第33話 名前が残る
それは、
偶然見つけた。
記録官の天幕。
普段は、
立ち入らない場所だ。
だがその日、
用件があって入った。
「……これは?」
机の上に、
一冊の帳本が置かれている。
革張り。
厚い紙。
長期保存用だと、
一目で分かる。
「公式記録です」
記録官が、
当たり前のように答えた。
「何の」
「この地の」
嫌な答えだ。
帳本を開く。
最初の頁。
――未編入自治集落
成立記録
その下に、
整った文字で書かれていた。
――代表管理者
リクス・エン
目が、
離れなくなる。
「……誰が、
これを決めた」
「事実です」
記録官は、
淡々と言った。
「あなたが、
立っている」
「立っている者の名を、
残します」
理屈として、
完璧だった。
だから、
最悪だった。
「消せ」
短く言う。
「消せません」
即答。
「消すなら、
空白になります」
「空白は、
後で埋められます」
それは、
脅しじゃない。
慣習だ。
「……俺は、
名乗っていない」
「名乗らなくても、
残ります」
記録官は、
一切感情を交えない。
「歴史は、
そういうものです」
天幕の外で、
人の声がする。
配給の確認。
通行の問い合わせ。
今を回す声。
だが、
この帳本は、
今のためじゃない。
「……未来のためか」
俺は、
呟いた。
「はい」
記録官は、
はっきり頷く。
「後で来る者が、
判断できるように」
その言葉で、
理解してしまった。
記録は、
守るためでもある。
否定しきれない。
「……条件がある」
俺は、
帳本を閉じた。
「俺の肩書きを、
削れ」
「代表管理者、
ではなく」
一瞬、
記録官が黙る。
「……どう書きますか」
問いが、
返ってきた。
俺は、
少し考えた。
長くは、
考えなかった。
「“現地責任者”だ」
それが、
限界だった。
王でもない。
代表でもない。
だが、
逃げてもいない。
記録官は、
ゆっくり頷いた。
「記録上、
それで通ります」
通る。
その言葉が、
重い。
夜。
焚き火の前で、
一人座る。
帳本の重みが、
まだ手に残っている。
今日の判断は、
誰かを救ったかもしれない。
だが、
この記録は――
未来の誰かを縛る。
「……名前が、
残った」
消せなかった。
だが、
形は歪めた。
それで、
精一杯だった。
俺は、
焚き火を見つめながら、
静かに思う。
もう、
引き返せない。
だが、
どこへ行くかは、
まだ選べる。
名前が残るなら――
どう残るかを、
選び続けるしかない。
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