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11話 軋轢


 温かい缶コーヒーを差し出され、雅斗は岩崎に礼を言った。

 結局あの後、供用トイレに駆け込み雅斗は嘔吐した。今朝はまだ何も食べていなかったのが救いだろうか。出てきたのは胃液だけで、すぐに吐き気はおさまった。

 こういう時、本当なら刺激物を避けるべきだったが、精神安定の為にはブラックコーヒーの方が最適だった。

 雅斗はプルタブを倒してコーヒーを口に運んだ。

 当たり外れのない普通の味のコーヒーだったが、思いの外ほっとする。

「大丈夫か、雅斗」

「ああ、もう大丈夫だ」

「悪かったな、こんな所に連れてきて」

「いや、一樹のせいじゃないよ」

 普通の殺人現場ならこんなに気分が悪くならないだろう。

 あの蝶を見てしまったから具合が悪くなったのだ。

 雅斗にとってあの蝶の象徴するものは「死」。死の蝶、死神、呪い、殺人、呪殺。そう言った負のイメージがある。

 そして、裏付けるようにあの蝶の出没するところはそう言う場所だ。

 初めてあの蝶を見たときから少しずつ免疫を持ってきたと思っていた。だが、やはりまとわりつくような感覚は払拭することは出来なかった。

 自販機に寄りかかり、腕組みをしながら岩崎は言う。手にある缶は「おしるこ」だ。

「二人とも、今日のことは誰にも言ってはダメよ」

「何で?」

「雅斗くんが容疑者にされかねないからよ。それと、あの物体Xに付いてはマスコミにも知らせない方針で話は付いているの」

 一樹は首を傾げる。

「ってことは、前の現場でも見つかっているってコト?」

 ほんの僅か、彼女の表情が動いたような気がした。雅斗はそれを肯定と受け取った。

「おや、岩崎警部殿ではありませんか」

 不意に声をかけられ三人は顔を上げた。

 スーツ姿の男三人がこちらを見ていた。四十代くらいだろうか。鋭い眼光をもち、こちらを観察するように見てくる。中心にいる男だけがにこにこと笑っていたが、好意は感じられない。

 むしろ笑いながらも敵愾心をむき出しにしているような印象を受ける。

 彼らも、刑事なのだろうか。

「こんな朝早くからデートかと思いましたら、見たことのある顔ですね。重要参考人を連れて現場検証ですか。さすがに若くして警部になられただけのことはあり、仕事熱心ですね」

 人をバカにしたような嫌味な口調だ。慇懃無礼とはこういうことを言うのだろうか。口ぶりから言えばやはり刑事なのだろうと思う。刑事に憧れがあるわけではないが、こういう人間は警察にいて欲しくない。

 雅斗はちらりと岩崎の様子を窺った。

 何故か彼女は極上の笑みを浮かべていた。

「あら、こんにちは。ええっと、何さんでしたっけ?」

 ぴくりと男の表情が動く。

 岩崎が上手だ。

 雅斗は笑いが漏れそうになって口元を押さえた。隣で親友も赤くなっている。どうやら笑いをこらえる為に息を止めているようだ。

「中津です」

「ああ、そうでしたね、すっかり忘れていました」

「物忘れが酷いのでしたら通院をお勧めしますよ。最近では若い方にも痴呆があるそうですから」

「ご心配なく。記憶量が多いと優先順位が高くない物から消えていく体質なんですよ」

 二人の間を何か冷たいものが駆け抜けていった。

 笑顔で、慇懃に交わされている会話だというのになぜこれほどまで剣呑な響きが混じっているのだろう。

 それ以上の反論を諦めたのか中津はこほんと一つ咳払いをした。

「ところで現場検証は終わったのですか? 我々も彼に二、三質問したいことがあるのですがよろしいですか」

「任意での事情聴取ですか? それなら彼に直接聞いて下さい」

「あ、俺拒否します」

 即座に一樹が言うとさすがに刑事はむっとした表情を浮かべた。

「任意って拒否すること出来るんだよな? 俺、疲れているし、これ以上話すこともないから拒否します」

「君ね・・・」

 後方に控えていた刑事が気色ばんだ。

 中津が片手で制す。

「止めないか。・・・後日改めてお話を伺わせて下さい、一色くん」

「ま、気分が良ければな」

「期待しています。では、岩崎警部我々はこれで」

「ええ、また中原さん」

 立ち去りかけた中津が岩崎を睨む。

 名前を間違えたのは明らかに故意だ。男も相当嫌味だったが、彼女は輪をかけて上だ。まるで子供の口げんかのようだ。

 この不仲には何か理由があるのだろうか。

 中津達の姿が見えなくなって岩崎は息を吐く。

「あの人達はどうあっても貴方を犯人にしたいようね」

「愛ちゃんは違うのー?」

「当然」

 彼女はきっぱりと言い放つ。

 疑っているところが全く無いのを感じて二人は同時に驚いた表情を浮かべる。突然やって来て現場検証に連れ出すのだからてっきり疑っているのだと思っていた。それなのに、先刻も雅斗が疑われないようにと考慮してくれた。

 彼女は普通の刑事とは違う。

(そう言えば六年前の)

 六年前、彼が世話になった刑事に良く似た人だった気がする。他の事が印象的すぎて名前すらもう良く覚えていないが、六年前、唯一雅斗を信じてくれた刑事によく似ている気がする。もっとも、その刑事は男性でもっと背の高い人だったが。

「犯人だと思っているなら現場に連れてきたりしないわ。・・・そうだ、貴方にこれを返しておくわ」

「んー? あれ、これ俺の?」

「そうよ、昨日警察署で落としたようね、藤岡が拾ったのよ」

 彼の手にはYシャツのボタンがあった。

 そう言えば昨日一樹のシャツにはボタンが一つ無かった。

「藤岡って女装した背の高い人の事ですか?」

「そうよ」

「あの人も刑事なんですか?」

「似たようなものね。あれでも優秀な人材なのよ」

 意味が良く分からないが、警察にも色々なタイプの人間がいると言うことだ。

 刑事ドラマや不祥事のニュースのイメージが先行して嫌なイメージばかりだったが、岩崎のような刑事がいるなら捨てたものではないと思う。

 その岩崎に優秀と言わしめるのだから藤岡も出来る人間なのだろう。

 こういう人たちなら悪い捜査はしないだろう。

「一樹、俺がいなくても平気か?」

「うん?」

「気分があんまり良くないから帰ろうと思って」

 こう言って嫌味に聞こえないだろうか。

 一樹は気にした風もなく頷く。

「ああ、そうか。悪かったな、嫌な思いさせて」

「だから一樹のせいじゃないって。少し気にしすぎだぞ、お前」

 そう言って肩を軽く殴ると、彼はほっとしたように笑う。

 今回雅斗が付いてきたのは同意の上だ。本来なら被害者のようなもので辛い心境にあるはずの彼がそこまで自分の事を気にする必要はないと思う。

 こういう面をもっと全面に出せばこんなに疑われる事もなかっただろう。本当に損な性格をしている。

「送りましょうか、雅斗くん」

 ありがたい申し出だが丁重に断る。

 本当は家に帰りたい訳ではない。やりたいことがあるのだ。

「いや、いいです。頭冷やしながら帰りたいので」

 座ったままくずかごに空き缶を投げ入れた。

 ホールインワン。

 調子は上々だ。



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