19話 ロスト・サムバディ
子供が泣いている。
両手で顔を覆って子供が泣いている。
(・・・けて)
子供が呟いた。
(・・・く・・・けて)
子供は泣き続ける。
手を差し伸べる大人の姿はどこにもない。
「ちょっと、イトメくん聞いているの?」
藤岡に呼びかけられ伊東ははっとした。
原村に呼び止められて喫煙所で簡単な説明を受ける。三人の中で煙草を吸うのは伊東くらいだったが、伊東もヘビースモーカーという訳ではなく、飲料ディスペンサーでコーヒーを買って飲むのに留まった。
手元では紙コップに入ったコーヒーが冷めかけている。随分とぼんやりとしていたようだ。
資料ファイルを片手に原村が苦笑する。
「もう一度、説明しますか?」
「あ、いえ大丈夫です」
伊東は渡された資料のコピーに目を落とす。
資料を見ればどういう話のことなのかは大体理解できるし、ぼんやりしていても頭の中に入る。職業病だろうか。
「被害者の誰からも毒物は発見されなかったんですよね?」
確認するように言うと原村は頷いた。
「ええ、そうです。死因はショック死です。毒物が発見されないとなると心因性のものであると思われますが・・・」
「ハリーは納得してないんだ〜」
「ええ」
ハリーと呼ばれた原村は苦く笑いながら頷いた。
「確かに虫を飲み込んでショックで心臓発作を起こした例も聞きますけど」
「虫?」
「ええ、ゴ・・・」
「いやぁぁ! その名前を言わないでぇ!!」
野太い悲鳴に周囲の警官達が怪訝そうに振り向く。
耳を押さえて藤岡は息を荒くする。
「私もそうなったら死ぬと思うわ。ショックで本当にあの世に・・・・」
原村は肩をすくめる。
「・・・・大丈夫だと思いますよ、藤岡さんなら」
「何か言った?」
「いいえ。まぁ、心因性としても、女の子全員がその程度の事で死ぬとは思えません」
つまりは、何か他にショックになるものを見たのか、あるいはまだ発見されていない毒物があるかどちらかだ。
体内に入ったことにより化学反応で毒物を合成するというということもある。まだ、毒として認知されていないものが体内に入った可能性もある。そして、アレルギーによる反応と言うことも否定できない。
何かが発見されない限りは特定はできないのだ。
それに、何より不可解なのは遺体が傷つけられていること。
これさえなければ事故として物事が解決されるのだ。遺体を傷つけた人物は何の意図があってそんなことをしたのか。それが一番の謎だった。
単純に考えれば「見つけて欲しい」ということだが、伊東にはどうしてもそう言う風には見えないのだ。
普通連続殺人事件は日数を置いて発生する事が多い。
警察の動きを警戒しているのだ。
それなのに今回の犯人は数日置いたり連続で事件を起こしたりする。犯行の手口は同じだというのに犯人像が今ひとつ見えてこない。
機械で行っているような神経質な犯行。
そのくせ被害者に関してはクヴァドラートのライブと一色一樹いう接点はあるにせよ、それ以外の共通点がなかなか見えてこない。
(複数犯ではないと思うが)
それなのに、実行犯と、被害者を選んだ人間は別々にいるような気がしてならないのだ。
こうなってしまうと、一色一樹関連の怨恨という可能性がますます否定できなくなってくる。
だが、恨みで人を殺したにしては、遺体の損壊率が低すぎる。
「化け物よ!」
両手でパンと鳴らして立ち上がる。
伊東は溜息をつく。
「何であなたは何でもそっちの方向に持っていこうとするんですか」
「だって、そういう可能性を疑うのが・・・」
伊東の胸元で携帯電話が鳴る。
液晶画面を覗き込んで藤岡は怪訝そうにする。
「愛? さっき会ったから署内にいるはずだけど・・・・」
苦く原村が笑う。
「あの人の事だから探すのが面倒という理由でしょう。緊急だといけないから、出てみたらどうです?」
「はい、少し失礼します」
喫煙所は少し電波が悪い。伊東は立ち上がって電波の入りやすい場所を探す。
彼を見送って藤岡はコーヒーを飲んだ。原村は彼の後ろ姿を見て懐かしそうに目を細める。
「・・・何だか正義さんを思い出しますね」
「んー? やっぱり似ているわよねぇ」
飲み終わった紙コップをくしゃりと丸めてくずかごに突っ込む。
「・・・・愛が彼を引き抜いたのよね?」
「ええ、生活安全部からと聞いています」
「ふぅん、彼は刑事部に引き抜かれて正解だっただろうけど・・・愛の方はどうなの? 割り切っている感じ?」
どうでしょうね、と彼は首を傾ける。
「仕事面では信頼されている感じはします。ただ、心の中まではわかりません。こういう事は深いことが多いですからね」
「そうよね・・・こればっかりは」
伊東は愛の夫だった岩崎正義によく似ている。
細い瞳、という以外はあまり似ているところがない。長身な方だったが、彼ほど体格は良くなかった。
飄々としたしゃべり方をする正義に対して、伊東は真面目で固い印象を受けるしゃべり方をする。だから第一印象は全く違った。
けれど彼を知っていくとどんどんと正義を思い出す。
愛もまたそう思っているだろう。
彼女はどう思っているのだろうか。彼女が何も言わない以上、暫く様子を見ているのが一番いいだろう。変に追及して思い出させるのは酷なことだ。
苦笑いを浮かべたところで伊東が小走りで戻ってきた。その表情は少し怪訝そうにしている。
「どうしたの?」
「事件です」
藤岡は立ち上がった。
「・・・・まさか、もう五人目が?」
伊東が首を振った。
「・・・・行方不明事件です」