放課後帰宅対策倶楽部
試し書き
たとえば目の前に迷子のこども、犬や猫でもいい、とても困っている存在が現れたとき君だったらどうする?
「何ですその道徳の授業みたいな質問……。先輩、暇なんですか?」
「道徳とはまたかわいい授業が出たな。倫理じゃないんだね」
「だって私の課はそっち方向まったくないですもん。先輩のとこだってそうなくせに」
「まあそうだね。それでさ、君だったらどうする?」
放課後、夕方。西日も入らぬ空き教室。
4月になったといってもまだまだ窓から入り込む夕方の風は少し肌寒く感じる。
「どうって……、その前に困ってるかどうかってどこで判断するんですか?こどもは多分わかるかもしれないけど、犬とか猫って困ってるかどうかわかるんですか?」
「わお、ずいぶんとひねくれた答えだな。ふむふむ、これは私の聞き方が悪かったか。この質問で重要なことは困っているかどうかを判ずるところではなく、目の前の存在が困っているという前提で君だったらどんな答えを提示してくれるのかな?というところにあるんだよね」
「はあ……」
「ねえ、君ならどうする?」
家にも帰りたくないし、かと言って部活動だってしたくない。
高校に入学したての春、私が放課後の校内をあてもなく彷徨った先で出会ったのが先輩。
ちょうど今日みたいな肌寒い春の空き教室だった。
あの時もわけのわからない質問をされて、暇だったからと相手にしてしまったばかりにうっかり気に入られてしまった。質問の内容は覚えていない。
先輩は私の一学年上で、少し、結構変わった人。性別はよくわからない。当校に制服は存在しないから見た目で判別できない。先輩はいつだって男とも女ともわからないような服を着ているから。(たまにカーテンみたいな布だけを纏っていたり、イベントでリースされてそうな絶妙にかわいくない着ぐるみなんかを着込んでいるときもある)
放課後だけの付き合いだしそこまで気にすることでもないかとスルーを決め込むことに決めて、そこからはなんだかんだと一年くらい他愛もない付き合いは続行している。
「多分私はスルーしますね」
「人でなし発言」
「どうとでも言ってください。私は本当に困っている存在を見たことがないのでどんな行動を取れるか自分でも理解していないんですよ。だから助けるなんて無責任な発言はできないんです」
「そういう責任感強めなところやっぱりいいね」
褒められてはいない、ただ気に入られている。嫌悪の目を向けられるよりかはマシなのでこの関係が一番いいのかもしれない。
先輩は私の人でなしなところも気に留めず先輩のペースで話してくれる。
そう、この人は自分のペースを持っているから私などの言葉でそれを崩したりしない。
「今まで友達が教科書忘れたり体育着忘れたりとかして困ってる姿を見せられたことはないの?」
「友達とかいたことないですし」
「あっはははは」
友達がいないと発言するたびに大笑いするのは先輩くらいなものだ。
大人にこの話をすると憐憫の目を向けられることが多い。
「先輩だったらどうするんですか?困っている存在を目の前にしたら」
私は質問に対して変な作り話はできない性質だから、それなりに素直に、馬鹿正直に答えてしまっている。
私だけ心の内を掘り返されていることがフェアじゃないと感じた。
だから質問をそのまま返す。けれど質問に対して先輩が本心を返しているとは思わない。
ようは戯れ。
「とりあえず声はかけるかな。そうしなければ何も始まらないからね。君の時だってそうだったろ?声をかけたから我々は知り合えたんだし」
「別に私困ってませんでしたけど」
「私は君が困っていて怒っていても泣いていても笑っていてもどうしてたって声をかけたよ」
「なんでですか?」
「何かを始めたかったから道連れにしたかったんだよね」
どういう動機だと突っ込みを入れるのは心の中だけにしておいた。ニヤニヤと不思議な笑みを浮かべるだけな気がしたから。
「何か始まりました?」
「帰宅部が完成した」
「部じゃないでしょ二人しかいないんだから。精々クラブが関の山」
「じゃあ帰宅クラブ」
「帰宅クラブって学校から帰ることが活動なんじゃ」
「え、帰宅できない人の集まりじゃないの?」
「全然違いますね」
「そっかー。私と君の共通点ってそこだと思ってたからなんかびっくりしたな。帰宅難民クラブとかに名称を変えるかい?」
「別に難民じゃないですよ。難民の人に失礼ですそれは」
「帰宅したくないクラブ?」
「なんでわざわざ名称を付けようとするんですか」
「名前だったり目的だったり、何か指標があると目指しやすいじゃない」
「何をです?」
「生きる道」
意味ありげな顔をしながら何を言い始めたんだろう。治らなかった中二病の人ってこんな感じなんだろうか。
**********
「そろそろ帰ります」
「帰れる?」
「なんとか」
「そう。じゃあ、また明日」
「気が向いたら」
会話にも飽きたので私は学校を出ることにした。
先輩は窓の外を眺めながらひらひらと手を振ってきた。まだ教室に居座るらしい。
廊下に出ると教室の中よりも一段と冷えた空気が流れている。
防寒具くらい持ってこればよかった。
下駄箱の方向へと歩みを進めながら、帰り際の先輩じゃないけれど窓の外に気を向けてみた。
遠くの教室からは吹奏楽部だか軽音楽部だかの練習の音が流れてくる。
遅くまでご苦労なことだ。
別に冷めた感情でそう思っているわけではない。ただ、何かをする、そのためにエネルギーを使うことができる人はすごいなと感心しているだけ。
「なんだ、あれ」
窓の外に視線を送った。
その瞬間に屋上でちらりと見えた。
あるはずがないその場所に物影がある。
屋上が解放されている青春映画なんてものを見たことがあるが、当校の屋上はかっちりと閉鎖されている。
先輩にも聞かされた、私自身でも扉に手をかけてみたのでそれは知っている。
あの屋上に行くには職員室のキーボックスか、用務員室のスペアキーを使うしか方法はない。らしい。
そういえば初めて先輩に話しかけられたのは空き教室だったけれど、最初に先輩の姿を認識したのは屋上の扉前だった記憶がある。
「物……、人?」
何があるのかはわからなかったが、何かがある。
どうせ学校を出ても寄り道をするつもりだったのだ。今更下校時間が遅くなっても気にはしない。
先輩の変なところがうつってしまったのかもしれない。何かがあったら気になってアクションを起こす。
自分がこんなに好奇心旺盛なやつになっていたとは思わなかった。
一年前までだったらなにも感じずに下校していただろうことは確かだ。
「来てみたはいいものの」
やはり、屋上へ通ずる扉は封鎖されていた。
ドアノブを動かしてもびくともしない。
ドアの窓から外を見やる。
摺りガラスではなかったが汚れがひどい。
私はなんとか窓の外を覗き込んだ。
「気のせいだったか」
先ほど立っていた場所から見た角度とは少し違うが、間違いなくあの物影をとらえられる位置に窓はついている。
これだけ近くに来ても何も見ないなら何もないんだろう。
そう結論付けて私は窓から顔を離した。
踵を返して再び下校しようとしたその時、聞こえた。
「こまっちゃった……」
「(こどもの声……?)」
たどたどしく弱弱しい声、それでいてしっかりと意味の分かる言葉。
振り返って再度窓の外へと視線をやり、こどもと思わしき声の主を探す。
ポコン。
ドアがわずかに揺れた。
何かいる。こどものようだけれどやはり姿かたちは見えない。
『とりあえず声はかけるかな。そうしなければ何も始まらないからね。君の時だってそうだったろ?声をかけたから我々は知り合えたんだし』
先輩の顔がちらついた。
「誰かいるの?」
「……いる」
「何してるの?」
「わかんない……」
「名前は?」
「でねぼや……?」
「なにそれ」
質問を疑問形で返されたし意味が分からなかったから妙な受け答えになってしまった。
この姿も見えないこどもは自分の名前すら言えないらしい。
だけれど名前、だったり、誰、だったりの言葉はわかっている。
少しだけ舌足らずでたどたどしさはあるが、簡単な会話をするには問題がなさそうだ。
「どこからきたの?」
「わかんない。ぱぱとままと、いた。けど、おれだけ、おっこちた」
「落ちた……?」
屋上に?どこから?
ヘリコプターや飛行する物体が学校の上を飛んでいた気配はなかった。
そもそもそんなところから落ちてきたらパラシュートなんかがないと無傷ではいられないはずだ。
こどもの姿はとらえていないがケガをしている様子はない。と思う。
けれどこのままにしておくわけにはいかない。
「とりあえず、壊すしかないか」
目の前の扉はそこまで分厚いものではない。
少し頑張ればどうにかなりそうだ。
「ちょっと大きい音させる。危ないから扉から結構離れたところへ移動してくれる?」
「あい」
「移動したら耳をふさいでてね」
こどもは素直に返事をしてちょろちょろとてとてと扉から離れた。
そこでやっと私はこどもの姿を確認した。
そのいでたちに少し驚いてしまったが、それよりもと立ちはだかる扉に向かって渾身の蹴りを繰り出す。
自慢ではないが、力の制御ができないことに関しては定評がある。
なんでも壊す
だから、何にも触れない、関わらない。
ドンッ。
思っていたよりあっさりと扉を開くことができた。結構さび付いていたのがよかったのかもしれない
こどもの姿を確認して安堵した。
思った通り大きなケガはしていないようだ。擦り傷なんかはありそうだけど。
「ねえ、君は困ってるの?」
「あい」
「えと……とっても困っている?」
「あい……」
どうやらこの「あい」というのは「うん」という意味らしい。
表情はあまり読み取れない。口元を大きなマフラーのような布で隠している。
表情も気になったがそれよりも気になる部分があった。
そのこどもは人間の耳のほかに猫の耳としっぽがついている。
コスプレか何かだろうか?
「ぱぱとまま、あいたい」
大きな目を潤ませて、それでも嗚咽をこらえる姿はいくら私でもすこし堪えた。
『たとえば目の前に迷子のこども、犬や猫でもいい、とても困っている存在が現れたとき君だったらどうする?』
さっきからやたらと先輩の顔が脳裏にちらつくのはいい気がしないな。
「そりゃ、できることからするしかないでしょうよ……。とりあえず、帰り道探そうか」
ひとまず私はこどもを連れて下校することにした。
親方!空からよくわからない子が!
という話です。