1-2 新年の挨拶
フィアはヴァロの先を歩いていた。
「今日はずいぶんとめかしこんでるな」
フィアが支度を済ませるのに少し時間がかかってしまった。
騎士として女性の支度の時間をどうこう言うわけにもいくまい。
ミランダの時とは事情が違う。
「少し前にケイオスさんからいただいたの。取引で手に入れたとか。どう似合ってる?」
フィアはひらりと舞うしぐさをしてみせる。
「ああ」
ヴァロは笑って相槌をうつ。
魔女とはいえこういうところは年頃の娘と変わらない。
通りを歩く周囲の目がフィアに注がれるのを感じないわけにはいかない。
色は白で統一されているドレスは彼女の雰囲気にぴったりと合っていて、
羽織っているショールは彼女をさらに上品に見せた。
また貴族の子息の払下げ品だろうか。よくこれだけのものがでてくるものである。
フィアの肩まで伸びる金髪とよく合っていて、
何も知らない人間ならば、まるでどこかの貴族の子息と言われても信じてしまうだろう。
兄ケイオスにはフィアにはあまり買い与えるなと釘を刺してあるが、
フィアの姿にそんな不満も吹っ飛んだ。
自分も兄貴のことは責められないなと苦笑する。
ふと気が付けばフィアが神妙な顔つきでこちらを眺めている。
「どうした?」
「魔剣のことなんだけど、…ヴァロは今でも本当にうらやましい?」
上目づかいにフィアはヴァロに聞いてくる。
以前にフィアに魔剣を欲しいといったことをヴァロは思い出した。
「そりゃな」
魔剣との契約は騎士ならば誰しも一度は憧れるものである。
それは選ばれし者が持つ特殊な力を持つ剣。
その力は一軍に匹敵するといわれ、過去の英雄はそれを携え人類の敵と対峙した。
ヴァロはずいぶん前に自分が特別な何かだと思うのはやめたが、
魔剣への憧憬は未だ胸の奥にくすぶっている。
「…一つ聞いてもいい?」
フィアがおもむろに切り出してくる。
「いきなりなんだ?」
「人類最後の悪あがきの一つ魔剣。
それは魔王軍に対抗するために作られたものの一つであり、人類最後の切り札でもあった。
かつて世界の片隅に追い詰められた人間たちはそれを作ることに成功した。
何も残されていない人類は何と引き換えにそれを作り出したと思う?」
いきなりのフィアの質問にヴァロは戸惑う。
「何もないところからそんなものが作り出されるわけがない。
もし作られたのならばそれなりの代償が支払われたはず。
その当時の人々は一体何を対価として魔剣を作り出したと思う?」
魔剣を作る代償。フィアに言われるまでヴァロは考えてもみなかったことだ。
「それは…」
魔剣は聖ジムントの手によって製法を編み出されたという。
そう天から授かったモノではなく、人が生み出したものである。
ということはその材料も存在するはずである。
当時の人間の居住域は魔王という未曽有の存在により、半分以下にされていたはずだ。
ならばその材料はどこから手に入れたというのか?
そもそも無から有を生み出すことはできないとフィアは言っている。
魔法ですら魔力というのもを媒介として作り出す奇跡だという。
それならば魔剣と呼ばれるものは一体何なのか?
そもそも代償なんて必要なのか?
ヴァロがフィアに質問しようとすると遮る様にフィアが振り向く。
「ヴァロ、着いたわよ」
気が付けばヴァロたちはケイオスの屋敷の玄関までやってきていた。
同時にヴァロの中で頭の中を占めていた疑問は、兄貴への対応という新たな課題に置き換わっていた。
「やっぱり、ヴァロとフィアちゃんか。窓の外から姿が見えてね」
出迎えてくれたのはケイオス。見ると顔を赤らめ、息を少し切らしている。
昼間だというのにケイオスの周りは酒のにおいがした。
酒盛りの最中だったようだ。
ヴァロの実兄であり、ここの商会のマスターでもある。
「今年も女神の加護があらんことを」
その場にいた三人は口々にそう唱え、丁寧に頭を下げる。
この文言は教会による新年の挨拶である。
「ケイオスさん、洋服ありがとうございました」
フィアはもう一度頭を下げた。
「とても良く似合っているよ。
一度私が送った服を着たところを見せてくれれば、それに勝る報酬はない」
顔をほころばせながら、腕組みしてケイオスはフィアの全身をまじまじと見つめる。
ケイオスの言葉にフィアは微笑んだ。
「兄貴、酒臭いぞ」
ヴァロに非難の声を上げる。
「女神が降り立った日ぐらい羽目をはずしても、彼の女神様は許してくださるだろうさ」
「無宗教じゃなかったのか?」
「祝われるのであれば他人からでもうれしいものだろう。ほらヴァロも飲め」
ケイオスはヴァロに木のジョッキを持たせ、酒を注ぐ。
ケイオスは杯を片手に珍しく上機嫌である。
黒の用心棒もあきれたようにケイオスを見ている。
「頭のたんこぶはどうした大方女性にでも…お前にそんな甲斐性ないか」
にやけ顔でケイオスはあおってくる。
「兄貴こそどうなんだよ」
居心地が悪そうにヴァロ。
「ほどほどには相手をしているさ。ただ今は仕事が楽しくてね。今年はルーランにギルドの支部を作るつもりだ。
そんなわけで年明け早々ルーランに行かないといけない。私が直に見て判断しないとな」
「いつ行くんだ?」
「年が明けて少し落ち着いてから行こうかと思ってる。近くなったら連絡するよ」
ヴァロの問いにケイオスはにこやかな笑みとともに返した。
ルーランというのは他の大陸とのこの大陸の玄関であり、交易都市といわれ、大陸中から商会の支部が集まっている。
話ではルーランに支部を持つことが中小の商会の夢であるとか。
ケイオスの仕事はことのほか順調のようだ。
「仕事といえばドーラのやつは真面目に働いてるのか?」
「今は公現祭に向けて準備してくれている。まだ仕事中なんじゃないのか」
公現祭というのは降臨節が終わるとやってくる仕事初めのお祭りだ。
毎年各商会が力を上げて出店してくる。ケイオスの商会も例外ではない
ドーラは兄ケイオスのもとでまじめに働いているらしい。
「あいつ本当に大丈夫か?」
ドーラは一応元魔王である。
二か月前の聖都コーレスでの事件をきっかけにフゲンガルデンに住むことになった
兄の下で働かせて本当に良かったのかという不安があったが、
どうやらうまくやっているようだ。
「金の勘定もできるし、文字も読める、物覚えもなかなかだ。どこで拾ってきたんだ」
「…それは聞かないでくれるか」
ドーラの素性を答えるわけにはいかない。
ドーラは世界を恐怖に陥れた魔王、ドーラルイその人なのだから。
「訳ありか。まあいいさ。私はドーラ君の能力を評価している。
過去はどうあれ私のギルドには必要な人材だ。活躍していることを期待している」
ケイオスは察してくれたようだ。
「そういってもらえると助かるよ」
ヴァロはドーラが必要とされていることに少しだけ安堵を覚えた。
ドーラは気位が高いわけではないし、好戦的というわけでもない。
どちらかといえば穏やかな気性だ。
あの男の性格(少しヘンテコな奴ではあるが)からどうしても非情な魔王というイメージに結びつかない。
さらにどうして魔王になったかといういきさつを知っている以上なおさらだ。
たまに怖いところもあるがそれを除けば危険なイメージはそれほどなかった。
ヴァロ自身、人として生きたいという言葉に共感したのもあるが。
(人の語るイメージが独り歩きするってのもあるよな)
そんなことを考えているとフィアに腕を引っ張られる。
「行こう、ヴァロ」
「ああ、そうだな」
そう言ってヴァロはその場をあとした。
このとき、ヴァロは魔王と呼ばれた頃のドーラのことを何も知らない。
彼がどれほどの怖ろしいものだったのか、それを知るのはもう少し後の話だ。