3.まずは交換日記から。
タイトルにはなんにも意味はありません
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………………。
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「隊長、近いです」
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「閣下、この書類は」
「あぁ、それは後で見る分だから適当に避けておいてくれ。……あぁ、それはな、」
「大丈夫です……、あ、これは早急ですね。お願いします」
何日ぶりかの街への滞在である。
既にアイルファードの国境は越えたものの、予定よりも三日遅れている。
それもあってか、閣下には遅延分の仕事が回ってくる。
「……これは、近衛の仕事ではありませんね。閣下、私が片付けてもよろしいですか?」
中には将軍に持っていくようなものではない雑用と言われる書類まで混ざっている。
「頼む。……ヴォルガ、悪いがここを頼む」
手渡した書類の中を確認し、書類を分ける。
「……ライザック、ここになぜ伯爵領地の租税書類がある」
「チッ。どうせ、租税は国税だからやりたくねぇんだろ」
自分の収入分は丁寧にしても国税枠の租税計算をやりたがらない貴族は多い。
「やっておこう。突き返してもどこかに回るだけだ」
部屋の中にある机二台に書類を積み上げ、どうにか開けた隙間で三人の男女が顔を突き合わせて仕事をしていた。
一人は、騎士団最強を謳われる近衛騎士、将軍のディノーバ・ライザック。
その兄で、騎士の憧れでもあるヴォルガ隊隊長のディノーバ・ヴォルガ。
最後に、もとヴォルガ隊、現在は近衛騎士に籍を置くアレグリアス・ヴィーチェ。
騎士団の実力者と誉れ高い三人は、お世辞にもお広いと言えない宿の一室を借りていた。
宿、と一言で言っても一等なものではない。
窓にはガタがきているし、ドアに至っては工夫しないと開かない。
客室に水道は通っているわけではなく、浴場、トイレ、洗面台。全て共通だ。
ただでさえ、遅れているのに今回の遠征の予算を浪費していく人間―言わずともがな、だが―が居る分どこかで節制しなければやっていられるわけがない。
「悪いな」
「いや、帰ったら今回の遠征参加者をリストアップしてくれるだけでいい」
顔には出ていないが、ヴォルガも相当頭にきているようだ。
「それは、すでにアルがしている。戻ったら渡す」
山のような書類、いつになったら終わるのか。
普通、それを見ただけでも嫌気をさして仕事を投げ出したくなってしまうような絶望的な量を見ても、三人の内で誰一人として、弱音を吐くものはいない。
さっきのように悪態をつくことはあっても、だ。
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「アレグリアス・ヴィーチェ、今終わった。次をくれ」
アリア、と先程まで呼んでいた将軍は元の様にフルネームでアレグリアスを呼ぶ。
アレグリアスもそれについて何かをいう事はしない。
「閣下、今ので最後です」
隊長と二人で書類の最終確認をしていると、将軍に預けた最後の一つが出来上がった。
将軍も入って確認を再度行う。
「ったー!!」
ちゃんと全て終わっていることを確認すると、将軍が両腕を高く掲げ、雄叫び……と言っても過言ではない叫び声を上げる。
「ちょっ、閣下の声量をこの狭いところで聞きたくないです……」
あわてて耳を塞ぐと、肘を引っ張られる。
「……出かけるぞ」
書類が片付いて隊長も嬉しいのか、アレグリアスを連れて部屋を出る。
「隊長、どこに行くんですか?」
「屋外」
即答した答えがそれだけだ。
狭い部屋、本当に嫌だったんだな……。
辺りはもう日が沈み、隣にいる隊長の顔さえも分からなくなるほどだった。
宿のある路地を抜け、一際明るい表通りに出てみる。
「あ、隊長。屋台です」
どうやら、今は祭の時期だったらしい。
そこで、私は隊長に連れ出された意味が分かった。
なるほど、巡回か!
祭になると、必要以上にはしゃぐバカは騎士団にも居るわけで。
見習いと言えども騎士は騎士。
必要以上に真面目に過ごせとは、自分が不真面目だから思わないのだが。
それでも限度というものはある。
その境を決めることも時には必要なのだろう。
「アリア、どこから行く?」
「はい、まずは宿屋に近い酒場から行きましょう。その後、宿屋にある酒場を見て回ればいいと、」
「?君は、何を言っている?」
?どうも、話が噛み合っていない気がする。
「隊長は、どこに行くおつもりでしたか?」
「……屋台を巡るのも、ありだと思ったが」
いけなかったか?と聞く隊長にアレグリアスは首を横に振る。
なるほど、酒場ではなく屋台の冷やかしか!
見習い騎士は若者だ。
若者だからこそ、屋台に心奪われることもあるだろう。
「はい、行きましょう」
隊長と二人で大通りを歩くことになった。
……。
「明日も行軍するんだ。ほどほどにしておいてくれ」
…………。
「あぁ、君は昼間の……。酒?私はいい。呑まれるなよ」
………………。
「……アリア」
名を呼ぶと振り返って自分を見てくれる事にヴォルガは安心する。
いつだってそうだ、彼女の前では騎士ですらない。
「?隊長、どうかしましたか?」
ヴォルガは気がついている。
アレグリアスはヴォルガをを見てはいない。
傍から見るとそんなこともないように思えるが、ヴォルガは気がついていた。
アレグリアスは、ヴォルガを見てはいない。
出来る限りいつも通り接したつもりだった。
それでも、どうしても。
眼で追ってしまう。
あの背中を追いかけてしまう。
でも、振り返られると目を背けてしまう。
追いかけられることはないだろうけど。
「アリアは、アクセサリは好きか?」
「アクセサリ、ですか……。そうですね、私の一族はよく着けていましたけど。それも、ほとんど魔装具ですからね」
出店の屋台を覗き込みながら、アレグリアスは辺りを見回す。
「そうか」
アレグリアスが、屋台に並べられているアクセサリをざっと見る。
店主の感性か、商品を所狭しとは並べていない。
どの装飾品も手に取り易く、元にも戻しやすい。
「あ」
アレグリアスが一つの商品にふと目を留めた。
「……これか?」
手に取ったのは子どもでも買えるような値段の耳飾り。
はっきり言っておもちゃだ。
「……この石」
翡翠のようにも見えるが、値段を見る限りそうではないのだろう。
「あぁ、それかい?それは北の方の輸入品なんだけどね。石が壊れやすいからアクセサリには向いてないよ」
売る側がそんなことを言うという事は、売れるとも思っていないのだろう。
それでも、普通は言わないものだが。
耳飾りを持っているヴォルガでさえ、石が今にも割れてしまうのではないかと思えるほどにもろく感じる。
「いいの。これください」
そう言ってアレグリアスはアクセサリを買い上げた。
……財布、出し損ねた。
彼女に何か買ってやりたいと思っていたのに。
ヴォルガはそう思って内心で悔む。
「……隊長、町のはずれにあった丘がありましたよね。私、そこに行こうと思うんですが」
「俺も行く」
石をしばらく眺めていたアレグリアスはハンカチに耳飾りを包む。
「着けないのか?」
「これ、着けるために買ったんじゃないですよ」
そう言って、二人は町はずれの丘に向かった。
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丘に着くと、アレグリアスは持っていたハンカチを開いて耳飾りをもう一度取り出す。
「隊長、少し下がっていてもらえますか?」
理由を問うこともなく、ヴォルガは下がった。
アレグリアスはそれを確認すると、魔法陣を展開する。
すると、翡翠色の耳飾りが光り始める。
「これは……?」
「おはよう」
アレグリアスは空を見上げ、微笑む。
ヴォルガもそれに倣うと、ふわりと耳飾りの光が空に浮かんでいた。
『ありがとう』
光は、そのまま夜空に昇り、丘を一周するとどこかへ飛んで行った。
光りが飛んでいった方向を、アレグリアスはずっと見つめる。
「今のは、なんだったんだ?」
何時の間にかすぐそばに寄ったヴォルガを見ることなく、アレグリアスは答える。
「あれは、妖精です」
「君が召喚する?」
「私ができるのは水と火だけ。今のは、風の妖精です」
ヴォルガも空を見上げる。
先程までは気がついていなかったが、満天の星が広がっている。
「妖精、だけではなく人ならざるモノを石などに封じるんです。そうすると、宝石に似た色が出るので……」
乱獲された時代があるんです、とアレグリアスは悲しげに呟く。
ヴォルガは何も言わずにアレグリアスの肩に上衣をかける。
それをアレグリアスも何も言わずに手繰り寄せる。
「初めて知ったのは、騎士団に入って、……男の人に襲われた時でした。召喚術を発動させた時に男のペンダントが輝いて、火の妖精が現れたんです」
アレグリアスが火の妖精を召喚できるようになったのはそこからだった。
そして知った。
人間に乱獲された人ならざるモノ。
そして、それを解くことのできる人間である自分。
「……いつか、解放してやりたい。封印からも、人間からも」
そう呟くアレグリアスの肩をヴォルガは抱く。
…………。
………………。
……………………。
「隊長、近いです」