2-3 和解
突然の出来事に馬が興奮し暴れだすが、ドーラがぱちんと指を鳴らすと静まり返る。
(私がこの距離で魔法を外した?…違う、あれは魔法を逸らされたんだ。
そんなことがありえるのか?)
覆面越しにも動揺が伝わってくる。術者はあり得ない状況に動揺を隠せないようだ。
いつの間にか覆面の周囲にあった魔力が消えている。
ヴァロたちですら咄嗟の出来事に驚いていた。
ドーラは何事もなかったように馬車から飛び降りる。
彼はまるで散歩でもするかのように戦場を悠然と歩いてやってくる。
「ヴァロ、この人何サ?」
ヴァロはドーラの声に我に返る。気が付くと剣を握る手には汗がにじんでいた。
「そいつがいきなり攻撃をしかけてきた」
剣を握りしめたままヴァロは警戒を緩めない。本能が危険だと告げているのだ。
「結界を初めに解いてきたのは貴公のほうだが?」
言い返す声はまぎれなく女性の声だ。それもかなり若い。
事情を聴いたドーラは奇妙な顔をした。
「あー…なるほどネ、それは多分行き違いがあるんだと思うヨ。
君、少し話し合わないカイ。戦闘再開はそれからでも遅くないだからサ」
ヴァロたちが武器を下げると、ホーウェンから感じていたプレッシャーみたいなものが消え去る。
一定の距離を取りつつ、ヴァロは事情を説明した。
「なるほどな。貴公の魔法抵抗力ならば触れただけで結界を解くのもたやすいか。
しかし、魔法抵抗のみで結界を解くとはな。稀有な体質をしている」
「すみません、なんかご迷惑をかけたみたいで」
ヴァロは頭を下げた。もともとヴァロが触らなければこんなことにはならなかったのだ。
「こちらこそすまない。敵かと勘違いしてな」
覆面の奥から覗く鋭い光が少し和らいだ。
「ヴァロ君は一応『狩人』だけどネ」
その女性はじろりとヴァロを見る。ヴァロは両手を上げて敵ではないことを示す。
「あなたを狙ってきたわけじゃないし、狙うつもりもありません。俺の仕事はフィアの護衛です」
ヴァロは慌てて首を振り、釈明する。
「ドーラさん」
ヴァロはドーラを目で非難する。
またここで戦闘が再開するのはできることなら避けたかった。
「言っておいたほうがいいヨ。どうせその魔法抵抗力じゃ隠せないっテ。
あとから知られるより今明かしておいたほうがいいんじゃないカナ?」
ドーラの言うことももっともだ。
「フィアの護衛?その少女のか?
見かけによらず相当な使い手だということは認めるが…」
「私の名前はフィアといいます。
現在フゲンガルデンで聖堂回境師をしているものです」
聖堂回境師ということばに彼女は驚いた表情を浮かべる。
「ほう、最近フゲンガルデンで新しい聖堂回境師が誕生したと聞くが、それが貴公か。
何でも最年少記録をずいぶんと更新したみたいじゃないか」
「…はい」
ほめ慣れていないのかフィアはその魔女の言葉に顔を赤らめる。
「フゲンガルデンには『紅』という魔女が聖堂回境師をしていたはずだが?」
「『紅』と呼ばれる魔女は私の師です」
「あれが弟子をとるとはな…人は変わるものだ」
覆面は意外そうにつぶやいた。
「そういえばまだ名を名乗っていなかったな。名は…そうだなホーウェンとでも呼んでくれ」
後でフィアから聞いた話だが、ホーウェンというのは旅の吟遊詩人の名前だそうだ。
彼女はそういって覆面を取り素顔をあらわにする。
肩まで伸びる髪は金色に輝き、顔立ちは凛として整っている。
ただ射抜くような鋭い瞳が印象的だった。
その容姿はまるで一匹の金色の獣を連想させる。
「きれい」
フィアが思わず声を上げる。
「魔女に容姿など関係ないさ。ただほめられると悪い気はしないな」
先ほどとは打って変わって和やかな雰囲気になった。
ホーウェンと名乗った魔女は気さくで、話しやすかった。
「それで聖堂回境師のフィア殿がなぜ聖都に向かっている?」
すでにお互い表情に硬さは見えられない。
フィアは魔王が復活したことを伏せて教会が公式に発表していることをそのまま伝えた。
時計台が魔器の暴走により損傷してしまったこと、それにより大量の資材が必要になってしまったこと。
その魔女は一瞬鋭く瞳を細めたが、すぐに表情を緩めた。
「…二か月前に巨大な魔力を聖都付近で感知したが、…魔器の暴走だったか。
連鎖崩壊でも起きたか?それではニルヴァのやつも大変だな」
その言葉にヴァロは胸をなでおろす。
実際は第四魔王が復活したというとんでもない事態が起きていたのだ、それは箝口令が敷かれているし、
フゲンガルデンに帰った後ヴィヴィのもとで、ヴァロ自身しゃべらないことを何枚もの誓約書にしたためさせられている。
彼女の勘違いはフィアたちにとってそれはそれで都合がよかったので、あえてそれ以上は語らなかった。
ヴァロはそれを引き起こした本人に視線を投げる。
それを引き起こした当の本人は馬車の荷台で眠そうに寝そべっている。
いい気なものである。
「…ニルヴァさんをご存知なのですか?」
意外そうにフィアがはぐれ魔女に聞き返す。
「…古い馴染みさ。聖堂回境になる以前に何度か会ったことがある。
妙に気取ったところはあるが、根は悪い奴じゃない。
何より魔法に関しての姿勢は共感するところがある」
「はい」
フィアはその言葉に同意した。
ホーウェンは荷台にある荷物に視線を移した。
「…ところでハルフフの粉があれば私に少し分けてもらえないか?
持ち合わせの金は無いがそれなりのものを出そう」
「あります。そのぐらいでしたら差し上げます」
「困ったな。そんなつもりで言ったわけではないのだが」
どこか困ったようにホーウェン。
おそらく人から何かを施されるのには慣れていないのだろう。
そんなところに少しだけヴァロは好感を持った。
「会話って大事だネ」
荷台の上から頬杖をつきながらドーラ。
「しかし勘違いとはいえ、服を台無しにしてしまったな。本当にすまないことをした」
ヴァロの服は結界を解いた際の雷撃でぼろぼろだった。
「いえ、元は私が結界を解いたことが原因ですので」
「それでは私の気が済まない。服を修復できる使い魔なら持っている。
粉の礼もかねて是非私の家に招きたいのだが…」
「…私たちも急いでますので…」
急いでいるというのは本当だ。
聖都コーレスでは時計台の修理が行われている。
そんな中材料一つないだけで作業の停滞することもあるのだ。
フィアはその事情をよく理解していた。
そんな中、荷台からひょっこりドーラ。
「ヴァロ君そんななりだと浮浪者と変わらないヨ。それじゃコーレスに入れないダロ。
少しホーウェンさんにに直してもらってくるとイイ。品物は僕が届けるから君らは後から来なヨ」
「お前はどうするんだ?」
「冬の野宿は遠慮したいし、この荷物も早めに届けなくちゃならないからネ
一足先にコーレスに向かうことにするヨ」
当然のようにドーラは立ち上がった。
「大丈夫なのか?」
ヴァロの心配したのはドーラとニルヴァの接触だ。
相手はニルヴァである。三カ月前の聖都事変のこともある。
もしニルヴァとドーラが対面したら戦闘になることもあるのではないか。
「まー、どうにかするサ。最悪戦闘になったら逃げればいいしネ」
ドーラはそう言って馬車に乗り込むと馬の手綱を手に取った。
ドーラならば逃げることはたやすいかもしれない。
先ほどのホーウェンの雷撃をそらした件といい、
元魔王の手の内を今更ながら何も知らないことをヴァロは思い知る。
「まて」
ホーウェンはドーラを呼び止める。
「僕に何かようカイ?」
「さっきはすまなかったな」
ホーウェンが謝るのをみてドーラは少し驚いたような顔をする。
「こっちの荷物は無事だったし、気にしなくてもいいヨ」
何事もなかったのようにドーラはいう。
「…しかし、私の雷撃の軌道を変えるとはどういった方法を使ったのだ?」
「魔法を扱う人間が自らの手の内を簡単にさらすと思うカイ?」
ドーラはにこりと笑う。見ているヴァロたちはひやひやものだ。
「ははは…それもそうだ。…しかし、貴公の波長、以前どこかで…」
「僕はただのギルドの使いっ走りダヨ。それじゃネ」
遮るようにそう言うとドーラは馬に鞭を入れた。
取り残されたような形になったホーウェンはヴァロのほうを振り向く。
「…今のギルドは魔法も扱っているのか?」
「…あいつは少し事情が特殊なんです」
真顔で聞いてくるホーウェンに、ヴァロは今更ながら頭が痛くなった。
それでなくてもドーラの存在はかなりデリケートな部分がある。
「…そうだな。誰しも言えない事情はあるものだ」
ホーウェンはそう言って一人納得した。
「意外なところで昔の顔に合うもんだナ」
三人が見えなくなったところで、ドーラは一人呟く。
「あの子供がいっぱしの魔法使いになってるとはネ、そりゃ僕も年も取るわけダ」
正体がばれるとさらに面倒なことになりかねない。
あの場から去ったのはそういう意味もあった。
あの魔女には興味があったが、あの場に長居するわけにはいかない。
「さーて、早く聖都に行かないとネ」
元魔王は陽気な声で呟くと鼻歌を始める。
ことことと馬車は規則正しい音を繰り返す。
聖都コーレスまでの道のりはまだ長い。