追われる亜人と新しい冒険
イズミットへの探索の旅に必要な準備について、あらかた目処がついた夜。
使用人の宿舎で、ぼくに割り当てられた部屋のドアが荒々しく開かれた。
驚いたぼくが振り返ると、近衛騎士をつれたエメルダ元帥が、こちらを睨んでいる。
「えっと、どうしたんですか?」
と、ぼくが尋ねると、
「黙れ、イズミットの亜人めが」
憎々しげにそう言って控えている騎士に合図をする。
騎士の一人が、乱暴にぼくの腕を捻り上げ、後ろ手に縄をかけてくる。
「い、痛い、止めてください。どうしたんですか、ぼくが、いったい何を……」
「黙れ!」
藍色の髪の少女は、ぼくから目をそらし吐き捨てるように言った。
別の騎士が、部屋の備品をひっくり返し、そして、何かをみつけたようだった。
「ありました!」
そう言って、エメルダ元帥の前に、セーラ皇女がつくりかけた魔石と召喚魔道士が持っていたナイフを差し出した。
「姉上の魔石に違いない。こちらのナイフの紋章はイズミットのものか。……密告は本当だったようだな」
その美しい顔に、泣きそうな表情が一瞬見えたような気がしたのは錯覚だったか。
エメルダ元帥は、汚らわしいものを見る視線で、引き据えられたぼくを見下ろしてくる。
「所詮は異界の魔物の片割れ。今度こそ、ばらして、魔法衣無効化の秘密をえぐりだしてやる。牢屋にぶち込め!」
屈強な騎士に引きずられていくぼくを見る、使用人や侍女達の顔に浮かぶ困惑や嫌悪の表情。
食事を持って来てくれていた顔馴染みの侍女が、固い表情で何かを投げつけてきた。
それは、ぼくの額に当たり、余りの痛みに、何かが流れ出してくるのを感じながら、ぼくは気を失った。
気がつくと、薄暗い牢獄の中だった。独房のような感じで、他に囚人はいないようだった。
(知らない天……いや、それは、もういいか)
親しげにしてくれていた人々から一斉に向けられる嫌悪や侮蔑が、これほど堪えるものだとは思わなかった。
ダークに引きずられて、感情の動きが若干鈍い自覚があったが、そうでもなかったようだ。
いや、ダークに引きずられていなかったら、もっとひどい状態だったかもしれない。
行方不明の筈のセーラ皇女の魔力の波動が明らかな魔石、そして、召喚魔道士の痕跡から回収したイズミットの紋章が入ったナイフ。
誰も知らない筈の、それらの品をぼくが持っている事を、エメルダ元帥がどうして知ったのか。
ぼくは、そこで、考えるのを止めた。
それから幾日かが過ぎたようだ。
牢から外は見えないので、体感と、運ばれる食事の数でカウントしているが、気を失っていた時間が不明なので、よくわからない。
食事を運んでくる見張りに尋ねても、何も応えてくれない。
どうやら、イズミットの密偵と言う疑いをかけられているようだ。
皇王の謁見室で、暗殺者を見つけた時の経緯の不自然さを指摘する声もあり、元々、イズミットに召喚された亜人と言う立場が再認識されたようだった。
一方で、魔道爆弾の発案などで、魔物退治に少なからぬ役割を果たした事も考慮され、処分が決まらないようである。
差し入れを持って、牢獄まで訪れて、そんな話をしてくれたのは、魔道騎士団の赤い髪の少女、エレナだった。
牢屋の前に座り込んで、立ち上がる気力も無いぼくと視線を合わせて話しかけてくる。
そんな格好だと見えてしまう筈だけど、そんな気力もわかない。
暗がりで見えないと言う事もある。
「あたいは単純に見た目の事しか信じねえ。お前が密偵だのなんだのの薄暗い事をやるようなやつにはみえねぇよ」
「それ、誉めてるの?」
「ばぁ~か、誉めてるもんか」
赤く固まったものがこびりついている、ぼくの額を見る彼女の顔は複雑そうだった。
「サライの姐さんは、あんたの顔を見るのも嫌だとさ。だからここには来ねぇ。サーシャは……あいつは、何を考えているかわかんねぇからなぁ」
「そうだね」
「けっ、荷物持ち兼清掃係の癖に、言葉遣いがなっちゃあいねえぞ」
「ごめん」
妙に素直な気分になって、気安い口調になったようだ。
エメルダ元皇女や、みんなの視線が忘れられず、自暴自棄な気持ちになっている自覚がある。
しかし、エレナは口で言うほど気分を害したようでもなかった。
「まぁ、そっちの方がお前らしい気がするな」
そう言うと、エレナはようやく立ち上がった。
「また明日もくるぜ。気をおとすなよ」
と、ひらひらと手を振って、去っていく。
どんな動作も元気闊達な少女の筈だったが、心なしか闊達さに陰りがあるようだった。
もう、そろそろ、いいかもしれない。
ぼくは、エレナが完全に立ち去った事を確認し、おもむろに立ち上がった。
頭をひとつ振って、自暴自棄な気分を払拭し、額にこびりついている、着色した糊を剥がす。
寝巻きだったので、着替える必要が無い事は確認済みだ。
「交代」
最近「位置」を譲る時に無意識に呟くようになった言葉を口して、次の瞬間、胸と尻が少し窮屈になったのを自覚する。
セーラ皇女の身体に入れ替わったぼくは、つい、揉む方向に走る意識を軌道修正し、魔力を込めて、牢屋の鍵を開けた。
鍵の構造はセーラ皇女が熟知しており、特に苦労は無い。
次に隠蔽と消音の魔法を展開する。
後は、出口の見張りに眠りの魔法をかけて、あっさりと牢獄の外に出る。
時間感覚がなかったが、エレナが勤務後に牢を訪れたと言う予想は当たったようで空は星がまたたく時刻だった。
皇都の城門近くで借りていた宿屋に寄るまで、隠蔽の魔法を維持するのは苦労した。
なるべく人通りの少ない経路を辿ったつもりだが、皇都は人口が多いので、人にぶつからないように歩くのは難しかった。
宿屋の部屋で隠蔽の魔法を解除した。
大妙寺晶に戻ると、外出用の服装に着替える。
その上にローブを着てフードで髪と顔を隠す。
怪しげな格好だが、宿屋が宿屋なので問題は無い。
あちらこちらの部屋から聞こえてくる悩ましい声とかギシギシする音で、この宿がどのような目的で使われているかがわかる。
どうも、その専門職のお姉様がたが、長期に渡って、店舗がわりに利用する宿屋らしい。
高校生には刺激が有り過ぎるので、利用を躊躇したが、他に魔戦器を含む荷物を置いておく妥当な所がなかったのでしようがない。コインロッカーはナウザーには存在しないのだから。
決して、覗いたり、盗み聞きするのが目的ではなかった事は、改めて強く主張したい。
ただ、宿を借りる時、そういう職業を装って、セーラ皇女の姿で入るのは面倒だった。
髪と顔は隠していたので、皇女とは気づかれていない筈だが、セーラ皇女の意識からは、躊躇と強い拒否反応があったので、身体の制御を持っていかれるところだった。
「良いではないか、良いではないか」
と、なだめすかして、なんとか、部屋を借りる事には成功したが、その時の、セーラ皇女の意識の中に、少しの好奇心が感じられた事は、まぁ、内緒にしておこう。
置いてあった荷物を取ると、今まで荷物持ちや清掃で得た給金から貯めた銀貨を十分な枚数置く。
安普請だが、この手の宿屋としては、部屋の管理はしっかりしている方なので、料金は若干高めだ。
城門にいくと、まだ、誰も来ていないようだった。
エレナから聴いた今日の日付を聞いて少し焦ったが、今夜出発予定の冒険者達はまだ現れていないようだ。
最初の一陣こそ、豪華な面々に見送られたが、さすがに二〇を超え、こんな時間の出発では、そう言う事も無くなったみたいだ。
わざわざ、夜に出発するのは、方向が方向だからしようが無い――
「あの方々は、もう出発したわよ~」
後ろから声をかけられ、ぎくりとなった。
ぎぎぎ……と軋む様な感じで、後ろを振り向くと、顔を合わせるには非常に気まずい方々が居た。
サライさんは良いとしよう。
全てを打ち明け、今回の件で、色々と協力してくれたのだから。
セーラ皇女の姿を見せた時は、知的な美貌が台無しになるほど、びっくり仰天していた。
そんな表情を初めて見たのか、セーラ皇女の腹を抱えて笑う声が次元の壁を越えて聞こえたような気がした。
イズミットへの探索の旅については、理解はしてくれたようだが、未だに納得していないようだ。
これに比べると、その時に同席していたサーシャさんは、ぽわわんとしていたが、これはいつもの事なので、どうにもよくわからない。
サーシャさんは、しかし、何で旅装なのだろう。
ぼくに、いつも食事をもって来てくれた馴染みの侍女は、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
ぼくは自分の演技に自信が無いので、それを小道具で誤魔化す為、サライさん経由で、逮捕の場面で、血糊の塊をぶつけてくれるよう頼んだのだが、入れ物が少し硬すぎ、また、彼女の腕力もあり過ぎたようだ。
彼女はこの後、魔道騎士団付きになる筈だ。
顔を合わせて一番気まずいのは、こちらを睨んでいる、これも何故か旅装の赤い髪の少女だ。
睨まれるのは、まぁ、騙した事になるから、しょうが無い。
ソルタニアを旅立つに当たって、最後の問題だったのが、ぼくがソルタニアを離れる事自体だった。
暗殺者を捕らえ、一時期はセーラ皇女からの手紙の窓口を務め、魔物退治に協力した異世界の亜人を、セーラ皇女の手紙の指示があっても、ソルタニア上層部が簡単に手放す筈も無く、また、目立つと言えば目立つので、ソルタニアの庇護を離れた途端、イズミット側に捕まってしまうだろうことは十分に考えられた。
そこで、召喚魔道士の短剣を手に入れたのをさいわい、イズミットの密偵だったと言う事にして、行方をくらます事を……セーラ皇女が考えた。
もっとも、セーラ皇女からの手紙の窓口の件は、どう誤魔化してよいかわからなかったので、セーラ皇女が作成途中とわかる魔石を用意した。特に深い意味は無いが、頭の良い人なら、その魔石を見て、何かしら推理を組み立てるだろう。
一番の狙いは、ソルタニアに入り込んでいる筈のイズミットの間者から上がった情報で、イズミット側が困惑する事だ。
ぼくがイズミットの密偵では無い事は明らかなので、事実を確認したり調査したりする為に、しばらくは泳がせる筈だ。
ソルタニア側も、どう扱って良いか、まず、揉めるので、追手がかかるのは遅れるだろう。
つまり、ある程度の行動の自由が確保される……とは、セーラ皇女の考えである。
ソルタニア側で言えば、今まで指示に従ってきたセーラ皇女の手紙の真偽を巡って混乱するかもしれないが、そこはサライさんが何とかする筈だ。
正確には、セーラ皇女が何とかしろと命じている。可哀そうに。
ユリア殿下に渡された手紙については、セーラ皇女は特に心配していない。
ソルタニア聖皇家の血が、それらの手紙が間違いなくセーラ皇女からのものだと明らかにするからだ。
もっとも《武の皇女》エメルダ元帥は、脳筋に偏っているので、ユリア殿下ほど明確な判断はできないだろう。
「事情は聞いたぜ」
地の底から響くような声で、エレナが言った。
「よくも騙してくれたな」
「あ、いや、その……」
聞いている事情がどこまでなのかわからない事もあって、何と応えてよいかわからない。
「まぁ、いいや、皇女殿下の指示だっていうならな」
それで済むの?
本当に単純だと感心したが、次の言葉で眼を剥いた。
「そのかわり、イズミットまでの道中、こき使ってやるからな」
「え゛?」
ぼくは、思わず、サライさんを見た。
「護衛として、サーシャ、エレナの両名をつけます」
サライさんは有無を言わせぬ口調できっぱりと言った。
この銀髪のお姉さんからは、ぼくは亜人に変身したセーラ皇女に見えるのかもしれない。
確かに、この二人が居れば心強い。
エレナには、セーラ皇女の件を話していないようだが、そこの判断はこちらに任せると言う事だろう。
用意されていたのは、普通の馬だった。
さすがに、魔道騎士団の所有するユニコーンは回せないだろう。
ぼくは、サーシャさんに手伝ってもらって、その後ろに跨った。
銀髪の美しい騎士団長と侍女に見送られ、二人の騎士と一人の亜人が城門から出発する。
こうして、ぼく、大妙寺晶の、異世界での新しい冒険が始まった。