第二章・・・事件
九月や十月は大抵の学校で授業参観が行われる。そこに生徒の親達は我が子の普段の授業の様子を観察するために来るのだが、何故か先生らはその時を見計らって通常ではない、何らかの特殊な授業をする事が多い。
この日、舵北市立舵北小学校では国語の授業で、授業参観に合わせて生徒に作文発表をさせる事にした。テーマは「夏休みの思い出」である。最初に指名されたのは端の席にいた尾嶋優介と言う少年であった。
=任務:要五十音総員=
ブザーと共にホログラムビジョンに漢字のみの文字が映し出された。享楽主義者の”ふ”は疑問に思って”は”に、いつも漢字に面倒な仕事を任せているのだから総動員する必要もないのに、と言うと”は”は小学生の作文で漢字が一つもないからだよ、と答える。やがてホログラムビジョンは原稿用紙を映し出した。
優介少年は原稿用紙を広げ、題名を読み上げた。
「なつやすみ」
”な”が”つ”に酷く絡んできたので、よほど「なっ」と転ばしてやろうかと思ったが、そうすると”な”を酷く嫌っていた”や”に衝突してしまうため我慢していた。”み”が明らかに愚痴を言いたげだったので”す”が彼を目で黙らせた。それらの様子を”や”は観察していた。
「おじまゆうすけ」
優介少年は次に名前を読み上げた。やはり自分は名前に選ばれない存在なのだなと毎回”を”は、再びビジョンに登場した”お”を見つめながら思った。だからいずれ来る助詞の仕事をきちんとこなそうと決意した。”し”は押しの強い”お”が苦手であったため、気分を濁らせていた。”ゆ”、”う”、”す”は犯罪的笑みを浮かべる”け”に心配ぎみであった。
優坊ったらすっかり字の読み書きが出来るのね。尾嶋夫人はそう思いながらたどたどしく文字を読む優介少年を見入っている。彼は本文を読み始めた。
「ぼくのなつやすみの」
安楽を愛する”ほ”は、発狂して且つ攻撃的な”く”とはとてもじゃないけど付き合いにくく、濁音になる。その彼らと前述した「なつやすみ」達を、”の”が仕事とは知りつつ、飽きっぽく助詞として流して行く。
「いちばんのおもいで」
だってさあ、”て”のやつがさあ、ぼくをなぐってくるんだよ、ひどくない?と”ち”は”い”に愚痴を言う。傍から聞いててあまりに腹立つので”は”が激しくうるさいっと怒鳴るが、いつの間にかなぜ怒鳴ったかを忘れる。背後に”ん”がいたからだ。件の”て”は濁音として暴れていて、”お”と”も”と、”ち”を見捨てた”い”が彼をなだめようとしている。まってよう、と”ち”は言うが、”は”さえも彼を見捨てて独りぼっちとなる。”は”には次に助詞の仕事が来るはずだという長年の勘があった。
一番の思い出、の次の文字は原稿にこう書かれていた。
「わ」
”は”は思わず「は?」と大声を上げた。優介少年は”は”と”わ”を間違えていた。”ち”で苛々していた事もあって、嬉しそうな”わ”に対する憤りは高まった。
「えいが」
”え”と”か”はいがみあい、”か”は濁点が付くほど怒り狂っていた。なにが、ですが、思いますが。”い”は急いで中に割込んで止めようとする。そして次の文字。
「お」
お…お…ぉ…”を”は深く絶望した。優介少年は「お」と「を」を間違えていた。その間違いで”を”は唯一の仕事を”お”に奪われる事になった。”お”は戸惑っている。”を”は危機を感じた。このまま”ゐ”や”ゑ”のように”お”に仕事を変えられ、居場所を失うのでは。その危機感は狂いつつある彼の心を蝕んだ。”ゐ”と”ゑ”は相変わらず虚ろな顔である。三年程前からあの表情だ。何故だろう。
「みにいった」
”み”は優越感に浸っていた。自分一人で「見」が表現できるのだ。その様子をはいはいと冷たく助詞”に”は受け流し、”つ”が”い”を転ばして”た”に衝突するのを見た。
「ことです」
実直な最初の二人は何事もなく「事」を作る。まだ暴れている”で”を”す”が慰める。”す”は”て”の事を深く思い遣っていたため、彼が濁音になるといつも傍にいた。そうすれば円満解決だったからだ。
僕の夏休みの一番の思い出は映画を見に行った事です、と優介少年は最初の一文を読み上げた。すごいわ優坊、立派に文を作ってるじゃない、と尾嶋夫人は感激した。
優介少年は次の文を読み始めた。
「だいめい」
先ほど”た”に衝突した”い”は、憤る彼に平謝りした。そこに”め”が目をつけ、ちゃんと注意しなきゃだめ、怒らしちゃだめ、と割込んで注意した。気の弱い”い”はひたすら謝る。次は助詞として”は”の出番のはずだったが、やはり
「わ」
と書かれている。思いがけない機会に”わ”は得意気だ。”は”は憤る。そして次の文、
「おぼえて」
と未だに”ほ”が苛々している中、”は”は戻って来た”わ”に激しく抗議した。あなたは助詞でもないでしょう。本来ならそこにいるべきでないし、あたかも当然かのように振る舞うのはおかしい。”わ”は答える。貴様は文法という法律に縛られて物事を言っているが、我々五十音字は人間サマがいなければ成り立たないんだぞ。そして人間は助詞として私を選んだ。子供がだぞ。これからの未来を背負う子供がだぞ。思い上がりめ。貴様の助詞としての仕事はいずれ時代遅れになる。”わ”のその言葉を助詞でしかない”を”は聞いてしまった。
「いませんが」
違う、と”は”は言い返す。子供だからこそ我々をあまり理解しておらず、間違えたのだ。”わ”よ、あなたは手違いで助詞になっただけだ。思い上がりは貴様だ。”わ”はそれを聞いて身を震わす程に激怒した。その時、
「アクション」
周りの五十音達がその出来事で思わず片仮名ニナッタ。”わ”ガ”は”ニ飛ビカカリ長イ左腕デ”は”ノ短イ首ヲ絞メ上グタ。ソノママ”は”ハ、仰向ケニ倒レテ、死ンダ。
「えいがです」
ソシテ平仮名に戻った五十音達はその出来事についてがやがやと話した。”て”は怒り狂ったがすかさず”す”がなだめた。その時、”ん”がゆっくりその細長い身体で”は”に近付いたので皆は静かになった。あいつが死んだ”は”に何かしようとしている。何するのだろう。皆はじっと見つめる。”ん”は身を屈め、”は”の額に接吻した。”は”の身体はたちまち風化し、”ん”の口の中に入った。
題名は覚えていませんがアクション映画です。そう読む優介少年に尾嶋夫人は、まー優坊ったら、調べもせずに書いたのね、と少し咎めたがすぐに、でもその場で文章を書けたって事ね、すごいわ優坊、あなた文才あるわ、と親バカな感激をしていた。この後に破滅が訪れるのを知らずに。
突然優介少年に異変が起きた。原稿を持ったまま彼は立ち尽くしていたのだ。次の文には、はじめてのえいがでした、と書かれていた。だが、”は”はすでに死んでいる。文字であった頃の屍が文章中に漂っているだけであった。”は”じめてのえいがでした。だが、その”は”はもういない。中身のないただの文字。”ん”と同じ虚無の存在。
「んじめてのえいがでした」
優介少年がそう読み上げたが異変に気付く者は当然いない。単に滑舌が悪かっただけだろうと思われるだけだ。
「えいがおみるまえに」
そして再び”を”は優介少年に見捨てられ、”を”は次第に思いつめていた。貴様の助詞としての仕事はいずれ時代遅れになる、時代遅れ、時代遅れ・・・・・”わ”の故”は”に向けていった言葉がいまだに心に残る。確かに自分は”は”同様、この文章に無視されている。自分はやがて”ゐ”や”ゑ”みたいに忘れ去られてしまうのか。私など必要なのか。そんな気持ちも一切察しない”わ”は錯乱していて、今もなお虚ろな顔をしている”ゐ”や”ゑ”の復讐をしようと”う”までも殺そうとしている。ところが”む”がそこに立ちはだかり、あっけなく致命傷を負ってしまう。
「ポップコーンお」
”ほ”と”ふ”がおどけている間もなく、三度見捨てられた”を”は自殺した。自分より先に死んだ彼を見た”わ”は、もはやわ行もオシマイだと自棄になり、致命傷を負わせた”む”に仕返しにと死ぬ気で襲い掛かり、その短い首を締めて殺した。だが、それは”む”ではなかった。”お”であった。似ていたために間違えたのだ。でもいい、”を”の復讐ができたのだから、と”わ”は思いながら事切れた。
”お”が死んだことで、同じおの母音を持つ者達、すなわち”こ”、”そ”、”と”、”の”、”ほ”、”も”、”よ”、”ろ”は自らの存在意義を失って、そのまま”ん”の虚無へと消え去った。何と言うことか。五十音が総動員したにも関わらず、まだ”そ”と”よ”と”ろ”が活躍しないままその命を終えるとは。
そして文末。
「かいました」
んじめての映画でした。映画を見る前にポップコーンを買いました。五十音字にこれだけに異変が起きているのに優介少年がここまでほぼ正しく読めるのは奇跡としか言いようがない。もはや次はどうにもならないのに。
次の文には、ポップコーンは、と書かれていた。だが、”ほ”や”こ”はすでに死んでいる。優介少年は無理矢理
「ンップンーンん、」
と読み上げた。誤って癖で死体を転ばしてしまった”ッ”に”プ”は笑って見せたが、心中は寒々しかった。優介少年が妙な発音をしたので、先生が、どうした?と言おうとした。ところが、口から発せられたのは
「んんした?」
であった。こうして”う”は死んだ。彼は母音がおの者と一緒にいると「どう」「こう」「そう」とその者に圧倒されて依存する傾向があった。そして死人の”ど”の虚無に、圧倒され、自分自身も虚無になってしまったのである。その事で母音がうの者は皆死んだ。”く”、”す”、”つ”、”ぬ”、”ふ”、”む”、”ゆ”、”る”。ああ、哀れな”ぬ”よ。内気で引き篭もりの彼はこの原稿用紙上で何も働かぬまま死んだ。使用頻度が少ないかれでもあるが、とにかく彼に合掌。”や”は”ゆ”と”よ”が死んだためにや行の部屋で一人ぼっちだ。彼はしだいに狂気に蝕まれた。
次の文には、おかあさんとぼくのふたりぶんありました、と書かれていた。だが、その殆どは死んでいた。
「んかあさんんんんんんたりんんありました。」
優介少年はとうとうパニックになった。尾嶋夫人はさすがに異変を感じて優坊!と呼ぼうとした。だが如何なる口の形をしようと咽喉からは
「んんんん!」
というハミングしか出なかった。彼女はいつもの息子の愛称が呼べなくなりうろたえた。彼女は何度も叫んだ。「んんんん!んんんん!」やがて彼女は「あぁぁぁ!」と悲鳴を上げた。”あ”はリーダーとしてどうすればいいのか身を縮めるしかなかった。どうすればいい。五十音がどんどん死んで行く。しかし字が死ぬとはどういうことか。詩人の”ら”が答えた。簡単な事、我々の死は、人の死に同じ。人が有機物と言うただの物質の上に意思があるように、私達は文字と言うただの記号の上に意味がある。人が死ねば、身体はただの外界の物質だけの存在になり、私達が死ねばただの記号、否、模様以下の存在です。ではあいつは何者だ。”ん”ですか?”ん”は支配者。何を言うか、支配者は我々母音だ。表面的には確かにそう。”ん”は確かになんでもない存在、究極になんでもない、無の存在。だからこそ彼は五十音の全てを統合する本質的支配者なのです。そういう”あ”と”ら”の問答をよそに、わ行の部屋では”な”が、いよいよあなたの時代ですね、と”ん”に話しかける。第一章に前述したように、な行らは自分が母音から生まれたのではく冥王”ん”から生まれた、だから自分は”ん”の手下なのだ、と思っていた。”ん”はひたすら無言であった。何を考えているのかも分からない。むしろ何も考えていないのかもしれない。それでもいいのだ、と”な”は思う。死の不安に怯える母音たちに対し、自分達な行は優位に立てると思えるだけでも安心だったからだ。”あ”は尋ねる。今、何人が死んでいる。”い”は答えた。ええと、”は”と”わ”二人、母音がうの者全九人、母音がおの者全十人、合計二十一人ですね。我々は四十八人ですから生存者は差し引き二十七人。次第に増えつつある死者を止めなければ。どうしてこんな事が起こったんでしょうかねと”ま”は言い、”ら”はこれは五十音字の不完全さから発生した、起こるべくして起こったことなのです、と言う。
「たんけて!」「たんけて!」
教室内で助けて、という悲鳴が聞こえる。言葉が所々出せないので意味不明な言葉が多々ある。人々が死んだ文字を言うたびに屍と隣同士になるので皆戦々恐々としていた。皆は隣に”ど(ん)”がいたことであっけなく死んでしまった”う”の事を思い出していた。自分も”ん”に飲み込まれるのではないか、と思ったのだ。
「たんけて!」「たんけて!」「しゃべれない!」
しゃべれない、だけ明瞭に発音できる事がなんと皮肉な事か。
”ん”に対する恐怖が秒毎に増した。”ん”を殺すべきだと”あ”は言い出した。でもどうやって?と”い”は言う。死者は皆、もともとの姿でありながら、中身は”ん”になっている。もし彼が殺意を察したらその二十一の死体が襲い掛かるに違いありません。そんなことは大丈夫だ、と”あ”は楽天的に言う。そういえば彼は楽天家だったと”え”は皮肉の笑みを浮かべて冷ややかに見つめる。そんなことは大丈夫だ。そいつらは”ん”を入れて二十二人、我々は二十六人、人数的に有利だ。そう自信持って”あ”は言うが、直後に”り”から報告が入る。な行ら三人、”な”、”に”、”ね”が自分は”ん”の家来だ、母音どもには従わない、これからは我々の時代だといい始めております。謀反です。何?と”い”は驚く。するとこちらは二十三、あちらは二十五。さらに悪い知らせが”ま”から届く。”ゐ”と”ゑ”が今現在死亡している事が分かりました。馬鹿な。入るじゃないか。ほら見ろ、監視カメラに。”あ”の言うとおり、映像にはわ行の部屋にその二人が虚ろな顔をしてたっているのが見える。だが、”ま”は答える。さようですが、どうも彼らの様子に私は不審に思って、思い切って”ん”に尋ねたのです。なに?奴に尋ねたのか。よくも生きていたな。はい。私は”ん”に、あの二人は死んでいるのかと尋ねました。すると彼は、三年前から、と答えました。始めて彼が喋るのを見ました!初めて!そんなことはどうでもいい、”ま”よ。で、三年前ってどういうことだ?そりゃ簡単な話ですよ。あの”ゐ”と”ゑ”は確かにここにいるのですが、同時に死んでいるのです。中身も何もない、今ホログラムビジョン内を跳びまわっている”ん”どもの一人ですよ。と、と言うことは、と”い”は震えながら言う。こちらは二十一、あちらは二十七、不利じゃないですか。”あ”は叫ぶ。じゃあアルファベットがあるじゃないか!彼らを味方にすれば、それは無理でしょうと”え”は冷たく”あ”の言葉を遮る。彼らの思考は我々五十音字と根本が違います。母音と子音の区別が曖昧で、我々のような明確な主従関係はなく、皆が自己主張しております。で、我々は彼らと会話しようと片仮名ニナッテマデ意思疎通ヲ行イマシタガ、正しく伝わった試しがありません。彼らも私たちと意思疎通を図って、ローマ字を発明しましたが、”し”をすぃと言ったり”ち”をてぃと行ったりとトラブルがあまりにも多いです。それにアルファベットには”ん”に相当する存在がいないため共感して協力してくれそうにもないし、第一、日本だけの我々と違って、彼らは世界中の国を相手にしているのだから忙しいにも、わかったわかったと”あ”は遮り返した。それでも我々は死の化け物と戦わなくてはならない。そうだ。不利とはいえたったの六人差だ。
そうか、戦いか、と”に”はにっと狡猾な笑みをうかべる。だが、冥王”ん”様に勝てる者などいない。なぜなら二十三の死の軍隊が彼の中にあるからだ。冥王が生命の危機を感じたらすぐにそいつらを呼び寄せるに違いあるまい。”ん”さま、二十一もの五十音があなたを殺そうと企んでいます。”に”がそう言うと”ん”は何事も無く死んだ者たちを蘇らせる。だが、”に”の思惑は微妙であるが外れていた。”ん”はただ”に”の願いを汲み取ってそのままの反応をしただけである。彼は自分からは何も考えていなかったに等しい。今わ行の部屋には無数の死の軍団がいる。”に”はそこに”ぬ”や”の”がいるのを発見して、同士の蘇生だと喜び、良く来てくれた、と握手をする。その手のぞっとするような冷たさにひえっと彼は思わず手を離す。
「たんけて!」「たんけて!」「んんんん!」
人間達はいまだ焦り叫んでいる。何がどうなっているか把握できないで入る。すっかり喧騒に満ちた授業参観に先生らは困惑していた。先生は叫ぼうとする。みなさん、おちついてください。だが、「みなさん」こそ言えた物の、それ以後は「んちんいてんださい」と意味不明な抑圧された言葉となった。そのうち教室内は静かになった。もうまともに言葉が発せられなくなったと彼らが悟ったからであった。人間達が言葉を使わなくなったため戦いの準備は着々と進んだ。
授業参観はその後静かであった。




