4.天然といえば聞こえはいいけれど
ヴォルガの機嫌が下降の一途をたどっているのをアレグリアスは肌で感じていた。
ヴォルガだけではない。
徒歩の騎士も馬の騎士も長距離の行軍のせいでストレスが限界まで溜まっている。
「……やべぇな」
「ええ」
ライザックの声に頷くと、ライザックが首を傾げる。
「アレグリアスは大丈夫か?」
「私は適当にサボってますし……一応、私ヴォルガ隊にいましたから」
基本ヴォルガは自分にも他人にも厳しい。
そしてヴォルガ隊は騎士団の中で一番過酷な訓練をする隊だ。
「……そうかぁ。アレグリアスは可愛いのになー。手加減なしか」
「ははっ、可愛いかどうかは分かりませんが、手加減はなかったです。ライザック様は女性全員にそんなこと言ってるんですか?」
なんだかんだで長期間一緒に居るので自然とライザックとも軽口を叩けるようにアレグリアスはなっていた。
「全員じゃねえけど……っ!」
「ライザック様?!」
先程までライザックの頭部があったところに白銀の刃があった。
「隊長?!」
「ヴォルガ……てめぇ、マジで薙いだな」
「ライザック……、兄弟のよしみだ。……一撃で終わらせてやる」
「おやめください!!」
いつか、ライザックが叫んだよりも大声で制止をかける。
そうでなくてはこの兄弟は本当に戦闘を開始すると本能が告げていた。
「行軍中です!!ライザック様、殺気を納めて下さい。他の騎士が怯えています。ヴォルガ隊長!この遠征は婚礼の護衛が目的です。王女殿下がこの場に居ないにしても槍を抜くなど軽率すぎます!」
正直、この二人が戦闘態勢に入っただけで怖くて仕方がない。
他の騎士と共に恐怖で震えていたいくらいだ。
しかし、このままでは本気で先頭を始める。
そう思ったから止めるしかなかった。
「……アレグリアス」
「隊長、武器をおさめてください」
ライザックが避けたので、今の状態を見るとまるで自分に槍が向かっているようだ。
「……」
ヴォルガが無言で槍をしまう。
「ありがとうございます」
自分の背中に冷や汗が流れているのを感じる。
……殺されるかと思った。
ライザックに向けたはずの殺気を真正面から受けてしまったせいで、思わずそう思った。
「……なぁ、兄貴」
「…………なんだ」
「今のは、俺をかばってじゃなくて兄貴をかばったんだと思うぜ」
「なんだと?」
ライザックは先程までの殺気を最初から無かった事のように消し去っていた。
「全体的に鬱憤がたまる一方なこの行軍で、兄貴が真っ先にキレてみろ、それこそ騎士団長が喜んで飛びつく」
ただでさえ嫌われてんのに、とライザックは続けた。
貴族のはじかれ者を逐一拾ってはヴォルガは自分の隊に組み込んでいた。
それゆえか、何かにつけ騎士団長にはヴォルガ隊のあら捜しをする。
「アレグリアスはそれが分かってるんだろうさ」
良い女だな、というライザックにヴォルガは素直に頷く。
自分は誓っても彼女を害する気はないとは明確な事実ではあるが、先程ライザックに向けた殺気にアレグリアスが怯えた事も自覚していた。
「ライザック様、少しご相談が……」
何ごともなかったかのようにライザックに近づくアレグリアスに、ヴォルガはそんなところも好きだと思いながら、やはり彼女がライザックに近づくのは面白くないとも思う。
「……はぁ?」
小声で話していたため二人の会話は聞こえなかったが、ライザックのその声にもう一度二人の方を見る。
「でももう限界ですよ。でしょう?」
「確かにそうだけどよ……、いいのか?そんな事バレたら最悪辺境に飛ばされるか」
「自分の故郷に飛ばされたら最高ですね?」
にっこりとライザックの懸念を払うアレグリアス。
「……どうした?」
「次の滞在する町が規模が大きいので、きっと最後のチャンスです」
「何の話だ?」
もう一度聞くと、ライザックが手招きをする。
おとなしく近寄ると、三人で内緒話のように顔を近づけあった。
「……次の街で、希望者は花街に行かせないかって話だ」
「……はぁ?」
ライザックと似たような、しかしヴォルガの方がトーンを低く聞き返す。
「王女殿下の護衛中にそんなことした方が問題ですよ。実際、今は黙認されていますけど、殿下がわが国に向かわれる際には少し自重させた方がいいと思います。それに、お金の無い騎士たちはほぼ限界でしょう?貴族の子息群は自費で行かせるとして、他の騎士達は少しくらい援助してもいいと思うのですが」
今は、滞在先の街で騎士が花街に言っている事は黙認されている。
しかし、王女をアイルファードから迎えてテロルゴに行く際にも今のような現状が許せない。
「見習い騎士達も、全員に聞きましょう。人選はライザック様にお任せします」
「あぁ。そうだな、で?金の工面はどうする気だったんだ?」
「経費で落ちなければ、私のポケットマネーが最終兵器です」
「そんな事させるわけにいくか。経費で落とさせる。金額の上限だけ決めとけば何とかなるだろ。兄貴」
「……あぁ、次の街を過ぎたら夜遊びは禁止するようにさせよう」
頷くヴォルガに他の二人も頷く。
そして日が沈む直前に、一行は街へ到着した。
*************
「……」
「隊長、そんな怖い顔しないで下さい。何度も言いますけど、他の騎士が怯えてます」
眉間にありったけの皺を寄せたヴォルガをアレグリアスは隣でたしなめる。
花街の入り口で騎士の出入りを見ているヴォルガとアレグリアスはさらに隣で見習い騎士と話しているライザックを横目で見ていた、
「なんで、君まで花街に来ている」
「私が言い出したことなんだから当たり前でしょう?なんですか、なにか不都合でも?」
今日はやけにアレグリアスが突っかかってくる、とヴォルガは思う。
ライザックと喧嘩しかけた時彼女が怒鳴ってきたことに関してではない。
むしろ、惚れ直すほどに怒鳴る彼女は美しかった。
彼女に見惚れる他の輩がいると困るので、少し牽制しておいたのだが……。
まさか、彼女がここに来るなんて。
万が一にも娼婦に彼女が間違えられてしまったら、自分は相手の男を殺してしまうかもしれない。
隊長も実は春を買いたいのではないか、とアレグリアスは思う。
それならば、自分の事を疎ましげに見る原因も分かる。
いや、疎ましがられているのは、あの時からか。
分からないわけではなかった。
アレグリアスは女性でありながらずっとヴォルガの隣に立ってきた。
恋仲になるような男性は一度として作ったことはないし、冷静に考えるとあの日の彼の言葉を逐一揚げ足獲るようにしていたではないか。
あれでは嫌われて当然だ。
そう思いながらも、やはり面白くないものは面白くない。
こいつら、バカか。とライザックは二人を見て思っていた。
いくら鈍いにしても限度というものがあるだろうと思う。
しょうがない。
「そういえば、隊長はよろしいんですか?さっきから痛いほどにこちらに熱い視線を向けてくる女性の誰かを買ってさしあげては?」
ライザックが要らぬ世話を焼いてやろうとした矢先のことだった。
……あ、まずい。
ライザックは兄の地雷を過去三度ほど踏んだことがある。
その度に生死の境をさまよっていた。
アレグリアスに暴力を振るうとは思っていないが、ヴォルガの纏う空気は、その場に居た見習い騎士を失神させるには十分だった。
「…………は?何を、…………いや、そうだな。そうさせてもらおうか」
最初は何を言ったのか分かっていないような姿のヴォルガの顔が鬼神と化していた。いや、姿そのものが鬼神であったかも知れない。
「ライザック、俺も花街に入る。金は自分でなんとかするから安心しろ」
それだけライザックに言うと、ヴォルガはアレグリアスに背を向け、花街の中に姿を消した。
ヴォルガが姿を消した途端に、アレグリアスは地面に力が抜けたようにへたり込んだ。
「おい、アレグリアス……!」
さすがにあれはヴォルガの事を侮辱しすぎだ。
そう思い、アレグリアスの腕を掴む。
「……私、隊長に嫌われましたよね?」
「はぁ?お前、あれ言って嫌われない自信があったのかよ?」
「そう、ですよね……。ライザック様、私、隊長の事が好きなんです」
「好きな男にあんなこと言うか?!」
ライザックは本当に目の前にいる女の事が理解できなかった。
「私、あんなことを言うつもりがなっかた、と思うより先に隊長が他の女性を買うといったことにショックを受けてるんです……」
「自分で買えって言っといてか?」
「ははっ、ですよね……何考えてるんだろ、私」
放心状態のアレグリアスを見てため息をつく。
「……お前、今いくつだっけ?」
「……今年、19です」
呆然と呟くアレグリアスにライザックはため息を吐く。
そうか、アレグリアスお前、
「女になる前に騎士になっちまったか」
頭をガシガシと掻居たかと思うと、ライザックは掴んだままだったアレグリアスの腕をそのまま上へと引っ張り上げた。
「よし、アレグリアス。お前は騎士だな?」
「……はい」
「じゃあ、仕事しろ。将軍命令だ」
*************
花街に入った後、ヴォルガは一階で酒場を、上の階で宿屋をしている店で飲んでいた。
女は買っていない。
「……はぁ」
「よぉ、色男。何ため息ついてんだ?」
「……ライザックか?」
ヴォルガが重い気持ちで首を動かすと、ライザックが隣に腰掛ける。
「愛している女にその他大勢の女を抱けと言われるとはな……」
「まぁ、気にすんなって。あんな女、忘れればいいじゃねえか」
ライザックのその言葉が、ヴォルガの瞳に火をつけた。
「あんな女……?ライザック、いくら弟でも彼女への暴言は許さん」
「じゃあ、聞くけどよ兄貴。アレグリアスが今何してると思う?若い男を連れて花街とは反対の宿屋に向かったんだぜ」
「なに?」
「これから俺も世話になろうかと思ってんだけどな。お前も行く……がっ!!」
次の瞬間、大男が酒場から投げ出された。
「行くかだと……?愚問だな。連れて行け」
口を切った大男は赤い唾を吐いた。
「……やっぱこいつのために動きたくねぇ」
いつぞやの言葉を苦々しくライザックは反復した。
*************
ライザックに連れてこられた宿屋は花街の豪奢なものでは無く、簡素ではあるが清潔感あふれる宿屋だった。
「いらっしゃいませ」
優しげな老爺が受付として立っている。
「あー、さっき別の女性が来たと思うんだけど。三号室の連れだ」
「お話は承っております。お待ちしておりました。どうぞ、ごゆっくり」
老爺の深い礼を受けながら、ライザックとヴォルガは階段を上がる。
「ライザック、アレグリアスはどこだ?」
「そう焦んなって。アレグリアスにはちょっと野暮用頼んでるんだ」
3と書かれたプレートのかけてあるドアをライザックがノックする。
「アレグリアス、俺だ。開けてくれ」
「はい、ちょっと待ってください」
ガチャリと部屋が開いた。
「隊長……?!」
驚いたようなアレグリアスの顔。それに構わず彼女の両腕を掴む。
腕を掴んだまま、ヴォルガは部屋に入る。
「……?一人か?」
アレグリアスの顔を覗き込むと、驚いたような彼女の顔。
「えぇ」
「若い男は?」
「は?……あぁ、彼なら婚約者が居るから花街は不要だけど、臨時給料として資金は貯金したいと。宿も、ここより安宿を探してました」
その言葉にライザックの方を見る。すると、ライザックは悪戯が見つかった少年時代と同じ顔をした。
「嘘は言ってないぜ。花街とは反対方向の宿屋に若い男と連れ歩いてたぜ」
その若い男は婚約者がいる上に、同じこの宿屋にはいない。
「……お前も世話になるというのは……?」
「それも嘘じゃないな。現に、アレグリアスに遠征中の領収整理任せてたからな」
ヴォルガはここで初めて部屋の内装に目を向ける。
綺麗な部屋だ。いつぞやのように狭くもなければ、窓の枠が外れている事もない。
そこに備え付けてあったのだろう、簡素な机が置いてあり、そこに書類が並んでいた。
「……」
「隊長?どうしてこんなところに?花街に居たはぁ……!」
不思議そうに自分を見るアレグリアスにヴォルガは視線を落とした。
首を傾げるアレグリアスの唇に、花街のことを最後まで聞くことなく、ヴォルガは自らのそれを重ねていた。
「ちょ、……た、いちょ……んっ」
「アレグリアス……」
うっとりとアレグリアスの名を呼ぶヴォルガに、次第とアレグリアスの身体の力も抜けて行った。
「おーい、俺まだいるんだけど」
二人が夢中で唇を合わせていると、ライザックが部屋の入り口から軽い調子で声をかけてきた。
「……!!」
「なんだ、気が利かんな」
顔を真っ赤にするアレグリアスを、全く表情を変えないままヴォルガはライザックから隠すように抱きしめた。
「いやー、どうせだから兄貴と将来義理の姉になる女性の疑問を一つ解決させてから逃げてやろうかと思ってな」
「それこそ、こっちの問題だろう」
そう邪魔そうに言いながらも、ヴォルガはライザックを部屋の中に入れる。
将来義理の姉になるに気をよくしたようだ。
「で?アレグリアスはそもそもどうしてヴォルガを避けてたんだ?」
「……ライザック様も御存知だったんですね」
「まぁ、あからさまだったからな」
「城下町の、宿屋で、……お二人が話をされているのを聞いて」
その言葉にヴォルガとライザックは顔を見合わせる。
「アレグリアス、それはあの時の朝か?」
頷くアレグリアスを見てライザックは合点がいったようだった。
「あぁ、あの時の話聞いてたのか?ん?じゃあ、どうして避けるんだよ」
「だって、彼女と結婚する気はないって、隊長が」
心底嫌そうに話していたヴォルガの背中を、アレグリアスの目には焼けついていた。
「ないさ。あんな、貴族の女」
ヴォルガもようやく事の本題が分かって来たらしい。
「……貴族の、女?」
呆けるアレグリアスの顎を掴んで、ヴォルガは上を向かせる。
「……中途半端に聞いて、勝手に勘違いするな」
「ヴォルガ。兄貴、それじゃあ、アレグリアスがわかんねぇって。アレグリアス、兄貴が貴族なのは知ってるだろ?しかも、そこそこの」
アレグリアスは顎を掴まれたまま、頷く。
「んで、兄貴は長男。三十にもなって女の一人も出来てない。うちの国王のように男色なら話は別だが、兄貴はその気もない。つまり、見合い話が山のように届くんだよ」
「みあ、い?」
「んで、それすらヴォルガは見ようとしねぇから、貴族の何人かはヴォルガの勤務先に娘を送り込んでくるやつもいたんだよ。アレグリアスが聞いたのはそういった貴族の娘の一例だ」
「つまりは、お前じゃない」
アレグリアスの思考はしばらく止まったままだった。
「……私じゃないって、なにが」
「……ライザック、お前はここまでだ」
ため息を一つこぼすと、後ろに居たライザックに視線を向ける。
ライザックは面白そうに、手を振る。
「あぁ、明日の出発に間に合えよ?」
「解かっている。もしも、俺達が居なかったら……」
「アルトを預けておくからそれで追いつけ。お前が居なくなっても気にする騎士は後ろの方に居るだろうから、お貴族様たちは気がつかねえよ」
アルト、というのは青毛の馬で元々はヴォルガの馬であったが、ライザックにやった馬だった。
「軍馬だから、すぐに追いつける。じゃあな」
もう一度、手を振るとライザックは宿屋を出て行った。
「アレグリアス、アリア」
名前を呼ばれてゆらゆらを浮いていた意識が地面に着地する。
「たいちょ、う」
「ヴォルガだ」
「ヴぉる、が?」
幼子のように自分の名を呼ぶアレグリアスをヴォルガは抱き上げた。
「とにかく、俺にはお前だけだ。なぁ、アレグリアス。嫉妬してくれたのか?」
寝台に寝かせると、アレグリアスはぼんやり考える。
「そうなの、かな?私、隊長が他の女を買うって言ったとき、自分以外の女がいなくなればいいと思ったんです。自分が言い出した事なのに、隊長が他の女に行くはずないってどこか思ってたんです」
「……なぁ、アレグリアス。俺の事が好きか?」
「はい」
いつになく素直な彼女。
「じゃあ、それの答えは簡単だ。俺はお前が好きだし、お前も俺が好き。簡単だな」
その言葉にアレグリアスは首を傾げる。
「意味が分かりません。なにが、簡単なんですか?」
「アレグリアス、お前の考えは正しいよ。俺が他の女のところへ行くことはない。疑う理由なんて初めからないんだよ」
「隊長」
「ん?」
「……私を選んでください。他の女の誰かではなく、私だけを」
手を伸ばすと、ヴォルガに痛いほどに抱きしめられる。
「当たり前だ」
「この前みたいに避けても、捕まえてくださいね?」
「……あまり、俺を試さないでくれ」
「試す?」
自覚がなかったのか……と腕の中にアレグリアスを閉じ込めたまま、ヴォルガは苦笑する。
「君の行動は、俺が君を愛してるか試してるとしか思えないんだが」
「じゃあ、隊長は試されてくれます?」
にっこりと笑うアレグリアスの顔に計算的にそれをしているようなものは感じられない。
「あぁ、試されてやるよ。その代わり、アレグリアス」
「はい?」
「……後悔するなよ」
「は……」
何を、と聞く前にヴォルガからの口づけでアレグリアスは言葉を紡げなくなった。
*************
「アレグリアス、本当に騎士になるのか?」
兄にそう聞かれ、アレグリアスは笑顔で答える。
生真面目な性格の兄は自分とは髪の色も容姿もあまり似ていない。
片親しか血がつながっていないから、しょうがないと言えばしょうがない。
「女性騎士は少ないから、いずれ役に立つときが来るわ」
「分かった……ただし、騎士になれば私とお前は赤の他人だ。王宮で会えたとしても私は君を他人として扱おう。それでいいな、アレグリアス」
「えぇ。王宮で会えたらいいわね……もう一人の兄さんにも」
「……出世しないとな」
「えぇ!」
後悔は、していない。
騎士になって初めて名前だけ知っていた兄と出会った。
あの人の背中を守りたいと思える人物とも出会えた。
「……隊長?」
「起きたか?あぁ、まだ夜明け前だ。もう少し寝ていろ」
「はい」
優しく頭をなでられて再び微睡みの中に潜る。
兄二人が私に笑いかけていた。
ヴォルガ様が優しく抱きしめてくれていた。