第4話:カロンの犯した罪
「ちっくしょう! このゲームおかしいだろ! ぶっ壊すぞ!」
薄暗い六畳間に男の声が響く。
部屋中に雑誌や生活用品が転がっており、壁際にはパソコンが設置されている。
男は、どうやらそのパソコンに向かって怒りをぶつけているようだった。
――この男こそ、傷付いた魂を救う使命を担う美少女カロンとなる輩である。
「ウルトラレア出現率2倍キャンペーンとか嘘だろ! ゴミしか出ないじゃん!」
男は、ディスプレイを親の仇のように睨んでいた。
画面にはゲームらしき映像が映っていて、ガチャを回した結果が表示されていた。
三十回ほど履歴があるが、出たのはどれも既に所有している上に、レアリティとしては中の上程のものが山ほど並んでいる。
男はなおも怒りが収まらないようで、グーで机を殴る。
その衝撃で空の缶コーヒーの容器が転がり落ちるが、男は気にも留めていない。
「くっそー! 運営の公式ツイッターに突撃するか?」
男は、手近にあった「へ~いお茶」のペットボトルに手を伸ばして一服し、精神の安定を計る。
ツイッターを開いて情報を収集すると「一発で限定レア来ました!」などの情報が大量に貼られており、彼の精神は掻きむしられる。
「おかしいだろ! なんで俺の所にはゴミしか来ないんだよ! さては無課金勢を差別してるな!?」
単純に運の問題だと思うのだが、男の中ではもう完全にそういう事になっていた。
この男は、前職で身体を壊し退職したが、それから就職活動をしようとしてパソコンを開くと、気が付いたらソーシャルゲームをやってしまう体質になっていた。
最近のゲームは基本無料ではあるが、出撃がスタミナ制になっており、連続で遊べないようになっている。
そのため、この男は何十、何百ものソシャゲをハシゴし、あるゲームのスタミナを消費し終えると、次のゲームに移動し、最初のゲームに戻る頃にはスタミナが回復しているという、完璧なルーチンを構築していた。
基本的にソシャゲの構造はどれも似ている。
最初からクライマックス状態であり、ファンタジーであればいきなり騎士団長からスタートし、レストラン経営ゲームであれば店長からスタートする。
下っ端兵士でゴミ出しをしたり、ジャガイモの皮むきだけを延々するゲームはまず無い。
ともかく、こうして団長なり店長なり、あるいは提督などになったプレイヤーがする事は、戦力を強化し、より強く、立派になっていく事である。
そのために優秀な部下が必要となるのだが、これを集める最もメジャーな手段がいわゆる「ガチャ」である。
ガチャは課金する事で引けるようになっているが、無課金でもゲーム内のノルマをこなしていけば、スローペースではあるが、ガチャを引くためのアイテムを手に入れる事が出来る。
もちろん、仕事をしていないこの男は、金の代わりに時間をソシャゲに費やしていた。
だが、無課金でコツコツ貯め込んだアイテムで確実に高性能のレアが引ける訳ではない。
事実、男の目の前に表示された結果は、ゲームが進むと全く使えなくなる低レアばかりだ。
「おのれぇ! こうなったらデイリーミッションの素材にしてくれるわぁ!」
男はゲームに戻ると、憎々しげに画面を見る。
一ヶ月掛けて貯め込んだガチャ用アイテムが、わずか数十秒でゴミの塊となった事を恨んだがもう後の祭り。
次のガチャのための素材を溜めねばならない。
そのために必要な準備は、ゲーム内で毎日更新されるミッションをこなす事である。
多少面倒な物もあるが、初心者でも十分にクリアできる内容になっているし、上級者も戦力の底上げにこなす場合が多い。
「少しでも元を取らないとな……」
男はそう言うと、先ほど引いたガチャの中にいた「魔剣士アイリ」を選択する。
今やっているゲームはレアリティが☆1~☆5まであるが、こいつは☆3という微妙な性能だ。
見た目は可愛いのだが、さすがに数百人単位で「団長! 今日から頑張るよ! よろしくね!」と言われても、もうゴミにしか見えない。
男は早速、最も効率的なミッション消化ルートを頭の中でシミュレーションする。
といっても、もう何百回もやっているから手慣れたものだ。
今日のミッションの一部を抜粋するが、以下のようなものだった。
ノルマ1、出撃して戦闘を一回しよう!(勝ち負け問わず)
ノルマ2、武器の売買を一回しよう!(売っても買ってもOK!)
ノルマ3、キャラクターの強化合成を一回しよう!
これらは順不同で、どこから始めてもいいし。無論、既に持っている戦力を使ってもいい。
だが、無課金勢の男としては、可能な限り消費を抑え、利益を得ねばならない。
「つまり、こうすればいいって事だ」
男は独り言を呟き、脳内ルートを再確認する。
まず、先ほど引いた、どうでもいいアイリちゃんを使う。
ゲームにもよるが高難度のダンジョンは一回戦闘するだけで、その分の報酬を貰えるものもある。
この男の元に来たばかりのいたいけな少女アイリちゃんは、レベル1のまま最上級ダンジョンへ一人で放り込まれる。複数で行かせると、それだけ出撃コストが掛かるからだ。
ゲームの仕様でユニットが消滅する事は無いので、初期のアイリちゃんは体力が100しかないのに、40万ダメージ程叩きこまれてボロボロになって帰還する。
そのアイリちゃんを待っているのは、彼女が初期装備で持っている剣と鎧の搾取だ。
これを引っぺがして売り飛ばせば、ノルマ2をこなす事が出来る。
瀕死で帰還したアイリちゃんは、素っ裸にひんむかれる。
そして、アイリちゃんが最後に辿り着く運命は、強化合成の素材である。
今、この男の持っている最高戦力は「魔獣フェンリル」である。
こいつにアイリちゃんを合成すれば、雀の涙ほどの経験値を得つつ、ノルマ3を達成できるというわけだ。
「そこまでです!」
「な、何だ!?」
男がいつも通りキーボードに手を伸ばそうとすると、唐突に後ろから声を掛けられた。
「だ、誰だよあんた!?」
「私はソシャゲの神! 今、あなたによって殺されようとしている悲痛な魂の叫びを聞き、馳せ参じたのです!」
男の部屋のど真ん中に、モデルのように美しい女性が立っていた。
透き通るような白い肌に銀の髪を持つ、ロシア系っぽくも見える女性だったが、最大の特徴は顔よりも大きな胸で、男はついそっちに視線を寄せてしまう。
「あ、あの……勝手に入ってこられると困るんですけど」
とりあえず男は立ち上がり、やんわりと女性に警告をした。
不法侵入ではあるのだが、鍵を締め忘れていたのかもしれない。
何より、巨乳美人が自室にいると考えると、正直な所まんざらでも無かった。
男としての本能であり、悲しい性だった。
「申し遅れました。私はこういう者です」
そう言うと、女性は胸の谷間から一枚の名刺を取り出し、男に差し出す。
それはちょっとどうなのよと思ったりもしたが、ほんのりと甘い香りがするし、まだ温かかったので男は何も言わずにそれを受け取った。
多分、長い間取っておく事だろう。
「ええと……乳の神ボインプルン?」
「はい」
男が名刺に書かれた内容を読み上げると、女性は綺麗な笑みを作る。
何だよ乳の神ボインプルンってと思っていたら、内心を見透かしたように女性が口を開く。
「実はここの所、日本人によって大量虐殺が行われているという事で、ソシャゲの魂を癒す部門が設立されまして、私がその役を担いました」
「はぁ、そうですか」
目の前の女性がいきなり電波な事を言い出したので、男は困惑する。
新手の宗教かもしれないので、男は帰ってもらおうと決意した。
いくら巨乳美人でもしていい事と悪い事がある。
「さて、唐突ですが、私がこの地に顕現した中で、この地域で、あなたが一番罪業を積んでいると判断しましたので、警告に参りました」
「罪業って言われましても」
帰ってくれと言う前に、ボインプルンなる女性がまた訳の分からない事を言い出す。
「あなたは仕事を辞めて以来、ひたすらにソーシャルゲームをやっていますね。しかも、一つや二つではなく、何十、何百もの世界の魂を、まるで虫けらのように消費してきましたね?」
「そりゃ、ソシャゲは数百単位で手を出したけど、そんな人を大量殺人鬼みたいに言われても、身に覚えが……」
「何を言うのです! あなたは今まで、レアリティが低いという理由で、数多の魂をすり潰したではないですか! ほら、今も見て下さい、あの悲しそうな表情を!」
ボインプルンはそう叫ぶと、男の後にあったディスプレイを指差す。
そこには、「出撃しますか?」というボタンの上で、アイラちゃんが一人でにこにこと立っている。
ソシャゲの二次元美少女は、いつだってプレイヤーに対し笑顔なのだ。
「いや、笑ってますが?」
「笑わされているんです! あなたには、あの娘の魂の叫びが聞こえないのですか!?」
「そう言われましても。だってあれ、ゲームのデータじゃないですか」
「あなた達人間だって、たんぱく質の塊が電気信号で動いているだけじゃないですか! あの娘たちは、別の世界で生きている存在なのです!」
「はぁ、そうですか。すいません、もう帰ってもらっていいですか?」
謎の巨乳の怪演説に付き合うのもいい加減うんざりしてきたので、男はやんわりと切り出した。
人には色々な価値観があってもいいが、それを押し付けられるのは勘弁して貰いたい。
男の投げやりな気持ちが伝わったのか、ボインプルンは悲しげに整った顔を曇らせる。
「ああ、何と罪深い方でしょう……分かりました。あなたには、ソーシャルゲームのキャラクター達がどんな目に遭っているか、この目で見てもらう必要がありそうですね」
「は?」
「これからあなたを、私が作った『魂の安息地』へと連れて行きます。そこであなたは、今まで彼女たちにしてきた罪と真正面から向き合うのです!」
そう言うと、ボインプルンは男の眼前にびしっと指を突き立てた。
「ぐわあああああああっ!?」
次の瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が走り、男は気を失った。