第2話:長ズボンをはいた狼
アーノルディはカロンに肩を借り――というか、背の高さがまるで違うので、ほとんど覆いかぶさるような状態で霧の中を歩いている。
成人男性を担いでいるというのに、カロンは特に苦にしていないようだった。
カロンは少し触れただけで折れてしまいそうなほど華奢であり、特に筋肉が付いているように見えない。
やはり、この少女は普通の存在ではないのだろう。アーノルディはそんな事を考えていた。
「もうすぐ着くから」
「着くって? ところで、君のその手に持っている道具は、魔法なのか?」
「これ?」
カロンは手に持っている筒のような物体を持ち上げる。
先端から眩い光を放つその道具は、アーノルディが初めて見るものだ。
「これは、ただの懐中電灯」
「カイチュウ……? なんだそれは?」
「闇を照らす道具。別に珍しいものじゃない」
カロンは相変わらず無表情かつ淡々とそう言うが、アーノルディからすれば珍しいどころの代物ではない。松明や篝火のように炎を使わず、これだけの光を放つ道具など見た事も聞いた事も無い。
アーノルディはこの不思議な少女にさらに興味を持ったが、カロンはただ前だけを見て、アーノルディを担ぎながら歩みを進めていく。
しばらく進むと霧の濃度が薄くなり、カロンは『カイチュウデントウ』なるものの光を消した。
それからさらに歩いていくと、霧は徐々に晴れ、少しずつ光が差し込んでくるのが見えた。
そして、もう数歩進むと、突如として霧が晴れた。
「凄いな……」
目の前に広がる光景に、アーノルディはただそれだけ呟くのが精いっぱいだった。
それは、まさに楽園だった。
なだらかな丘陵地帯が広がり、緑豊かな大地には色鮮やかな草花が、まるで極上の絨毯のように広がっている。
穏やかな薫風が、生命力溢れる新緑の匂いを届けてくれるのが実に心地よい。
だが、カロンは慣れているのか特に反応を示さず、ただ、ある一点を指差した。
「あそこが、あなたの住まう場所」
「あれが?」
カロンの指差した方向に見えたのは、一つの洋館だった。
それなりに距離があるのだが、その大きさはまるで貴族の屋敷のように見える。
陰鬱な気持ちなど吹き飛んでしまう光景が次々と繰り広げられ、アーノルディは安らぎより、夢でも見ているのではないかという気持ちになる。
「痛っ……!」
だが、全身に走る痛みが、これが夢でも幻でも無い事を教えてくれる。
「大丈夫。もう少し頑張れば、屋敷で回復出来るから」
「すまない。会ったばかりの君に、これだけ世話になるとは……」
「気にしないで。元々、私の罪を償うためにしているだけ」
「罪? 君の罪とは……?」
アーノルディが疑問を投げかけた直後、彼は急にカロンから身を放す。
「どうしたの?」
「気をつけろ! 何か来る!」
アーノルディは、すぐ近くに何者かの気配を感じた。
彼は騎士見習いではあるが、ある程度の戦闘力は持っている。
その彼の勘が、すぐ近くにいる物が人ではない事を知らせていた。
予感は的中した。
木陰から姿を現したのは、全身を体毛に覆われた狼男だった。
「魔物か!? カロン! 俺の後ろに隠れるんだ!」
あまり見た事の無い魔物ではあったが、アーノルディは傷付いた身体に鞭を打ち対峙する。
たとえ見習いでも、剣が無くとも、それでも彼は騎士なのだ。
騎士の役目は、弱き者の剣となり盾となる事。恩に報いる事。
つまり――自分を助けようとしてくれたカロンを守る事にある。
「来い! 俺が相手になってやる!」
「……姐さん、また拾って来たんですか?」
「へっ?」
目の前の狼男はアーノルディの決死の思いをスルーし、後ろに庇ったカロンの方に話しかけているようだった。カロンもまた、アーノルディを無視し、狼男に歩み寄る。
「カロン! 近づいては駄目だ! そいつは魔物だぞ!」
「ああ、俺は魔物だよ。で、それがどうした?」
「ジーパン、彼はまだここの事をよく知らない」
「あ、あー……そういう事っすか。兄ちゃん。おめぇも俺達の同類か?」
「はぁ!?」
和気藹々(わきあいあい)と話すカロンと狼男の会話に付いていけず、アーノルディは首を傾げる。
彼にとって、魔物は討伐すべき存在以外の何者でもない。
だというのに、目の前の狼男からは、まるで敵意が感じられない。
狼というより、よく訓練されて二足歩行する犬のようだ。
「その怪我を見りゃ分かるさ。どうせお前もあれだろ? お偉いさんに無茶振りされて、ひでぇ目に遭ったんだろ」
「な、何でそれを!?」
「ここに来る魂はみんなそう。理不尽に使い捨てられたり、ひどい事をされた存在が辿り着く場所。ジーパンもそう」
カロンがぽつりとそう呟く。どうやらこの狼男の名はジーパンというらしい。
確かに、よく見ると普通の魔物とは少し違う。
全身が体毛に覆われた獣人はアーノルディの世界にも居た。
だが、この狼男は、奇妙な長ズボンをはいていた。
「これはな、カロンの姐さんが用意してくれた俺の一張羅だ。イカすだろ?」
「ジーパン……」
困惑するアーノルディの元に、ジーパンがずんずん近づいてくる。
「よっ、と。ほら、肩貸してやるからよ」
「なっ!? ま、魔物が俺を助けるのか!?」
「あのなぁ、ここじゃ魔物も人間もへったくれもねぇんだよ。みんなひでぇ目に遭って、そんでカロンの姐さんに助けられたんだ。仲良くしようぜ?」
ジーパンは軽口を叩きながらアーノルディの身体を楽々と支える。
その様子を、カロンがじっと見上げている。
「ジーパン、それは私の仕事。私が助ける」
「姐さん。あんまり無茶しねぇで下さいよ。俺は姐さんが居なくなって心配で心配で……いや、大体分かってはいたけど、でもやっぱり姐さんがいねぇと駄目なんすよ。こんくらいの雑用、俺に言ってくれればいくらでもやりますぜ?」
「……わかった」
カロンはしばらくの間無言だったが、ジーパンの言葉をゆっくりと肯定した。
話がまとまると、再びカロンが先導し、ジーパンがアーノルディを担ぐようにして花畑を横切っていく。
ジーパンのお陰で歩みは随分と早くなり、目的の屋敷に辿り着いた。
「これは……何というか……城?」
「へへ、最初はそう思うよな? 俺だって最初に見た時は、お前みたいな感想しか出てこなかったぜ?」
呆けるアーノルディに対し、ジーパンが犬歯を剥き出しに笑う。
「このバカでけぇ屋敷の主がカロンの姐さんって訳だ。どうだ、ちょっとは驚いたか?」
「ちょっとどころじゃないが、うん、まあ、驚いた」
アーノルディの言語能力が低下する程に、その屋敷は見事だった。
外装は決して凝っている訳ではないのだが、真っ白な壁と赤レンガの屋根が日の光に照らされ、清浄な雰囲気を醸し出す。屋敷というよりは、聖堂のようにも見えた。
「二人とも入って。門が閉められない」
「へいへい。んじゃ、けが人一人ご案内ってな」
屋敷の存在感に圧倒されている二人とは別に、カロンは既に門を潜りぬけ、敷地内に入っていた。
狐――もとい狼につままれた表情で、アーノルディはそのまま門を潜り抜け、屋敷へと入りこむ。
しかし、さらに驚くべき光景が広がっている事を、この時の彼はまだ知らなかった。