幼児並みな格闘師と魔の商人
これまで散々相手にしてきたキマイラだが、手強い魔物である事には変わりが無い。
多分、アゾナ攻防戦の生き残りの一体なのだろうが、スラティナに向かう、ぼく達冒険者の前に出現したそれは、一回り大きなサイズであったようだ。
動きも素早く、壁役の魔導人形をいなすようにして躱すと、後衛である魔導士の方へと狙いを定めたようだった。
サーシャさんの無詠唱魔法が生み出す風の刃が、山羊の頭を切り裂いたものの、その勢いは止まらず、凄まじい威力を秘めた前足がエレナの身体を引っかけた。
「あうっ」
赤毛の少女の身体が宙を舞い、地面に叩き付けられる。
「エレナ!」
普段はぽわわんとしているサーシャさんの顔色が変わる。
重装歩兵のアルスですら、受け損ねれば致命傷を負うキマイラの一撃である。
本質的には魔導士であり、武の方はからっきしに近いエレナが即死しなかったのは奇跡に近かったかもしれない。
そんな彼女に、なおも追撃を加えようとしたキマイラの、ライオン頭に銀色の輝きが次々と突き刺さる。
アゾナ専属の狩人だったリタだ。
引き締まった身体を、軽装とも言える狩猟服に包んだ、銀灰色の髪をした端正な容貌の娘だが、何よりもその鋭い目つきが、鷹のような印象を与えている。
年齢はぼくより少し上で、セーラ皇女と同じくらいか。
彼女がその弓で撃ち出す矢は、彼女の魔力で造られたもので、ゴーレムのような鉱物系の魔物ですら貫く事ができる。
猛獣系に属するキマイラの毛皮を貫く事は造作も無い。
その弓術は正確無比に見えるが、本人曰く、まだまだなんだそうだ。
この世界における弓の名人は、おおざっぱに言うと次の三段階に分類できるらしい。
昼間、つまり、陽光の元なら、いかなる的に対しても狙いを外さない太陽級。
月明かりレベルの光量でも、同等の技量を発揮する月級。
そして最上位が、月の出ていない闇夜であっても、星灯りだけで獲物を仕留める事のできる極星級だ。
少し前まで、いっしょだったケインは、その極星級の射手だった事になる。
比べると、リタは太陽級より少し上程度と言うことらしいのだが、そもそも、太陽級まで至る射手などは滅多にいないとの話なので、これは充分に誇れる話ではないかと思う。
事実、リタの放った矢は、狙い違わずにライオン頭の眼を射貫いていた。
魔物が咆哮したのは苦痛の為か、視界を失った為か。
そして、そのキマイラの前に立ちはだかったのが、アゾナで臨時武官を務め、格闘術系導師でもあったハンナだった。
格闘術、つまりは、自身の肉体のみを武器として戦う術を修めたとは言え、鎧も盾も無しに徒手空拳で魔物に挑むのは、普通に考えれば正気の沙汰とは思えない。
気配だか臭いだかで彼女の所在を察知したキマイラが、再び、鋭い爪を持った前足を振るう。
結果はエレナの二の舞と言ってもよかっただろうか。
エレナは銀龍の革で出来た防具を身につけていたが、ハンナが身に纏っているのは、丈夫ではあるが、文字通りの「布の服」である。
魔物の鋭い爪は、それをあっさりと引き裂いた。
だが、引き裂かれたのは、ハンナの服のみで、彼女の白い肌は傷一つ負っていない。
守護を司り、本来は盾を象徴とするアゾナ。
そのアゾナ神の具現者たる《守護姫》を目指して修行を続けた彼女は、その境地に到達する事はなかったけれども、その肉体は、彼女がアゾナの使徒である事実を証明していた。
少なくとも、中級レベルの魔物では、彼女が纏う守護の闘気を打ち破る事はできなかったようだ。
身体に引っかかっているだけの、単なるボロと化した上衣を、ハンナは振り払うようにうち捨てた。
下着の文化の無い、この世界では、それで上半身が剥き出しになってしまった。
ちょうど良い大きさの、型崩れしそうにない美乳が惜しげも無く晒される。
鋭い呼気と共に、すらりとした形の良い足を振り上げて、遙かに高い位置にあるライオン頭の鼻面へを叩き付けた。
見事なまでのハイキックである。
ちなみに、彼女が下半身に着けているのは、足運びに邪魔にならない長さの腰巻き――要するにミニスカートだ。
先に述べたように、下着が無いものだから、どんな光景になるかはお察しである。
だが、ハンナの表情には羞恥の欠片も無い。。
まぁ、生死のかかっている局面でもあるので、それどころでは無いとも言えるのだが、じつは、彼女は普段からこんな調子なのだ。
アゾナの舞姫の資格に年齢制限がある事は以前に述べた通りだが、それゆえ、アゾナの舞姫たらんと志す女性は、結構早い時期から奥院の門を叩く。
皇女も奥院での修行をした経験があるが、じつのところ、本気で修行を始めるとすれば、年齢的には厳しい頃合いだったようだ。
たいていは、もっと早い時期、思春期になるかならないかの年齢で修行を始めるケースが多いと聞いている。
ハンナは、と言えば、これが極端なまでに早かったようだ。
なんでも、城塞都市アゾナに品物を納める商人一家が、運悪く炎狼の群れに出くわしたそうで、駆けつけたアゾナの魔導人形が救えたのは一人の幼女だけだったそうだ。
その幼女こそがハンナであり、身寄りを無くした彼女をアゾナ神殿が引き取ったそうなのだ。
そんな経緯で、幼い頃より素質を認められ、アゾナの奥院での修行を始め、複数の先代格闘術系導師から全ての技を習得して今に至る。
つまりは、物心のつく頃から裸で暮らす事が当然の環境だった、と言う事になる。
なんというか、アフリカだか、アマゾンだかの奥地に住む裸族に近い感覚なのかもしれない。
もっとも、ぼくの世界では、そうした裸族だって、今時は相応の身だしなみはするわけだが。
ともかくも。
クールビューティーとも言べき容姿のハンナだが、その羞恥心のレベルは幼子と大して変わらないのかもしれない。
いや、彼女に限らず、ジョシュア神殿長もそうだったが、アゾナ奥院で長く修行していた女性は、そちら方面の感覚的に、少しズレているところがあるように思える。
とは言え、ただの布切れ一枚を腰に巻いただけの格好で、魔物を圧倒する彼女は(色々な意味で)素直に凄いと思う。
アゾナ攻防戦の最終局面で、ライルさんは若い娘が戦場に出るのは見たくないと、ソルタニア復活派による妨害を見逃した。
その結果、舞姫達は、ついに戦う機会を得られなかったわけだが、今のハンナを見ていると、結構いいところまでいったのではなかろうかと思える。
聖剣騎士団の介入や、それに伴う融合召喚の悲劇は、アゾナ神の使徒たる彼女達であれば、あるいは防げたかもしれない。
今となっては、どうしようも無いことだけれども。
ともかく、そうしてハンナがキマイラを押さえているうちに、人形師ジーンの操る魔導人形が駆けつけてきた。
格闘術師と魔導人形の双方を相手にするのは不利だと悟ったのか、キマイラが距離を取り、逃げにかかろうと姿勢を変えた。
その隙を逃さず、サーシャさんの魔力が炎球となって襲いかかった。
瞬時に半身を炭化させたキマイラは、完全に動きが止まった状態になった。
そこへ、輝きを放つハンナの拳が叩き込まれる。
その一撃が、キマイラの息の根を止めた。
薬師マリカが半泣きになって、エレナを介抱していた。
銀龍の革で造られた装備は、キマイラの鋭い爪でも通る事は無かったが、魔力布に次ぐ防御力を持つ装備と言えども、あの打撃を吸収する事はできなかったようだ。
「骨が折れて、内臓が傷ついているんです。あたしの薬草じゃ治せない」
やや紫色をしたふわふわ頭の、幼い印象のある薬師の切羽詰まった声に、普段はぽわぽわとしているサーシャさんも深刻な表情を浮かべている。
そこに声をかけたのが、ハンナだった。
「見せてみろ」
自分の身繕いもそこそこに、血反吐を吐いているエレナの上にかがみ込むと、やおら、赤毛の少女が装備している銀龍の革でできた鎧……傍目には、身体にぴっちりと張り付いたボディスーツのようなそれを剥ぎ取った。
「ハンナ!?」
血相を変えるサーシャさんやマリカを片手で制すると、ハンナは不思議な呼吸を始めた。
そして、無残にもどす黒く変色し、やや膨れあがったエレナの下腹部に、静かに接吻する。
その効果は覿面だった。
変色したエレナの肌が、見る見る元の色を取り戻していく。
「ふむ、これなら、なんとかなりそうだな」
ハンナはそう言うと、再びそこに顔を近づけ、今度はゆっくりと舐めだした。
それは、野生動物が、自身の負った傷を癒やす行為を思わせた。
アゾナ神殿は、本来は《守護姫》と言う境地に至る事を目的とした、盾の神たるアゾナの巫女としての修行場所だという事は、以前から繰り返し述べた事と思う。
大半は《守護姫》としての予兆すら示さずに、所定の技能を習得したと認定された時点でアゾナ神殿を出て、世間一般にいう、楽神アゾナの巫女としての『舞姫』として認知されている。
《守護姫》の予兆を示した者は、その後も指導者とかスタッフのような立場で、アゾナ奥院に留まり修行を続ける事も既に触れた通りである。
奥院に留まって修行を続けた娘達は、《守護姫》に至らずとも、いくつかの――アゾナと言う神格の特性から攻撃魔法の類では無く、防御系、支援系等に分類される能力を得る事もあるようだ。
ちなみに、サーシャさんがアゾナでの修行を中断したのも、彼女の『ソルタニア最強の魔女』と賞される攻撃系魔法の資質と、『舞姫』たる者の方向性がアンマッチだったから、と言う事になる。
さて、ナウザーと言う異世界において、支援系として筆頭に上げられるのは治癒魔法だろう。
ただ、《魔の皇女》であるセーラ皇女の知識によれば、ひとくちに治癒魔法と言っても、個々の魔法的な仕組みは異なるらしい。
例えば、ナウザー神殿の神官の治癒魔法は、魔力によって外から治すと言うイメージだが、北方に本殿を持つ水の女神トゥーラの巫女が行うそれは、人間が本来持っている治癒能力を高めるものだ。
ぼくの世界でも、症状とか、原因にもよりけりだけれども、病気とか怪我の治療方法もいくつかの種類がある。
例えば、盲腸……虫垂炎なんかは外科的に手術するだけでは無く、内科的に薬で抑えたりする。
そうした西洋医学以外にも、針、灸などの東洋医学は有効性を認められているし、医者が見放した患者が、湯治や民間療法で治ったなどと言う話も無いわけでは無い。
同様に、盾の神たるアゾナ神の巫女も、治癒魔法に分類される能力を発現するケースがあり、これは胎内で練ったアゾナの神気から、癒しの力を引き出すと言うようなものだと、後で聞かされた。
ナーダさんは、治癒と言うより、作り直す「再生」の形で発現したと言う事だろうけれど、これは別の要因もあっての稀少なケースだ。
一般的に、アゾナの舞姫が行うわざは「癒しの接吻」と呼ばれており、呼気、及び、唾液に治癒の力を発現させるそうだ。
この異世界ナウザーには絵画と言う芸術文化は乏しいが、アゾナの巫女が病に苦しむ赤児の額に口づけをする構図は、何というか聖母のようなイメージで、わりと見かける事が多い。
脳筋娘のハンナも、実はそうした癒しの力を持っていた、と言うわけだ。
前衛職である筈の格闘の専門家が、治癒能力を持つと言うのは、ゲームだったら、キャラメイキングに失敗していると言うところだが、問題はそこではない。
めざましい治癒の効果で意識を取り戻したエレナが、身じろぎしようとする。
「まだだ。暴れないように押さえつけろ」
ハンナの叱咤にも似た声に、サーシャさんを始め、他のメンバーがエレナの手足をしっかりと押さえつけた。
そして、ハンナは念入りに、その治癒の力を振るったのだ。
要するに、ぼくが見ている光景は。
腰に布を巻いただけの美女が、手足を押さえつけられた美少女の露出した下半身――臍から太腿に至るあちらこちらを、面白くもなさそうに舐め回している図と言うことになる。
断っておくが、これは異世界における医療行為であって、それ以外のなにものでもない。
大事なことなので二度言うが、これは異世界においての、緊急避難的、かつ、純然たる医療行為なのだ。
それはさておき。
完全に意識を取り戻し、ハンナの『治癒』を施されている赤毛の少女は、ひっきりなしに悲鳴を上げていた。
「や、やめろ。もう大丈夫、大丈夫だって言ってるのに。やめ、やめて。いやああああああああ」
「静かに(れろれろ)しろ、うるさいぞ(ちゅぶ)」
「ひゃいっ。だ、だって、何で、そ、そんなとこまで……。いやぁ、もう、やめてよぉ」
「ここからの方が(ぺろり)神気を(ぺろぺろ)送り込みやすい。それに(もごもご)今やめれば(ずりっ)死ぬぞ(じゅぶり)」
「ひぐぅっ。お願い、駄目、そこは駄目ぇ。死ぬぅ、死んじゃうぅうう」
死なせないように、あれこれを施されている当人が「死ぬ、死ぬ」と叫んでいれば世話が無い。
治療の為に注射される幼児が、針の痛みに泣き叫ぶようなものだろうね、うん。
サーシャさんも複雑な表情だったが、エレナの主張よりはハンナの判断を尊重したようだ。
その目配せを受けて、サーシャさんと共にエレナの四肢を押さえつけているマリカ、リタ、ジーンはいっそうに力を込めたようだった。
なので、エレナは若鮎のように腰をくねらせるしか無いのだが、そこはハンナが巧みにさばいているようだ。
ぼくは、と言えば、この世界の幼女にも劣る身体能力なので、こうやって眺めているしか無い。
そうして、ハンナの「治癒」は、赤毛の少女が再び失神するまで続いたのだった。
そこまでやる必要があったどうかは疑問だったけれども、念には念を入れると言うのは悪い事じゃないと思う。
ここで、アゾナを出てからの経緯を振り返りたい。
若い女性陣の中に居る、唯一の男。
これだけ聞くと、羨ましいと思えるだろう。
そう思っていた時期がぼくにもありました、はい。
イスラム圏を語源とする「ハーレム」の定義は色々あるようだが、広義の意味では、ぼくの置かれた状況もそれに該当する筈だ。
しかし。
アゾナを出立して以降、女性だけで構成された冒険者集団に混じって旅を続けていたぼくには、ちょっとこれは違う、と思えて来た。
まず、会話が無い。
いや、女三人寄れば……とも言われる通り、ほぼ女性だけで構成される冒険者集団の会話は賑やかなものである。
どこそこで食べたと言う美味しい食べ物の話。
あの街で見たという美しい布や装飾品の話。
その他、色々と話題はつきないようだ。
ただし、ぼくは、その話の輪に入る事ができない。
それはそうだろう。
何しろ、ぼくは、この異世界の事は、ソルタニアとアゾナしか知らないのだ。
それに、食べ物や衣類、装飾品の話はともかくとして、だ。
あの国で見たイイ男とか、どこそこに居た美少年とか。
つまり、男の品定めで盛り上がる女性達の集団に、いやしくも男の端くれである、このぼくが入っていけるだろうか?
サーシャさんも一応は気にかけてくれているようではあるのだが、現在のパーティーのリーダー的存在となっている為、露骨にぼくにかまうと言うわけにはいかないようだ。
エレナは年齢の近い薬師のマリカと意気投合して、腐女子談義に花を咲かせていた。
もう一人、そうした会話に加わっていないメンバーとして、ハンナがいたが、前衛を務める彼女はやや先行したポジションだし、常日頃から仏頂面と言うか、ほとんど表情らしい表情を浮かべる事もない格闘術系導師は他の娘も苦手らしく、若干孤立しているようだ。
もっとも、本人はそうした状況を苦にもしていないようで、淡々としたものである。
そんなわけで、キマイラの襲撃があるまで、荷物を載せた馬の轡を取りながら、賑やかで華やかな女性陣の後を、ぼくは一人、とぼとぼと歩いていたと言う次第なのである。
思えば、最初の冒険者集団の時は、こんな事はなかった。
ナーダさん……あの時は、色々と太い愛嬌のある薬師のおばさんだったけど、何かと話しかけてくれた。
わりと年齢の近いリックや、まだ「目覚めていない」頃のアルスとは、女性だけで構成される魔導騎士団の話をして、羨ましがられていたっけ。
ラルフさんは話題も豊富でおよそ飽きることもなかった。
思い起こせば、あの時は、旅も楽しかったかもしれない。
そんな事を考えていると、サーシャさんが、こちらに眼で合図してきた。
魔物を斃したばかりでもあり、エレナの回復を待つ必要もある為、今日はここで野宿するようだ。
ようやく荷物持ちなぼくの出番だ。
全員分の水筒と糧食を、ぼくが引いている馬の荷から降ろし、彼女達の元に持って行く。
時間的には早めの夕食と言うところだろうか。
見晴らしの良い平野の中、エレナを囲むような位置取りで、思い思いの場所に座る女性達にそれらを配った後、そこから、かなり離れた場所に座り、彼女たちに背を向けて、ぼくは自分の分の包みを開いた。
ソルタニアからアゾナまでの旅程は、それほどでもなかったが、アゾナから西以降に向かうこの旅では結構な頻度で魔物や野獣に出くわす機会が多くなった。
従って、このメンバーになってからの旅では、なるべく、魔物や野獣たちの襲撃を察知しやすい場所、つまり、見晴らしの良い場所を休憩や野宿の場所とするようになった。
この辺りは、もっともな話だと言う事はご理解いただけるだろう。
さて、見晴らしが良い場所と言うのは、当然のことながら周囲から見られやすい場所でもある。
そして、人間、食べたり飲んだりしたら、当然、出るものが出る。
つまり、この時間は、いわゆるお花を摘みにいく時間だったりもするので、唯一の男性でもあるぼくは、それを見ないようにする事は無論、音の聞こえない距離まで離れる事になる。
必然的に、ボッチ飯にならざるを得ないわけだ。
まぁ、女性陣も同性相手とはいえ、露骨にそんな姿を晒すわけにもいかないので、各種魔道具を交代で使って何とかしているようだ。
その点、ぼくは気が楽だ。
女性たちの使う各種魔道具は、少なくとも、小用の場合は必要ない。
立ったまま……と言うのは、男として生まれた最大の利点だろう。
食べるものを食べ、飲むものを飲んだぼくは、おもむろに立ち上がった。
そして、ズボンの前を開けて、膀胱に溜まったものを放出する作業を行う。
何とも言えな開放感に、思わず目を閉じてしまった。
「かっかっかっ。よくぞ、男に生まれけり」
後姿は女性陣からは丸見えだが、恥ずかしいと言うよりも、一種の優越感と共に、それをしまいこもうとするぼくの手を、横から掴む白い手があった。
「え?」
びっくりして、そちらを見ると、まだ身繕いを整えていないハンナが興味津々で覘きこんでいた。
「うわ! な、な、ナニを……」
「前から不思議だったのだが。何だ、これは?」
あろう事か、彼女は更に手を伸ばして、それをガシと掴んできた。
格闘系だけあってもの凄い力だった。
「う……ぎ……」
本当に苦しい時は、悲鳴すら出ないものだと、この時、初めて知った。
女性には到底理解出来ない、凄まじい激痛が股間に炸裂したのだ。
それがわかったのか、ハンナは慌てたように手を離した。
直接的原因は取り除かれたが、だからと言って、苦痛が無くなると言うものでもない。
とにかく、男に取っての急所でもあるのだ。
加減を知らない脳筋娘ハンナの馬鹿力で、あるいは、潰れてしまったのかもしれない。
ぼくは、気絶する事もできず、股間を押さえてのたうち回った。
「す、すまなかった」
慌てたようにハンナが言い、不思議な呼吸法を始めたようだったが、それどころでは無い。
(死ぬ、死んでしまう……)
セーラ皇女の慌てたような意識が、ぼくが幽体離脱しそうになるのを必死で抑えているのを感じた。
永劫に続くかと思われた激痛だったが、押さえていた手を強い力で引きはがされ、何か暖かく湿ったものが押し当てられるのを感じた瞬間、それは嘘のようにかき消えていた。
自分の身に何が起こったのかも分からず、凄まじい激痛から解放されたぼくは、安堵の念と共に意識を手放したのだった。
ぼくが、意識を失ったのは極めて短い時間であったようで、セーラ皇女に頬をはたかれた気がして直ぐに覚醒した。
それと同時に、自分の大事な部位にとんでもない事をされていると言う感覚があった。
ハンナの焦ったような声が聞こえてくる。
「な、何故だ。治っている筈なのに、今度は腫れてきた」
治って完全な状態になっているところに、過剰にアゾナ流の治癒を施されれば、健康な男子高校生なら当然の身体的反応をしてしまうのは、これは不可抗力と言えないだろうか。
だが、ハンナはいっそうに治癒の力を強めるべく努力を続けていた。
つまり、必死になって接吻を繰り返し、さらには舐め回していた、と言う事になる。
ハンナは脳筋娘には違い無いが、一方で容姿は整っており、充分に美人の範疇に入る。
腰布一枚と言う格好の、そんな美人に、とても描写できない事をされてぼくは声も出なかったし、セーラ皇女の意識も絶句しているようだった。
「あんたたち、何をやってるの!」
初めて聞く、サーシャさんの怒声で中断しなければ、ぼくはどうなっていたか……。
なお、念の為に断っておくが、もう少しだったのに、とか、そんな事はこれっぽっちも思ってないんだからねっ。
セーラ皇女の意識が必死になって「医療行為。そうよ、これもこの世界における医療行為に該当するわ。無問題なのよ」と自分に言い聞かせているような……いや、多分、気のせいだろう。
ようやく身繕いしたハンナと、そして被害者でもあるぼくは、サーシャさんの前に正座させられていた。
二人の前に憤然と立つサーシャさんは、しかし、その一方で、どうしたものか困っているような風情でもあった。
やがて、その色っぽい唇が説教を始めるべく開かれた。
「え~と、ハンナ。そのぅ、事情を説明してもらえる?」
「ずるい」
「え?」
チームリーダの説教を兼ねた詰問に対する、その格闘術系導師の回答は、サーシャさんの意表をついたようだ。
横目で見ると、日頃はほとんど表情らしい表情の無いハンナが、まるで幼児のようにふくれっ面をしていた。
「私にはついてない。あんな便利なものがあれば、いちいちしゃがまなくても済むのに」
「え、えーと。ハンナ?」
「私だって、アレが欲しい」
何だか、言っている事も幼児といっしょだ。
「あ、あの、ハンナ、あなたは女で、この子は男だし……」
「男? 乳房が無くて、奥院に入る資格の無い連中には、みんなアレがついているのか?」
格闘術系導師は不思議そうな表情を浮かべてる。
ズレているとは思ったが、幼児期から女だけの奥院で暮らしていたハンナには、男と女の違いと言うものがよくわかっていないようだった。
まぁ、清らかな乙女の修行場と言う建前の奥院で、そっち方面の教育がなされる筈も無い。
サーシャさんは、何事かに耐えるようにこめかみを揉んでいるだけである。
「ん~、実地で教えるのが早いかしら」
などとぼやくように言っているが、実地に教えるって具体的にナニをどこまで教えるつもりなのだろう。
ま、まぁ、赤ちゃんの作り方あたりで、ぼくに出来る事があれば、一肌脱ぐこともやぶさかでは無い……などと考えていたら、右手が勝手に動いて、ぼくの頬にパンチを飛ばしてくる。
哨戒に当たっていたリタが、声をかけてきたのは、そんな時だった。
「誰か来るぞ。人数は一人。行商人のようだが……どうする?」
その声には警戒と困惑が入り交じっているようだった。
行商人と言うからには、武装しているようには見えなかったのだろう。
だが、魔物も出没するようになり、いっそうに物騒になった場所を一人で旅するとはただ者では無い筈だ。
「エレナは、まだ動かせないわねぇ。念の為、彼女を中心に乙形でフォーメーションを組んでちょうだい」
「心得た」
サーシャさんの指示に応諾の声を上げたのは、人形師ジーンだ。
ローブを纏い、サーシャさんやエレナよりも魔導士らしい格好で、琥珀色の前髪が眼を隠している為、顔立ちが不明なのだが、多分、年齢的にはリタと同じくらいだろう。
彼女が呪文を唱えると地面が隆起して人型の形を取る。
そして、分解してあった装甲が飛んでいき、がしゃがしゃと、その人型を覆った。
さほど時間もかからずに、女戦士姿の魔導人形が二体出来上がる。
アゾナで開発された新型魔導人形の、これは改良版だ。
コアとなる部分は適当な土塊で形成するので、魔力を封じた軽量な装甲だけを持ち運べば良いと言う、携帯型な魔導人形だ。
ハンナも正座した状態から、一挙動ですっくと立ち上がり、二体の魔導人形のやや後方に位置を取る。
ぼくは足がしびれて、なかなか立ち上がれなかったけれども。
リタが弓を携えて、射線から前衛が外れる位置まで、左翼方面に移動する。
サーシャさんは横たわるエレナと、その傍らにいる薬師マリカを庇うように立ち、いつでも印を組めるように楽な姿勢を取っていた。
ぼくは、荷を背負った馬と共に、さらに後方に下がって邪魔にならないようにしているのが常である。
魔導人形の数と、ハンナが前に出るか、若干後ろに下がるかの違いはあるが、これがこの冒険者集団がよく使う陣形だった。
バックアタックを受ければ面倒な事になるが、道行きに当たっては、リタが広範囲で索敵を行い、クリアとした場所を進んでいる為、今までのところは、そんなことは無かった。
やがて、ぼく達の進行方向から、一人の男が歩いてくるのが見えて来た。
大きな行李を背負った旅人姿の、でっぷりと太った男だった。
確かに、剣の一つも佩いておらず、非武装な行商人と言った風情である。
アゾナの冒険者達が、油断無く陣形を取っているのが、少し大げさに思える。
「止まれ」
ジーンが魔導人形を経由して、誰何の声を放つ。
その声に応じて、男は魔導人形の持つ大剣が届く、一歩手前で足を止めた。
女戦士型の魔道人形を見ても、陣形を取る冒険者達を見ても、全く動じる気配も無い。
確実にただの行商人では無い筈だ。
「何ものだ」
「ほっほっほ。見ての通り、行商人ですよ」
ジーンの問いに、男は妙に甲高い声で応じた。
「この辺りは魔物が出没する筈だ。そこをたった一人で、剣も持たずに徒歩の旅とは、ただの行商人ではあるまい」
「ま、それはその通りですな」
男はあっさりと認めた。
「こちらも伺いたいですな。あなたがた、噂の《冒険者》でしょう? ですが、ソルタニア軍独立遊撃小隊に女性だけの編成は無かった筈ですが」
ソルタニアの、極秘公文書に記載されている正式名称を平然と口にする。
非武装な行商人と言う格好をしているが、それは、欺いたり油断を誘うと言った目的での扮装では無いようだ。
「ソルタニアは関係無い。我々はアゾナの冒険者だ」
「アゾナ? ほっほっほ、情報は得ておりましたが、ソルタニア以外の冒険者に会うの初めてです。いいでしょう、私も名乗りましょう」
男は背負っていた行李を「よっこらしょ」と、降ろして、大きな息をついた。
「いやいや、商売道具とは言え、こんなものを背負って歩くのは難儀な話です。ええと、そうそう。名乗りを上げるところでしたな」
まるで、行き会った旅人同士が挨拶をするような調子である。
緊張感のかけらも無い男だった。
「私、イズミット軍独立遊撃中隊の隊長をやっております。グラムと申します。今後ともよろしくです、はい」
「イズミット!?」
冒険者の女性達に緊張が走る。
「ええ。ソルタニアのひそみに倣って編成されましてね。これでも、元は鋼竜兵団の一員だったんですが、軍の戦略方針の見直しとかで、一部が再編成されたもので。いやはや、えらくはた迷惑な話で」
ぼやくような口調は、なんとなく、リストラされたサラリーマンを思わせる。
しかし、名乗りの中に遊撃中隊云々とあったが、どう見ても、この場にいるのは、この男ただ一人だ。
「ま、ソルタニアが《冒険者》を通称にしましたんで、こちらも、別に通称をつけました。これが《妖商人》とか《魔の商人》とか、ソルタニアに比べてセンスの欠片も無い話で。しょうが無いんで、あたしらは《妖兵》と呼んでおりますよ」
不意に。
のんびりと話す男の雰囲気が変わった。
「ちなみに、取り扱う商品は――『死』でございます。対価は皆様のお命と言うわけで」
男の脂肪の塊と見えた太い腕や突き出た腹が、波打ち始めた。
目を見張る冒険者達の前で、『それ』は蜘蛛のような毛むくじゃらの足をいくつも生やし、両眼以外に、六つの眼を見開いた。
と同時に、脇においてあった行李の蓋が開き、魔法陣が展開する。
そして、その中から、ぞろぞろと何かが出てきた。
小鬼のようにも見えるが、通常の成人並みの大きさだ。
その数は、確かに中隊規模と言ってもよかっただろうか。
「召喚したゴブリンを、うちの魔導技術で改良した試作品です。単体の強さはゴブリンよりマシと言う程度ですが、扱いやすいのが取り柄でしてね」
蜘蛛の魔物と人間の中間と言った姿に変身した男が、ほっほっほと笑いながら説明した。
それが。
アゾナの冒険者達と、イズミット軍独立遊撃中隊との、初めての遭遇だった。