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1話 変わらない日常、些細な変化




 時計は既に八時近くを指していた。

 学校の始業時間は八時五十分。どうせギリギリの電車に乗るのだから急いでも意味がないのだが、いつもこのタイミングで母親に急かされるのだ。

「雅斗、そろそろ出ないと遅刻するわよ」

 電車が遅れでもしない限り遅刻はしないだろう。現に高校入学してから今まで遅刻したのは大雨で遅れた一度だけだ。それもやむを得ない事情のために遅刻としてカウントされていないことくらい母親も知っているはずだ。

 それでも注意しなくてはいられないのはこの人の性分だろう。

 雅斗はホットカフェオレを飲みながら新聞のニュースに軽く目を通す。目立った記事は『アイドル藤岡眞由美結婚』『インフルエンザ流行』『連続殺人事件に』の三つ。このくらいを頭に入れておけば時事話題に困ることはないだろう。

 記事に目を通し、意訳してたたき込む。

「ほら、まーちゃん、早くしないと遅刻するわよ」

「まーちゃんって呼ぶなっての」

 母親に急かされて仕方なく家を出ることにした。

 本当に毎日面倒だ。

 自宅を出て自転車を走らせるとすぐに頬が冷たくなった。この辺は雪の多い土地ではないが、やはり冬は寒い。雪国育ちの経験のある雅斗にしてみればコートを着る必要はないのだが、街にはコートを着込んだ人であふれている。せいぜいブレザーの下に着たセーターとマフラー、手袋くらいの防寒具で済んでいる雅斗の方が珍しいようだ。

 駅の駐輪場に自転車を放り込んで駅の階段を一気に駆け上がると、むしろ熱いくらいの熱気が制服の中にこもった。首元まできっちり締めてあったネクタイをゆるめると彼はようやく息を吐く。

 この時間はちょうどラッシュを過ぎた辺りで比較的駅は空いている。ホームに降りるとちょうど向かいのホームから電車が走り出したところだった。

 今日はいつもより少し早い。

「あれ、有賀くん?」

「ああ、天野か。珍しいな」

 声をかけてきた少女に雅斗は笑顔で答えた。

 同じクラスの、天野真里だ。

 高校入学した当初、出席番号が近いという理由で何度か会話をしたが、そのくらいしか接点がない。学校内では彼女の人気は高い方で、彼女狙いの男子も結構いる。ただ、頭も良く人当たりのいい彼女は高嶺の花で、積極的にアピールしてくる強者は少ない。そうでなくても「クラスの女子」という鋼鉄の壁が彼女の周りには存在しているのだ。

「おはよう、有賀くんはいつもこの電車なの?」

「ああ、天野は寝坊?」

 雅斗とは違い天野はいつも早く登校しているらしい。少なくともこの時間に彼女に会うのは初めてだった。

「そうなの、昨日夜更かししちゃって」

「勉強でもしてたのか?」

「まさか。ネットでゲームしていたらはまっちゃったの」

「へぇ、意外」

 彼女はゲームとかやらないイメージがある。

 ましてネットゲームのような俗世的なイメージは皆無だった。勉強しているか、読書をしているか。そうでなければ古い外国の恋愛映画でも見ていそうだ。

「ネットゲームするんだ。何の?」

「チェス」

「なるほど」

 それならまだイメージの範囲。

「強い人がいて、なかなか勝てなかったの」

「へぇ、勝てない相手いるんだ」

 彼女は頭が良い。頭が良いと言うことがチェスが強いということに直結する分けではないが、彼女の口ぶりからは相当強い相手だと言うことが読みとれる。案外とプロという可能性もあるだろう。そもそもネットゲームは匿名性の高いゲームだ。

「日本人らしいけど、凄く強いの」

「そりゃ是非とも一度勝負したいな」

「有賀くんもチェスするの?」

「まぁ、昔はな」

「アドレス教えようか?」

「ああ、ぜひ」

 鞄の中からメモ帳とペンを取り出して彼女はURLをとIDらしき番号とアルファベットを綴った。

 シンプルなメモ帳の上で踊るファンシーなウサギ付きのペンが少し気になった。彼女の趣味だろうか。それとも誰かにもらったのだろうか。

 考え込んでいるとメモを差し出された。

「はい、上のIDがその強い人。下が私のID。もし見かけたら声をかけてね、チャットも出来るから」

「ああ」

 短く返事をしたところで電車が入ってきた。

 外気に晒されていた頬が冷たくなり始めていた。


   ※  ※  ※  ※


 毎朝、彼は予鈴がなる直前で校門をくぐってくる。

 それを見送って朝練を終えるのが尚の日課だった。

 一年の有賀雅斗。クールで頭が良く、アイドルのように顔立ちの整った彼はその他大勢の男子生徒達とは異なった空気を持つ。彼の周りだけが特別だった。

 他の女子、とりわけ尚の周りにいる陸上部の後輩達は彼よりも彼と良く一緒にいる金髪の男・・・一色と言っただろうか・・・彼の事の方にきゃあきゃあ言っている。尚に言わせればつき合っても浮気をしそうな軽い男なんか雅斗の足下にも及ばないと思う。多少顔は良いがそれだけの男だ。

 もちろん彼の方が良いという女子もいたが、一緒に騒ぐ気にはなれなかった。奇跡でも起こらない限り自分のものにならない芸能人なんかとは違って雅斗は自分の手の届く範囲にいるのだ。わざわざ牽制し合わなければならない仲間を増やす気にはなれない。

 ナオは彼の姿を認めて校門の近くまでラストスパートをかけた。

(・・・あれ?)

 いつもの「雅斗」を見るつもりだった彼女は不意に足を止めた。

 隣に、違う誰かがいる。

 金髪ではない。男じゃない。長い髪の女。

 遠くからでもそれが誰であるか分かって彼女は唇を噛んだ。

(天野真里)

 アイドル崩れのような名前と、いかにもお嬢様な外見を持つ一年。長い黒髪に甘やかされて育ったような世間知らずな顔。皆彼女を可愛いと持て囃したが、尚はどうしても好きになれなかった。

 あの仮面の下にどんな顔を持っているか分かったもんじゃない。ちやほやされていい気になっているあの女も、それを取り巻く連中も好きにはなれなかった。

 その天野が、どうして雅斗と一緒にいるのだろ。

「先輩、予鈴鳴りましたよぉー」

 息を切らして追いついてきた後輩に声をかけられてはっとする。

 もう部活を終えなければならない時間だ。

「各自柔軟をして解散」

 高く言って彼女はざっとグラウンドを見渡す。陸上部の部員達は彼女の声で各々歩きながら身体をほぐし教室へと向かっている。

 プールが封鎖されている間、陸上部と合同練習をしている水泳部がまだ遠くで走っているのが見えて何故か無性に腹が立った。

「そこのネクラ水中部! チンタラ走ってんじゃないわよっ!」

 厳しく言うと歩いて戻ってきた男子生徒達が内緒話をするように小声で言う。

「・・・怖ぇー」

「沢田もよくやるよな。あっちにいるの江田だろ? あいつタッパあるし、しゃべんねぇし、怖ぇよな。人平気で殴り殺しそうじゃん」

「言えてる。俺この間あいつが背後にいてマジびびったっての」

「あいつに色々言うの沢田くらいじゃん? そのうち死体で発見されたりしてな」

「うっわーシャレになんねぇじゃん」

 声を潜めていたはずがいつの間にか普通の声で喋っている。全て聞き漏らさなかった尚は男子部員達を睨む。彼らは肩をすくめて教室の方に急いでいった。

(全くどいつもこいつも)

「・・・おい」

「きゃあ!」

 男子生徒に気を取られ江田が走り終えて戻ってきているのに気が付かなかった尚は、突然頭の上から降ってきた低い声に悲鳴を上げる。

 黒髪、黒縁メガネの大男は尚を見下ろしていた。

「な、何よ」

「俺を目立たせるな」

 威圧するような声。「平気で殴り殺しそう」という言葉を思い出して少しぞっとする。

「あ・・・、アンタが悪いんじゃない。大体ね、目立つのが嫌ならその髪切ればいいでしょ? 男のくせに鬱陶しい!」

 彼は静かにナオを見下ろした。

「・・・・」

「何よ、やる気?」

「・・・別に」

 江田は諦めたような表情で昇降口の方へ向かっていく。突然の江田の出現に驚いた生徒達が次々と彼に道を譲っていった。

 高校生にしては体格の良すぎる彼は元から目立つのだ。それを尚のせいにしているところが気にくわなかった。何より、一瞬でも彼に怯えてしまった自分が気に入らない。

(何よ。どうこうする勇気もないくせに)

 本当に世の中の何もかもムカツク。


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