない。どうしようもなくなって、最近は庭を散策しながら一人でブツブツと独り言を言うようになっていた。
「ああ、散歩に行こう」
鬱々とした気持ちを振り切るように明るい声を出して、勢いよく長椅子から立ち上がる。部屋の隅に控えている侍女二人に視線を向けると、一人の侍女が一歩前に出た。
「お昼はいかがなさいますか?」
「庭で食べたいから、簡単なお昼を用意してほしいの」
「わかりました」
侍女は軽く頷いて、手配するために部屋を出た。シェルビーは大きく伸びをすると、バルコニーに続く窓を開けた。
今日も天気が良く、絶好の散歩日和だ。
「いい天気だわ!」
折角の贅沢な空間だ。この広い後宮に住んでいるのはシェルビーだけ。その一人のために護衛も侍女も沢山いる。シェルビーは護衛と侍女を連れて、庭に出た。
部屋から直接庭に出れば、薄い黄色の花が満開だった。シェルビーの背丈と変わらない低めの木は小さな花を沢山咲かせていた。あまり見たことのない花であるが、仄かに香る甘い花の香りは鬱々とした気分を明るくする。
「綺麗ね」
「この花はここでしか咲かない品種だと聞いています」
侍女がそっと教えてくれた。
「それだけ育てるのが難しいのかしら」
「はい。後はこの場所が特別だからと伺っています」
ふうんと頷きながら、花を一つ一つ見ていく。後宮の広い庭にはさまざまな植物が植えてあるが、シェルビーにはよく見かける花しか分からない。興味深く侍女の説明を聞いていたが、目的地が見えてきたところで足を止めた。
「見えるところにいるから、少し離れていていいわ」
「では、これを」
侍女はバスケットをシェルビーに渡した。先ほどお願いしたお昼の食事だ。
「ありがとう。後でいただくわ」
シェルビーはにこりと笑って、一人開けた庭の奥へと向かう。ここにお気に入りの場所があるのだ。庭師が気を利かせて、ベンチとテーブルを置いてくれたので、本を読んだり刺繍もできる。
「あら?」
ベンチに向かって歩いていると、白い細いものが動いた。目を瞬けば、そこにいるのは1メートルほどの蛇だ。
シェルビーはきょろりと辺りを見回し、丁度いい木の枝を折る。蛇に気がつかれないようにしゃがみこみ、その木の枝で蛇の体を突っついた。
びくっと蛇の体が揺れた。
「まあ、本物だわ!」
驚きと共に、嬉しくなってしまった。この庭を散策して初めて見た動くものだ。シェルビーは夢中になってつんつんと蛇を突っついた。蛇は体をくねらせ棒をよけようとするがその場から逃げない。
「案外、蛇って人懐っこいのね。ねえ、お前、わたしとお友達になりましょう!」
何か言いたそうに蛇が頭をもたげた。そして、こてんと横に首をかしげる。その仕草がとても可愛らしくて、シェルビーは興奮した。
「なんて可愛いの! 名前を付けましょう! 何がいいかしら?」
すっかり気をよくしたシェルビーは蛇をむんずと両手でつかんだ。蛇はぎょっとした顔をして、慌てて彼女の手から逃れようと体を右に左へとくねらす。
シェルビーは逃がしたくなくて、ぐっと力いっぱい蛇を握りしめた。蛇の目が飛び出してしまうのではないかというほど大きく見開かれて、くたりと体を預けた。
「いい子だわ。わたしの側にいてくれるのね。素敵な名前はないかしら?」
シェルビーは高揚した気持ちのまま、思いつく限りの名前を上げ始めた。
「ホワイト、ブラン、スノウ、アイス、グレイシャー……ううん、難しいわね。白をイメージするとどうしても冷たい感じだわ」
手の中にいる白蛇をもみもみとしながら、ぶつぶつと呟く。
「ジンジャー、キッシュ、ワッフル……どれも美味しそうだけど、ピンとこないわ」
じっと白蛇と目を合わせた。白蛇はびくびくしながらもシェルビーを見返す。
黒を少し混ぜたような赤の瞳。
「ルビーがいいわ」
白蛇は驚いたように瞬いた。
「あら? 蛇って瞼あったかしら?」
その呟きに、白蛇は首を反対側に傾けた。知らないと言っているような気がした。もしかしたら以心伝心かもと、シェルビーは嬉しさがこみあげてきた。
「まあ、よくわからないからどうでもいいわ。ルビーが可愛いことには変わりないもの」
シェルビーはこの白蛇との出会いで、味気なかった生活に色がつき始めた。
ルビーは天気の良いお昼に庭にいることが多い。シェルビーは天気がいい日には昼食を持ってルビーを探した。日溜まりの中、昼寝をしているルビーを見つけては、強引に自分の膝の上に乗せ、色々と語る。ルビーも最初は興味深げに聞き入っていたが、そのうちちらりと見るだけで寝てしまうことも多くなった。
シェルビーは気にすることなくルビーに語り続ける。
「わたしね、後宮に来たのだけど、あまり王太子殿下に好かれていないようなの」
この離宮に来て半年経ったある日の午後、シェルビーは気になっていたことをそっと聞かせることにした。ずっと思っていたことなのだが、抱えているのもモヤモヤするし、だからと言って、王太子に通ってほしいわけでもない。だけど、やっぱりモヤモヤして。そんな気持ちを振り切るように、ルビーに聞かせる。
優しくルビーの背中をさすりながら、ため息をついた。
「何度か一緒にお茶をした時にとてもいい人だなと思ったの。でも、殿下はそう思っていないのよね。いつも笑顔だけど、決して近寄らせない壁があるのよ。多分だけど、一番最初の側室様の中に本当に愛していた人がいたんじゃないかしら」
一緒にお茶をしていても、あまりシェルビーに興味を持ってくれないデヴォンを見ながらあれこれ考えて、思いついたことだった。こんなにも完璧な王太子なのに、女に手を出さないなんて枯れている。枯れている原因を突き詰めれば、忘れられない愛があったと考えた方が自然だ。
「でもほら、正妃に据えるには子供が必須だし。子供ができなければ、どんどんと側室を娶るわけでしょう? それでわたしで10人目になるわけだし」
小さな声だったが、さらに声を潜めた。そっと屈んでルビーにだけ聞こえる様に囁いた。
「愛する人を失った精神的ショックで不能になってしまっても仕方がないと思うの」
気の毒よね、とほほ笑むと、ルビーがぐたっと伸びてしまった。突然、ぐったりしたルビーに驚いてしまう。
慌ててルビーの細い体をさすった。でもルビーは復活する様子を見せない。ただ気にするなというような視線を向けてきたので、とりあえずそのまま置いておくことにした。
「あら、いやだ。刺激が強すぎたかしら。ルビーったら純情ね。でも気を付けなさいな。ルビーは美人さんだから、適当な男に捕まらないようにね。子供ができたら大変だわ」
魂が抜けたようにルビーが固まった。