10人目の側室
この国の王太子は正妃が決まる前に側室を取る。これは王族に子供ができにくいという性質があるからだ。この国の成り立ちが特殊なため、仕方がないことだった。
開祖と言われている初代国王はごく普通の人間であったが、正妃が聖獣という極めて異例な組み合わせだった。聖獣の血を引いた二代目国王は類まれなる美貌とカリスマ性を持ち合わせていたが、同時に子供ができにくいという特性も引き継いだ。
そのため、代々、王太子時代に側室を娶り、その中で子供を産んだ側室が正妃として迎え入れられた。王太子の子供が生まれた後、国王は譲位し、隠居となる。
このしきたりの通り、現在の王太子は16歳の成人になったと同時に側室を3人娶った。側室でいられるのは3年と決まっており、子供ができるまで繰り返される。
10人目の募集ということでわかるように、3人ずつ3回、計9人の側室を娶ったのは良いが、子供が生まれない。それぞれが期日満了まで居座ったので、この間、9年。王太子は現在25歳。
側室になっていいことは、お金と0に近い確率ではあるが、正妃になれることだろう。
もしミッションクリアできない場合はお金は貰えるが、行き遅れになる。王太子の側室であったと箔はつくし、後ろ指を指されることはないが、その未来はあまりにも寂しいものだ。
この国の女性が1人で自立するのは難しく、後妻になるか、貰ったお金で1人を貫くかどちらかだ。今までの側室たちは皆、後妻として嫁いでいったと聞く。
シェルビーにとって行き遅れは問題にならない。今の状態でもすでに婚約者がいないのだ。
シェルビーの父親似の儚げな外見に惑わされて婚約を申し込んでくる人間も成人したころにはそれなりにいた。調子のいいことを言いながら近寄ってくるのだが、伯爵家の状況を知ると次第に足が遠のく。
伯爵であるビクターは現実を生きていないふわふわ、実質お金を管理しているのはパトリック。
何よりも家族の空気が馴染めないらしい。
シェルビーには伯爵家という付加価値もあったにもかかわらず、あれほどいた求婚者は18歳になった今では誰もいない。結婚してから家族を紹介すればよかったと何度後悔したことか。
同じ行き遅れで家に厄介になるなら、お金の心配がいらない行き遅れの方が好ましい。上手くすれば、小さな屋敷をもらってそこで暮らしていける。
「初めまして。シェルビー・ローリングでございます」
盛大に猫を被り、淑やかに挨拶をした。左手でドレスをつまみ、右手は胸に当て、膝を折り腰を落とす。この国の最上級の礼だ。
「楽にしてくれ」
許可を得て、シェルビーは姿勢を戻した。遠目では見たことがあったが、噂通り、うっとりするほどの美形がそこにいた。
光り輝く銀髪に深みのある赤い瞳は初代国王の正妃であった聖獣と同じ色だ。がっしりとした体つきは鍛え上げられ、仕立ての良い黒い服は華美ではないにもかかわらず彼の存在を引き立てた。長めの癖のない髪は緩く一つに結われていた。
王太子は人当りの良い笑顔を見せた。貼り付けたような、とまでいかないが感情の見えない胡散臭い笑顔だ。
「デヴォンだ。これから貴女には側室として過ごしてもらうが、気負う必要はない。貴女の過ごしやすいように後宮で過ごしてもらっていい」
「お気遣いありがとうございます」
寛大だとは聞いていたが、あまりの寛大さに涙よりも疑問が噴き出す。言葉にするつもりはなくても、頭の中は疑問符だらけだ。
「この国の側室は特殊なのでな、側室が公に出ることはない。だがそれでは息が詰まるだろうから、人との面会は護衛と侍女を付けていれば可能だ。ただ許可は必要になる。それだけは甘んじて受け入れてくれ」
「は、はあ」
淡々と説明されて、とうとう首をかしげてしまった。デヴォンはそんなシェルビーの様子を見てふっと表情を緩ませた。
「貴女で10人目だ。今更期待はしていない。決まりとはいえ3年も縛り付けてしまうのは申し訳ないが……」
やっぱり不能なのかな、そんなことを思いつつも、シェルビーは余裕のある笑みを浮かべた。
「期間は気にしないでくださいませ。精一杯、お仕えさせていただきます」
デヴォンには多少引っかかる壁を感じるが、穏やかで気持ちのいい人物だ。お金のために側室になったが、できる限りいい関係を築きたい。
こうしてシェルビーは無事10人目の側室となった。
******
「これからよろしくね」
シェルビーは与えられた後宮の部屋で待っていた侍女たちにそう挨拶をした。侍女たちも好意的な笑みを浮かべて頭を下げる。
「これからお世話をさせていただきます。では、さっそく今夜のご準備をいたしましょう」
挨拶もそこそこに、彼女たちはシェルビーの体を磨き上げ、香油をたっぷりと肌に擦りこみ、若さと素材を生かした薄化粧を施した。
「……すごいネグリジェね」
「初夜ですから」
にこりとほほ笑まれて拒絶できなかった。上質な触り心地の布でできたネグリジェは一見清楚であったが、身に纏えば十分に官能的だった。滑らかな布は肌の上を滑り、彼女の体の線を浮き上がらせていた。胸や腰の陰影が恥ずかしい。しかもコルセットもなく、肌着もレースでできていて心もとない。
慣れないネグリジェが落ち着かない気持ちにさせたが、侍女たちの言うように今夜は特別な夜である。大きく息を吸って、シェルビーはデヴォンが来るのを待っていた。
待って、待って、待って。
無情にも朝が来た。
カーテンの閉じた窓から差し込む朝日が目に染みた。一晩起きていたため、体は非常にだるいが、頭の中は異常に冴えわたっていた。
――やっぱり王太子は不能なんだわ。
初夜をすっぽかされたシェルビーは自分の予測が正しかったことを確信した。正直なところ、デヴォンが来ても来なくても、お金さえもらえればどちらでもいい。
借金も返済できて、行き遅れも誤魔化せる。おひとり様人生でも笑われない。あのまま、側室にならないよりはなった方が非常にいい人生だ。そう言い聞かせて、デヴォンと仲良くなりたいという気持ちを無理やりになかったことにした。
「側室様、起きていらっしゃいますか?」
小さくノックされて、躊躇いがちに声がかかる。シェルビーは疲れた声で返事をした。
「ええ。入ってちょうだい」
侍女が気まずげに入ってくる。どうやら王太子がすっぽかしたことがわかっているようだ。侍女は申し訳なさそうに頭を下げる。
「おはようございます。あの……」
「いいの。わたしは10人目の側室ですもの。他の方に比べて見劣りするのはわかっていますから」
「いいえ、そうではございません。4人目以降、王太子殿下は後宮にお渡りになることがなかったのです。側室様が特別悪いというわけでは……」
「え?」
予想外の答えに、シェルビーは目を点にした。侍女はため息をつく。
「どうやら条件があるようなのですが、その条件が満たされないと契れないとかで」
「そんなことが」
「ですから、気を長くしてその時をお待ちください」
いつになるかわからないということで3年なのか、と納得してしまった。同時に毎晩、デヴォンを待っているなんて面倒くさすぎる。
とはいえ、後宮の側室の役目など子供を産むことしかない。
次の日の夜、シェルビーは侍女たちに再び全身を丁寧に磨かれた。今日は侍女長もいた。初夜にもかかわらず昨日デヴォンがこちらに足を運ばなかったことを聞いて、手伝いに来たらしい。侍女たちも何を言われたのか、いやに気合が入っている。
「あの、そんなに頑張らなくても」
「いいえ。今日は二日目でございます。陛下も殿下にこちらで過ごすよう諭しておりましたので、今夜こそは足を運ぶはずです。夜に寝室に来てもらえたのなら、こちらのものです。側室様の最大限の魅力で、殿下のお心を奪うのです」
勝負は今夜だ、と侍女長は強い口調で断言する。
「そ、そう」
「シェルビー様も殿下がいらしたら、恥ずかしがったり遠慮しないで、しっかりとつなぎとめてくださいませ。ですが下品になってはいけません。がっつきすぎると引いてしまう殿方もおりますから」
「できる限り、頑張るわ」
侍女長の熱意の籠った言葉に、とりあえず頷いた。逆らったら怖いと純粋に思った。
支度が終わり、部屋にとろりとした甘さのある香りが立ち込める。リラックスするための香のようだが、部屋の薄暗さも手伝って、その甘さがとても夜の期待を高めた。
侍女長から渡された夜の教本の赤裸々な内容を思い出し、恥ずかしさに頭がぼうっとした。あんなことや、こんなことをしなくてはいけないのだが、やり過ぎも駄目だとか。
そわそわといつ来るのだろうと思いながら、シェルビーは大きく息を吸う。
「来るなら早く来てほしいわ……」
いつ来るかわからない相手を待ち続けるのは落ち着かない。次第に胸が高鳴り、ドキドキで苦しいぐらいだ。
落ち着けと自分に言い聞かせながら、シェルビーは寝台の隅に腰を下ろし待っていた。
夜は更けていった。
「朝日が眩しいわね」
初夜の翌日もたった1人で朝を迎えた。シェルビーは確信を持っていた。やはりデヴォンは不能なのだ。だから周囲にいくら圧力をかけられてもこちらには来ないのだ。それは優しさなのかもしれない。訪れないのであれば子供ができないのは彼の責になり、シェルビーは責められることはないのだから。
夜の教本のようなあれこれをやる自信はないからこれでいいのだと言い聞かせても、気持ちがすっきりしない。
結局、一度もデヴォンの訪れがないまま後宮に入って2カ月が経過した。
変化の少ない後宮での生活に飽き始めていた。