18話 失踪
彼が雅斗の家を訪問したのはまだ空が薄暗い朝六時の事だった。
パソコンのニュースチャンネルを開いたまま仮眠を取っていた雅斗は、聴き慣れない物音で目を覚ました。
新聞配達のバイクの音ではない。
ベッドから起きあがり外を見ると門の前に人が立っている気配があった。
暗がりのせいで人となりは見ることが出来なかったが小柄であることが見て取れた。女か、それとも子供か。一瞬、勇気の事を思い出すが、そこまで小柄な人物には見えなかった。
(・・・・誰だ、こんな朝早く)
部屋の外に出るとインターホンが鳴った。
たった今起きたばかりというような母親が、非常識な時間の訪問者を訝るように廊下に顔を出す。
「いい、俺が出る」
「でも・・・」
「大丈夫だから」
なおも心配そうにする母親を部屋に押し戻すようにして雅斗は階段を下る。
父親は、昨夜は帰っていない。どうせ研究に没頭しすぎて帰ってくるのを忘れているのだろう。大学で力学の研究をしている父親はこうして帰らないことがあるのだ。
一家に母親と自分しかいない以上、雅斗が出るのが最上の選択だろう。
「はい、どちら様?」
ドア越しに呼びかけると思いの外、険のある声になっていた。珍しく警戒していたのだろうか。
向こう側から切羽詰まったような声が聞こえる。
「あの、こんな朝早くすみません」
少女か、それとも声変わりをしていない少年か。幼い印象が残る声だ。
雅斗は眉をひそめる。
「・・・こちらに、姉は伺っていないでしょうか」
「姉?」
「あ、すみません、僕、天野真里の弟で、亜夜といいます」
雅斗は鍵を外した。
心配そうに階段の所に立っている母親に大丈夫だと目で合図を送り、ドアを開いた。
天野をそのまま男にしたような外見の少年。髪は短いが黒く、大きな瞳は双子の妹と名乗ってもおかしくないくらい似ている。
酷く心配そうな顔つきでこちらを見上げていた。
「天野が、どうしたって?」
問う声は自分でも驚くほどに冷淡だった。
彼は動揺したように俯く。
「いなくなってしまったんです」
「いつ?」
「昨日の夜から朝四時までの間です。姉を・・・・知りませんか?」
雅斗は玄関から外に出た。
あまり母親には聞かせたくない内容になりそうだった。後ろ手にドアを閉めて玄関から少し離れる。
さすがにこの時間の外は吐く息も白い。着の身着のまま出てきたのだろう。少年は薄いジャケットを羽織っただけの寒そうな服装だった。
興奮しているのか、それともここまで走ってきたのか、頬は赤く息は荒い。肩が上下に揺れていた。
「家には来ていない」
「そう・・・ですか」
「何故、家に?」
尋ねると、彼は手のひらを開く。
紙切れが入っていた。
雅斗はそれを受け取り開いてみる。
「・・・駅から家までの地図だな」
「姉のコートの中に入っていたんです」
「この間家にものを届けてくれた時のものだろう。それより、行方不明になっただけなのか?」
驚いた様子で雅斗を見上げる。
「どういう意味ですか?」
雅斗は冷淡な口調を直さないまま答える。
「失踪したときに、不審な点は無かったのか?」
「・・・どういう意味ですか!」
少年の口調に剣呑なものが混じる。
雅斗は腕組みをして続ける。
「そのままの意味だよ。その可能性を考えなかった訳じゃないだろう? 天野は・・・君の姉さんは家族に何も言わずいなくなる人間ではない。とすれば事件性を疑うのが道理」
雅斗は薄く笑った。
天野はもう蝶に飲まれただろうか。死んだからいなくなったのだろうか。だとすれば今、彼女の遺体はどこにあるのだろう。
あれはどうやって彼女を殺したのだろうか。
口元に浮かんだ笑みを見て少年はきっと睨み付けた。
弁解するように両手を上げる。
「事件かもと疑ったから君もここに来たんだろう? 警察ではちっとも相手にされないから、ちょっとでも可能性のある場所に来たんじゃないのか?」
「どうして・・・」
「いなくなってまだ数時間だ。高校生の家出はよくある。深夜コンビニに出かけて偶然会った友人と遊びに行ったって可能性だってある。こんな短時間じゃ警察は動かない。違うか?」
尋ねると彼は唇を噛んだ。
警察でも同じ事を言われていたのだろう。今は連続殺人事件のせいで警戒が強化されている。事件の可能性の少ない女の子の失踪に構っていられないのだ。
その彼女が、事件に巻き込まれている可能性もあり得る。だが、警察はそうでは無いと判断した。殺された女性は全員自宅で発見されているのだ。
天野は自宅で発見されなかった最初の例になるだろう。
少なくともこの失踪は「蝶」に関わりがあることだろうと雅斗は踏んだ。
「整理しよう」
少年を見据え、彼は自分の推測を確認するように言葉にする。
「四時頃君がトイレか何かで起きるとお姉さんの部屋に明かりが付いていた。おかしいと思って覗くと姉の姿はない。コートや靴はそのままだから外に出たとは考えにくい。だが、家の中にはいない。そこでいなくなったのに気付いた」
怪訝そうに雅斗を睨む。
「そんなことまで言ってません!」
「少し考えれば分かることだよ」
雅斗は笑う。
「夜から朝四時と限定したからには君たちは寝ていたと推理できる。普通なら寝ているはずの時間に君が気付いたと言うことは、何か普段とは違うところがあったんだ。それが明かり。コートの事は君が言っただろう?」
驚いたように瞬く。
雅斗は続ける。
「さっき君は朝早くにと言った。訪問するには非常識な時間だと認識している。非常識でも急ぐ必要があった。それはつまり事件性を疑ってのこと。靴が無ければ外出した可能性を考える。けれど靴があったからすぐに事件と結びつけた。どこか間違いは?」
「いえ・・・その、通りです」
雅斗は玄関のドアを開いた。
さすがに少し寒くなってきた。
「詳しく話を聞かせてくれないか?」
「え?」
「動かない警察よりは役に立つと思う。クラスメートがいなくなったのなら探すのを手伝って当然だろう?」
外向的な笑みを全開にする。
隣に一樹がいたら「嘘くせぇ」と一蹴されただろうが、幸い彼の姿はここにはない。
亜夜は少しほっとしたように口元をゆるめた。
「ありがとうございます。・・・クラスメートなんですね?」
雅斗は苦笑する。
急いで来たせいで調べてくる余裕も無かったのだろう。この分だと名前すらも把握していない。
「ああ、有賀雅斗だ」
名乗ると、彼は少し目を見開く。
「マサト・・・さん?」
「うん? どうかしたのか?」
「あ、いえ・・・よろしくお願いします」
彼は深く頭を下げた。