第2話 前線に行くなと言われたので、行かなかった
突撃の号令は、思ったよりも早く鳴った。
太鼓の音が腹に響き、兵たちが一斉に前へ動き出す。
叫び声と鉄の音が混じり、視界の先が揺れる。
俺――リクス・エンは、その場から動かなかった。
正確に言えば、動けなかった。
足がすくんだわけじゃない。
むしろ逆だ。
頭が、冷え切っていた。
「……無理だ」
前線へ流れていく兵の背中を見て、確信する。
この地形、この風、この布陣。
敵は高所を取っている。
突っ込めば、弓で削られ、逃げ場を失い、終わりだ。
俺は雑用だ。
戦の才能なんてない。
それでも――
これは、分かる。
「リクス!」
さっき俺に同調した兵が、振り返った。
若い。剣の握りが甘い。
「どうする……?」
その目にあるのは、勇気じゃない。
恐怖だ。
俺は一瞬だけ迷って、そして決めた。
「……下がるぞ」
「は?」
「前線には行くなって、言われただろ」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「俺たちは雑用だ。
死体を拾うのが仕事なら――
今は、生きていないといけない」
兵は唖然としていた。
だが、その後ろから別の声が上がる。
「……確かに」
「命令は“前線に行くな”だったよな」
五人。
六人。
気づけば、十人ほどが足を止めていた。
その瞬間――
「何をしている!」
怒声が飛ぶ。
上官だった。
すでに馬に乗り、後方から全体を見下ろしている。
「突撃命令が聞こえなかったのか!」
俺は一歩前に出た。
心臓がうるさい。
「聞こえました。でも――」
「言い訳はいい!」
上官は剣を抜き、こちらを指す。
「命令違反だ。
今すぐ前へ出ろ」
その目には、焦りがなかった。
あるのは、保身だけだ。
――この人は、逃げ道を確保している。
俺は、はっきりと理解した。
ここにいる人間で、
生きて帰る気があるのは、俺たちだけだ。
「……行きません」
はっきり言った。
兵たちが息を呑む。
「俺たちは雑用です。
前線で死ぬ理由がない」
「貴様……!」
上官が馬を進めた瞬間、前方で何かが弾けた。
――悲鳴。
次の瞬間、空を埋める矢。
前線が、崩れた。
突撃していた兵たちが、次々に倒れていく。
悲鳴が重なり、隊列が乱れ、地獄になる。
俺は歯を食いしばった。
「……下がるぞ!」
今度は、誰も反論しなかった。
俺たちは、走った。
森の方へ、低地へ、遮蔽物の多い方へ。
背後で、上官の怒鳴り声が聞こえたが、
すぐに掻き消えた。
矢の雨と、断末魔に。
俺は振り返らなかった。
振り返ったら、
――戻ってしまいそうだったからだ。
逃げた。
そう言われるだろう。
卑怯だとも、臆病だとも。
それでも。
息を切らしながら走る仲間たちの顔を見て、
俺は思った。
生きている。
その事実だけが、
今は、何よりも重かった。
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