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  作者: ムネソラ
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5、逃避 前編

 ……なに?


 …………わからない……。


 ………………どうして……?


 ……………………………………………………………わからない。



 ……ぶつかった。 ……手をにぎった……。 ごつごつしてて…… なんか… よかった。


 おんがくかんしょう? 私は… 甘いものが好き。



 いつもと…… 同じだった……、何も…… 変わらないと思った…………。

 だけど…… 撃てなかった。


 え…… なに……? そんな目で………… 見ないで……。



 どうして…… ……椿…… ……どうして…………。





 目にしげきを感じる……。 ……小鳥が鳴いている。少し目を開ける…… まぶしい、光があふれてくる。

「…………」

 ここは… どこだろう……。

 見たことない天井。嗅ぎなれないにおい。

 ……椿は?


 体を起こしてまわりを見渡す。身体が少しいたい……。

 ここは小さな部屋。そこら中に絵が立てかけてある。

 今はたぶん朝……そんな感じがする……。

 カーテンがさらさらとなびく、心地よい風。私の目の前、まるで部屋を横断するように窓から光が射しこむ。

 その奥、少し見えづらい。……部屋の中央、木の三本足の上にのった、描きかけの絵。その絵へ向いて男の人が立っている。

 その人はこっちに気づいたのか振り返えった。


「ん……? ああ……、気が付いたようだね」

 ……。

 敵意は… 感じられない。この人は… 誰だろう……。

「私は〝創真(そうま)・ソレイス〟」

 ソウマ……スライス?

「君は?」

「………菫」

「そう、スミレ…か。よろしく、菫ちゃん。とてもいい名前だね」

 この人、とても……いい……感じがする……。

 とても背か高くて…… 髪の毛………サラサラしてそう。

「お腹、減ってるかな?」

「……ここは?」

 ここは……どこだろう……?

 ……椿は? ……よく思い出せない。

「ああ、ここは私のアトリエだよ」

 あとりえ……?

「………… へんなにおい……」

「ハハ… これは絵の具の臭いだよ。私はもう慣れてしまったけど」

 絵の具のにおい…… わたし… ……好きじゃない。


 あ……。

 〝絆〟は…… どこだろう……。

 今、私は純白なシーツの上、ふかふかなベッド……。袖にうもれかけた私の手の甲には白い包帯……。気がつけば体中包帯の感覚……。その上に私は真っ白なぶかぶかのワイシャツを着ていた……。


「……」

「……見つけたとき、君は重度の怪我をしていた。全身にある擦り傷や打撲は、あまりたいしたことはないが…… その左肩のは…… 銃で撃たれたものだ」

 私は左肩をさわる…… 痛い。

「あまり触らないほうがいい。幸い弾は君の体から貫通して出ていっている、それにじん帯にもあまり損傷は出ていないようだ。しばらく安静にしていれば…… 大丈夫だよ」

 ソウマはそういうと最後に微笑んだ。……とても優しそうに。


「……ソウマ?」

「ん? なに?」

「私…… 〝君〟じゃない」

「ああ……、そうだったね。ごめん、菫ちゃん」

「……菫でいい」

「そう、わかった。……菫」

 包み込まれるような優しい声。

 ソウマはそういうと目を細め、私に向かいもう一度微笑んだ。


 きゅるるるー。

 お腹がなった。

「お腹、減っているみたいだね」

 ソウマの微笑み方が少し変わった。ちょっと……や…な感じ。

 ソウマは手に持っていたものを近くの台の上に置いて、そこに乗っていた紙袋をつかんで私のそば……、ベッドの脇までゆっくりと歩いて来た。


 やっとはっきりと見えたソウマの顔立ちはとても整っている。

 最近見せてもらった映画というものに出てきた人みたい……。

 すらっとした身体には紺のズボンと、私の今着ているものと同じような… でも、ちゃんとサイズの合っている白のワイシャツを、すこし前のボタンを開けて楽な感じに着ていた。

 ベッドの脇には小さなテーブル、その上にその紙袋を置いてソウマは中に手を入れる。そのとき私の方にとてもおいしそうなパンの香ばしい匂いが漂ってきた。

 きゅるるるー。

 また、お腹がなった。

「ハハハ、はいはい」

 にこやかな顔でソウマはそういうと、袋からパンを取り出して私にそっと差し出した。

 私はそれを袖にうもれかけた手で受け取る、暖かい。はむっとかぶりつく、ふわっと迎え入れられた。噛んでいくとコリコリとした甘い感触。…… くるみパン。


「おいしい?」

 ソウマは微笑みながら聞いてきた。

「……うん」

 とてもおいしかった。私はそれが手元からなくなるまで夢中でそれを続けた。

 ソウマはテーブルの横にあったイスに腰を掛け、同じパンを食べながら私のことを優しそうな目で見詰めていた。


 パンを食べ終える。ソウマもすでに食べ終えていた。

 カーテンかなびき、窓から心地よいかせが吹き込んでくる。

「……よかった。元気そうだね」

 私を見ていたソウマが突然、言った。

「……」

 そんなこと言われたのは…… 初めて。

 そして急にソウマの顔が鋭くなる。

「菫は……とても危険な状態だったんだよ……」

 …………きけん?

「見つけたときは…… もう死んでしまっているのかと思った……。かろうじて脈があったから、すぐにここまで運んで治療を開始したのだけれど、ひどい出血だった……。正直助かるかどうか。容体が安定したときには本当に……」

 ソウマの顔が和らぎ、元の優しい顔になる。

「……本当によかった、元気そうで」

 優しい笑み……。



 それからしばらくの間ソウマの顔を見続けていると、何かにふと気づいたようにソウマが口を開いた。

「菫、私はそろそろ仕事に出かけることにするよ」

 肩の傷が少し… ズキッとした。

「……〝お仕事〟?」

「ああ、命を救いにね」

「……命を……救う?」

「そう、医者だからね」

 お仕事…… いしゃ……? 命を……救う…………。


「菫は安静にしているんだよ。退屈だろうけど、じっとしているように。とは言っても、動きたくてもうまく動けないかな。一週間も寝ていたのだから」

「……一週間」

「そう、一週間……。菫は一週間ずっとここで寝ていたんだ。それに…… その格好のまま外に出るのもやめたほうがいいよ」

 ぶかぶかなワイシャツの下は ……包帯しか身に着けていない。

「……私の、服は?」

 ソウマ…… すこし止まった。

「菫が着ていた服は……ね、血がべっとり付いてしまっていたから……。洗ってはみたんだけど……。もともとボロボロになっていたし……ね。何より治療するとき……、大きく裂いてしまった…… ごめん!」

 ソウマはそういって少しおどけて顔の前で手を合わす。

 それを見て、なんだか……。

「……よかった。やっと笑ってくれたね」

 …………わらっ…た?


「菫……。菫の服は、私が用意するからあまり動かないで安静にしているように、ね。……お腹がへったら、まだこの袋の中にパンが残っているから」

 さっきのテーブルに置かれた紙袋を見る。

「じゃあ、行ってくるよ……」

 そして頭を触られる感覚。ソウマの手。頭をなでられている。

 ……いい…感じがする。

 頭からすっと手が離れてしまう。ソウマはそのままこの部屋を出ていってしまった。

 ……一人になった室内。カーテンがなびき、心地よい風が吹き込む。窓から差し込む光は、さっきより下を射していた。絵の具のにおいは、……いつの間にか気にならなくなっていた。

「…………」

 そして、自分の頭をなでている自分に気づいた。


        


 〝絆〟は…… どこだろう?

 ソウマが出て行ってからどのくらい時間が経っただろう……。ふと、そう思った。

 私に掛けられていた白くて薄いシーツからひざを抜き、ベッドの端へと寄る。下には、スリッパが一組並べてあった。ベッドから足を滑らせ、そのスリッパの上へと下ろした。

 立ち上がろうと力を入れる。足に体の重さをぐっと感じた。体が痛む……。

 歩けなくはない……。


 所々、絵が置かれた床。ほとんどが風景画。そこをぶかぶかのスリッパでぱかぱかと歩く。

 部屋の中央に置かれた書きかけの風景画、はじめソウマが立っていた場所。ふと、そこから見える窓の外のきらきらと輝く青の景色に気づいた……。

 あ……………………。

 その景色からしばらく目を離すことが出来なかった……。


 扉を開け、あとりえを出る。

 少し薄暗くほこりっぽい。リビング……? 広い部屋。

 その部屋を見渡す。

 ……暗い。

 少し明るさが感じられるところを見る。カーテンが締め切られている隙間から光が漏れていた。そこにぱかぱかと近寄り、カーテンを引っ張る。部屋中に光がなだれ込み、満たされていく。


 振り返り再度部屋を見渡す……。明るくなったそこは、生活観はあるもののやはりどこかほこりっぽい。中央にテーブルと数個のイス。壁の周りには家具のほかに、簡単な木箱のようなものが積み重なっている。そしてキッチンと、冷蔵庫……。

 冷蔵庫……。

 すすっと近寄っていく。冷蔵庫の前に立ち、小さいほうの扉に手を掛け、力を入れる。パカッと開いた。そこから白いもやが下に落ちていき、足元がひんやりする。

 中には、……氷しか入っていなかった。

「…………」


 ……パタンと扉を閉め、大きいほうの扉を開けた。中はがらんとしていて、ビンが数本ほどしか入っていない。そのほとんどが黒っぽい、口のほうが細くなってるビンなのだけど、一本だけ口が太いオレンジ色の液体が入った大きめなビンを発見した。


 すぐそれを取り出して、辺りを見回す。そして目に入った近くに並べて掛けてあるグラスを手に取る。すたすたとテーブルに向かい、それらを手に持ったままイスに座る。少し向こうでパタンと冷蔵庫の扉が自動的に閉まった音がした。グラスをテーブルに置き、そのまま満タンに入ったビンのふたを取る。こぼさないように両手で慎重に重たいビンを傾けグラスに注ぎ、ビンを置いた。

 …………。

 なみなみまで盛られ少し冷たいグラスを両手でつかみ、そっと口に近づけていく。近づくにつれあの甘酸っぱい香りが漂ってくる。グラスが唇に着きオレンジ色の液体は口の中へと入ってきた。

 はじめは舌全体に縮み上がるほどのすっぱさと、しびれるほど冷たい刺激。けれどすぐ口全体にとっても甘ぁい感覚。それをこくんと飲み込んだ。

 おいしい……。

 後には口にちょっぴり、ぴりぴりとした感覚。そして甘酸っぱい満足感。……でも、それを味わう間もなく、もう一度そのオレンジジュースを口へと入れていく――。



 中身が半分以下になったビンを冷蔵庫に戻し、オレンジジュースを飲んでいるとき少し気になったところへぱかぱかと歩いていく。


 ……ソウマ。

 壁にはコルクボード。そこには多く写真がある。……ソウマが写った写真。それと……、ソウマと髪の長い女の子が写った写真……。少し若いソウマがなんか書いてある紙を持ってうれしそうに笑っている写真……。顔がしわくちゃのお爺さんとお婆さんの写真……。髪の長い女の子だけが元気の良さそうに写った写真……。その女の子より少し幼い少女が微笑んで写った写真……。その少女と男の子が二人、仲の良さそうに写った写真……。



 ふと何かを感じ、横を見る。

 …………私。

 私の背よりも大きな鏡。そこに私。真ん中の三つのボタンのみで閉じられたぶかぶかの白いワイシャツ。その大きく開いた胸元から見える、肩に巻かれた包帯。

 …………肩の怪我。

 包帯は頭にもぐるぐる巻かれている。袖をまくる。手やひじ、腕にも包帯は巻かれていた。今度はすそを胸のふくらみがすこし見えるくらいまで上げて、腰を少しひねったりして身体中を見渡す。すねやもも、腰には包帯が巻かれ、おしりやひざや、そのほかの所々にガーゼがつけられている。身体の半分程度がそれらの白で覆われていた。


 怪我だらけ………………… あ……。

 ……―――……――………。

 何か…… 思い出した……。

 ワイシャツのすそが手からハラッと離れ、元の位置に戻る。


 確か私…… 撃たれて… 崖から…… 落ちた。確かあの時……、



 気づいたら私、すたすたと歩き出していた。

 あの場所に…… 〝絆〟が……。

 リビングを出て…… 玄関ホール。扉に手をかけスリッパのまま、いきよいよく玄関を出る。けれど外に出たとたんに世界は一変し、ふと立ち止まる。



 ……あつい。



 白く強い光に包まれたかと思うと、体中に刺さるような…… 熱。

 ソウマの家の前、舗装された通り、その白っぽい石タイルが熱い光を私に浴びせてくる。真下には短い私の影。目の前、道の端の石垣の向こうは目に入りきらない、いっぱいの青。

 ここは丘の上の少し高いところなのかな……。


 そして空を見上げた。そこには空の、雲一つもない空の、一番高いところから強い光の矢を放ち続けている丸いヤツがいる、……真夏の太陽。ぶかぶかのワイシャツがみるみる熱くなっていく。


 ここは……。

 周りをよく見渡すと、見覚えのある場所。ここはベニーナの街にいくつかある緑の多い小高い丘の上のほう。他の場所より丘の斜面が急だから道が行ったりきたりしてるところ。

 あの日、……撃たれたあの日、ここを通った……。落ちた場所…… とても近い。

 私はその場所に向かい、なだらかに上がっている通りを登り始める。



 …………。


 頬を伝いあごから滴り落ちる汗。熱を発する綺麗に整えられた道。その道がゆらゆらとゆがんで見える。まだ少しも歩いていないのに体がふらつく。


 …………。


 そういえば街の中心部とは違ってここは人の気配をほとんど感じない。


 …………。


 それにここら辺は建物自体も少ない。


 …………。


 近いはずなのに……、すごく遠い……。



 ………………………。



 着いた。たぶんここだ。

 そこは舗装された道沿いのうっそうとした林の前。足元には、ひざほどまで伸びた草が一面を覆っている。そして奥には角度のきつい岩肌の崖。10数メートル上にも道があって、その道の石垣が高い木々の間から見え隠れする。


 あそこから、……落ちた。

 その林の中に入り奥のほうへ歩いていく。

 涼しい……。

 ここは木のおかげで日陰になっている。日陰に入った途端、重くのしかかっていた暑さが急激に和らいだ。それどころか心地よささえ感じる。


 そして崖のすぐ近くまできた。すると……ぶつかりながら転げ落ちたのか、その崖には上のほうから点々と血の跡かついていた。そしてその下の草にもまだ大量の血の跡が残っていた。


 〝絆〟は……。

 周りを見渡す。一面、草で覆われていて見当たらない。草を掻き分けて〝絆〟を探す。

 はじめ簡単に見つかったのは、あの日持っていたバックだった。そしてそのまわりには、落ちたときにばら撒いたのだろう、バックの中に入っていた弾がそこら中に散らばって落ちている。

 私は崖の上の石垣を見上げる。


 あの時…… あの石垣の奥で私は……。

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