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3話 電車の中で

 連続殺人事件には興味があった。

 もちろん、この事件に関してこの辺りの人間が興味を持たないはずがない。何しろ今まで「殺人」という事に無縁だったこの街が連日新聞を賑わす事件の舞台になっているのだ。

 自分が被害者になるかもしれないと思っている人々は怯え、自分は無関係だと思っている人々はあれやこれやと無邪気な推論を交わしている。隣に立っている人間が殺人鬼かもしれないなんてことは考えずに。

 電車に揺られながら雅斗はいつものように買ったばかりの小説を読んでいた。

 蝶の館と呼ばれる屋敷で殺人事件が起きるというありきたりな内容だった。タイトルを見た時点で陳腐な内容だろうと覚悟はしていたが、雅斗には「蝶」と名の付く本をつい買ってしまうと言う癖があるのだ。

 本を読み進めながらも彼の思考は昼間一樹が話した内容のことに至る。

 天野が被害者になるかもしれない。

 もしも彼女が明日遺体で発見されたならどういう気分になるだろうか。憤慨するだろうか、それとも・・・

「有賀くん」

 呼ばれて彼は本から目を離す。

 にこりと微笑んだ少女が隣に立っていた。

「今日はとことん縁があるのね」

「そうだな」

 しおりをはさんで本を閉じると、天野は興味深そうにのぞき込んだ。

 そう言えば彼女も結構な本好きだ。

「読書の邪魔しちゃった?」

「いいや。どうせもう犯人分かったから」

「推理? あ、それ私も読んだことあるわ」

 しおりの挟んである一を見て彼女は首を傾げた。

「まだ、最初の事件が起こったあたりよね?」

「ああ」

「くやしいわ、どうして犯人が分かっちゃったの?」

 彼女はそう言いながらも微笑んだ。

 悔しい、と言いながらも彼女は楽しそうだ。

「私、次の事件が起こる直前まで分からなかったわ」

「それでも普通早いほうだろう? 俺は犯人が考えていること手に取るように分かるからな。特にこういうタイプの小説の場合」

 分類的に言えば推理よりも犯人の猟奇的な面を楽しむというホラー小説。

 犯人が猟奇的であればあるほど単純で分かりやすくなる。心理状態が自分によく似ているからだ。そんなことは口が裂けても言えないが、頭の良い彼女には理解されてしまっただろう。

 一瞬だけ彼女は何とも言えない複雑な表情を浮かべたが、すぐに笑顔に変わる。

 出来た人だ。

「頭が良いのね、有賀くんって」

「天野に言われたくないな、全国共通模試五位」

「やだ、何で知っているの? 中学の時の話よ」

 照れたように顔を赤くした少女はうつむいた。

 さらさらと流れる黒髪の間から白いうなじが見えて雅斗はぎくりとした。白磁のような肌にかかる糸のように細く黒い髪。

 何を連想したのかを知って、荒くなりかけた息を詰める。

 蝶だ。

 黒く薄い翅に赤い斑紋を落としたような蝶。引き裂かれた翅で宙を舞い、人の死を笑うように飛び回っていたあの蝶。

(だめだ)

 彼は目を閉じる。

(これ以上、思い出したら、だめだ)

 思い出したのはきっと「天野が次の被害者だ」と思ってしまったからだろう。だからあの蝶の事を思い出しそうになっているのだ。見間違いだ。そう、気のせいなんだ。

「・・・どう思う?」

 不意を付かれて覚えず声をあげるところだった。

 見れば既に別の話題を持ち出していたらしい天野が大きな瞳でこちらを見上げている。息を吐いて取り敢えず笑みを作る。

「あ、悪い、聞いてなかった。何だって?」

「ううん、別に何でもないわ。そう言えば有賀くんのところにも来た? 聞き込みの警察官」

「連続殺人事件の? ああ、この辺りをしらみつぶしにしているみたいだな」

「未成年にも聞き込みってするのね、驚いたわ」

「今は子供だって殺人犯になれる時代だからな。天野より弟の方が長く聞き込みされなかったか?」

 彼女は少し首を傾ける。

「どうして分かるの?」

「連続殺人事件の犯人には男性が多い。快楽殺人なら余計に」

 少し考えて彼女は頷く。

「確かにそうね。なるほど、私よりも弟が疑われている訳ね」

「疑うと言うよりは可能性を確かめているレベルだけどな」

「それならもう少し女性も疑うべきだと思うわ。・・・そう言えばどうして私に弟がいるって知っていたの?」

「一樹に聞いた」

「ああ、一色くん。じゃあ、弟が一色くんを犯人じゃないかって疑っているって話も聞いたの?」

 聞かれて頷く。

 天野自身がその話を耳に入れていたというのは少し意外だった。

 彼女は弁明でもするように雅斗の瞳を見つめた。

「本気で疑っている訳じゃないのよ。ただ、一色くんってもてるでしょ? だから一色くんの事が好きな女の子が近づく子を・・・って話を弟がしていたわ。だから近付くなって念を押されたんだけど」

 肝心な部分を濁したが何を言いたいのかはすぐに分かる。

 天野の弟は思っていたよりバカじゃない。

 でもね、と彼女は笑う。

「私、そう言う人が犯人ではないと思うの」

「どうして?」

「理由は無いわ、願望だもの。人をそれだけ好きになれる人に人殺しになって欲しくないだけよ」

「優しいな、天野は」

「そんなこと無いわ」

 彼女は肩をすくめる。

「でも、殺人事件だってことは、誰かが犯人なのよね。推理小説なら、一番犯人らしくない人が犯人っていうのが定番だけど・・・・早く終わって欲しいわ、こんなこと」

「そうだな」

 同意したように雅斗は頷く。

 けれど、心中では真逆の事を考えていた。

 この事件はまだ終わって欲しくない。混乱や混沌が欲しいわけではない。せっかく興味を持ち始めた事件なのだ。もしかすると自分の視界に入っている誰かが犯人かもしれない事件だ。

 せめて、自分が犯人に辿り着くまではこの事件は終わって欲しくない。

 次の被害者は天野。

 そう言う展開も、そう悪くない。



   ※  ※  ※  ※


「ここですか?」

「ええ、ここよ」

 示されたのはちょっと古い感じはするものの、どこにでもある普通のマンションだった。目だったセキュリティシステムは無く、唯一の防犯らしいものは一階出入り口にある管理人の部屋くらいだった。そこすらも「すぐもどります」という張り紙がされていて、今は人の気配すら無い。

 藤岡眞由美は一人暮らしだと言う。

 こんな防犯設備も無い場所で女性が一人暮らしをしていて大丈夫なのだろうか。

 愛は慣れた様子でエレベータに乗り込むと三階のボタンを押す。「HERMES」と描かれた紙袋が僅かに揺れた。

 三階まで上がると、彼女は左側二番目の部屋のインターホンを押した。壁には「ふじおか」とハートマーク入りで示されている。

 奥から「はーい」と弾んだ声が聞こえた。

 がちゃり、と扉がキーチェーンの長さの分だけ開かれる。

「おはよう、まゆみちゃん?」

「きゃー!!」

 藤岡はまるで痴漢にでもあったかのような声で叫び、再び扉を閉めようとする。

 しかし、

「残念でした」

 愛は自分の足をドアストッパーにして勝ち誇ったように笑う。

 扉を閉め損なった藤岡は恨めしそうに睨んだ。

「ちょっと、ドアが閉められないじゃない!」

「話があるの。閉められたら困るでしょう?」

「け、警察呼ぶわよ」

 とても不真面目な警察官「岩崎愛」はさも親切そうな笑顔で答える。

「あら、何かご用かしら、藤岡さん?」

「・・・・」

 言われて自分の口にしたことのばからしさに気付いた藤岡はぶすっとした。

 藤岡は、確かに綺麗な人だった。ロイヤルブルーの薄手のセーターに黒いベロアの短いスカート。聞いていた通り伊東とそれほど変わらないほど長身だった。顔立ちは端正で、唇にはピンクのリップが塗られている。

 だが、どう見ても男にしか見えなかった。

 もちろん、男性のように肩幅が広く筋肉質な女性がいてもおかしくないと思う。だが、藤岡はどう好意的に見ても「ちょっと綺麗なオカマ」にしか見えない。そして、声もまたどこか野太さが混じる「男の裏声」に聞こえた。

「・・・何の用?」

「久しぶりに会ったのに、再会を喜んでもくれないの?」

「あ、あんたと関わるとろくな事がないのよ!」

「ふぅん、これでも、そう言える」

 彼女は紙袋を藤岡の目の前に突きつけた。

 藤岡の目が中央に寄る。

 そろり、と手が紙袋に向かって伸びる。愛はにこりと笑ってそのまま紙袋を身体の後ろに隠す。伺うように藤岡は背伸びをした。

「エルメス?」

「バーキンよ」

「そ、そんな姑息な手段に乗ってたまるもんですか!」

「新作」

「う・・・っ!」

「しかも国内20の限定品。五分で完売」

「は、話くらいなら聞いてあげてもいいわよ。そうね、十分で行くから向かいのカフェで待っていて」

 すっかり上機嫌になった藤岡は部屋の中へと消えていった。

 ぽかん、と口を開けたまま成り行きを見守っているしか無かった伊東はようやく重い口を開いた。

「だ、男性ですよね?」

「ええ、通称オカマ」

「・・・ひょっとして‘ふじおかまゆみ’だからオカマなんですか?」

「そうよ、可愛いでしょう? 本名はか・・・・」

 遮るようにがちゃりと扉が全開になる。

「ちょっと、愛! ・・・あら、いい男♪ ・・・じゃなくて、本名ばらしたら協力しないわよ」

 再びドアが閉められ、辺りに静寂が戻る。

 想像以上に規格外れな「仲間」が登場したことで伊東の胃痛はさらなる激しさを増した。ひょっとして自分はとんでもない上司を「押しつけられた」のではないだろうか。

 この胃痛にはどうやら暫く悩まされそうである。


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