26話 警察手帳
「あー、もうだめっ!」
小さな会議室に藤岡の叫び声が響いた。
パイプ椅子にあぐらをかいて座る彼の目の前には手鏡やボールペンなどが転がっている。それは事件の被害者達が最後に身に着けていたものだ。
証拠品になるものであるから本来ならば素手で触ることはないのだが、もう既に鑑識に回った後のものだ。遠慮せずに彼は素手で握りしめた上、テーブルの上に投げ出した。
その様子を見ていた原村は腕組みをしながら問う。
「見えませんか」
机の上に肩肘をついて彼は唸る。
「見えないってより、邪魔されている感じかな。途中からノイズが入ったみたいに全くみえなくなるの。何の歌なのかは分からないけど、歌声だけは聞こえる。みんな同じ曲だと思うわ」
「・・・全員ですか?」
「遺体の見つかっていない女の子を除いてね。彼女の私物は遺留品じゃないから、私の力じゃ無理」
お手上げ、と言う風に彼は両手を上げた。
彼には特殊な能力がある。事件や事故の現場に残されていたものに手を触れると、持ち主の強い感情を見ることが出来るという。
藤岡本人がそう言っているだけで、実際に確たる証拠はない。しかし、信じなければ説明のつかないようなことまで藤岡は言い当てる事ができる。そのため、彼の能力は重要視されるのだ。
もっとも、霊能力という類を信じないため、彼を快く思わないものも多い。
藤岡が警察を辞める事になったきっかけの一つに、そういった連中との確執というものがあるのだ。
「せめてもう少し歌がはっきり聞こえればいいんだけどねぇ・・・」
「どういう歌なんですか」
「ええっとねぇ」
藤岡はメロディーを口ずさむ。
それに重なるようにして、隣の部屋からどん、と机を叩く音と怒鳴り声が聞こえ彼は苦笑いを浮かべた。
「あらら、またやってるのね」
「有賀雅斗の事でもめていましたからね」
「勘とか霊能力だとか、大嫌いだもんね、中津刑事は。・・・どれどれ、ちょっと野次馬でもしてこようかしら♪」
楽しそうに言いながら彼は会議室の外に出た。
捜査本部は一色一樹と有賀雅斗の共犯説を強く押してきた。実際彼らが犯人であれば説明のつくことが多すぎるのだ。動機の面では曖昧なところが多いが、共犯、若しくは有賀雅斗単独による連続殺人事件なのだという説が濃厚になってきた。
そもそも一色の証言にはまるで作られたシナリオのように淀みがないのだ。それは有賀も同じ事で、彼の場合、真面目で頭の良いところが余計に疑いを深めているのだ。
近年、少年犯罪というものは大人しく教師の評判のいい生徒ほど凶悪な事件を起こす傾向にあるのだ。
それも踏まえ彼を重要参考人として任意同行を求めるか、という話に至ったとき、伊東が彼は犯人ではないと言いだしたのだ。
しかし、それには証拠がなく、それが原因で中津刑事ともめている。
(いくら彼が岩崎刑事と一緒で逆知が出来たとしても証拠無しじゃ中津さんが納得するわけないものね)
そして他の刑事ももちろん納得はしないのだ。
廊下から覗き込むと、他の刑事と言い争っている伊東の姿が見える。少し離れたところで中津と愛が難しそうな顔で腕組みをしている。
「いくら0班とはいえ、犯人ではないから捜査を中止しろ、などということが通る訳がないだろう!」
「捜査を中止しろとは言っていません。彼が犯人であるという前提で捜査をしないで欲しいと言っているんです! それで捜査が遅れて被害者が出てしまったらどうするんですか!」
「だからといって容疑者を放置出来る訳がないだろう!」
「彼は容疑者ではありません!」
「ならば証明できますか?」
尋ねたのは腕組みをしている中津だった。
さすがに声を荒げることはせずに冷静に伊東を見据える。伊東はぐっと言葉に詰まった。
証明できるだけの証拠がないのだ。これは彼が犯人という証拠を掴むより難しい話だ。
ふう、と中津が溜息をつく。
「貴方には捜査から外れてもらった方がいいのかもしれませんね」
「・・・っ!!」
伊東は顔全体を赤くして机の上に警察手帳を叩き付ける。
衝撃に堪えきれなかった書類の山がばさばさと音を立てて床に散った。
「もういいです、俺一人でやりますから」
「伊東!」
彼は上司の静止を無視して部屋を飛び出す。すっかり頭に血が上っている様子の伊東は藤岡達にも気付かず通り過ぎた。
「イトメくん、やるぅ〜」
口笛を吹いて喜ぶ。
中津に睨まれ藤岡は肩をすくめた。
すかさず愛が口を挟む。
「確実な証拠でも出てこない限り彼らを容疑者として扱うのはどうかと思うわ」
「だからといってあなたがたの勝手をこれ以上許すことはできませんよ。そうでなくても六年前の事がありますからね」
「・・・・!」
愛はきっと中津を睨んだ。
床に散乱した書類やファイルを拾い上げている彼は、彼女に視線には気付いていないようだった。
追い打ちをかけるように続ける。
「あなたも彼を岩崎さんと同じようにはしたくないはずです。勝手が過ぎて資格を剥奪されるのは彼も不本意でしょう」
「けれど、あの事件のあと、岩崎は二階級特進、私も警部になりました。それが何を意味するかくらい貴方もおわかりになるでしょう?」
冷ややかに言われ、中津は自分の失言に気がついたように口元を押さえる。
気付かない彼の部下が小声で毒づいた。
「・・・・お偉いさんの娘だからっていい気になりやがって」
聞き逃さなかった愛はたたみかけるように言う。
「いくら警察庁の上層部に親がいるといっても、能力の無い人間に権限を与えるほど警察はバカではありません。二者択一の場面では贔屓があるにせよ、明らかに能力の上の人間がいた場合その限りではありません。そのくらいのこと、いくら貴方でもおわかりになるでしょう?」
「何だと!」
「止めないか!」
明らかにバカにした態度に若い刑事は声を荒げた。
すかさず上司である中津が叱責する。
「今のは明らかにこちらの失言です。・・・ですが岩崎警部、単独行動がいかに危険か、貴方もご存じのはずです」
「ええ、そうね。でも、私は彼を支持します」
「警部」
愛は頭を振って伊東の置いていった警察手帳を手に取った。
「・・・・彼は私の部下です。手帳は私が預かります」