小さなお客様(後編)
夜の雨は、先ほどまでの激しさが嘘のように、小雨に変わっていた。プリンを食べ終えたころ、店の扉が開き、親子らしき女性二人が入ってきた。カウンター席に座る女の子を見つけて、ほっとした表情を浮かべる。
「チカ、探したのよ」
「お母さん、ごめんなさい。近くのコンビニに行こうとしたんだけど……道に迷っちゃって」
「嘘でしょう。マンションのすぐそばにあるコンビニでしょ?」
「……お姉ちゃん、雨が降ってて……」
まだ小さな子だ。傘と夜の雨に視界をさえぎられ、方向を見失ってしまったのかもしれない。それでも、一人で外に出てしまったことは、いけないことだと、本人も分かっているようだった。
「ごめんなさい。お母さんは毎日夜遅くまでお仕事してて、お姉ちゃんも受験勉強で……何か、してあげたかったの」
「……チカ、ありがとう。気持ちだけで十分よ」
「うれしいけどね、こんな夜遅くに一人で出ちゃダメ。まずは、私に声をかけなさい」
女の子は涙を浮かべながら、こくこくと頷いた。
一段落したのか、母親がこちらを向いて言う。
「店主さん、お騒がせしてすみません。この子が食べた分、お支払いさせてください」
カウンターに残った器に目をやりながら、財布を取り出そうとする。
「お代はけっこうです。ただ、ひとつお願いがあるのですが――エビの天ぷらを召し上がっていただくか、お持ち帰りいただけませんか?」
「エビの天ぷら、ですか?」
三人ともきょとんとした様子だったので、事情を説明した。
「今夜は雨で、来るはずだったお客様が来られませんでした。仕入れた天ぷら用のエビが、手つかずで残っているんです。すぐに揚げますので……よろしければ」
「エビの天ぷら? 私、食べたい!」
「こら、マミ。……でも、ほんとうに、いいんですか?」
「ええ、すぐご用意しますね」
厨房に下がり、冷蔵庫から下ごしらえ済みのエビを取り出す。天ぷら鍋に火を入れながら、待ち時間に楽しんでもらおうと、朝仕込んだおでん鍋を運んできた。
「エビが揚がるまで、お好きなのをどうぞ」
「いい匂い! 美味しそう! 私、卵と白滝!」
「私も」
「あら、本当においしそうね。私は大根をもらうわ」
三人がおでんを囲んで楽しそうにしている姿を見ながら、エビの天ぷらを丁寧に揚げていく。
やがて夜も更け、女の子は疲れてしまったのか、カウンターで静かに眠ってしまった。店も閉店間際。揚げたての天ぷらは、持ち帰り用に包むことにした。
「すみません、こんなにいただいてよろしいんでしょうか」
「ええ。持ち帰る間に冷めてしまいますが……ご家族で召し上がってください」
「ありがとうございます」
「ありがとう……!」
「いえいえ。当店は金曜の夜、八時から十時までだけの営業です。もしよろしければ、またどうぞ」
三人が連れ立って店を出ていくのを、私は見送った。
時刻は二十二時。閉店の時間だ。暖簾を外そうとしたとき、店のそばで、ぽうっと狐火が灯る。
「スズ、ラン、戻りましたか」
「はい、ただいま戻りました」
「ただいま!」
「そうですか。無事に見届けましたか。スズ、ラン、ご苦労さまでした」
あの子を見つけたのは、最近スズとランが気に入っているという、あのコンビニの近くだった。夜の街を一人で歩く黄色い傘の少女。コンビニを通りすぎ、人気のない方へふらふらと歩いていく。
その姿に気づいたスズとランは、少女をこの店まで誘導してくれた。
――私が神として守れるのは、この社のまわりの、ほんの些細な出来事ばかりですが。