第6話:カロンの生まれた日
自称ソシャゲの女神ボインプルンの魔の手により、半死半生で安息地へと送られた哀れな少女アイリに、カロンは手を差し伸べる。
「心配しないでいい。私があなたを屋敷に連れて行く」
「ひっ!?」
だが、アイリは傷付いた身体で後ずさる。
カロンは相変わらず無表情だが、カロンのみに見えるように透明化し、後ろに立っていたボインプルンは目尻にうっすらと涙を浮かべる。
『見て下さい。あの怯え方。快活な魔剣士アイリさんが、まるで迷子の子羊のように震える姿を。あなた方は、罪なき異界の少女達を、数えきれないほどこのような目に遭わせて来たのです』
「アイリに関してはあなたが原因なのでは」
「では、チュートリアルを開始しましょう」
カロンの言葉を全力でスルーし、ボインプルンは勝手にチュートリアルを開始する。
基本的にソシャゲのチュートリアルにプレイヤーの介入する余地は無い。
「モンスターが現れました! 早速撃退しましょう!」などと提案された場合、「嫌です」という選択肢は無い。
「卵焼きを作ってみよう」と言われたなら、卵料理ならゆで卵でもいいはずなのだが、サポートキャラが「卵焼き」と言えば卵焼きしか作れないのである。
そんな理不尽さを感じつつも、とりあえずカロンはこの場は従う事にした。
逆らってもいい事は無さそうだし、ボロボロになったアイリを見ると若干心が痛むのも事実ではある。
『まず、どこか適当な場所をタッチして下さい。そこでキャラクターの情報が見られます』
ボインプルンが指示する通り、カロンは空中に手を伸ばす。
すると、非常口のランプのような緑色の枠が表示され、そこにアイリの情報が表示される。
魔剣士アイリ。レアリティ☆3
魔法も剣もまだまだ発展途上だが、どちらの才能も兼ね備えた快活な少女。
他にも諸々の情報があるが、これはカロンが前にやったゲームの説明文と同じようだった。
『どうです? 今回は見覚えのある文章だと思いますが、あなたがやっていないゲームの世界から転移してくる場合もあります。その際、この能力はきっと役に立つでしょう』
「はぁ」
カロンは適当に相槌を打つ。確かに相手の情報が見れるのは便利なのだが、だから何だという感じでもある。
「あ、あなたは誰? さっきから何をしているの?」
一方、アイリには空中のウィンドウ枠は見えていないようで、指先をくるくると動かすカロンに疑惑の目を向けていた。ボインプルンとの会話も聞こえていないようだ。
「あなたは私の魂を奪いに来た死神さん?」
「違う。あなたを癒すための管理人」
多分、と付け加えたかったのだが、その言葉は発する事が出来なかった。
どうやらカロンは、ここでは何が何でも魂の安息地の管理人である必要があるらしい。
「癒すって、私を助けてくれるの?」
「そう。安心してくれていい。ここにはあなたを傷つける人はいない」
本当は傷つけた張本人が後ろにいるのを伝えられないのが何とももどかしい。
美しい少女の姿が幸いしたのか、アイリは先ほどよりは警戒心を解いているように見えた。
『ほら、言った通りでしょう? あなたの美しいその姿は、きっと彼女たちを癒すのに役立つはずです』
ボインプルンは満足げに笑みを浮かべている。
ひょっとしてこいつは人面獣心なんじゃないかと不安になったカロンは、大人しく従う。
とはいえ、癒すといっても、具体的に何をどうすればいいのか分からない。
『では、先ほど言った通り屋敷へ彼女を運びましょう。あの屋敷には癒しの力がありますから』
「うん」
そういえば、先ほどボインプルンがそんなような事を言っていた気がする。
カロンがもう一度アイリに歩み寄り、助け起こすために手を伸ばすと、今度はアイリはおずおずとその手を取った。
「よいしょっ、と」
身体は少女になったものの、身体能力は成人男性のままなのか、アイリは思ったよりも簡単に背負う事が出来た。
もっとも、カロンの方が背が低いので、半ば引きずるような形ではあるが。
その際、柔らかな二つの果実がむにゅりと背中に当たる。
「ふへへ……」
「ど、どうしたの? 重い?」
『そこ! いやらしい欲望を傷付いた少女に向けるんじゃありません!』
ボインプルンは胸の谷間からホイッスルを取り出し、警告するようにピーッと鳴らす。
「仕方ない」
「そう、迷惑掛けてごめんなさい」
カロンが「仕方ない」と言った事に対し、アイリは申し訳なく感じているらしかった。
ちなみにカロンの「仕方ない」は、二つのお山が当たって喜んでしまった事に対してである。
少女として肉体を加工されていなければ、下半身がマウントフジになっていた事だろう。
『とにかく、彼女を屋敷へ運んで下さい』
「じゃあ、屋敷に向かうから」
ボインプルンに促され、カロンはアイリを背負いながら先ほど歩いてきた道を戻る。
天国の花園のような光景が広がっている事に、背中のアイリは傷付きながらも目を奪われているようだった。一方、カロンは背中に当たる柔らかい感触にご満悦だった。
カロンとアイリ、そして姿を隠したボインプルンが屋敷の門を潜ると、木製の大きな扉が見えた。
カロンが頭だけを後ろに向けると、そこにいたボインプルンが首を縦に振ったので、カロンはそのまま扉のノブに手を伸ばす。
「すごい豪華な場所だね……ここにどのくらいの人が住んでるの?」
「私だけ」
「えっ!? こんなお屋敷に一人で、寂しくないの?」
「別に。それが仕事だから」
ついさっき来たばかりなので、寂しいもへったくれも無い。
それ以前に、この屋敷に入ったのも今が初めてである。
『では、アイリさんは最初の入居者ですし、一番手近な部屋を使いましょう』
「ここでいい?」
『はい。中に入ったらベッドがありますので、まずは疲労度MAXのアイリさんを回復させましょう』
入口からすぐ横にあったドアに向かい、カロンは再びドアノブを捻る。
すると、簡素ではあるが、上質な赤の絨毯と、純白のシーツに覆われたベッドが用意されていた。
「あ、あの。私、お金無いんだけど?」
「気にしないでいい。ここでお金は必要ない」
カロンはそう言うと、アイリをベッドに優しく横たえる。
アイリは最初、何だか居心地悪そうにしていたが、数十秒もしないうちに眠りへと落ちていった。
肉体的にも精神的にも限界だったのだろう。
『とりあえずはこれでOKです。後は彼女の傷の回復を待ちましょう』
「でも、手当の仕方が分からない」
ボインプルンは満足げだが、カロンからすれば何がオーケーなのかさっぱり分からない。
重症のままベッドに寝かせておくだけで回復するなら、この世の医者は全部廃業だ。
『心配いりません。見て下さい』
ボインプルンがそう言ってアイリを指差すと、何ということでしょう。アイリの傷がみるみる塞がっていくではありませんか。
『どうです? ゲームの宿屋と同じように、どれだけ疲労困憊、瀕死の重傷を受けようが、一日寝れば翌朝には体力も気力も完全回復するシステムを取り入れました。素晴らしいでしょう?』
「キモい」
カロンは率直な感想を述べた。確かにすごいといえばすごいが、傷と痣だらけの身体が、まるで早回しの逆再生のように滑らかな少女の肌に戻っていく光景は不気味である。
カロンの反応に対し、ボインプルンは少しだけ口を尖らせる。
『さすがは慈愛のソシャゲ女神! くらい言ってくれてもいいのに……」
「そう言われましても」
結構苦労したのに、などとぶつぶつ文句を言いつつも、ボインプルンは矛をおさめる。
『さて、基本的な作業はここまでになります。後は、この娘たちのトラウマが癒えるまで、あなたが彼女たちを管理してあげて下さい。方法は何でも構いません。美味しいものを食べさせてもよし、ゲームなどでお友達になるのもよいかもしれませんね』
「ゲームとかいいの?」
『ええ。ここに居た記憶は、カロンの渡し船で送られた後は消えてしまいますから。そして彼女たちは、ソシャゲなどという消耗品の世界ではなく、今度こそ温かな家族の元に生まれ直し、幸せな人生を送るのです。ああ、何て素晴らしい!』
ボインプルンは乳を弾ませながら、キラキラと目を輝かせていた。
一方のカロンは能面モードのままだ。
『さて、今後も哀れな運命を背負ったソシャゲのキャラが送られてきますが、きちんとあなたが管理できる程度に分けて送りますのでご安心を』
「そうなの?」
『もちろん不十分です。本当なら全てのソシャゲキャラの魂を救いたいのですが、私はそれほど力の強い女神ではありません。当面はランダムでここに送り届ける予定です』
「ランダム?」
よく分からない表現に、カロンはほんの少しだけ不思議そうな表情になる。
『はい。この安息地に全部の魂を送るのは現状厳しいので、色々な世界のガチャを統合し、その中でランダムにピックアップしてここに送るのです』
「質問していいですか?」
『はい。何でしょう?』
「その行為自体が、既にガチャっぽい気が」
『……………………』
「……………………」
沈黙。
『他に何か質問はありますか?』
「……いえ」
ボインプルンはにこやかな表情でそう促したが、カロンは何も言わなかった。
いや、言えなかった。
ある程度人生を生きていれば、藪をつついて蛇を出さない方がいいと経験で知っているのだ。
『では、特に質問が無いようであればチュートリアルはこのくらいにしましょう。何かあれば、先ほどの空中ウィンドウで質問して下さい。ではカロン。あなたの罪が浄化されるのを私は見守っていますよ』
ボインプルンは穏やかにそう言うと、神々しい光に包まれ消え去った。
「……納得いかない」
微妙に納得いかないが、こうしてカロンは魂の安息地の管理人となったのだった。