守護の人形遣い
城塞都市アゾナは、舞いや音楽を司る処女神アゾナの神殿都市でもある。
アゾナと言う女神は女性――それも、若い乙女の守護神と言う一面もあり、ソルタニアの魔道騎士団の本部である『銀の館』も、アゾナの守護を受けている事は以前にも触れた事と思う。
アゾナの守護を受けた場所は男子禁制となるが、城塞都市アゾナの奥院は、女性しか入ることのできない結界が施されているそうである。
「昔は、結界が城塞都市全域を覆っていたんだそうだがねぇ」
と、薬師のおばさんが説明してくれた。
薬師というのは、薬草の効能や、調合方法は無論の事、伝説伝承から、どんな薬草が、どの辺りに生育しているかを推定し、探索する事もあるそうなので、結構幅広い知識と行動力を持っている人々らしい。聞く限りでは、まさに《冒険者》の嚆矢とも言うべき存在みたいだ。
おばさんの説明は続く。
「古の魔道王子――闇の魔王子フィールが結界の魔石の九割を壊してしまってねぇ」
フィールと言う人物は、おおよそ二百年前に実在した大陸東部の国の王族で、魔道士として有名だったけれども、性格にも問題があった事でも名を残しているそうである。
軍神にして雷神たるゾーガという剣の神に仕える《戦闘神官》の一人が封じるまで、色々な災いをもたらした問題児だったとか。
闇の魔王子フィールに関する知識は《魔の皇女》も持ってはいたが、城塞都市アゾナとの関わりは知らなかったようだ。
「おっと、この話はここだけにしとくれよ。アゾナの神殿長に口止めされていたんだった」
ここだけの話、と言う形容がついて、情報が拡散するのは、ぼくの世界でも、異世界でも、同じらしい。
ぼくたちは、城塞都市アゾナへ、後一日でたどり着く場所に――いる筈だった。
地図の通りであれば、宿場町に到着しているのだが、そんなものは影も形も無い。
ソルタニアからアゾナへは、そこそこの行商が通っており、地図自体に問題は無いように思われた。
つまり、ぼくたちの方が道に迷ったと言うことになりそうだ。
……と、言う事情で、やや開けた場所に野営地を設定し、そこを中心に元重装歩兵の青年二人と、元山賊の男が斥候に出て、周囲の地形や様子を探っているところだ。
「浮遊術の類が使えればなぁ」
と、エレナがぼやく。
浮遊術で一定の高度まで上昇し、俯瞰できれば、周囲の地形や、現在位置がわかる筈ではある。
しかし、風精霊属性の、文字通り空中浮遊を可能とするこの魔法は、これも制御が難しく、そもそも、魔道騎士団は攻性魔法が主なので、風精霊魔法を得意とするエレナでも、精々、身の動きを軽くする程度の、言わば、身体強化に近い使い方に止まる。
サーシャさんも攻性魔法に特化しているタイプなので、空中浮遊は難しいらしい。
実際には、風精霊属性の魔法で、誰かを空中へ放り投げる事は可能だが、放り投げられた相手は、俯瞰した内容を報告する前に、確実に地面に激突する事になるので、あまり、意味がないと言えるだろう。
まぁ、それはともかく、起伏の激しい地形ではあるものの、見晴らしの良い高台が有るわけでもなく、とりあえず、先の三人が帰ってくるのを待つことになった。
場合によっては、今までの道のりを戻る事もあり得る。
当初の目的である魔物の調査には、明確な期限と言うものが有るわけでもない。しかし、このパーティーがソルタニアの皇都を出発するに当たって、アゾナ神殿には魔道具による手紙の転送で連絡済みと言うことなので、あまりに到着までの期間が開くのは、関係各位に無用の心配をかける事になるらしい。
冒険者──独立遊撃小隊を送り出したソルタニア聖皇国は、創世神ナウザー神殿としての権威を以て、各神殿との連絡を取り合っており、冒険者は最寄りの神殿に出頭するか、連絡することで、消息を知らせるような仕組みになっているらしい。
なので、ぼくらがある一定期間のうちにアゾナ神殿にたどり着くか、少なくとも、連絡をとるかしないと、何事かが発生したものと見なされてしまう可能性がある。
もっとも、いざとなれば、セーラ皇女から、サライさんへ無事を知らせることは容易いが、サライさんから、ソルタニア軍首脳部への説明は非常に難しいものがあるだろう。
……などと考えていたら、ダークが何かに気づいたような感覚があった。
「あら~ん、何か来るわ」
続いて、サーシャさんの緊張感の欠片もない警告が発せられる。
ぼくには、何も感じられなかったが、やがて、地響きのようなものが伝わってきた。しかも、ほぼ全方向からだ。
「う~ん、いつのまにか、囲まれてしまったようだなぁ」
元傭兵のおじさんが呑気に言う。
このおじさん、傭兵をやっていたと言うわりには、荒くれ者と言う感じが全然しない、どちらかと言うと学者やってましたと言われた方がしっくりくる人である。
但し、知的と言うより、線が細い、と言う意味での話で、黒縁メガネ等が似合いそうなおじさんだ。
この二人に感化されたのか、あるいは、殺気のようなものがなかったせいか、エレナや薬師のおばさんも、とくに慌てることもなく、「それら」が周囲に現れるまでを落ち着いて待っていた。
地響きと共に現れたのは、ぼくの感覚で言えば三メートルほどの大きさの石でできた人形のようなものだった。
女戦士の姿を模した動く石像と言えば、だいたいの様子がわかるだろうか。
「アゾナの魔道人形!?」
薬師のおばさんが驚いたように言った。
「なんとまぁ、アゾナの守護戦力だよ。なんでこんなところに」
「その声はナーダか?」
女戦士の石像をかき分けるように、一際小さな、侍女のような石像が現れる。
後で聞いたところによると、連絡用に特化した一体であるらしかった。
「おや、その声はユアかい。ご無沙汰だねぇ」
「ユア? 守護の人形遣いと謳われたあのユアか」
元傭兵のおじさんが驚いている。
エレナは訳が分からず、ぽかんとしているようだったが、サーシャさんも驚いているようだった。
「守護の人形遣い……!」
セーラ皇女の知識によれば、イズミットの侵攻が始まる数年前にあった召喚魔法の暴走により邪龍がナウザーに顕在化し、暴虐を振るった時に、一千の魔道人形を操り、撃退したという伝説の魔道士とのことだった。
この時の召喚魔法とイズミットとの因果は、色々と噂があるものの、はっきりとしたことはわからないが、魔道人形の大軍が一糸乱れぬ規律正しい行動で巨大な邪龍と戦う様子は多くの人々の目撃するところで、《守護の人形遣い》の名をこの異世界に知らしめた事件であったらしい。
魔道人形は、魔道具の一種で、人を模した道具という呪術的な要素を付加する事で半自律的な機能を備える……要するに遠隔操作のロボットのようなものと解釈するのが一番理解が早そうだ。
これも制御の難しいシロモノで、通常は、一体の人形を操るのが精一杯の筈と言うことで、一千の人形を見事に制御した点でも《守護の人形遣い》がどれほどすば抜けた才能であるかがわかる。
その伝説の魔道人形の使い手は、薬師のおばさんの知己でもあるようだった。
「ナーダ、お前、こんなところで何をしている。ソルタニア聖皇国に帰った筈だが」
「イズミットの召喚魔道士が召喚した《還らない魔物》は知っているだろう?」
「ああ、冒険者と言う連中が退治に乗り出したと聞いている。お前もそうなのか」
「まぁね」
「あ~」
その侍女の姿をした魔道人形は決まり悪げに頭に手を当てた。
「ひょっとして、そこいらをうろついていた男達はお前の仲間だったか。抵抗したので、少し痛い目にあわせてしまったが」
「若いのが二人に、やさぐれたのが一人かい? なら、その通りだよ。なに、生きて五体無事なら、問題無いさね。あたしの方でなんとかするよ」
薬師のおばさんは、容赦の無い人のようだった。
「ところで、ユア。その魔道人形は、アゾナ神殿のだろう?」
「ああ、今、アゾナの守護を頼まれている。そのイズミットが召喚した魔物が原因さ。冒険者ならば、ちょうど良い。色々と話もある。アゾナまで案内しよう」
どうやら、当初の目的は果たせそうだった。
「但し、これも色々と訳ありでな。転送魔法で転移してもらうことになる」
「はは~ん。ここに有るはずの宿場が無いのも、あんたの仕業だね、ユア」
「ナーダ、その辺りも含めて、アゾナで語ろう」
そう言って、侍女の石像は薬師のおばさんを見つめたようだった。
おばさんを中心に魔法陣が広がり、おばさんの躰は、その中に消えていった。
「へぇ、魔道人形経由で転送魔法が使えるのか。さすがだなぁ」
感嘆の声を上げるエレナが、その次に転送される。
「ユア殿、先の男三人は?」
と、訪ねた傭兵のおじさんに、
「既に転移させておる」
と、侍女の石像は応えて、おじさんを転移させる。
乗ってきた馬二頭も転移され、サーシャさんの番になった時、魔法陣の中で、サーシャさんは、何かに気がついたように、目を見開いた。
「アキラちゃ――」
ぼくに何かを言い掛けて、サーシャさんは転移されていった。
最後にぼくの番になった――筈だが、今度は、魔道人形が次々に転移を始めた。
「ん?」
侍女の姿をした魔道人形が最後に消えて、ぼく一人が取り残されてしまっていた。
「あれれ?」
なんだか、完全にスルーされた感じだ。
スルーされる……と、言うか、ぼくがスルーしてしまうものがナウザーには存在する。ナウザーの住民なら、生来帯びている魔力に反応する魔法衣だ。
そう言えば、あの侍女の石像はぼくの方を一度も見なかった気がする。
ひょっとして、ユアと言う人形遣いは、石像を通して見ていたのではなくて、魔力を感じて識別していたのでは無いだろうか。
「それじゃあ、ぼくがいることが分かるわけが無いよなぁ」
あはは、と、呑気に笑うと、右手が勝手に動いて、後頭部を叩いた。
(笑っている場合じゃないでしょ!)
と言うセーラ皇女のツッコミが聞こえたような気がした。
笑うしかない状況ではあるが、深刻な局面でもある。
ぼくは、この異世界の見知らぬ土地に、一人取り残されたのだ。