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増えた俺

作者: 海野幻創
掲載日:2025/12/18

 自宅に帰ったとき、普通鍵は閉まっている。朝出勤するときには必ず閉めてから家を出るし、大家が貸し出さない限り、鍵そのものがまず手元にあるこれ一つしかないはずだ。

 しかし、部屋の灯をつけると、必ずそこにいる。

「ただいま」

 もう三週間だ。慣れてきたので挨拶をしてしまう。

「おかえり」

 奴も返してくれるから、恐怖や不思議さよりも、一人暮らしの物寂しさを埋めてくれる存在だと感じ始めている。

 それは奴が見慣れた姿であることも影響しているだろう。鏡を覗けばいつでも見ることのできる姿をしていからだ。

 そう、奴はまるで俺だった。俺そっくりのニセモノだ。ドッペルゲンガーか何かかだとは思うが、帰宅したらそこにいたのだ。

 

「今日は遅かったな」

 冷蔵庫から缶ビールを出して、手渡してくれた。

「サンキュ」

 プルを開けて早速胃に流し込む。すると、レンジで温めた冷凍食品を次々にテーブルに並べ始めてくれた。

「最近帰りが遅いな。なに? 忙しいの?」

 食事を始めて、機を見計らって話しかけてきた。

「そう。プロジェクトが滞ってるのに、残業できるやつが全然いない。最悪だ」

「家庭があるやつらばかりだからな」

「そうなんだよ」

 むしゃくしゃして、缶を一気に飲み干す。

「でも(きよし)ばかりが担うことじゃないっしょ。給料は同じなんだから業務も揃えるべきだ」

 空になった缶をテーブルに置くと、すでに二本めが用意してあった。

 こういう気遣いや優しさが、恐怖に打ち勝ったのだ。


 奴は自宅から出ている様子はない。靴がないからだ。勝手に使われている形跡もない。なぜなら仕事用のとスニーカー、サンダルくらいしか持っていないし、それらは下駄箱に入ったまま、寸分狂わずに置いてある。

 一緒にテレビも見るし、喋るし、笑う。確かに目の前にいて、触ると実態もあり、鏡にも映っている。だから霊ではないと思う。

 最初は恐ろしくて家に帰るのが怖かったのに、いつの間にか帰宅していなくなっていたら寂しいと感じるようになっていた。


「遅刻するぞ」

 ああ、と言って奴は寝返りを打った。

 起こすのが毎朝大変なんだ。スマホのアラームは爆音で鳴り響いているのに、スヌーズも器用に消してしまう。

「今朝は大事な会議があるんだろう?」

 そうだ!と言って跳ね起きた。毎朝つく嘘なのに、一発で目を覚ます。

「会議なんかねーじゃん」

 トイレへ行ってようやく気づく体たらくだ。

「そうだよ。会議は明日」これは本当。

「ったく」と言いながらも、座椅子のうえに腰を落ち着けて、奴が洗面を済ませている間に用意をしていた朝食をぱくつき始めた。

 下は焦げて上は半生の目玉焼きに、水加減を間違えたベチョベチョの白米。消費期限ぎりぎりの納豆には薬味もなく、豆腐のぶつぎりだけの味噌汁だ。

 奴はそれを嫌がりもせずに口にかきこんで、「じゃあ行くわ」と挨拶をして出て行った。


 ようやく行ったかとため息をつき、食後の片付けを済ませたが、ゆっくりなどしていられない。これから掃除に洗濯と、夕食の材料を買うために買い物へ出なければならない。

 そのあとは作業がある。

 手早く家事を済ませ、ようやくパソコンデスクに腰を落ち着けた。

 電源を入れ、昨夜終了させたときの画面が表示される。

 ええっと……、とつぶやきながらマウスを動かして、一昨日完成させた絵のブラッシュアップを始めた。


 そこそこの大学を出て、中小企業に就職し、まずまずの評価で責任のある仕事を任されるようになった。

 彼女いない暦うん年で、結婚も子供も別に求めていない。家庭のある同僚を見ても、羨ましいなどと感じるよりは、たまには残業をしてほしいと不満を覚えるくらい。

 コロナで激減した飲み会で、友人も例に漏れず家庭を持ち、社交の欠片もない毎日。仕事して帰宅して休日もろくに家から出ない。

 そんな30代の男が、人生を振り返るこの時期に何を想っているのか。

 それは、何者にもなれなかったという失望と、まだ間に合うという焦りである。


 幼い頃の夢は漫画家になることだった。

 少年漫画の作者たちはだいたい20歳前後でデビューをしている。高校まではノートになぐり書きをしていただけだったが、大学に入ったときにそろそろいいなと判断し、漫画家セットなるものを買った。原稿用紙やペン先、インクなとが揃っていて、手にしたときは感動を覚えた。しかしこれでデビューができたも同然だと満足して、描いた気になっただけだった。封を開けたのかすら覚えていない。サークルにバイトと、学生生活は意外と忙しいのだと言い訳をして、そのままずるずると就職活動が始まり、いまの会社に就職した。

 それでも諦めてはいなかった。

 これは生活のための腰掛けだという頭で、帰宅したら研究だと言って漫画を読んだ。


 そんな日々がいつの間にか10年。

 気持ちは衰えていなくとも、徹夜で全巻を読破する体力はなくなっていた。

 漫画家になる夢は消えていない。なぜなら子供の頃からの夢であるし、今も胸に抱いて研究を重ねているのだから。

 デジタルの時代になり、パソコンと液タブを買った。投稿先も、まずはXで才能を試すことも可能だ。便利になったものである。

 今回ばかりは封を開け、接続もしたし、ソフトも購入して、ちゃんと描いてもみた。そうして早速描いてみたその高校以来の絵は、イメージの30%も描けなかったが、毎日少しずつでも描いていけば上達するだろう。当時の自信が蘇ってきた。

 

 しかし体力もなければ時間もない。

 いざ描くぞとなっても、半日は労働に費やしているのだから、寝なければならない時間なのだ。


 しかしそんなときに、奴が現れた。

 瓜二つなのだから、奴が出勤すれば代わりになるだろうと考えた。奴はなぜか二つ返事で承諾してくれたのだ。

 奴が仕事に行く間に漫画を描けばいい。時間さえあれば描ける。そう、大学の頃は時間がなかったからできなかったのだ。学生の身分とはいえ勉強が本分だったのだから。


 そうして二カ月をかけて、16ページのギャグ漫画を描いた。人生で初めて描ききったのだ。その感動は言葉にならない。奴も喜んでくれて、これはお祝いだと言ってワインなんぞ買ってきてくれたので、ではピザでも頼むかと二人で盛り上がった。


 しかし、Xにあげてもまったくウケなかった。

 他にバズってる漫画と大差ないだろうに。背景がないせいだろうか?

 あれこれと悩んだものの理由はわからず、またやる気を失った。


 そんなときこそ奴だ。これ幸いとばかりに数日前からもう一人現れたので、自分と瓜二つなのだからと、奴に漫画を描かせることにした。こいつも二つ返事で承諾してくれて、俺は苦悩と努力から解放された。


 一人は仕事へ、一人は代わりに夢を追ってくれる。

 俺はやることがなくなった。いや、奴らの代わりに家事をしていた。料理に掃除に洗濯。朝から晩までやると意外と面倒だ。自分の時間というのも、隙間時間にしかない。

 人が増えると、その分生活させなければならない。

 一人なら自分さえ生かせばよかったのに、やつらは真面目にも俺の代わりに働いてくれている。今さらやめろなんて言えない。

 家事がこんなにも大変なことなんて、知らなかった。

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