3、初恋の女の子…… 後編
銃声が響く中、それを一掃するかのようにとてつもない音が何度もこのホールを貫く。
あの音だ。もうその音が何なのかはわかっている。
それは銃の発射音。信じられないような威力を持った。まるで大砲のような銃の音だった。
俺は辺りを見回した。
――――
そのとき俺はもう地獄にいるかのような錯覚を受けた。
すでにあたりは赤かった。
所々に動かなくなった肉の塊が転がり、その周りにはぐちゃぐちゃとした肉片が散らばっている。
向こうの方に何人が腰を引きながら同じ方向に銃を撃っているのが見える。
その中で一人が、錯乱したのか何かわめきながら銃を持つ右手を突き出しその方向に突進していく。そしてあの音と共に左肩が消え、右脇が消え、そのまま倒れる間もなく頭が消えた。
俺は必然的に音の元へと視線を向けた。見たくはなかった。
俺の目に映ったものは自らに向けて放たれた銃弾のすべてを、優雅に宙を舞いながらかわし、体をひるがえし、銃を撃つ、二人の天使の姿だった。
神の捌きを与えし死の天使……。子供の頃聴いた昔話の中でそんなのが出てきたことを俺は思い出していた。
「くそぉぉぉーーー!!!」
隣にいる坂本先輩は顔をひしげさせながらあの子達に向かい銃を撃っている。
坂本先輩……。
俺はこの街に来て1週間後、夏が始まり、とても暑かったあの日、彼に出会った。あの時俺は、家を飛び出し、この街に来たはいいものの何をしたらいいのかわからず、ただ途方に暮れ、街をさ迷い歩いていた。
そのときは貯めていたお金も底を突きかけていて、正直あせっていた。
あの日、俺はいつものように朝食を買いに表通りにあるパン屋に、残りわずかとなったなけなしの硬貨を握り締めて歩いていた………。
‡
どうしよう…。これがなくなってしまうと後がない……。あれだけ大見栄切って家を出てきたのに… そもそももう帰るだけの運賃もない。
「はあぁ……」
自然とため息が漏れる……。
空を見上げた俺の目には、もう夏らしいどこまでも突き抜けて広がる青と、もこもこと真っ白い雲。俺の懐とは関係なく、只々綺麗で俺を現実逃避させる。
香ばしいパンの香りがしてきて俺は現実に引き戻される……。いつの間にもうパン屋のそばまで来ていたようだ。俺はその手の中の現実を強く握り、街頭販売をしているパン屋の前の2,3人の小さな列の後ろにつく。背中に朝日が照り付ける、俺はそれが心地よく、薄く目をつぶり食欲をそそるパンの香り混じる朝の清々しい空気をすきっ腹に満たす様に吸いながら順番を待つ。
「あら、永戸くん。いらっしゃい」
その言葉に刺激され我に帰る。いつの間にか順番が回ってきていたようだ。俺は「今日は何にしようかな」などとは考えなかった。いや、考えたかったけれど、その行為が無駄だということが手の中から痛いほど伝わってくる。しびれるほどに……。だから俺はパン屋のおばさんを真正面から見詰めて、この言葉を発することになる。
「おばさん、いつものやつ!」
いつものやつ……。最近これしか食べていない。あの大きい風貌にして超低価格! 質より量を求める若者の願いを忠実に再現した夢のパン。俺の命はここ数日このパンにて保ってきた。今の俺には神に等しい。だけど……、
「ごめんなさいね、売り切れちゃったわ……」
――っ!
終わった……。なんということだ……。おばさんのその申し訳なさそうな笑顔が残酷に感じる。……だいいち今何時だ。こんな朝っぱらから……。嘘だろ……。
「え… こんなに早く…?」
俺はたまらずに聞いた。聞くしかなかった。
「ええ、前のお客さんが大量に買っていったものですから」
俺はすばやく首を動かし、さっきまで俺の前に立っていた男をにらみつける。そいつはバカみたいにでっかい紙袋を持っていた。おそらくそれには神が大量に入っているのだろう。男はこちらのことに気付いていたようで…… ニヤニヤと笑っている。俺にはこいつが大悪党に見える。
「わるいが、早いものがちだ! あきらめて違うものを買いな!」
男はカッコつかないその格好でカッコつけながらそういった。
「そんな…… そんな金があったらっ!! とっくにそうしてるさっ!!」
そんな俺もとってもカッコ悪いのだろがはっきり言って必死だ! 生きるか死ぬかの瀬戸際だ! 引くわけには行かない!
「……」
あっちがドン引きしていた……。心なしか汚い物を見る目で見られている気がする……。
たしかに今日何とかなっても明日生きる金がない。そもそも自分で稼いだこともなく、どうしたら仕事をしてお金がもらえるのかがわからない……。初めのうちホテルなんかに泊まったのがいけなかった。あっという間に持っていた金が無くなり、いつの間にか今日の寝床を探すため、街をさ迷う日々になっていた。
俺…… この街に何しに来たんだ……?
ポンッ! と、肩をたたかれる。俺にドン引きした男だ。
「まあ……、とりあえずがんばれ……。男は泣くもんじゃ、ないぞ……」
いつの間にか俺はうつむいて泣いていたようだ……。
「これ、やるから……」
そういうと男は横においてあったバカでかい紙袋の中からその巨大な神を一つ取り出し、俺に差し出した。
俺は涙ながらにそれを受け取ると、大きく口を開けほおばった……。涙の味がした。
「……、なっ何か困ったことがあったらいってくれ……。力になるから…な」
「仕事をください!」
‡
よほどの予想外な展開だったのだろう。しばらく彼は止まっていた。
この男こそ坂本先輩だった。この後、先輩はしばらく考え込んだ後「待っていろ」といって、その場を立ち去った。先輩はなかなか戻ってはこなかった。けれど、他にすることもなかった俺は巨大なそれをほおばりながら待ち続けた。
先輩は自分が入ったばかりの職場に会って間もない俺を紹介してくれていたのだ。後に「あのまま見捨ててやるのも面白かったが、さすがにのたれ死なれたら毎朝の寝起きが悪くなると思ってな」なんて本人は言っていたが、他の先輩方が言うにはとても必死になって上の人に掛け合ってくれたらしい。もう人員は足りていて「雇わない」と最初は言われていたのを何とか覆して……。
普段は俺のことをからかってばかりで口がかなり悪い人だけど、いざというときはとても頼りにしていた。まだ一ヶ月しかたっていないけど坂本先輩は俺にとって兄のような存在だったんだ。そんな坂本先輩が今……………… 死んだ。
首からから何か噴出したかと思うと、〝それ〟はとてもゆっくりと倒れ、他の全てのものがゆっくりと落ちていく。
坂本先輩が……死んだ?
俺の目の前で〝それ〟は、まるで当たり前のように何も言わず、ただ床へ落ちていった。
残ったものは顔に水滴のかかる感触………… 血。
その瞬間、身体の芯から何かがあふれ全身に広がり浸透していった。
今までに体験したことのない感覚……。
ただ漠然と、
〝死〟。それを感じた。
体が小刻みに震える。血に染まった俺。すでに手には銃など持っていなかった。
床一面が血と肉で拡がる中、俺はうずくまった。
うずくまり、頭を抱え。体は震え。情けない悲鳴を上げた。泣いた。泣きじゃくった。何も考えられない。顔は涙と鼻水が血と混ざりぐちゃぐちゃになっている。
…………。
いつの間にか辺りは静まり返っていた。
俺は何かを感じ、ゆっくり上体をあげる。シャツがべったりと張り付いている……。
目の前には…… スミレちゃんが立っていた……。スミレちゃんは無表情に俺を見ていた。
そして永遠のような一瞬の後、スミレちゃんは俺に銃口を向けた。
俺は… ただそれを見ていることしか出来なかった。俺は死ぬんだ……。漠然とそのことだけはわかった。不思議ともう怖くはなかった。……ただ悲しかった。一目ぼれをした女の子。初恋だった女の子。その女の子に出会った日にその女の子に殺されることになること。そうなる自分の人生が…… 悲しかった。
けれど…… その女の子は、スミレちゃんは何もせず銃を下ろした。俺に向けられているその目はどこか俺を見てはいないようだった。そしてスミレちゃんはふっと振り返り俺に背を向け、屋敷の奥へと歩き出した……。
血まみれの床の上でひざを地面につけたまま俺は呆然としていた。何も考えられなかった。
「たす… かった……?」
そう口にして、自分の今を知ることが出来た……。不思議な感覚。俺は…
―――――――
……何かが起こった。それしかわからなかった。
…衝撃があった? 思い切り誰かに背中を殴られた… そんな気がした。
目に映るのは 赤の砂嵐……。
走り抜けた雑木林……。
うちの庭の蟻の巣……。
嫌いだった大根の煮物……。
空気の抜けたボールを蹴った……。
風になびく稲……。
遠くに見える夕暮れの山並み……。 友達の笑顔……。
わからない問題の解答欄……。
景色に心が震え熱い……。
父親の怒った顔と母親の優しい笑み……。
初恋の女の子…………。
赤い床… …… 近づく… ゆっくりと。
……
真横に血…… その先にスミレちゃん。半身で振り返りこっちを見ていた……。
その目は… 色があった……。
……………………………………………なんだか…………
ほっとした……