1-3 魔女の依頼
その依頼が来たのは兄貴の新年会の後のことだ。
「飲みすぎた…」
ヴァロは兄の屋敷の一室で仰向けになって休んでいた。
ケイオスと勝負はするものではないと改めて
物音がしたので音のした方を振り返ると、ヴィヴィの使い魔が窓の外にいた。
鳥の成りをした使い魔で、このフゲンガルデンの結界の中でも自由に動き回ることができる。
ヴァロはどうにか立ち上がり、窓を開け使い魔を部屋に入れる。
「こんばんは」
「使い魔なんて一年ぶりじゃないのか」
言葉を話す鳥。
普通の神経の人間ならば驚いて腰を抜かすところだが、ヴァロにとってはこれが日常だった。
「…ごめん、あらかじめ謝っておく」
ヴィヴィの言い回しにヴァロは嫌な予感を覚える。
「なんだ?」
「ニルヴァのとこで急にいくつか資材が足りなくなったらしくて、その運搬を頼まれてほしいの」
やはりそう来たかとヴァロは思う。
「聖都の資材運搬ね。また足りなくなったか」
現在聖都コーレスでは、二か月前の事件で破壊されてしまった時計台の修復作業をしている。
一カ月前にもヴァロは聖都に資材の搬送のために、フィアとともに出向いている。
「ちょっと量もあるし、フィアだけ行かせるってのもね…」
魔法を使えるとはいえ一人の少女でもある。
魔法を使えることは可能な限り隠しておかなくてはならないし、
社会的な地位は持つとはいえ、はたから見ればただの一介の少女に変わりない。
事情を知らない門番だった場合、不信を抱かれ、トラブルに巻き込まれる可能性もある。
「気にするな」
ヴァロは頷いた。
彼女が予め謝っていたのはヴァロが断らないとわかっていたからなのだろう。
「それじゃ上には話を通しておく。明日の朝私の家まで来てくれる?
馬車の手配は…」
「僕が手続きするヨ。費用はマールス騎士団に回してカナ?」
ヴァロが背後を振り向くとそこには長身痩躯の男が立っていた。
「ドーラ」
「おはよう。来てるっていうから挨拶しにきたら、奇妙なことになってるね」
本名ドーラルイ。今よりおよそ三百年前にこの世界を混沌に陥れた第四魔王本人であり、
二か月ほど前に封印から現世に帰還した。
現在はヴァロの兄ケイオスのギルドにて雑務をこなしている。
「元はといえばあんたがことの発端なんだけど」
「今回僕もコーレスまで同行させてもらってもいいカイ?」
ヴィヴィの嫌味を無視してドーラは続ける。
「兄貴の仕事はいいのか?」
「準備は片づけてある。多分大丈夫だと思うヨ」
ドーラは欠伸を噛み殺す。おそらく昨日から寝ていないのだろう。
新年早々のお祭り、公現祭の準備があるためその準備をしていたらしい、
「…聖都に行きたい理由を聞かせてもらってもいいかしら?」
ヴィヴィの声に緊張が混ざる。
魔力がないとはいえ、世界中を恐怖に陥れた魔王の一人である。
「この体の元の持ち主の家に用があるのサ」
「ウルヒの家に用事?」
思い出したかのようにヴィヴィ。元の肉体の所有者の記憶は体に宿っているという。
「ちょっと危険なものが彼の部屋に放置されてて、その処理をしなくちゃいけなくてネ。
少し前から聖都に向かう機会があれば同行したいと思ってたのサ。
断言してもいい、このままだともう一度魔器の暴走が聖都で起きるヨ」
二カ月前に起きた魔王復活の話は魔器の暴走として片づけられた。
それがもう一度聖都コーレスで起きるという。
元魔王の証言は嘘を言っているようには思えない。
何を持ってたんだあの人は。ヴァロは今はいない先輩に叫びたくなった。
「ニルヴァに頼めばいいでしょう」
「あの聖堂回境師に知られたら穏便にはすまなくなるヨ。
それに今あの人相当忙しいんじゃなかったカイ?」
ドーラの言い分ももっともだ。
一カ月前にもヴァロたちが聖都に向かった際には、ニルヴァたちは多忙をきわめていた。
見るに見かねてヴァロたちのほうから手伝いを申し出たくらいだ。
「…いいわ。あんたのギルドには自分から言っておいてくれる?」
「りょーかい」
ドーラはにこやかにほほ笑んで、同意した。
そう言い残しヴィヴィの使い魔はその場を後にした。
「さてと、それじゃ、僕ももう寝ますカ」
ヴィヴィの使い魔が視界から消えると、ドーラは背伸びをして部屋を後にしようとする。
「ドーラ、少しいいか?」
ヴァロはドーラを呼び止める。
「なにカナ?」
ドーラはきょとんとした表情でこちらを振り向いた。
その表情を見ていると、本当にこの男の中に伝説の魔王が入っていると疑いたくなる。
「ゴラン平原を死霊の軍勢で埋め尽くしたっていうのは本当なのか?」
「ああ、あれね。うちの馬鹿弟子が勝手にやったことダ。
自分の研究にかまけすぎて、敵の処置を任せていたのが間違いだったヨ」
「史上最悪の軍団だったと聞いている」
付近の村々はそれの軍勢の一部となり、教会の派遣した部隊ですらその死霊の軍勢に取り込まれてしまったという。
その数は一説には百万にもおよび、人類を震撼させたという。
ブードと呼ばれるゴラン戦記にはそのことが事細かに記されている。
「死霊の軍団とか数が多いだけで、魔軍と比べたらただの木偶人形だヨ。
そんなんで最強の軍団?勘違いも甚だしいネ」
ドーラの言葉にはどこか棘があった。
弟子を持っていたというのは本当だろう。フィアを教える際も手馴れていた。
「弟子って前にも言っていたよな。どのぐらいいたんだ?」
「四名ね。この時代にきて少し調べてみたけど、それぞれもう死んでるようダ」
弟子とはいえもう三百年も経っている。普通なら死んでいてもおかしくはない。
「…それに僕ならもっとうまく作るヨ」
ドーラの最後のつぶやきを聞いてヴァロは少しだけ背筋が寒くなった。
「勘違いしないでくれヨ。僕はもう人類の敵対者じゃないし、脅威でもナイ。
人として生きようと誓ったんダ。それは人の作った法の下でも生きるってことサ。
その言葉に誓って嘘はないヨ」
慌ててドーラは訂正する。
「人間の下で働くことに抵抗はないのか?」
「別にないネ」
ヴァロの質問に不思議そうにドーラは応える。
「お前がそれでいいのならそれでいいけどな。不満があるなら俺が聞くよ。
あんなんでも俺の兄貴だ。手を上げるなら俺のほうにしとけ」
その言葉にドーラは一瞬ぽかんとした顔になる。
気にはしていたことだ。このフゲンガルデンの結界の中ならまだ大丈夫だが、
この結界の外に出たのなら、この男には簡単に人を殺せるぐらいの力はある。
その力が兄ケイオスに向かないとも限らない。
「意外と兄思いなんだネ。…君は気にしすぎなんだヨ。
たしかに人使いは荒いし、ケチだし、すぐ人任せにするし…。
いろいろ不満はあるけど、僕は人として生きたいと言ったはずサ。
堅気にちょっかい出すつもりは毛頭ないヨ」
「それならいいんだが…」
ドーラの言葉にヴァロは胸をなでおろす。
「もし何かあれば友人として真っ先に君に相談させてもらうヨ」
「友人…ね」
ヴァロはドーラの友人という言葉に驚いた表情を見せる。
「おや、不服カイ?」
ドーラはそんなヴァロにごく自然に語りかけてきた。
「…いや、少し驚いただけだ。友人として愚痴があれば聞かせてくれ」
「ああ、そうさせてもらうヨ」
ドーラは人懐っこい笑みを浮かべた。仮にも相手は元魔王である。
ヴァロはそんな立場の相手から友人として見られていることに驚いていた。
「…僕もまたあの方の下で働けるとは思ってもみなかったからネ」
誰も聞き取れない小声でドーラは呟く。
「ふあーあ。僕はもう寝るよ。昨日から働き詰めで眠いんだ。
馬車は明日の朝ヴィヴィの家の前には手配して持っていくよ」
大きな欠伸を残してドーラはヴァロの部屋を去っていった。