第16話 それ以上、踏み込むな
その夜、
見張りの兵が駆けてきた。
「……外で、
揉めてます」
胸が、嫌な音を立てる。
「何があった」
「逃げた家族の一人が、
戻ってきた」
「……理由は?」
「食料を盗んだと、
疑われてます」
俺は、
立ち上がれなかった。
判断が、
間に合わなかった。
焚き火の明かりの中、
人だかりができている。
「返せ!」
「証拠は?」
「見たんだ!」
叫び声が、
夜に滲む。
俺は、
ただ立っていた。
命令を出さず、
止めもせず。
その瞬間、
はっきりと理解した。
何も決めないことは、
最悪の決断だ。
この場所は、
もう“善意だけ”では
保てない。
俺は、
初めて心から思った。
――遅れた。
騒ぎは、俺が思っていたよりも大きくなっていた。
焚き火の周りに、人が集まっている。
逃げた家族の父親。
それを取り囲む村人たち。
子どもは、泣いていた。
「盗んだんだろ!」
「証拠はあるのか!」
「見たって言ってる!」
声が重なる。
誰も、引かない。
俺は、ゆっくりと前に出た。
「……やめろ」
低い声だった。
それだけで、
周囲の声が一瞬止まる。
だが。
「リクス、これは――」
誰かが言いかけた瞬間、
別の声が割り込んだ。
「いい機会だ」
聞き覚えのない声。
人垣の向こうから、
鎧を着た男が現れた。
正規軍だ。
昨日来た使者とは違う。
現場に踏み込むつもりの人間だ。
「……誰だ」
俺が問うと、
男は、無表情で答えた。
「領主代行の命で来た」
胸の奥が、冷たくなる。
「秩序が乱れていると聞いた」
視線が、父親と子どもに向く。
「盗みの疑いがあるなら、
連行する」
ざわり、と空気が揺れた。
「待て」
俺は、一歩前に出た。
「証拠はない」
「疑いがあるだけで十分だ」
男は、淡々と言う。
「無秩序な集落では、
例を示す必要がある」
――例。
その言葉が、
頭の奥で弾けた。
「……それ以上、踏み込むな」
気づいたときには、
声が強くなっていた。
自分でも、驚くほど。
「これは、そちらの管理下ではない」
男は、冷静だった。
「保護集落登録を拒否した以上、
この場所は“灰色”だ」
「灰色の場所では、
強制措置も認められる」
理屈だ。
だが――
「子どもがいる」
俺は、男を睨んだ。
「盗みをした証拠もない人間を、
連れていく理由はない」
「感情論だ」
「命の話だ」
その瞬間、
空気が張り詰めた。
兵たちが、
無意識に俺の背後に立つ。
誰も命令していない。
それでも。
立ってしまった。
「……忠告しておく」
男は、周囲を見回した。
「この村は、
すでに“集団”だ」
「集団は、
管理されるか、
排除される」
父親が、
子どもを抱き寄せる。
その姿を見て、
胸の奥が焼けた。
「帰れ」
俺は、はっきり言った。
自分の声とは思えなかった。
「ここでは、
誰も連れていかせない」
沈黙。
長い、一拍。
正規兵の男は、
俺をじっと見た。
そして、
小さく笑った。
「……いいだろう」
肩の力が、
一瞬抜ける。
「今回はな」
だが、その次の言葉が、
胸を刺した。
「だが、覚えておけ」
「今、お前が止めたのは、
秩序そのものだ」
男は、踵を返した。
「次は、
止められない」
兵が去った後、
しばらく誰も動かなかった。
子どもの泣き声だけが、
夜に残る。
俺は、拳を握っていた。
震えている。
怒りか、
恐怖か。
分からない。
ただ一つ、
はっきりしている。
――もう、戻れない。
「……すまない」
父親が、
頭を下げた。
「俺が、
迷惑を……」
「違う」
俺は、首を振った。
「迷惑なのは、
俺だ」
選ばなかった。
決めなかった。
そのツケが、
今、出ている。
夜が深まり、
焚き火が小さくなる。
セレナが、俺の隣に立った。
「……一線を越えましたね」
「ああ」
否定できない。
「でも」
彼女は、静かに続ける。
「あなたが止めなければ、
誰かが連れていかれていた」
俺は、黙ったままだった。
正しかったかどうかは、
分からない。
だが。
踏み込まれるのを、
許さなかった。
それだけは、事実だ。
俺は、初めて理解した。
守るということは、
優しさじゃない。
境界線を引くことだ。
その線を、
俺は今、引いてしまった。
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