2、海岸沿い 前編
「少し遅れちゃったね」
「……そうだね」
二人はじめじめとした日の光が届かない裏通りを、元の待ち合わせ場所である駅舎前の広場へと向かい、歩いていた。
その足取りは特に急ぐようでもなく、ただ淡々としている。
そして、いくつかの角を曲がり、その細く入り組んだ路地を向けると、まぶしいほどの日の光とともに広い青空があふれる広場に着いた。
広場は依然、大勢の人で賑わい、活気を見せていた。
「まだ来てないみたいだね……」
「……そうだね」
二人はそういうと、途中に並ぶ出店で買ったアイスをなめながら、広場の大階段を上へと上がっていた。三角コーンの上に丸いアイスが載る定番の形のアイスを、無骨なチェーンのブレスレットをちらつかせながら互いの外側の手で持っている。
二人の間の手は、今もしっかりと握られていた。
「次の人はどんな人なんだろう……」
「……」
階段を上り切ろうというころ、椿は周りにアイスのついた口でぼそっと呟いた。菫は何もいわず、ただアイスをなめている。
大階段を上りきり、二人は下の広場のほうを見た。
「人が、いっぱいいるね……」
「……うん」
「みんな幸せそう……」
しばらく二人が大階段の上から広場を見つめたたずんでいると、階段の下に一台の車が止まった。その車は白の…いかにも高級車だった。
二人はその車を見つめた。
「……」
菫は何か言いかけたが、何も言わなかった。
車の助手席の扉が開き、黒のスーツを着た体格のいい少しこわもての男がすばやく降りる。その男は後ろの暗いスモークガラスのついたドアを開けると、そのまま頭を下げた。開けたドアの奥から降りてくるのは少し若い感じの男。その男の頭は金の短髪で目に細めのサングラスを掛け、オシャレで高そうな白のスーツを着ていた。その手や首にはギラギラしたアクセサリーがついている。
「あの人が……」
椿はおもむろにそういう。
若い男はすこしあたりを見渡して二人を見つけるとそこで視線を止め、口元が少し緩んだ。
椿と菫はお互いを見つめた後、目の前の広い大階段をチョンチョンと下り始める。それを見ていたこわもての男はサングラスの奥で、まぶたを深く閉じた。
「君たちが、椿ちゃんと菫ちゃんかな?」
すでに男の前に立ち、その表情のない目で見つめていた二人は何も言わず頷いた。
「おじさんが、……次のひと?」
「これは失礼。私の名前は〝アーゼリエス・ブラント〟。気軽にアーゼルとでも呼んでもらえるかな。君たちの言うとおり、今度私が君たちの雇い主になる。……それから歳は27だ。おじさんと呼ばれるのは……少し抵抗があるかな」
二人はその間そろってアーゼルの顔を見上げ、じっと見つめている。
アーゼルは横に一歩引きドアの開いている車の後部座席に手を向けた。
「あとの話は車の中で」
二人は興味を失ったように見つめるのをやめると、無言でゆっくりと車に乗り込んだ。そしてアーゼルも乗り込み、ドアの横にいたこわもての男がドアを閉め、その男も助手席に乗り込むと車はその場を後にした。
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街の景色が流れていく……。低いエンジン音だけが静かに漂うなれた空間。
天気のいい昼下がり。黒い色の付いたガラス越しに見える少し暗みがかった外の街は、それでも綺麗でにぎやかだった。
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場の開けた広い表通りを走る車の中、菫は外の景色をぼっと見つめている。中央に座る椿は菫の反対側に座るアーゼルのほうを、今度はジロジロ見ている。
そんな中、アーゼルは口を開いた。
「私たちが来るまで街を歩き回っていたようだが、この街は気に入ってもらえたかな?」
ジロジロと見ていた椿の目はゆっくりとアーゼルを離れ正面を向く。
「…… きれいな街…… みんな、幸せそう……」
椿は少し沈黙した後、そうつぶやいた。
「そうだな、この街は美しい……。建物も人も……」
アーゼルはサングラスをはずし外に顔を向け、目を細める。椿はそんなアーゼルにまた目を戻す。
「しかしこの街は今、汚染されようとしている。この街は近年、多くの人間が入ってきている。当たり前だ、こんなに美しいのだからな……。だが、困ったことにその中にはこの街にふさわしくないやつらがいるんだ。質の悪いマフィアや悪徳政治家、そしてそれに群がる下種な悪党どもがな。……私はそれを見過ごせないんだよ。だから君たちを呼んだんだ。 ……分かるね?」
アーゼルは最後、椿に目を向け優しく言った。
椿はアーゼルから視線をそらすと、少しうつむいた。それはアーゼルの見た二人の初めての表情に感じていた。
――菫は今も窓の外をぼっと見つめている。
その後、しばらくすると車はとある場所で止まった。
「早速だが君たちに頼みたいことがある」
「……お仕事?」
そこは美しい海が一望できる海岸沿いの通り。外は煌々と太陽の光が射し、青く透き通る海はきらめきまぶしい。白を混ぜ、砂浜へ穏やかに押し寄せる波は心地よいがかすかな音をたて、その音はこの一帯を静かに支配していた。
「ああ、そうだ」
アーゼルは椿へ答えた。
「あそこに建物があるのがわかるね?」
アーゼルは前の座席の向こう、フロントガラス越しのすこし遠くのほうに見える〝海に突き出た大きな丘〟を指差した。椿はその指さされた方向を見た。よく見るとその丘には生い茂る木々の中に、いくつかの建物が建っているのが見える。
「……うん」
「その中で一番高いところにある大きな建物があるだろ」
「うん…… そこにいる人を殺せばいいの?」
「ああ、そうだ」
「わかった…… いってくる。行こっ 菫」
「……うん」
それまで窓の外の海をぼっと見つめていた菫は始めてアーゼルの前で声を出した。
菫は自分でドアをあけるとひょっと車から降りた。椿もそれに続き車を降り、扉を閉め、特に急ぐわけでもなく二人はその丘に向かい歩いていった。
手をつないで。
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二人の姿が見えなくなると運転席に座った長髪の男がアーゼルをバックミラーに見ながら口を開いた。
「いやぁー、無愛想なガキでしたねぇ、アーゼルさん」
アーゼルは軽く鼻で笑う。
「いや、それよりも減らず口のお前が一言も口を出さなかったほうが俺は驚いたが」
「黙ってろっていったのはアーゼルさんじゃないっすか。自分まだ死にたくないすから」
その言葉にアーゼルは冗談っぽくにやけると、
「そんなことで殺したりはしないさ。なに、自分の顔が二度と拝めなくなるだけだ……」
「脅かさないでくださいっすよ、アーゼルさんなら本当にやりかねない気がしますよ」
「……脅しに聞こえたか?」
黒い声でそういうとアーゼルは不気味ににやけた。
「……そっ、それにしてもあいつらターゲットも聞かずに行っちまいましたけど大丈夫なんすかね」
「それは問題ない。事前の情報で今、奴が自分の屋敷にいることは確認してある」
「でも、ターゲットが特定できないんじゃ……」
「彼女たちには建物にいる人間を殺せ……といった。それで問題ないだろう」
「それって……」
「彼女たちならやってくれるさ」
「……」
「信じられないって顔だな」
「あっ、いえ、それだけの実力があるってのは聞いてるんすが……」
「なにも言わなくてもわざわざ皆殺しにするのか、と?」
「あっ、はい。そうっす」
「そうだな…、さっきのことをお前たちに話してやろう……」
「さっきですか…?」
「そう、さっき……。彼女らと会う前のことだ。実際に実力を測るためにそこらへんのごろつきに金を払って彼女たちを襲わせてな、その様子を部下に見張らせていたんだ。……待ち合わせの場所に着く前に、お前に車を止めさせて報告してきた奴がいただろう。あいつだ」
「ああ! たしかにいましたね、そんな奴!」
「……結果はもちろん、そんなやつらに彼女たちが負けるわけがない。そいつらは結果全員死んだよ……。そのほとんどは瞬きするまもなく死んでいったらしい。まったく何もできずにな。まあ、これで彼女たちの実力は証明できた。……ただ、最後の一人を撃つとき弾が切れたそうだ。カチッといった感じにな。その恐怖のせいか相手は失神した、その見張りもさすがに見逃すと思ったそうだ」
「でも、結果全員死んだって……」
「そう……、わざわざ銃の弾を込めなおして、失神しているやつの頭を至近距離からバンッ……とね。あの銃の威力で至近距離から撃ったんだ……、首から上はほとんど残らなかっただろうな」
「はぁ…… あいつら顔に似合わずずいぶんと……」
「……それにしても、あれだけの腕だ、銃の残弾が無いことに気づいていなかったのは考えづらいよな」
「そうっすね。そんなんじゃその隙にやられちまいますよね……、じゃあ……?」
「……遊んでいたのだろうな」
「アーゼルさん」
低く渋い声、今度は助手席に乗るこわもての男が口を開いた。
「なんだ〝鳴原〟。連絡事以外でおまえが自分から話しかけてくるのは珍しいな」
「アーゼルさん。さっきアーゼルさんが言っていたことは本当でしょうか? あの、悪党を見過ごせないというのは……」
「それ自分も聞きたいっす。びっくりして危うく運転ミスるとこだったっすよ」
アーゼルは車の後部シートに頭までもたれかかると、
「ああ本当さ……。この街はほんとに美しい。ここで生まれ育った俺でさえそう思う。……そんなこの街にやつらがのさばっているのを見過ごせるか? 許せるのか? ……俺は許せないね。もともとこの街にいたのは俺たちだ。……そう、この街は俺のもの。他のやつらにでかい顔はさせないさ。……だから、あの子たちにはがんばってもらいたい。それにあの子たちを持ってくるのに、かなりの金も使った、しっかり働いてもらわなくちゃな……」
アーゼルはそういうと怪しく笑い出した。
「やっぱアーゼルさんはアーゼルさんっすね」
そういうと運転席の男はサイドブレーキを下ろし、車を動かし始める。
「……」
鳴原はそのまままっすぐ正面を見据え、口は開かなかった。
後編は少し作風が変わります。




