コーヒーとメイドと時給780円
暑い。
冬も殆ど過ぎ暖かいと感じる日が増えてきたこの頃、惰性で置いたままのコタツに俺は入っていた。
コタツの魔力は偉大だ。特に寒い訳でもないのに入りたいと思わせる。
コタツに入れば暑い位には今日は暖かいが暑いと感じる理由はそれだけではないことも確かだ。
「……どうかしましたか? 望さん」
鼓膜に届く女の子の声。
そう。彼女がいるからである、何故か隣に。
しかも俺はコタツの狭い方に座っていたため彼女との距離は非常に近い。というかほぼ密着だった。
おかげで俺の心臓は平常時の3倍程の速さで脈打っている。顔も真っ赤になっていることだろう。
やだ、冷静になんてなれない。
「え、ええと、あれです、コーヒーでもお淹れしましょうか?」
「……ブラックで」
分かりましたと彼女、巡はエプロンドレスをはためかせ台所へ向かった。
立ち上がる時に巡の金髪からいい香りがした。
男ならば誰でも持っているであろう煩悩の加速を感じた。いかんいかん。
哀しい男の性で勝手にテンションを上げるよりも状況を整理する必要がある。
整理するにしても、俺が特に目的も無くリビングのコタツに入りテレビを見ていると自分の部屋から出てきたらしい巡がリビングに入ってくるやいなや今のポジションを陣取り始めた。それだけである。
オーケー、全然分からん。
程なくして巡がコーヒーの入ったカップと何かが入ったビンを持って戻ってくる。
そしてコタツに入る、やはりと言うべきか俺の隣に。
「ど、どうぞ、望さん」
「ああ、どうも……、ん?」
礼を言ってからコーヒーに口をつける、と同時にコタツの上に置かれたビンのラベルが目に入る。
それはジャム、苺ジャムである。
これをコーヒーに入れろというのか。すぐ隣にいる巡の顔をそっと覗く。
ジッとテレビを見ている巡の白い肌も心なしか赤くなっているように見える、コタツが暑いのだろうか。
彼女の様子からどうやら嫌がらせという訳でもなく素でやっているようだ。
だがどうしたものだろうか。
コーヒーにジャムを入れるなどという文化は聞いたことがない。
いやだがしかし入れてみれば俺のコーヒー界に新たなニュージェネレーションな革新的何かが起こるのではないかいやそれはないだろうなどと心の中で腕を組んでいた所。
「ど、どうしたんですか? 飲み方を知らないんですか? これはですね、こうするんですよ!」
沈黙に耐え切れなかったのであろうか、巡は徐ろにスプーンとジャムのビンを取るとコーヒーに苺ジャムをせっせかせっせかと入れ始めた。
やはりその顔は赤い。
「いっぱ~い、には~い、さんは~い、よんは~い……」
そうそう、ジャムをたっぷりとね……。って!
「おい! やめろ!」
「え!? やっぱり1杯たりな~い……、ですか!? それではもう1杯!」
「違う! ジャムは皿じゃない! それ以上入れるな!」
巡はジャムを入れるのを止めたがもう後の祭りである。
改めてコーヒーを見れば凄惨なる出で立ちであった。
普段なら黒一色しか見えない筈なのに苺の果実の粒々が浮いてたりと何かもうボク怖いよ……。
最早コーヒーとは呼べない代物となっているソレから全力で目をそらし、俺は巡に向かい合う。
「巡さん、この国、それどころか恐らく他の国でもコーヒーにジャムは入れない。ジャムを入れるのは紅茶だ」
俺の言葉を聞き巡は顔を更に赤くする。
やはり間違いであったか。
「え。じゃなっくて…… 知ってましたよ?」
「どうかそれを目を合わせて言って欲しい」
嘘を言っているのがバレバレだ。口笛吹けてませんよ、巡さん。
「え、あ、その、ええと。そう! これだって飲んでみれば結構いけるかもしれません!」
唐突に話題を目の前のコーヒーに戻し、一気にコーヒーだったものを飲んでいく巡。
ゴクゴクと喉を鳴らし飲み干していく様は飲んでいるものが何であれ微かに色っぽささえ感じた。
「はあっ。はあっ」
うわっ、飲みきった。
「……どうだった」
「…………。 無心で飲んでいたのでよく分かりませんでした。 ですが二度とやろうと思うものではありませんでしたです」
どこか口調が可怪しくなってしまっている。イケるものであったら俺も次に飲んでみようと思ったのだが……。
あれ、そういえばそのコーヒーカップは俺が最初に口を付けたものであって……、
「…………!? ……っ」
巡もそのことに気づいてしまった様子だ。
顔の赤さがもう一段階上がった。どこまでも赤くなる顔だな。
ふとそこで俺の悪戯心が軽く目覚める。
……どこまでこの顔は赤くなるのだろうか。
「ふむ、巡さんよ。そも、そのような間違いを犯すのはメイドとしてあるまじきことではないかね?」
「はうっ」
プラス一段階。
今更だがやっぱりすぐ隣は近い、近すぎる。
「そして、君が口を付けたコーヒーカップは俺が一度飲んだものなのだが?」
「はいぃっ」
二段階。
正直こんなことを言っている俺も相当恥ずかしい。
だが次で最後だ。
「ところで巡さん、先のことのような行為を俗になんて言うのか知っているかね?」
「そのくらいはわたしでも知っています! それはですね、かんせ! か、か、か、か……」
そうであろう。頭で考えるのは楽でも実際に口に出すのは想像以上に難しいであろう。
「か……か……か……」
「どうした! 言えないのか! 巡よ!」
言い澱んでいる巡を見て俺の嗜虐心が満たされる。
この時、既に俺の思考回路も大分焼き付いてきていた。
続けろと黒い俺が囁くがこれ以上は巡が可哀想だ。
「か……か……、…………かかかかかかかかっ!」
ここらへんでやめてお……、なんかうるせえ!
「すまない巡さん、今の質問はじょう……」
「かっ、関節キスです!」
「そう! 今のは冗談で本当は関節キスで……、え!?」
あらら? 本当に言わせてしまったぞ?
更なる嗜虐心からの満足と罪悪感と何より今までの恥ずかしさが脳内を巡る。
いや今の巡るは目の前にいる巡と掛けたのではなくそうではなく……。
もうどうにでもなれ。
「フハハハハハ! よく言えたな! 巡よ! 褒めてやろう!」
「はい! わたし、言えました!」
「やったな!」
「やりました!」
「「いえ~い!」」
パンッという音がリビングに響き渡る。詰まるところのハイタッチである。
紆余曲折はあったがコーヒーと苺ジャムが俺たちをスキンシップに至らせたのだ。ああ、顔が暑い。
リビングに突如現れた変人二人はハイタッチの姿勢のまま数分程固まっていた。
俺、そして巡の異常だったテンションが下がり、前までとは違う恥ずかしさが込み上げてどうしようもなくなってきた時だった。
リビングに俺のでも巡のものでもない耐え切れなかったような細い笑い声が響く。