log in - 41 凍える記憶。
それは、吹き荒れていた雪嵐が通り過ぎ。久し振りに姿を現した陽の光が、白銀に染まる大地を眩しく照らし出した日のことでした……。
「あはははははっ、クリューシオ! こっちですわっ!!」
「クゥウッ! カウッ、カウウッ!!」
降り積もった銀説の上を、わたくし達は戯れるように駆け回ります。
生い茂る木々は積雪に埋もれ。生命の息吹は、その白柩の内へと閉ざされたまま……。そう、未だ世界は……凍てつく冷気に支配されているのです。
ですが種族柄、その体は深雪に沈むこともなく。凍度をものともしないわたくし達には、何の問題もありませんわ!
「カウウッ! カウッ!!」
「きゃっ!?」
飛びかかってきたクリューシオの前に足を縺れさせたわたくしは、そろって積雪の上を“コロ、コロ”と転がってゆきます。
「ク、クウゥウ~~ゥウン……」
「ふふふ……あははははははっ……」
冷たい雪の上に“コロン”と寝転がる私の視界に映る青い空。昨日まで、あれほど激しく吹雪いていたとは思えない柔らかな陽射しの元。わたくし達は、この一時の幸せをこの身に享受するのです。
万年、雪と氷に閉ざされたこの土地にとって、陽の光が射し込めるこの一時は、何ものにも代えがたい貴重なことなのですから……。特にハンター? と呼ばれる人たちの中には、雪が止む瞬間を何カ月も麓の村で待ち続ける者もいるそうなのですわ。
と、いいますのも。この積雪に埋もれた木々は、とても貴重な素材なのだということらしいのです。その為か、年に1人2人はその採集を強行して……あえなく氷の彫像と化しているとのことですわ……。
一体、何が彼等をそこまで駆り立てているのでしょうか? まったく理解できません……。
「んむぅ……ふあぁ……んんぅ……」
「……カウ? ……!? カウカウ! カウゥウッ!!」
「クリューシオ? 如何したの、で……す……っ!? な、何です……の?」
雲ひとつない紺碧の空へと向かって刻み込まれていく……幾つもの黒い爪痕。
“ウツラ、ウツラ”と微睡んでいたわたくしの意識を包む霧が一瞬で晴れ。後から後から止めどなく湧き上がってくる……言い知れぬ不安。
「カウッ!!」
「っ!? ……ええ! 行きましょう、クリューシオっ!!」
竦むわたくしを奮い立たせるように勇ましく? 吠えたクリューシオに促されて。わたくし達は、立ち昇る黒煙の下へと駆けだすのでした……。
*
*
*
紅蓮の猛威が“ゴウ、ゴウ”とけたたましい咆哮を上げて猛り狂い。朱殷に染まった白い雪地を、赤く赤く照らし出す。
「う、あ……あ、ああぁ……」
雪の斜面を転がるように滑り降り、ようやく辿り着いたそこは……この世の地獄、とでもいうのでしょうか?
特に何がある訳でもない。まるで、時が止まっているかの様に穏やかだった、村。それが……今、私の目の前で、真紅の炎と鮮血によって染め上げられているのです。
……これは……悪い、夢?
“ウツラ、ウツラ”とわたくしは、あのまま寝入ってしまって……まだ、目覚めてはいないのでしょうか……?
“ザクッ”
そう、茫然と目に映る光景を、現実逃避気味に眺めていたわたくしの耳に、背後から雪を踏みしめる音が聞こえてきました。
「何だ、粗方片づけたと思ってたのに……まぁだ1匹、残っていやがったのか?」
何時の間に座り込んでいたのでしょうか? お尻に冷たい雪の感触を感じながら力無く振り返ったわたくしを、“ニヤ、ニヤ”と下卑た笑みを浮かべながら見下ろす男性。ですが、そんな卑しい姿も……今のわたくしの瞳には映りません! だって、こんな……こんな、ことって……。
冷たい雪の上へと投げ出される白い四肢。剥き出しの肌には、酷い暴行を受けたのでしょう。所々血が滲み、真っ白い雪地に真っ赤な道を作っています。
虚空へと向けられた、生気を失った淀んだ瞳。美しかった青い長髪は、白濁した粘液で穢れて見る影もなく。男性の手に握られるがまま……それは、引き摺られているのです。
何時もわたくしとクリューシオを気にかけてくれていた、隣に住む優しいお姉さん。今朝も、村を飛び出していく私達を、少し困ったような微笑を浮かべながら見送ってくれて、いたというのに……。
そんな彼女が……今、わたくしの目の前で……物言わぬ姿と成り果てて、その無残な骸を晒しているではありませんか!?
「くくくっ、ガキはガキでも……女は女、だよなぁ? せいぜい浅ましく鳴いて、俺を楽しませてくれよ?」
そう告げながら、わたくしへと伸ばされてくる男性の手。そして“ドサッ”と積もった雪へと埋もれるお姉さんの裸体。
嫌っ! いやイヤ嫌、いやぁあああああぁぁぁぁぁ~~~~~っ!!
「グルルッ、ガウッ!!」
「ぐあっ!? っこの! 畜生がぁあっ!!」
「キャインッ!?」
「っ!? クリューシオっ!!」
わたくしへと伸ばされた男性の腕へと噛みついたクリューシオ。ですが、一瞬痛みにたじろくも、男性は怒声を上げながら、もう片方の手に握った剣を無造作に薙ぎ払ったのです。
宙を舞ったクリューシオの体が、雪の上を2度3度と跳ね……そのまま力無く横たわった白い雪地の周囲に、鮮やかな紅が広がっていきます。
「いやぁあああああぁぁぁぁぁ~~~~~っ!! クリューシオっ!? クリューシオぉおおおおおぉぉぉぉぉ~~~~~っ!!」
「くおぉ~らっ! 何処に行こうってんだっ!?」
「あぐっ!? ぅひゃんっ!?」
クリューシオへと駆け寄ろうと立ち上がったわたくしの襟首が、男性の手に“ムンズ”と掴まれ。その圧迫に意識を失いかけたわたくしの体は、放り投げられるように雪の上へと転がされてしまったのです。
「くそっ! 無駄にポーションを使わせやがってっ!! こいつは、きっちりと飼い主に……責任とってもらわねぇとなぁ?」
“ニヤリ、ニヤリ”といやらしい表情で、男の人はそう言い放つと。一歩、また一歩と、雪を踏みしめ、私の元へと歩み寄ってくるのです。その背の向こうに、無残な姿を晒すお姉さんの裸体が目に映るのでした。
ああ、嫌っ! 嫌ですわっ!!
恐怖に身を縮こませ、目を“ギュッ”と瞑った……その時でした。
「アオォ~~~~ンッ!!」
空へと突き抜けていく遠吠え。
「クリューシオっ!? ……クリュー、シ…オ……?」
安堵と悦びに胸を躍らせたのも束の間。視線を向けたその先で、力尽きたかの様に崩れ落ちるクリューシオの姿が目に映ったのです。
「はっ!? 何でい、くたばり損ないが驚かしやがってっ!」
そう吐き捨てる目の前の男性に、わたくしは生まれて初めて殺意というものを覚えました。ですけれど、何の力もない小さな幼子に芽生えた殺意なんて、大の大人……それも男性を前にしては何ら意味をもたらさず。
「おうおう、いっちょまえにそんな目ぇしやがって……そそるじゃねぇかっ!!」
寧ろ、この無頼の男性を喜ばす結果にしかならなかったようなのです。
こんな理不尽なことが、あっていいのでしょうか? ……いえ、いいえっ! いいはずが、ありませんわっ!!
ですが、どんなに憤りを感じようとも……現実は、何も変わりません。
遂に目の前にまでたどり着いた男性は、見上げる私を見下ろしながら舌なめずりをすると……ゆっくりとその魔の手を伸ばしてくるのです。その顔には、男性の内にある醜く歪んだ……男の下種な欲望が“クッキリ”と浮かび上がっているのでした。
「っ!?」
恐怖と……それに勝る悔しさに“ギュウッ”と瞑った目尻から、涙が“ツー”と零れ落ちます。
そうして、震える体を抱き締めて、小刻みに噛み合う歯を喰いしばった……そのときでした。
“ガラガラビシャーーーーーァンンッ”
「うおぉおっ!?」
「ひんっ!?」
突如轟く……雷鳴。俄かに黒雲が空を覆い始めたのです。
「お、おどかし、やがってぇ……」
先程とは打って変わって、安堵と多分な強がり混じった男性の様子に、ほんの少しだけ溜飲が下がる思いがしました。
それは、無力なわたくしの……ささやかな抵抗。つまりは「ざまあみろ」と……。
「ちっ! これからがお楽しみだったってのによぅ……。ああぁあっ、くそっ! しゃあねぇやっ!!」
忌々しげに空を見上げていた男は吐き捨てるようにそう言い放つと、手にした剣をゆっくりと振り上げるのでした。
“ゴロ、ゴロ”と雲の波間に奔る稲光を映す冷たい刃の輝き。それから目を背けるように“ギュッ”と瞼を閉じたわたくしの脳裏に、これまでの出来事が走馬灯のように流れていきます。
ううぅ、ごめんなさい……クリューシオ……。
諦念に囚われたわたくしの身体から力が抜け……。
「さっさと片付けて、戻るとする、ぐぎゃっ!?」
……え?
突然聞こえてきた、男性の……悲鳴?
恐る恐る開いた瞳。そこに映し出された男性の姿が、白い雪地に吸い込まれていくかの様に崩れ落ちていく……その向こう。赤い……燃えるように真っ赤な髪。そして、身の丈を有に超える巨大な剣。そんな無骨な鉄塊を振り下ろした姿勢で、その小柄な女性は佇んでいるのでした。
「ったく、あそこの連中は……万年経っても変わらないわね!」
そう忌々しげに吐き捨てる女性の声には、何処か呆れたような感情も滲み出ているのでした。
「ふうぅ……でも、今回は……辛うじて間に合ったって、いえるのかな……?」
その言葉に込められたいたたまれない感情に、他には生き残った者がいないのだと察することが出来たのでした。
“ザク、ザク”
「そうね。その子の、おかげね……」
そう口にする女性の視線を追って……わたくしは、息を呑みます。
横たわる雪地を真っ赤に染めたクリューシオの傍らへと歩み寄る……巨大な狼。
額から突き立つ1本の角と、周囲に積もる雪よりも尚白い翼を背にしたその神々しい姿。
――神獣クルトルフィア――
伝承に謳われる……獣の神。
「オオォオォオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ~~~~~~~~~~ォオンンッ!!」
天に轟く遠吠えに……。
――カッ――
“――――――――――――――――――――……ゴロゴロゴロロ……”
それは、悲しみ募る、嘆きの叫びか? はたまた、神の裁きなのでしょうか……?
大気を劈く雷鳴と共に、大地へと降り注ぐ幾条もの稲妻。そのあまりの轟音は、この世のあまねく音と共に視界の全てを掻き消していきます。
わたくしは、神鳴りという言葉の意味を目の当たりにしたのでした。
“フサァ”
「ふわぁ?」
そんな神話の再現を前に、只茫然と立ち尽くしていたわたくしを、柔らかな感触が包み込みます。
「クルルルルゥ……」
つい今しがた、カタストロフを引き起こしたとは思えない、慈愛に満ちた穏やかな眼差し……。
「神獣、さ……ま……」
その優しい温もりに、わたくしの意識は心地良い安らぎの中へと沈んでいったのでした……。




