第5話:チュートリアル開始
「目覚めるのです……目覚めるのです……」
「ん、んん?」
耳元で囁く女性の声で、男は意識を取り戻した。
まだうまく頭が働かないが、意思は徐々に鮮明になっていく。
確か、自室に謎の巨乳女が押し掛けてきたはずだが、何故か自分は屋外にいるようだった。
「ここは?」
男は地面に寝転がっていたようだが、柔らかな芝生が天然のクッションとなっていたお陰で身体に痛みは全く無い。
「あ、あれ?」
そこで男はさらなる異変に気付く。
何だか妙に声のトーンが妙に高くなっているし、自分の手の平を見ると明らかに男の手ではなく、まるでモミジのような小さく可愛らしいものになっている。
「どぅえええぇぇぇぇぇえ!?」
次の瞬間、男は素っ頓狂な叫びを上げる。
中肉中背の冴えない男だった姿が随分と縮み、女体になっていた。
自室で着ていたよれよれのジャージも、今ではまるでゲームの魔法使いが着るような、ゆったりとして滑らかなビロードのようなローブを羽織っている。
「な、ななな、なんなん!?」
「気が付いたようですね」
「あっ! さっきの巨乳!」
「ボインプルンです」
ボインプルンは多少不快そうに訂正し、男――いや、少女と化した元男の前に立っていた。
下から見上げると、顔の部分が乳で覆い隠れるほどの巨乳は相変わらずだ。
「さて、早速ですが。新しい身体の調子はどうですか?」
「新しい身体の調子って?」
「どうぞ」
そう言うと、ボインプルンは胸の谷間に手を突っ込み、手鏡を取り出して少女の前に差し出した。
その鏡に映った姿に、元男は目を丸くする。
「うわっ!? 美少女!?」
「そうです。あなたはこれまでの罪業により、美少女になったのです」
「いや、意味分かんないんだけど」
「あなたは今までに何百、何千人ものソシャゲ美少女の魂を犠牲にしてきました。その彼女たちの怨嗟の声が、あなたの姿を美少女に変えたのです」
確かに、男たるものやはり女体が好きなのは当然であり、彼が手を出してきたゲームもほとんどは美少女がメインの物だったが、まさか自分自身が美少女になるとは思わなかった。
「いや、いきなりこんなことされても困るんだけど!」
「いえ、むしろ好都合です。これからあなたには、この『魂の安息地』の管理人となってもらいます。ここに辿り着く魂はみな傷付いています。特に、女性キャラクターは男性に性欲のはけ口とされた事に嫌悪感を抱く者も多いですから、少女の姿であったほうが業務は進めやすいでしょう」
「勝手に話を進めないで欲しいんだけど。それに業務って何!?」
美少女と化した男は抗議をするが、ボインプルンは表情を変えず、淡々と言葉を紡いでいく。
「まあ、その辺りはおいおい話します。ついてきて下さい」
そう言うと、ボインプルンは踵を返し歩いていく。
こんな訳の分からない状況で放置される訳にも行かず、美少女と化した男は必死にボインプルンを追う。
随分と身体が小さくなったせいで、自然と小走りになる。
「あのさ、訳が分からないんだけど」
「まあまあ、とりあえず周りを見回して貰えますか?」
ボインプルンが少女にそう促すと、ようやく少女は周辺の全体像を見渡す事が出来た。
青々とした草や、色艶やかな花々が咲く美しい庭園。
そして、少し離れた場所には、遠目から見ても豪勢な作りと分かる屋敷のようなものが見えた。
「ここが私の作り上げた『魂の安息地』です。あの屋敷には必要な物が一式揃っていますし、この空間全体に私の加護が掛かっていますから、常に穏やかな環境で暮らしていけます」
「はぁ。で、それが何の関係が?」
「フィールドを作り上げたのはいいのですが、私も色々と忙しい身。この場所の管理は出来ますが、やってくる魂の個別対応をする『守り人』が必要なのです」
「で、それに俺が選ばれた、という事ですか?」
「察しがいいですね。その通りです」
ボインプルンはにこりと笑ったが、男からすればたまったものではない。
確かに風光明媚な場所ではあるが、いきなり訳の分からない土地に拉致されて、「美少女になって管理人やってください」と言われても困る。
「困りますよ! 罪業って言われても、別に俺以外にも沢山いるじゃないですか!」
「確かにそうなのですが、何となく目に付いたのであなたにしました」
「ええ……」
そんな単純な理由で、全ての人類の罪を背負いゴルゴダの丘を登るキリストみたいな役割を任されても困ってしまう。
ソシャゲの低レアをすり潰す罪業とやら積んでいる人間なら腐るほどいるのに。
「とにかく、どうせあなたも今暇でしょう? ここで私の手伝いをしてくれれば、お給金も出ます。キャッシュで」
「キャッシュとな!?」
急に現金な話になったが、少女と化した男は目を輝かせる。
正直な所、仕事を辞めた後に当てがある訳でもなく、貯蓄を少しずつ切り崩していたのでありがたい。
「というか、この世界は傷付いた魂たちのための世界ですから、あなたが過ごすのは基本的に自宅になります。この世界とあなたの世界との行き来は自由にしていいです」
「なるほど。でも、この姿はちょっと……」
そう言って、男は自分の姿を再確認する。
どう見ても小学校高学年。相当頑張っても中学生になりたて程度で、しかも異国の少女のような姿にされるのは結構困る。
この格好でコンビニで酒でも買いに行き、年齢確認で運転免許証でも出そうものなら、少女拉致の疑いで警察が来る可能性がある。
「そこは我慢して下さい。その代わり、あなたがここにやってくる魂達を癒し、別の世界に転生させる事が出来たなら、報酬としてあなたを神にしてあげます」
「神とな!?」
「まあ、最初バイトで、頑張れば正社員になる感じですね」
意外と俗っぽい例えでボインプルンが説明する。
しかし、現状仕事のあてもなく、かつ神にしてもらえるというのは悪くない条件に思えた。
「よし! よく分からんが、その条件を飲むぜ!」
少し考えた後、美少女と化した男はボインプルンの提案を受け入れることにした。
だが、今度は逆にボインプルンが眉を顰める。
「うーん、やっぱり駄目ですね」
「ええっ!? 勝手に拉致して勝手に提案したのに! ひどい!」
「いいですか? あなたの目的は『傷付いた魂を癒す』事です。その割に、あなたの言動は粗雑過ぎます。消費され、傷付いた魂に優しく寄り添う者が必要なのです。不快な言動や過干渉は避けて下さい」
「そう言われましても」
そんな事を言われても、つい十分くらい前までおっさんだったのだから、いきなり癒し系美少女になれというのも無理な話である。
「分かりました。では、私があなたにおまじないを掛けてあげます」
そう言うと、ボインプルンは少女に対し腕を伸ばす。
その指先から白い光が放たれ、少女に絡みつき、そして掻き消える。
「な、なん……!?」
「なんじゃこりゃあ!?」と叫ぼうとしたはずなのに、少女の声は途中で遮られる。
表情も変わらず、口元がわずかに動いただけだった。
「あまり感情や言動が表に出ないよう細工させていただきました。この場所にいる間は、物静かな守り人として振る舞えるはずです」
「そう……」
勝手に身体を弄らないで欲しいのだが、少女は能面のように「そう……」としか言えなかった。
下手に業務に支障をきたすよりはありがたいと好意的に受け取る事にした。
そう思わないとやってられない。
「さて、あなたにはコードネームのような物が必要ですね。なので、これからしばらくの間、あなたを『カロン』と命名し、私の眷属――つまり部下とします」
「カロン?」
元男の現クール系美少女は、オウム返しにボインプルンに問う。
「実際に見てもらった方が早いでしょう。こちらへ」
そう言うと、ボインプルンは再びどこかへと歩きだす。
カロンも表向きは全く表情を変えず、黙々とボインプルンの後に続く。
それから屋敷の横を通り過ぎ、庭園を通り過ぎると、視界が一気に開ける。
「すごい……」
「ええ、なかなか美しいでしょう?」
ボインプルンが自慢げに大きな胸を反らす。屋敷から五分ほど歩いた場所はなだらかな丘になっており、そこを下った場所には、海と見間違えるほどの大きな湖があった。
水面は穏やかで、麗らかな日差しを受けてきらきらと輝き、まるで澄みきった鏡のよう。
水平線の先は純白に輝いており、よく見えないが、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「この湖に、ボートが設置してあるのが見えますね?」
「うん」
ボインプルンの言うとおり、湖の脇には木製の小さなボートがあった。
ちょうど大人二人が乗れるくらいの簡素なものだ。
「あの水平線の先は違う世界へと繋がっています。ここで癒された魂たちは、あのボートに乗って別の世界へ旅立つのです」
「どういう事?」
「生まれつき臆病だったり、不幸な生い立ちの人がいるでしょう? あれは、前世で傷つけられた魂が潜在的に治り切っていないからです。それを断ち切らない限り、哀れなる魂はまた不幸の連鎖に巻き込まれるのです」
「はぁ……」
「そして、ここに来る魂は、低レアとしてゴミ以下の扱いを受けた者達ばかり……。ああ、なんとむごい事でしょう」
ボインプルンは悲しそうな表情で水平線の先を見つめ、それからカロンに向き直る。
「『カロン』とは冥界を流れる川で、魂を送り届ける渡し守です。あなたには、ここでカロンの役をやってもらいます」
「つまり、魂を癒し、あの水平線の向こうへ送れという事?」
「その通りです。この美しい土地と穏やかな屋敷でゆっくりと魂を癒し、彼女らをこの船に乗せてあげてください。そうしているうちにあなたの罪業が薄れ、最後にあなたもこの船に乗って旅立つのです」
「分かった」
要するに、この世界に送り込まれた連中をバンバンあの水平線の向こうに送りだせば、後で自分は神になれるのだ。
これは案外いいかも、などとカロンは考えていた。
「でも私、やり方が分からない」
一人称も「俺」から「私」に強制変換されるし、表情もほとんど動かないので顔の筋肉が突っ張るが、多少の我慢と思ってカロンは耐えることにした。
それよりも問題なのが、自分は全く癒し系キャラではないので、どうやって傷付いた低レア連中を癒せばいいのかまるで分からないという事だ。
「大丈夫です。そうだと思い、チュートリアルを用意してあります。最初は私がサポートします。すでに魂は呼び寄せてあります」
「さすがソシャゲの神」
いかにもソシャゲの神っぽい発言だと思いつつ、カロンは再びボインプルンの後を付いていく。
先ほど来た道を逆に辿り、十数分ほど歩くと、霧に覆われた空間があった。
「この先に、ソシャゲ世界から呼び出された哀れな魂がいます」
「あの」
「はい。何でしょう」
「なんで、ここだけ霧が立ち込めてるの?」
「実は、まだこの世界には未実装の場所が多いので、そういう場所は霧で誤魔化しています。いずれ拡張し、より美しい世界にしていくつもりですが、なにぶん私もサービス実装から間もないので」
「そう……」
やっぱこいつソシャゲの女神だと思いつつ、カロンはおっかなびっくり霧の中を進む。
その途中、横にいたボインプルンの姿が半透明になり、やがて完全に見えなくなる。
『私はこの世界を縁の下で支える者。実際に魂を救うのはあなたにやってもらいます。とりあえず、今回は初回なので、私があなたの脳内に直接念話を送り、立ち回りを指導します』
「わかりました」
カロンは脳内に響く声に若干戸惑いつつ、それでも表面上は平静を装ったまま霧の中を突き進む。
さらに歩くと、地面に横たわる人影が見えた。恐らくあれが傷付いた魂という奴だろう。
しかし、その人影を確認すると、カロンはほんの少しだけ怪訝な表情になる。
ちなみに、能面モードのカロンの「少し怪訝な表情」は、通常モードだと「びっくり仰天」くらいである。
「あ、あれ? どうでもいいアイリちゃんだ」
『はい。ゲーム開始直後は編成に組み込まれ、戦力が整ってくると徐々に追いやられ、やがて完全にフェードアウトして倉庫の肥やしになる魔剣士アイリさんです。あなたに馴染み深いと思いまして』
何気に二人でボロクソに言っていた。
カロンの目の前で大の字になって伸びていたのは、先ほどまでカロンがやっていたゲームの☆3微妙レアのアイリちゃんだったのだ。
「あれ? ちょっと待って」
『何か?』
「私、まだアイリちゃんを出撃させてない」
そう、確かカロンがこの世界に来る前、アイリちゃんは出撃前だったはずだ。
なのに何故、こんな半死半生の状態になっているのか。
『私がやりました』
「は?」
『仕方が無かったのです。あなたに罪の深さを教えるため、そして、アイリさんによりよい人生を再スタートさせるために、こうせざるを得なかったのです』
ボインプルンはそう言うが、結局、アイリちゃんは当初の予定通り一人で死地に押し込まれたようだった。しかし、何も装備まで剥がさなくてもいいのではとカロンは思う。
魔剣士アイリは文字通り魔法使いの剣士で、全体的に露出度が高いが、魔法による防具のお陰で軽装なのだ。
……というのは建前で、単に露出度が高い方がエロいというだけなのだが設定上はそうなっている。
だが、今のアイリはその鎧と剣を外された状態で、下着もボロボロになっていて、ほとんど裸の状態だった。
女性と交際経験はおろか、女性のメールアドレスを一件も登録していないカロンにはいささか刺激が強い光景ではあるが、能面補正のお陰で顔には出ていない。
『さあ、早速傷付いたアイリさんを介護してください。まずはあの屋敷に連れて行くのです。あそこには聖なる力が満たされているので、居るだけで傷を癒す事が出来るのです』
傷つけたのはあんたなのでは、と言いだそうとしたが、カロンの口からは何も発せられなかった。
どうも、余計な事を言えないような仕様になっているらしい。
そんな事を考えつつ、同時になかなかいい身体をしているな等と思っていたら、アイリがうっすらと目を開く。
「わたし……は……一体?」
「大丈夫?」
観賞タイムはこのくらいにして、カロンはとりあえず声を掛ける。
「あなたは誰? 私は、一体どうなったの? ここは天国?」
アイリがか細い声でカロンに問う。しかし、カロン自身もよく分かっていないのに、ここからどうすればいいのかまるで見当がつかない。
「私はカロン。この『安息地』の管理人。あなたのような迷える魂を救う役目を担う者」
何と声を掛けたものかと悩んでいたら、カロンの口が勝手にこのような言葉を発した。
恐らく、ボインプルンが用意したテンプレートのセリフなのだろう。
「私を、助けてくれるの?」
「そう。心配しないでいい。私があなたを屋敷に連れて行く」
『そう。それでいいのです』
よくないだろ。君を死地に追いやったのは自分たちなんだけどなぁ。
ひどいマッチポンプだなぁと思いつつ、そんな事はおくびにも出さず、カロンは傷付いたアイリへ優しく手を伸ばした。