匙を投げるのは私じゃない!
「か、神様! 何で押すんですか……!」
「お前は隠れていろ。俺に任せておけばいい」
布団を持ち上げようとしたのに、上から押さえられてしまったようでびくともしない。神様の顔は見えなかったけど、声音は優しく穏やかだった。
その声に何故かとても不安になって、腕の中にいるスライムを強く抱きしめる。
それまで鳴り響いていた金属音が嘘のように止むと、足音が近くで止まった。
真っ暗な闇の中、自分の呼吸音しか聞こえなくなる。
その一瞬の沈黙が……とても長く感じた。
『ガタンッッ!!』と、まるで空気が変わるように、大きな音が部屋中に響き渡る。
直後、複数人の足音がこちらへ近づいてきた。
恐れていたことが起きてしまったのだと瞬間で悟った。勇者が『魔王ルミナス』の元まで来てしまったのだ。
今までだって、すぐ対敵していたんだ。どうしてもっと早く逃げておかなかったのだろう。もっと何ができるか、神様に聞くことだって出来たのに。
それなのに私は、貴重な時間をプリン作りにあてていたのだ。
――だけど、今更後悔しても遅いじゃない……!
この世界で殺されないように、今度こそ生き抜くって私が決めたんだ。その為には考えるしかない。私に何が出来るか……この状況でどうしたらいいか。
神様は……大丈夫なんだろうか。力はほとんどなくなったって言っていたのに。
神様のことが心配で、様子をうかがおうとするのに、布団が重くて動かない。せめて聞こえるようにと、息を潜めてじっとしていると、腕の中のスライムが震えているように感じた。
「あら? 目は赤いのに、髪が黒じゃないわね」
「魔王はどこにいるんだよっ!」
荒々しい男の声に思わず息を呑む。もう一人は、少女のような明るい声だったので、多分杖を持っていた子だろうと思う。
黒い髪に赤い瞳とは私の事だろう。私を探してるということは、やっぱり勇者達が来てしまったのだ。とりあえず落ち着こうと思って少しずつ息を吸い込むと、何やら甘い香りがした。
――この匂いは……? え、もしかして……このスライム、震えてたんじゃなくて……?!
手を伸ばして敷き布団をまさぐると、べったりとした冷たい物に触れた。手に付いた物の匂いを嗅いで悟る。
スライム、後で覚えておきなさい。食べ物の恨みは恐ろしいのよ……! このプリンもどき……。
そう思いながら、スライムをぷにぷにして、これだと思った。私にはお菓子を再現する力があるじゃないか。うまくいくかはわからないけど、やるしかない!
「赤目だし……仲間には違いないわね」
「そうですね。父と母……村の人々の敵には違いありません。討ち取りましょう」
勇者達の言葉からは、今にも戦いが始まってしまいそうな気配がする。その時、間の抜けた小さな音が聞こえた。
「……は? 何だこれ……匙か?」
「そうだ。俺はまだプリンとやらを食していない。香りは好ましかったが、味はわからぬままなのだ」
神様は一体何を言っているんだろうか。
突然プリンの話をし始める神様に驚いてしまう。
「お前達が来たから食せなかった。だから、今すぐここから出て行け」
「……そう言われて……出て行くとでも思っているんです、かっ!?」
青年の声の直後、金属がこすれ合う鈍い音が聞こえて動揺してしまう。
「またしても……匙ですか?」
「ああ。これは意外と使えるようだな」
「笑ってられるのも今のうちだぜ!」
音は激しくなるばかりで、神様の様子が全く分からない。居ても立ってもいられなくて、布団をそっと持ち上げようとすると、先程までの重さが感じられなかった。
これなら布団からは出られる。やるしかないんだ、行くぞ、やるぞ! そう決意して集中すると、私の手にまとわりつくような感覚があった。