7、悪夢 後編
いつも一緒だった……。
どんなときでも離れることなんてなかった……。
そんなこと考えられもしなかった……。
一緒にいれば怖くなかった……
一緒にいればなんだって出来ると思っていた……。
いつも手をつないでいた……。
手をつなげられなくなることなんてないと思っていた……。
でも、あるときからあまり手をつながなくなった……。
そして、あるときからもう二度とつなげなくなった……
いつも一緒だったのに…… もういない。
離れることなんてなかったのに…… もういない。
そんなことあるはずがないのに………… 隣には誰もいない…………。
どうして……。
どうして死んでしまったの……。
菫…………。
あの日、またいつものように車に乗りお仕事に出かけた。
内容は待ち伏せ。あるお屋敷の門の前で待ち、来た車に乗っている人を全員殺すこと。
いつもと変わらなかった。……むしろ、いつもより楽だった。
けど一人、暗い林の中に入って逃がしそうになった。
私はそいつを走って追った。そいつは足速くなくて、すぐ追いついた。
そして歩いて戻る途中、銃声が聞こえた。あ……、まだ残ってたんだな、と思った。
でも、菫の絆の音が聞こえてこない……。おかしいなと思った。まさかねと思っていた。
だって、そんなことあるはずがないんだから……。
……私は走っていた。
ちょっとの距離なのに、まわりの世界がゆっくりと動いていて、なかなか前に進めなかった。
林を抜けて通りに出た。そこに菫はいなかった。
そこにあったのは車と、その横の死体と、這っている人間……。
私はそいつに近づき頭に絆を押し当てた。
「菫は……」
「こっ殺さないでぇ!!!」
「菫はっっ!!!!」
「さっ、さっきのぉやつなら、崖の下にっ… 」
私はそのまま引き金を引くと、すぐに石垣のほうへいって、上に手を掛け崖の下を覗いた。
下には林が広がっていて、その下は暗くてよく見えない。
私は石垣を飛び越えていた。
これくらいの高さだからとか、すこし斜めになっているから大丈夫だとか、そのときはそんなこと考えていなかった。ただこの下に菫がいる、それだけで頭がいっぱいになっていた。
「菫っ! ――――」
菫は… すぐに見つかった……。
暗い暗い林の中、……そこに倒れていた。
足元一面にひざくらいまでの草が生えている。一歩、そこを歩くごとにそれが足に絡みつく。その生い茂る草の中、そこだけ暗くくぼみが出来たような場所……、そこに菫は倒れていた。
見覚えのある服を着て、その血に染まりつつある服を着て……、菫は倒れていた。
「菫……?」
私はそのくぼみに草を掻き分け近づく。
仰向けに倒れた菫は目を閉じて……動かない……。
「菫っ……?」
声を掛けても、菫は目を開けない……。
「菫ぇ?!」
私はひざをつき菫の両肩をつかんで激しくゆする。
けど……、菫は目を開けない……。
手にべったりと生暖かく絡みつくいやな感覚。
……血……。菫の……血……。
「菫……撃たれた…の……?」
菫から手を離してしりもちをつく、自分の手に絡み付いている血を見た……。
撃たれた? ……どういうこと?
撃たれる……?
……撃つ……は、……殺すこと……。
…………撃たれる?
………………………………死ぬ……こと……?
私は〝それ〟から後ずさる、手を使って、足を使って、おしりを引きずって、後ずさる……。
〝それ〟は菫じゃない……。
〝それ〟が菫なわけがない…………。
「絶対に違うっ!!!」
私はまた走っていた……、だって〝それ〟は菫じゃないのだから……。
後ろを振り向きたくなかった……、だってそこには菫がいないのだから……。
背の高い草を足で勢いよく掻き分けながら、走った。
林から通りに出たとき人に当たったけど、それでも走るのをやめなかった。
そして、走って走って走って走って走って走って…………走るのをやめた……。
……気がつくと目の前には見慣れた車があった。
そこはその日、菫と一緒に出発したところ……。けど、そのときここに戻ってきたのは私一人……。
車から鳴原があわてて出てきた……。
私は鳴原に肩をつかまれ「妹はどうした!」と聴かれていた……。
「スミレが……」
もうわかっていた……。
「スミレが……」
ただ、認めたくなんてなかった……。
「スミレが……」
だけど、もう私のどこかでそのときすでに認めていた……。
「スミレが……」
だから……、言ってしまった……。
「菫が…………死んだ……」
‡
キィッと短い音を立てて車が止まる。
「着きましたよ」
「え……? ……うん」
前の運転席から鳴原の声が聞こえた。
もう、着いたみたい……。お仕事……行かなきゃ……。
「……大丈夫ですか。椿」
「……うん。……大丈夫。…………心配しないで…… ちゃんと殺してくるから」
「…………そうですか……」
私は金具をひいて車のドアを開け外に出る。
海が近いのか、潮の香りが漂う夕方の風が、私を通り過ぎるように吹き抜けて、髪を揺らす。
いつも冷房の効いた車の中から暑い外に出るこのときが一番嫌いだけど、そんな風が私の胸を少しだけほぐしてくれた……。
今日のお仕事もまた人殺し……。
わかっている。人殺しが良くないことだって……。
でも、仕方がなかった……。
私達には…… それしかなかった……。
‡
六歳のとき……あの事件が起きた。
お父さんとお母さんが死んだあの事件。
そのあとすぐ、住んでいた家も、突然入ってきたまったく知らない大人にいきなり外に追い出され、奪われてしまった。
そして私達はそのとき、ほとんどすべてのものを失った。
残ったものは、冷たい風の拭く寒空の下で途方にくれてたたずむ私と、事件以来ほとんど喋ったり笑ったりしなくなった菫と、お父さんからもらって肌身離さず小さなバックに入れて持っていた、二丁の〝絆〟だけだった。
私達は生まれたときからエイクリットという街に住んでいた。
その街は建物のほとんどがレンガで造られていて、とても密集していた。
だから街中、路地がまるで迷路のように入り組んで街全体に張り巡っていた。
そしてそこは冬がとても長くて、いつも雪が降っていた。
そんな雪の降る街で家を失っている私達には、高い建物の壁にはさまれた路地裏にまでビュービュー吹き込んでくる痛いほどに冷たい風から逃れることは出来なくて、ただ路地の片隅で小さくなって、なるべく風に当たらないようにするだけで精一杯だった。
寒くて寒くて私は一晩中泣いていたこともあった。でも、横を見るといつも私の隣には菫がいた。寒い風が吹くと身を寄せ合って一緒に肩を震わす菫がいた。だから私は寒さに耐えることができていた。
それからしばらくはどうしたらいいのか、何をしたらいいのかも分からずに、ただ時間が経つのを待つ日々が続いた。
それでも始めのうちは、「こんな小さいのに……、かわいそうね」と言いながら、知っている人や知らない人も少しのお金や食べ物をくれて、そうは困らなかった。
けれど日が経つごとに、あまりみんな物をくれなくなった。それなのに、なぜか多くくれていた人から順に、この街を出て行ってしまっていた。
……後で聞いたけど、それはエイクリットの街が不況だったかららしい。……そういえば、はじめのうち「こんな不況でなければ、うちが面倒を見てあげるのだけど……」とか言っていた人がいたのを覚えている。
だから、……お腹が空いていた。お腹の空いてない日なんてなくなっていた。
昔、お父さんとお母さんがいた頃は毎日ご飯が出てきた。お腹が空いたと言えば、また何か食べ物が出てきた。だけど、このときは、何度お腹が空いたと言っても何も出てこなかった……。
どうしたら食べ物が出てくるんだろう? そればかり考えていた。
そして、あるとき、いつものように路地裏で菫と寄り添って座っていると、数人の大人が私達の前に立っていた。
家を追い出されてから一年くらいは経っていたかな……。かなりの数の人が引っ越してしまっていて、この路地裏に私達以外の人がいることが珍しくなっていた。
その大人たちは私達に「食べ物がほしくないか?」と聞いてきた。ほしいと私は答えた。そうすると、その大人たちは、付いてくるようにと私達に言った。私達は付いて行った。
……後から考えれば、それはワナだとすぐに分かる。でも、そのときは本当に食べ物をくれるものと思っていた……
それにすがる以外はなかった……。
私達は路地をいくつも曲がりくねり、ある一つの建物の中に入っていった。そのときは食べ物のことで頭がいっぱいで、いつ出てくるのかとそればかり考えていた。
久しぶりの建物の中、廊下を抜けて奥の部屋に入るよう促される。その部屋には私達と同じくらいの年代の子供が数人いた。
だけどどうも様子がおかしく見えた。
そのはず……、その子達は縛られていたのだから。
私はそのとき初めて危険を感じた。逃げなきゃと思った。
菫の手をつかんで、玄関のほうへ行こうと部屋の出入り口のドアに振り向くと、そこは閉められ、その前には大きな大人が立っていた。
私はやっぱり帰るとその大きな大人にいった。でもその大きな大人は何も答えずニヤニヤにやけながら私達に近づいてきた。
……怖かった。全身が震えるほど怖かった。だからまったくその場から動けなかった。
そしてその大きな大人に両手で肩をはさむようにつかまれた。それで…… そのあと…… 私の身体のいろんなところをゆっくりとさするように、手を動かしてきた……。
……イヤな記憶。
全身の身体の中にぐにょぐにょした大量の虫が這いずり回っているような、目まいがして吐いてしまいそうなほどの気持ち悪さに、涙が出てきていた。
……そしてしばらくして、その大きな大人は私の着ていた服に手を掛けた。
すると、ほとんど喋ることのなかった菫が、「やめて……、椿、泣いてる……」と、その大きな大人の服をつかみながらいった。
その大きな大人は菫のほうをむいて私から手を離した。
ほっとした……、けどその手は……、菫へと伸ばされた。
まさかと思った。そんなの絶対イヤだった。
私は「菫はだめっ」と叫びながら、その大きな大人の服をつかみ菫から離そうと必死になった。でも次の瞬間には頭に強い衝撃を受け床に倒れていた。その大きな大人に思い切りぶたれたようだった。
そのとき、ドアが開いて別の大人が「おい、なにやってんだ」といって入ってきた。これで助かるかもしれない。
……そんな期待は次に発した言葉で打ち消されてしまった。
「なんだお前、〝また〟そんなことやってんのか。あまり売り物を傷つけんなよ。……それにしても、よく子供で出来るねぇ……。まあ、いいや。早く来ないとお前の分のメシ、無くなるぞっ」
そして、扉を閉めて行ってしまった。
絶望だった……。全身の血がすべて抜けていくような冷たさ……。もうどうすることも出来ないのかと思った。
そしてそのときだった……、〝自分の肩に下げてあるバックの中身〟を思い出したのは……。
それまで使ったことなんて一度もなかった。でも、使い方は知っていた。
お父さんが生きていた頃、教えてくれていた。
でも絶対に使っちゃいけないと言われていた。そして肌身離さず持っているようにとも言われていた。それ以来、私達にとってはお守りのようなものだった。
……でも、あの時はそれしか思いつかなかった。
だから、その場に立ち上がり…… 私は〝絆〟をその大きな大人に向けた。
バックから取り出した絆を両手でしっかり持っている先で、その大きな大人は私に気づき、そして私のもっている絆に気づき、すこしたじろぎ、後ずさった。
けど、すぐまたニヤついた顔に戻ると私に迫ってきた。
……私の手は激しく震えていた。
私はそのとき何か叫んでいた、覚えてなんていないけど、絆を撃つのが怖かったんだと思う……。
でも、その大きな大人が迫ってくることも怖くてたまらなかった。
だから〝ちょっと〟のつもりで絆の引き金を引いてみた。
……今思うと可笑しい。絆に〝ちょっと〟なんてないのに……。
私は突然の轟音と衝撃で何がなんだかわからなかった。私はまた床に倒れていた。またぶたれたのかと思ってその大きな大人のほうを見た。
〝それ〟はまだ立っていた。けど……、その胸には向こう側が見えるくらいの大きな穴が開いていた。
そして〝それ〟はまるで〝物〟のように倒れた。
……そこにいた全員がただそれを呆然と見ていた。
そうしていると、突然けたたましい音を立てて出入り口のドアが開いた。
さっき来た大人と数人の大人が入ってきて、〝それ〟を見るとみんな表情を固まらせていた。
そしてさっき来た大人が、立ち上がり呆然としていた私の両手の先にある絆を見て、私にまた――迫ってきた。
私はすぐに無我無中で絆をその大人に向けて、
もう一度引き金を引いた。
耳が痛くなりそうなほどの轟音と前からの強い衝撃、今度は倒れなかったけど、肩が外れたかと思うくらい痛かった。
そして次に気づいたときには、その大人には頭が着いていなかった……。
他の数人の大人は頭の着いていない〝それ〟を見るとあわててどこかに行ってしまった。
……そこに残ったのは私と菫と何人かの縛られた子と動かなくなった二つの物と、静まり返った血で赤く染まる部屋。
そして菫が目の前に倒れたそれを見て言った。
「この人…… 死んだの?」
死んだ……。殺した……。その事実が怖くて、私は震える口で、
「こ、これは、ひと……じゃない…よ……。これは………… もの…なの。そうっ、これは〝人〟じゃないの、〝物〟なのっ! とっても悪い〝物〟だったのっ! ……だから壊したのっ! 壊していいのっ! 私は人なんか殺してない!」
そんなことを言っていた。
菫は「これ……とっても悪い…… 物?」といいながら〝それ〟を指でツンツン突いていた。
それからしばらくして、縛られていた子達がンーンー言って騒ぎ出した。
……あの子達、最初は私を怖がっていたみたいだけど、殺した相手が相手だった。
……あの中には女の子もいた。たぶん最後は私を味方だと思ってくれたんだと思う。
私はあの子達の紐を解こうとするけどなかなか硬くて解けなかった。だから、私は何か切るものがないかと菫の手を引いて一緒にその部屋を出て探した。
そして、ある部屋に入るとそこの中央のテーブルに……食べ物があった。
私はお腹が空いていたことを、そのとき初めて思い出した。
私達は食べた。あれはあの大人たちが食べていた食べ物だったと思う。
私達はそれをお腹がいっぱいになるまでそれを食べると、もっと他にないかとその部屋中を探した。そしてある引き出しをあけるとそこには、……お金が入っていた。今思うとそれほどではないけれど、そのころでは見たこともないほどのお金だった。
時々お父さんとお母さんが生きていた頃、もらったお小遣いでお店にお菓子を買いに行っていたことがあったから、お金の使い方は知っていた。
私はそのお金を絆が入れてあるバックの中に入れると、隣においてあったはさみと残りの食べ物を持って最初の部屋に戻った。
縛ってある紐を切ってあげてその余った食べ物を配ると、私にお礼を言ったりしてみんなその部屋から出て行った。
そしてその部屋は私達と、転がっている二つの〝物〟だけになった。
……私はあることを考えて、その〝物〟にゆっくりと近づく。
心臓をどきどきさせながら、それが着ていたズボンのポケットの中に手を入れた。……そして中には何か入っていた。
……お金だった。
私はもう気がついていた……。人を殺せば……食べ物が手に入ることを……。
私はそれから、手に入れた食べ物やお金が無くなると、悪い事をしている人を見つけてはとっても悪い〝物〟と思うようにして、殺し、食べ物やお金をまた手に入れていった。菫も、そのうち私と同じように人を殺し始めた。菫は完全に相手をとっても悪い〝物〟だと思っていてみたい。
……でも、私は自分をだましきれなかった。
人を殺している……。その事実に眠れないこともあった。
けれど隣を見れば菫がいた。私のそばには菫がいた。私には菫がいる。だから、人を殺し続けることが出来た……。
そして今は…… 人を殺しても何も感じない…………。
こんなにっ!
こんなにっ!
こんなにっ!
こんなに撃っても……
何も感じない……。
私の目の前には死体がゴロゴロと増えていく……。
あの時は2人殺してあんなに辛かったのに、今日はその20倍以上の人を殺しているのに、
何も感じない……。
まわりがこんなに血で赤く染まっているのに、
何も感じない……。
だけど、今ここには……、菫がいない……。
私のそばに……、菫がいない……。
隣を見ても……、菫はいない……。
どこにも……いない…………。
今の私はただ人を殺すだけ……。
今の私にそれ以外は…………なにもない……。
‡
お仕事を終えて車に近づくと運転席から鳴原が降りてきて後ろの席のドアを開ける。
私が一人…乗り込み、席に座ると鳴原はドアを閉め運転席に戻り、車を発進させる。
……いつもの光景。
本部の建物に着くともう外は暗い夜になっていた。
私は建物に入るといつものように私の部屋に行く……、
そしていつものように一人で夕食を食べ……、
いつものように一人でシャワーを浴びて……、
いつものようにガウンだけを身にまとって……、
いつものように…………アーゼルの寝室へ向かった。
さびしかった……。
真っ暗な部屋の中で、誰もいない部屋の中で、一人で寝るのが耐えられなかった。
だから、その寂しさを紛らわすためなら……、私は何をされても…… 我慢できた……。
ああ……、私は今、何で生きているんだろう……。
いつものように繰り返される毎日。
いつものように繰り返される行為。
数えてみればまだ三週間しかたっていないのに、まるで永遠と繰り返しているよう……。
私は今、どうして生きているんだろう……。
菫がいなくなっただけなのに……。
菫がいなくなっただけで……、私のすべてが消えてしまった……。
菫が……私のすべてだった……。
……そういえば明日、久しぶりにお仕事がなくて、鳴原がお出かけに誘ってくれていた。
…………。
……楽しみだな……〝夏祭り〟…………。




