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29話 導かれるように

 山に面した道は夜ともなると人通りが少なくなる。

 少し開けた砂利道に車を停車させる。車を降りて夜景の見える高台の上で、伊東は煙草に火を付けた。

 冬場の風は冷たく熱くなった頬と頭を急激に冷やしていった。頭に血が上ってつい飛び出して来たのだが、実際に当てがあってのことではない。

 ただ、あれ以上中津刑事と話していても埒があかないと思ったのだ。

 警察署を飛び出して、煮え立った頭で車を走らせていると自然とここへ辿り着いていた。こんな何もないところまで来てしまうと言うことは、少しは頭を冷やせと言うことだろう。

 煙を吐き出して苦笑した。

 中津の言い分が分からないほど、伊東はバカではない。

 捜査一課に配属されてからそれほど立っていないが色々な事件と、捜査の仕方を見てきた。今回の連続殺人事件は中でも大きな事件だったが、捜査方法に変わりなかった。単独行動をとったが為に殉職した刑事もいるのだと聞かされた。だから自分のしていることがどんなに危険なことなのか知っている。

 それでも、本部の捜査に参加する気にはなれなかった。

 初めはそれでも従っていた。そうするのが適当だと思っていたからだ。でも、今は警察手帳を置いてでも本部とは違う捜査が必要だと感じる。

 日に日に増して言いく確信は、焦燥感にも似ている。

 不意に懐で音楽が鳴った。

 音楽は短い電子音ですぐに切れる。

(・・・メールか)

 伊東は携帯電話を取りだしてボタンを押す。

 送信者の名前は藤岡。

<今、どこにいるの?>

 戻ってこい、と岩崎が言っているのだろうか。上司である彼女には迷惑をかけてしまった。

 だが、今は戻る気にはなれない。

 メールを返信しようとして彼はふと手を止めた。

「・・・・?」

 どこからか、子供の泣き声が聞こえる。

 聞き覚えのある子供の泣き声。否、子供の泣き声など、結構似通っているものだ。だから今まで聞いたことある声に似ているだけで、その子供の泣き声では無いはずだ。

 伊東はおもむろに視界を巡らせる。

 お腹の底から何か嫌なものがせり上がってきて肺にたまってしまったような奇妙な感覚に襲われる。

 子供が泣いていた。

(・・・馬鹿な)

 伊東は車道に立つ子供を信じられないという表情で見つめた。

 男の子とも女の子ともつかない格好をしている子供は顔を両手で覆って肩を振るわせながら泣いている。

 彼はそれに押されるように一歩後退した。

 透けている。

 子供の身体は透き通って後ろの景色が映っている。

 明らかに尋常の姿ではなかった。

 息をすれば子供が自分の中に入ってきてしまいそうで、覚えず息を詰めた。

 これは一体何なのだろうか。幽霊か、それとも幻覚か。本当に存在していても、こんな時間、こんな場所に子供がいること自体が不自然なのだ。

『・・・・けて』

 ぽつり、と子供が声を出す。

「?」

『助けて・・・・を、・・・めて』

「・・・え?」

 ごお、と音を立てて子供の上をトラックが通り過ぎる。

 生きた人間ではない、と分かっていながらも伊東は目を瞑った。

 ゆっくりと、目を開くと、トラックは何事も無かったかのようにもう随分と先まで走っていた。車道に目を向けると、子供の姿はもうどこにもなかった。

 変わりに、細い輪郭だけの蝶がふわりと舞い上がる。

 青いネオンのような寒々しい蝶は、まるでこっちに来いと訴えかけるように伊東の側を舞った。

(・・・・追わなくて、は)

 本能が、そう囁いた。

 追わなくては、いけない。

 煙草を灰皿の中にもみ消して伊東はエンジンをかける。

 まるで何かに取り憑かれたように光る蝶の姿を追って走り出した。車で追いかけているのに、蝶と彼との間は縮まらず一定の間隔を保っている。

 奇妙な事のはずなのに、伊東はそれが不思議な事のように思わなかった。

 何の疑問もない。

 今の伊東に取っては追いかける事こそが当然の事で、蝶の正体や何故追わなければならない気になっているのか、全く疑問には思わなかった。

 山道に入り、やがて蝶は道路を外れて森の中に入っていく。

 伊東は乗り捨てるように車を降りた。

 車の接触した跡が残る歪んだガードレールを飛び越えると、下は急斜面になっている。覆い茂った草木にスーツが引っかかる。湿気を帯びた斜面に足を取られ思うように進めない。

 滑るように降りて行くと乾いた枝が頬や手に当たり小さな傷を作る。

 やがて、草木の生えていないなだらかな場所にたどり着く。

 赤黒い塊があった。

 鈍く光る月明かりが、木々の間から細く降りている。

「・・・?」

 伊東は目を凝らした。

 黒い塊。

 人くらいに大きい。

「・・・人だ!」

 我に返り、その人影に駆け寄った。

 死体だろうか、衣服が真っ赤に染まっている。長い髪が扇状を描き地面に広がっている。うずくまるように身体を曲げ、ぴくりとも動かなかった。

 生きていないのなら下手に触らない方が良いだろう。

 彼は膝を折って顔を覗き込む。

 顔を見て、息を飲んだ。

「天野・・・真里?」

 紛れもなく、今探している少女だった。

 写真で見た少女と同じ顔。そして弟ともよく似ている。

 彼女の手は腹部に添えられ、そこからおびただしい量の出血が見られた。まるで鋭い刃物で切り裂かれたかのようだ。

 伊東は少女の口元に耳を近づけ、同時に首筋に指を当てて脈を取る。

「・・・・生きている」

 呼吸は浅いが彼女は確かに生きていた。

「天野さん、聞こえますか? 天野、真里さん!」

 少女は目を開かない。しかしまぶたがぴくりと動いた。

「すぐに救急車を呼びますからね、頑張って下さい」

 彼は急いで携帯電話を手に取り救急車を呼ぶ。

 青いネオンの蝶が携帯電話を持つ手に当たってふわりと形を失った。

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