第3話 逃げた兵は、処刑されるはずだった
夜が明けるころ、戦場は静まり返っていた。
あれほど鳴り響いていた悲鳴も、鉄のぶつかる音も、もう聞こえない。
代わりに漂っているのは、血と煙の匂いだけだった。
俺たちは、森の端で身を寄せ合っていた。
人数を数える。
……十二人。
逃げる前と、同じ数だ。
それだけで、胸の奥がじんと痛んだ。
前線に残った兵は、何人いた?
――考えないようにした。
「……戻るのか?」
誰かが聞いた。
声が震えている。
戻れば、処刑。
逃亡兵はそう扱われる。
分かっていた。
それでも、戻らなければならない。
「……行こう」
俺は立ち上がった。
「死体を回収するのが、俺たちの仕事だ」
誰も反対しなかった。
ただ、顔色はひどく悪かった。
戦場は、地獄だった。
倒れた兵が、折り重なるように転がっている。
血が乾ききらず、靴が地面に張り付く。
俺は無言で、名札を外していった。
一枚、また一枚。
知っている名前が出てくるたび、
胸が重くなる。
「……全滅だ」
誰かが呟いた。
前線に出た部隊は、ほぼ壊滅していた。
指揮官の姿も、ない。
代わりに見つかったのは、
馬の死体と、折れた剣だった。
「……上官は?」
「……多分、途中で逃げた」
言葉にした瞬間、
胸の奥に、黒いものが湧き上がった。
――俺たちは、捨てられた。
命令を出した人間は、生きていて。
従った人間だけが、死んだ。
拳を握りしめる。
だが、怒っても意味はない。
生き残った俺たちにできるのは、
せめて、名を残すことだけだ。
「おい、そこにいるのは――」
声をかけられ、俺たちは一斉に身構えた。
別部隊の兵だった。
険しい顔で、こちらを見ている。
「……逃げた連中か」
やはり、そういう目だ。
「命令違反だな」
俺は、黙って頷いた。
言い訳をするつもりはなかった。
剣の柄に手がかかる。
処刑――その二文字が、頭をよぎる。
だが。
「……生き残りは、お前たちだけか?」
兵の声は、思ったより低かった。
「はい」
「……そうか」
それだけ言うと、彼は視線を逸らした。
「上は忙しい。
今さら、お前たちに構ってる余裕はない」
拍子抜けするほど、あっさりした言葉だった。
「死体回収が終わったら、持ち場に戻れ。
……雑用としてな」
俺は、一瞬言葉を失った。
処刑されない。
咎められもしない。
だが――
評価も、されない。
「……はい」
それしか、言えなかった。
拠点に戻る途中、誰も口を開かなかった。
助かった。
それは間違いない。
それでも、胸の奥に残るものがある。
怒りとも、虚しさとも違う。
重くて、冷たい感情だ。
「……リクス」
後ろから、声がした。
「俺、あんたについて行ってよかったと思ってる」
振り返ると、あの若い兵がいた。
顔は疲れ切っているが、目は真っ直ぐだった。
「死にたくなかった。
……生きて帰りたかった」
他の兵たちも、黙って頷く。
その瞬間、胸の奥の冷たさが、少しだけ溶けた。
「……俺は」
言いかけて、言葉に詰まる。
俺は英雄じゃない。
正しいことをしたとも、思っていない。
ただ――
「生き残っただけだ」
それだけ言った。
兵たちは、それでいいとばかりに、笑った。
その笑顔を見て、
俺は初めて気づいた。
――俺たちは、
もう“元の場所”には戻れない。
良くも悪くも。
ここから先は、同じ道を歩くしかないのだ。
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