1.早く結婚しろ。
「アレグリアス~……好きだ!!!」
「はいはい、私もですよ隊長。」
ちらりと横目で隊長のすぐ前に並んでる酒瓶を数える。
……4、5、6……7?……いつもより多いな。
「……ホントか??ホントに俺の事好きか?」
酒のせいで真っ赤になったと思われる顔をどんどん近づけてくるので、全力で抵抗する。
「えぇ、本当ですから……近づかないでください。」
「……嘘だ。」
唐突に真顔に戻ったかと思うと、なぜかめそめそと泣き出す。
30すぎたおっさんが泣くと目立つ上に気持ち悪いんでやめてください。
お世辞でもなんでもなしに隊長の外見は秀麗だと思う。
昔読んだ童話に出てくるお姫様のように綺麗な飴色の髪。
うらやんでやまない長い睫毛。
30すぎたおっさんといったが、このおっさんは美しすぎだ。
「ホントならなんでそんなに嫌がる。」
「……隊長、私たち魔物討伐終わってすぐにここに来たんですよ?つまり、汗と埃と血の匂いが染みついてます。」
魔物の返り血、味方の傷から流れた血。
いくら洗い流したとしても、ただの水だけでは簡単に落ちてはくれない臭い。
しかし、この酒場はどれだけ私たちが汚くとも、酒を出してくれるからありがたい。
風呂も貸してくれるから、私は大体毎回入るのだが、今日は何故か店に入って真っ先に隊長の隣の席に拘束された。
私は、副長として隊長を補佐している。
補佐という立場だから、部下が私の方へ来るのも分からないではないが、部下は事後処理の手配をなぜか私に確認する。
しかも、全て、私に。
最初は何故私に持ってくると聞くと、「副長の方が分かりやすい」との回答が返ってきた。
部下に慕われて気分も悪くない私はついついそれから請け負ってしまうようになった。
おかげで隊の中でどんな書類も隊長が目を通す前に私にまわってくるようになった。
今日も酒場に入ったのは、夜中になってから。
先客として酒場で騒いでいた部下もさすがに無礼講で見逃す。
今日は隊長において行かれた。
別にそんなことで腹を立てたりはしない。
むしろ、心配になったくらいだ。
最近、隊長はあまり私に話しかけてこない。いや、避けられているといってもいいほど必要最低限の会話しかなくなってしまった。
会話をしないと、いつも当たり前のようにこなしていた仕事の量を渡されても、消化する時間が倍ほど違うという事に気がついた。
それで、なんとか、魔物の活動開始時間までにギリギリで仕事を仕上げたわけである。
魔物討伐も終わったら終わったで報告書やら事後処理やらで動かなければならない。
いつもは一緒に片づけてくれる隊長はさっさと自分の仕事をこなすと同じく仕事を終えた部下と共に飲みに行ったのである。
ここは重要なので再度言うが、腹は立っていない。
隊長は己の執務を終えたから酒を飲みに行ったのである。
ここで私が隊長が私を置いて行ったことに関しては言及しない!しないとも!
そして私が深夜に酒場に行くと・・・。今の状態である。
仕事を終わらせて、酒場に入ったら、隊長に拘束された。
思えばその時点で結構な酒の匂いがしたので、その時にはもう飲んだくれていたのだろう。
「……それが?」
「…………隊長は、異性相手に『こいつ臭い』って、思われたいですか?言われたいですか?」
「ごめん、俺が悪かった。」
あっさりと手を離し、隊長は自分の席におとなしく戻る。
「じゃあ、私お風呂いただきます。……隊長?……ヴォルガ隊長?」
席を立つと、隊長はうつぶせになっている。
耳をすませると、隊長の寝息が聞こえる。
「……寝るの早いな。すみません、なにかかけるものを……。」
酒屋の主人に毛布を出してもらって、熟睡している隊長含め、酔いつぶれて寝てしまった騎士にもかけていく。
「……じゃあ、ちょっとお風呂入ってくるんで。お願いします。」
心得たとばかりに頷く主人に礼を返して、脱衣所に入る。
「はーーっ……湯船に入ったの、何か月ぶりだっけ?」
いつもはシャワーで済ませている。
湯なんてはっている時間が惜しい。
この酒場に来ないと湯船に入らなくなってしまった。
不謹慎だが、魔物討伐の巧妙のようにも思える。
自分を取り巻く血の匂いが消えて、柔らかい石鹸の匂いに包まるのを感じながら、アレグリアスは目を閉じた。
*************
「……異動、ですか?」
隊長は眉間にしわを寄せている。
昨晩7本も酒を呑んでいて平気な顔をしてはいないだろうと思っていたが、まさかここまでとは……と思いながら顔をうかがっていると声をかけられたので、隊長の机の前まで行くと、異動だと告げられた。
私は猛者揃いのヴォルガ隊の中では強い方ではない。
つまり、左遷?……脱落?!
「あぁ。……この度、後宮にアイルファードの王女殿下が入られる。その護衛だ。」
後宮?
「……なんで私なんですか?」
「……騎士団長に私が推薦した。」
「あぁ、なるほど。」
……これは左遷なのか?いや、王女殿下の護衛ということは栄転か?
「分かりました。それで、異動はいつです?あと、私の席は誰が?」
「異動はできれば今日にでも。副官はおいおい考える。……少なくとも、君が考える必要はない。」
異動が今日?それはいくらなんでも早すぎる。
しかも、後任は考えなくていいだと?
そこに文句があるわけじゃない。
引き継ぎしないとどうなるのか分かっているのか、この人は。
「分かりました。午後には向こうの詰所に行きます。隊長、これ。昨日の魔物討伐の報告書です。目を通していただけますか。」
「……あぁ、分かった。」
一礼し、振り返ると、その部屋にいた騎士が全員こちらを見ている。
「……何をしている。仕事をしろ!」
一括すると、皆あわてたように仕事に戻った。
「副長!隊から離れるって……本当ですか?!」
荷物を抱えて廊下に出ると、隊の見習い騎士のロジエが駆け寄ってきた。
「あぁ。王妃候補で後宮に入られるアイルファードの王女殿下の事は知っているだろう?その護衛に異動だそうだ。」
「そんな……隊長は、隊長は何も。」
「あぁ、まぁ、私もついさっき言われたところだ。君も耳が早いな。」
騎士団に入ってすぐにライザック閣下に吹っ飛ばされたロジエを私は鮮明に覚えていた。
目が離せないので、ヴォルガ隊に入ってから何かと可愛がっていたのだが。
それも、もうできなくなるのか。
「まぁ、王都から出ることになったわけではないし、何かあったらいつでも声をかけてくれ。もし幸運にでも休みが被れば一緒に店を回りたいしな。」
そうだ、後宮に移動したといってももう二度と会えなくなるわけではないし、その気になればいつでも会えるじゃないか。
……でも。
「……やっぱり寂しいな。私はこの隊がとても好きだ。……離れがたい、な。」
「副長。」
心配そうに見てくるロジエに気づき、思わず乱暴に頭をなでる。
「ん?どうした?……あー、まずい。昼までに荷物向こうの詰所にもっていかないと。じゃあ、またな。」
荷物を持っているので手を振ることはできなかったが、顔をロジエの方に向ける。
「じゃあな。」
私は笑顔をロジエに向けれただろうか。
そう告げると、私は後宮に足を向けた。
*************
午後になって後宮の新しい上司と会った。
ヴォルガ隊長とは正反対の真面目そうな若い男性だった。
「正式な異動は明日とのことですが、今日よりこちらに勤務することになりました、アレグリアス・ヴィーチェです。」
敬礼をすると、同じように返される。
「近衛騎士のノーランド・クラウドだ。ここは近衛隊の管轄なので、君も近衛騎士となる。……話はどこまで?」
「はい。近日王妃陛下となるご予定のアイルファードの王女殿下を護衛させていただくという事は聞きました。」
ノーランド、と名乗った上司は頷く。
「あぁ、ほとんどそれであっている。君は王女殿下の護衛を頼む。」
「はい。」
その後、新しい仕事場で同僚の紹介、仕事の手順などを教えられた。
普段は机仕事や訓練、たまに夜に魔物討伐に向かっていたヴォルガ隊とは打って変わり、訓練は護衛の非番中。机仕事は護衛対象が寝てから、寝ずの番をしない日にまとめて。……魔物討伐はないらしい。
しかし、さすが近衛隊。
レベルが高い。
貴族の七光りの息子も少なく、上級騎士の風格を兼ね備えながら上級騎士特有の貴族臭さと言おうか、腐った根性のようなものを感じさせない。
十分に精鋭と呼べる集団だった……が。
「なぁ、お前、今日来た新人だろ?ここで仕事してたいんなら……わかるだろ??」
「……。」
馬鹿はどこにもいるらしい。
仕事の説明を聞き終えたころには、もうすっかり日は沈んでいた。
暗くなり、ろうそくの明かりに照らされた廊下を歩いていると……。
目の前の馬鹿に捕まった。
柱の陰に引きずり込まれる。
いや、抵抗は十分にできたが、こんな馬鹿なことを二度とさせないためにあえて引かれてやった。
「俺は、伯爵の息子なんだぜ?」
それがどうした。
一括してやりたいところだが、最初から全力でやって後々面倒になるのもな……。
「だから、……な?」
鎧の間から手を入れられる。
もう片方の手で自分のズボンのベルトを外しているのが見えて、冷ややかな気分になった。
「……来たれ、……氷の精霊よ……凍てつけ。」
一瞬で足元に魔法陣が広がる。
「なっ?!!」
男の足元から徐々に凍りついていく。男が驚きあわてて凍る進行を止めようとするが、その手さえも凍りつかす。
「……失礼します。」
手を突っ込まれた方の服を簡単に直し、男からすり抜ける。
「……っ!待て!戻せよ!」
ずり落ちたズボンから見たくないものが見える。
手も拘束されているから、防ごうにも防げない。
「朝になったら勝手に解けますよー。」
馬鹿な恰好のまま呆然とする男を見もせずにその場を離れようとする。
「……っ、こんなことして、ただで済むと思ているのか!パパに……パパに言いつけるからな!」
「好きに……。」
「好きにするがいいさ。ただし、貴様のしたこともその『パパ』に言うがな。」
馬鹿で、付け加えて七光りの男の姿が、広い背中で見えなくなった。
「……その醜態、朝までさらしていろ。」
聞くまでもなく、私にはその人がだれか分かったけれど。
「……行くぞ。」
こっちに振り返って、腕を掴まれた。
「隊、長。」
「……。」
何も言わず歩く隊長に私は小走りについていく。
「あぁ、お前か。えっと……アレグリアス・ヴィーチェ、……だったかな?」
「はい。……あの。」
しばらく歩いていると、数名の近衛隊の騎士に会った。
一人は私でも分かった。
近衛騎士のディノーバ・ライザック閣下だ。
事情を説明しようとすると、逆にライザック閣下が頭を下げる。
「いや、悪かった。宮廷魔導師のヤツからな、後宮内で召喚魔法が発動したかって報告受けてな。」
やっと隊長に並べて、隊長の顔を見上げるとものすごく怒った顔をしていた。
表情がこれといって普段の顔から変わったわけではない。
ない、が。
「……えっと、なにがあったか御存知ですか?」
「……まぁ、見てきたからな……現場。」
「……そう、ですか。」
それにしても、魔法の一つで発動からその地点まで分かるなんて、やっぱり宮廷魔導師は違うんだな……。
「なにはともあれ、無事でよかった。……大丈夫だな?」
顔を覗き込まれて、ふと気がつく。
ライザック閣下は……。
「近い。」
「痛。」
私を覗き込んでいたライザック閣下の顔を隊長は無理やり押しのける。
「……似てる。」
ライザック閣下は、隊長と似ている。
「……あぁ、まあ、兄弟だしな。」
「閣下と、隊長が、ですか?」
頭をかきながらちらりと隊長を一瞥する閣下は、やはり隊長と似ていた。
「そんなことはいい。……アレグリアス。お前、いつの間に氷の精霊まで呼べるようになった?」
じっとこちらを見られている……というか、睨まれている。
「あー、えと……?……もともと呼べますよ?私。北方の出身ですから、昔からよく一緒に遊んでましたし。」
テロルゴ王国では名前は家名の後に来るが、私は北方の異国から移住してきたので、名前は家名の前に入る。
「……私は見たことがないし、聞いたこともないぞ?」
「隊長、騎士の経歴見るのお嫌いですから……。そこに召喚関係の記述しておきましたよ?」
「ちゃんと書いてあったぞ。」
私に同意するライザック閣下は読んでいるようだ。
「…………前に似たような事例があったときは、炎の精霊を召喚していた。」
「あれは……氷の季節でしたからね。……氷の精霊呼んで、相手の身に着けていた鎧が皮膚に……なんて笑えませんからね。」
前にも確かに馬鹿な連中がいた。
そいつらは勇敢にも裾から手を突っ込んできたが。
あの時は、尻から下を皮膚を避けて衣服と装備だけ燃やし尽くした。
炎の精霊は召喚できるにはできる……が、手加減が難しい。
跡形もなく燃やし尽くすか、焦げ目になる程度という両極端の結果になることが多い。
だから、アレグリアスは滅多に炎の精霊を呼ばない。
「召喚魔法が使えるってんなら、魔導師の弟子に入って、もっと強化するって手もあったんじゃないか?」
騎士になって、先程のような事が起きてから初めて知った。
召喚魔法は珍しいのだと。
召喚した精霊と言葉を交わすなど、できないものだと。
そして、一番大きなものは素質。
精霊を召喚するだけの魔力と、それを制御できるだけの能力がないと召喚できない。
できたとしても暴走するだけらしい。
私は、ライザック閣下の言葉に首を振る。
「精霊は、私の友人です。私と私の剣は王国に捧げました。でも、精霊たちは……精霊たちの考えで動いてほしいんです。」
だから、召喚魔法なんて滅多なことでは発動しない。
「そうか、わかった。で、あの男はどうした?」
「……あぁ、ほっといた。なんか叫んでたけど、あそこ人通りがほとんどないし。」
朝まで気づかれないな。と答えるライザック閣下も眉を寄せている。
怒った顔もやはり似ている。
「そうか。」
そう言った隊長は私の肩を抱いてライザック閣下の横を通り抜けた。
「あっ……失礼します!」
振り返ることもあまりできず……隊長に許されず。
今度は、歩いた。
*************
城の門を抜けると、昨日も来た酒場に隊長は入っていく。
「……奥、借りるぞ。」
酒場の主人に簡潔に告げると、そのまま店の奥に入っていく。
いつも入る浴室を通り過ぎ、階段を上った。
「隊長?ここ、入ってもいいんですか?」
「あぁ。奥は、宿屋になっている。泊めるのは大体酔いつぶれた客だけどな。」
知らなかった。
「ここだ。」
一番奥の部屋に入ると、隊長は鎧をはずしはじめた。
パチン、パチン。
金具が外れる音。
ぱち……。
「……アレグリアス?君は何をしている?」
「…………え、隊長のお手伝いを……?!」
自分がしていたことにびっくりして手を放す。
副長が長かったせいか、隊長の手伝いをするのが無意識になってしまっていた。
「……君も外すといい。」
鎧を取ることを促されるので、素直に外す。
鎧を部屋の隅に置き、なんとなく、部屋のソファの端に腰掛ける。
「……隊長、聞きたいことがあるんですけど。」
「なんだ。」
同じソファに腰掛けた隊長は私を見た。
やはり睨んでいるように見える。
「……異動の事、なんで今日まで黙ってたんですか?」
「気づいていたか。」
「さすがに近衛への異動命令が1日や2日で出るとは思えません。最低でも2週間前には出ていたはずです。」
いくら同じ王宮内の人事異動とは言っても、前日に準備するように命令が届くなどありえない。
「……1か月だ。1か月。君に異動の話をするのをためらって、だ。」
「理由を聞いてもいいですか?」
隊長はため息をつく。
「さすがに、今回は聞きますよ。」
「ライザックに騎士団で近衛に回せる人材がいたら教えてくれと言われた。」
しぶしぶといった感じで隊長が話し出した。
「何人かの候補と一緒に……君の名前も出した。今日まで言わなかったのは……その、魔物討伐で頭が。」
「次嘘ついたら凍らせます。」
「…………寂しかった。君のためだと思って推薦したのに、いざ決定したら隊に居なくなるって考えただけで寂しくなった。」
「どうして、私のためと?」
言い方は悪いが、護衛騎士なんて権力者を守らなければならないという事で、自分が守りたくないような人間も守らなければならない時が来る。
私はそれが自分のためになる日が来るとは思ない。
「……私のためだ。」
そこまで言ってじっと隊長は私を見る。
もう睨んでいるとは思わなかった。
「隊長のため?」
「君が、好きだ。」
「君が好きで、どうしようもないくらいに、愛している。だから、怖くなった。君をいつかその……襲って、しまうのではないかと。あの男のように。」
「隊長?私、召喚魔法で、」
身を守れます、といおうとすると、止められた。
「分かっている……しかしその前に、君は女性だ。しかも情に厚い。自分を襲った男をなぜ、全身氷漬けにしない?なぜズボンだけではなく、焼き尽くしてしまわない?しないんじゃない、できないんだ、君には。アレグリアス。それぐらい分かるのだと自惚れさせてくれ。」
隊長は、私の手をそっと取ると、自分の手で包む。
「アレグリアス、お願いだ。慈悲などかけず私を隊長としてでも、騎士としてでもなく、ただ一人の男として愛せないというのであれば、この手を抜いてくれ。……そうすれば、私は君の前から消えるから。」
そんな言い方は、ずるいと思う。
私の前から消える、なんて言われると行かないで、と言いたくなる。
それすらも隊長は分かっているのか。
「隊長は、私が怒っていることは分かっていますか?私には、話もしないで異動させられて、襲われそうになったら怒ったような顔で話しかけても答えてくださらないし。」
「……すまない。」
手を覆っていた隊長の手が離れそうになるので、片手でヴォルガさんの両手を止める。
「魔物討伐の夜だって、自分の仕事を片づけられたらさっさと酒場に行ってしまわれるし。いつもは待って下さるのに。」
「……すまない、二人きりは……無理だ。」
私がもたない……。と小声で呟く隊長の言葉を流して続ける。
「酒の勢いで好きだ、って叫ぶし、泣くし。……汗臭いの気にして離れたいのに、気にしないって近づいてくるし。……かと思えば寝ちゃうし。」
「……すまない。」
「……泥酔で覚えてないし。」
見上げると、痛そうにうっと唸る隊長。
今の間は自覚のない返事ですね?
「そういえば、昨日隊の人に言われたんですけど。」
「なんだ?」
隊長がビクついている。
なんか可愛い。
「隊長、酔うとだれかれかまわず好きだって連呼するんですね。昨日、お風呂かりて、上がってみたらそんなこと聞きました。『隊長さんはだれかれ構わず告白大会になるから、惚れんなよ』って。」
がくりとヴォルガさんの両手が私の手からすり抜けた。
「自分から手を抜くのはありなんですか?……とまぁ、私こんな風に人の揚げ足獲っちゃうんですけど。」
びっくりしながら私の手を掴むヴォルガ様の顔を覗き込む。
「ちなみに、『もう惚れてるから手遅れですよ』って答えておきました。私も、隊長……ヴォルガ様が好きです。具体的には普段無口なのに酒に呑まれて騎士団全員に告白しまくるところが。」
惚れてるから、といった時点で真っ赤になってしまっていたので、この先はやめておくことにした。
「駄目だと思った。」
「駄目ならさすがに何も言わずに部屋を出ます……というか、部屋にすら入りません。」
というか、そもそもここまでのこのこと着いて行くはずがない。
さすがにこんな時間に宿屋に入った時点で逃げるつもりは毛頭なかった。
いくら私でもそれぐらいの意味は理解できる。
鎧を脱ぐのを手伝ったのは、無意識だったが。
「でも狙ったわけじゃないですからね?」
「分かってる。アレグリアス、君が好きだ。」
「はい、ヴォルガ様。私も大好きです。」
手を握っていたヴォルガさんの手が頬を挟む。
ゆっくり私の方に体重がかかり、肘置きに頭を乗せる格好となった。
「アレグリアス……。」
頬に触れるヴォルガ様の指は極端に冷たい。
私はそれを暖めるように自分の手を重ねた。
*************
目をあけると、部屋はまだ暗い。
「隊長?」
起き上がり、シーツを引き寄せるが隣には寝ていない。
「どこですか……っ!」
下腹の辺りの違和感、鈍い疲労。
どれも動作に支障をきたすことはないと判断した。
手早く衣服を身に着けると、帯剣して部屋を出る。
「隊長、……ヴォルガ様。」
廊下を見渡しても、人影はない。
下の階かな……?
二階に上がるときは全く気にも留めなかった階段の軋みが、嫌に響いて聞こえる。
「あ、たいちょ。」
「……にしても、本気か?後始末が面倒だぞ。」
酒場の隅の席にヴォルガを見つけ、近づこうとするとヴォルガの隣に座っている人物に気がついて、足を止める。
ライザック閣下?
そこに座っているのは昨夜兄弟と判明したヴォルガ様の弟君のライザック閣下だった。
「あぁ、分かっている。しかし、俺に彼女との結婚の意思はない。」
「泣くんじゃないか?あの子、気丈に振る舞ってるが多分折れるくらいもろいぜ?」
「俺は知らん。そんなこと。」
いつもは一人称が私のヴォルガ様が俺と自分の事を呼んでいる。
酔っているとき以外に聞くことはない一人称。
きっと、ヴォルガ様にとってはこっちの方が素なのだろう。
「そうは言ってもよ、あの子は王宮勤めだろ?会うんじゃないか?実際昨日も会ったんだろう。」
王宮勤めで、ヴォルガ隊長と今日会った……。
……私……?
二人が話している人って……私なの?
「他の件も、全部お前にやる。俺は知らん。……アレグリアスが起きてくる。」
チッと舌打ちをすると、弟から冷ややかな目で見られる。
正直、アレグリアスとの時間を割くほどの内容の話でもない。
「うわー、……手伝わねえ。こんな男のために動きたくねえ。」
「後でちゃんと礼はする。……じゃあな。」
貸しだからなー、という言葉を背中で受け止めて片手を挙げる。
「アレグリアス……?」
ベッドには誰もいない。
風呂にでも入っているのかと思ったが、気配がないのでそれも違うだろう。
「?アレグリアス、どこに……。」
行ったんだ、と部屋を見渡してみるがやはり誰もいない。
彼女の鎧もなくなっている。
出て行った?
さすがにそれはないだろうと廊下へ出る。
さっきまで酒場に居たし、階段は一つしかない。
行き違いという事ではないとは……思う。
「おや?ヴォルガの坊ちゃん、お連れの方とはご一緒じゃなかったのかい?」
酒場の女将で自分が子供の頃から懐いていた女性が掃除道具を片手に階段を上がってきた。
「あぁ、出て行ったのか?」
「お仕事があるそうで……お代はちゃんとお二人分いただいたから、てっきりもうお発ちになったのかと思ったよ。」
仕事、だと?
確かに異動してすぐだ。仕事がないわけではないだろうし、忙しくないわけでもないだろう。
しかし、アレグリアスはそんなに仕事人間ではない。
適度に手を休めるし、急いで仕事を片づけたがるタイプでもない。
仕事を片づけることも遅いわけではない。
ただ、他の人間の仕事を手助けしているうちに仕事が溜まっていくタイプだ。
そんなところも、好きなのだが。
「…………そうか。ありがとう。」
部屋に置いたままの鎧を手に取る。
鎧は、冷たかった。
*************
……避けられている。
気のせいでなければ、俺はアレグリアスに避けられていた。
近衛の詰所に行っても姿を見ない。
行方を聞いても、いつの間にかいなくなったという返事ばかり。
一度詰所で待っていたが、……仕事をほったらかして待ったが、帰ってこなかった。
しかも、夜に下の弟に見つかって怒られた。
「アレグリアス・ヴィーチェ……ですか?彼女なら、王女殿下の護衛としてアイルファードに出張するための準備に追われているのでは?……え?いつ戻るか?……そうですね、出発は明後日の明朝ですから……それから最短で十日……ぐらいじゃないですか?」
ライザックの奴が溜めに溜めた書類を机に積んでいく。
当然だが、本人の机だ。どうせまた、アルバートの机の上に置いて押し付けたつもりなのだろう。
それよりも、アレグリアスだ。
明後日アイルファードに発つという事は、明後日までに会えなければ、十二日も会えないという事になる。
……耐えられん。
項垂れていると、詰所の扉が開く音が聞こえた。
「……あれ?アルに……ヴォルガ?なんだ、二人して。」
名前を呼ばれたので、声の主は分かったが敢えて応えるようにそちらを向く。
「兄上こそ。仕事、置いておきました。早いものは夕方までに片づけてくださいね?」
それを聞いたライザックがとても嫌そうに顔を歪めた。
「げ。……なんだ、ばれたのか。」
しかし、ばれるのは分かっていたのか、大して痛くもない顔で椅子に腰かける。
「ま、明後日までに片づける物しか残してねぇんだろ?」
ライザックがそう言うと今度はアルバートが嫌そうな顔をした。
「……そういう所が腹立ちます。」
「まぁ、押し付けた分はこれの三倍あったからな。」
そんな会話を弟達が続ける中で、一つ引っかかるところがあった。
「……明後日?」
「ん?あぁ、今回アイルファードから王女が嫁に来るだろ?それの、テロルゴ側からの護衛は明後日の明朝……」
「それは知っている。……お前も行くのか?」
アレグリアスが行くところに?
弟も?
「あぁ。一応近衛の騎士だからな、俺。」
皆行くわけじゃないけどなー、というライザックの言葉はすでにヴォルガの耳には入っていない。
「……け。」
「は?」
「え?」
何を言ったか自体が聞こえたわけではない。
わけではない……が。
何を言ったのかが、彼らには分かってしまった。
ライザックは、「書類が増える」とぼやき……。
アルバートは、「……隊はどうするんですか……。」と頭を抱えた。
「俺も、連れて行け。」