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4.

 入社三年目。十月。

 風が冷たくなってきた。インフルエンザの流行りだす季節でもある。

 あたしは、仕事が面白くなってきていた。簿記の講座を受けに行ったり、色々している。後輩の指導も、できるだけしているつもりだ。

 その分、大地とはすれ違いが増えた。メールはしている。あたしからは、毎日。けれど大地からの返信は、遅れがちになってきた。

 今度、家に誘ってみようか。ごはん、食べにおいでって。

 そう思いつつ、何となく言い出しにくい。最近、大地は疲れた顔をしていた。会うといつも、どことなく居心地悪そうな、しんどそうな顔をしている。

 そんなに大変なんだろうか、仕事。

 そう思うと、電話をするのも気を使ってしまう。いきおい、連絡はメールだけになってゆく。

 それでもクリスマスにイルミネーションを見に行くのは、昔からの約束だから。今年も、二人で見に行こうと思っている。

 高卒二人組は二年目になった。新入社員が入って先輩になって、少しは自覚が出てきたのだろうか。浅江さんは、しっかりと仕事をこなすようになった。

 問題は、平田さんだ。

 平田さんは最近、真奈美に傾倒している。華やかに着飾って合コンに行く真奈美に、憧れを抱いているらしい。いつでもどこでもくっついて回って、真奈美のやることなすこと、全て真似している。

 そうして、仕事に手抜きが増えた。こんな所まで真似しなくても良いのに!

 真奈美は、あたしとは良く話す。けれど仕事の手を抜くのは相変わらずで、ひどい時には自分の仕事もあたしに押しつけて帰ってしまう。男性社員には愛想良い。会社の中をひらひらと飛び回って、噂を集めたり流したり。

 悪意でやっているわけではない。悪い人ではないのだ。でも他の女性社員からは、あまり良く思われていないみたい。気になって、時々注意するのだが、「珠子ちゃん、ツマンナイ事言わないでよ」と言われて終わりだった。





「ちょっと珠子ちゃん、なに不機嫌なの」

「真奈美、後輩の指導、ちゃんとやってよ!」


 終業時刻。化粧を直した真奈美が寄ってきた。あたしはまだ帰れない。書類のチェックがある。

 平田さんは、仕事のサボり方が妙に上手くなっていた。手抜きがひどくなってきたので注意すると、「だって、真奈美さんがやらなくて良いって……」と言い訳をする。任されてるのは自分で、それは自分の仕事でしょ。と言うと、涙を浮かべて走り去って行った。あたしにいじめられたと思ったらしい。給湯室の辺りを通りかかると、あたしが彼女をいじめている、と、同期で入ったらしい誰かに悪口を言っているのが聞こえた。


「もう、サイテー! 珠子さんって、なんであんなヒステリーなの? どうでも良い事ばっかり言いつけて、あたし、ヒマじゃないのよ。いくら後輩だからって、ひどすぎるっ!」


 仕事のミスを直せと言うのは、どうでも良い事なの?

 それで何となく不機嫌だったらしくて、寄ってきた真奈美につい、きつい言い方をしてしまった。今日も合コンに行くつもりなのか、真奈美は化粧ばっちり。帰る準備もばっちり。


「やってるじゃない、ちゃんと。面倒みてるわよー、後輩の」


 マスカラたっぷりで重そうな睫毛をぱしぱしして、真奈美は言った。


「誤字脱字だらけじゃない、平田さんの。今ではあたしが、真奈美の分までチェックしてるのよ」

「頼んでないわよ、そんなこと。珠子が勝手にやってるんでしょ。彼氏が浮気してるからって、ヒステリー起こさないでよ」


 思わずかちん、と来た。


「大地は浮気なんてしてないわよ!」


 すると真奈美は、変な笑顔になった。


「知らないんだ? 珠子ちゃん。あの人、大地って言うの。かわいーい女の子とお茶してたわよ。なーんだ。知らなかったんだ」


 かわいそー。と言って肩をすくめる。


「優等生ぶって、遊ぶことも知らないし。飽きられたんじゃないのー? 珠子ちゃんて、ツマンナイ人間だし」


 何それ。

 何それ。

 何よ、それ。


「嘘だと思うんなら、『パルミラ』行ってみたら? いつもその子とお茶してるわよ」


 そう言って、真奈美はヒールの音を高く立て、帰って行った。自分の分の仕事まであたしに押しつけて。




 『パルミラ』は、あたしたちが待ち合わせに使う『ルージュ』とは、駅をはさんで反対側にある喫茶店。

 『ルージュ』より高級志向で値段も高いから、行った事はなかった。

 真奈美の言葉が気になって、どうしようか悩んだ。書類のチェックもあるし。でも。

 明日の朝、早く来てチェックしよう!

 そう思ってあたしは手早くデスクを片づけた。バッグを持って外に出る。

 今日、大地とは待ち合わせをしていない。忙しいと言ってキャンセルされた。

 だから『パルミラ』にいるわけがない。ちょっとのぞいて、……そう、紅茶か何かを一杯頼んで。ぼんやりくつろいで、それから家に帰れば良い。そう思って足早に歩いた。




 店に着くと、見かけも内装も豪華で上品で、自分が場違いな気がした。

 身を縮めるようにして中に入り、店内を見回す。クラシック音楽が流れる中、人がまばらにいる。


「お一人ですか?」


 寄ってきたウェイターさんに、はいと答える。こちらへどうぞ、と案内された。うわ。お客をわざわざ案内するんだ、この店!


「あのー、……一人になれる所が良いんです、けど」


 おずおずと言うと、はげまされるような微笑を向けられた。


「では、こちらへ」


 奥の方の、あまり人目につかない場所に案内された。良い人だ、このウェイターさん! 名札を見ると、田宮、と書かれていた。


「えっと。田宮さん? ありがとう」


 そう言うと、目を丸くしてから、いいえ、と言った。座るとすぐに、お水を持ってきてくれた。ご注文は、と尋ねられたので、良くわからないんですが、と答えると、ケーキセットがありますよ、と教えてくれた。

 メニューを見ると、八百円。


(たっか……)


 『ルージュ』のケーキセットは五百円だ。三百円の差ってなに。場所代?


「紅茶だけでも注文できますよ。サービスで、クッキーが二枚ついています」


 そうしたら、田宮さんが言った。本当に優しいよ、この人!


「あ、それじゃ……アップルティーを」


 学生時代に良く頼んだ銘柄の紅茶を発見して、頼んだ。懐かしい。『ルージュ』ではいつも値段重視でケーキセットだから(だって紅茶とケーキを別々に頼むと、値段が高くなるんだもの!)、ここの所、ブレンドの紅茶しか飲んでなかった。


「アップルティーですね。ミルクは入れますか?」

「お願いします」

「しばらくお待ちください」


 田宮さんの動きはすごく綺麗だった。『ルージュ』のウェイトレスさんは、注文を取る時にも、紅茶やケーキを持ってくる時にも、何だか面倒くさそうだった。そんなものだと思っていたけど、こうして見ると、随分違う。高級な店だと、店員の物腰も高級になるのかな。

 注文をしてしまうと、少し余裕が出た。周りを見回す。

 クラシック音楽の中、穏やかに話をしている人たち。

 こういう雰囲気も、良いかも。『ルージュ』はどこか、がさがさしてるものね。

 ぼんやり考えていると、紅茶が来た。クッキーが二枚ついている。


「わ、美味しそう」


 そのクッキーが可愛いと言うか、美味しそうと言うか。ちょこっとついているだけなのに、何とも言えずうれしくなる。思わず笑顔になると、持ってきてくれた田宮さんもなぜか、笑顔になっていた。


「ぼくの妹が焼いてるんです」

「えっ、手作り? すごーい。可愛くて美味しそうで、見たら嬉しくなってくるよ」

「ありがとうございます。妹も喜びます」


 田宮さんは赤くなって、本当にうれしそうに笑った。あたしもちょっと和んだ。

 クッキーをつまみながら、紅茶を飲む。


(今度、八百円のセットも頼んでみようかな……)


 目的を忘れそうになりつつそう思っていると、からん、とドアベルが鳴って、誰かが入ってきた。何気なくそちらを見て、あれ、と首をかしげる。


(春菜?)


 ふわふわの髪とフリルの多い服装。春菜に似ている。案内しに行ったウェイターさんと何か話して、テーブルの方に歩いて行った。


「ロイヤルミルクティー。それと苺のミルフィーユ」


 注文している声を聞いて、確信した。春菜だ。あの子はロイヤルミルクティーが好きで、店ではいつもそれを注文していた。学生時代からずっと。飲み物と食べ物がある程度決まっている『ケーキセット』ではなくて、自分の飲みたい紅茶と自分の食べたいケーキを必ず別々に注文するのも、あの子らしい。

 どうしよう。声をかけようか。そう思っていると、またドアベルが鳴った。

 大地。

 入ってきたのは大地だった。店の中を見回している。あたしは思わず、顔を伏せた。すると大地は、大股に歩いて。

 まっすぐ、春菜の所へ行った。


「待ったか?」

「ううん、今来た所。あ、紅茶とケーキ、注文しちゃった」

「良いよ。またロイヤルミルクティー?」

「うん、好きなんだ」

「じゃあ、俺はコーヒーな。ブレンド」


 近づいて来たウェイターさんにそう注文すると、大地は春菜に笑顔を向けた。


「最近、仕事はどう?」

「うーん、少しマシになったかな。大地は?」

「相変わらずだ。足が棒になるよ」


 二人は笑顔で会話をしている。その様子はどう見ても、恋人同士のそれだった。


「ね、大地。今度の日曜日、あいてる?」

「なんだ? また買い物か?」

「良いじゃない。普段、あんまり会えないんだもん」


 どういう事?

 どうして大地は春菜に、そんな笑顔を向けてるの。

 春菜はどうして、大地を呼び捨てにしているの。

 あたしの前ではいつも、『長谷川くん』って呼んでたじゃない。なんで?

 どうして笑ってるの。二人で。そこはあんたの場所じゃないよ、春菜。そこにいるのは、あたしのはずでしょ。大地。どうして。

 どうしてそんな、甘い笑顔。春菜に向けてるの……!

 がたがた震えた。体が。うつむいても、二人の声が耳に入ってくる。笑い声。


「ね、大地。今年もイルミネーション、見に行こうね」


 え?


「女の子って、どうしてああいうのが好きなんだろうなあ」

「だって、大地と見に行きたいんだもん」

「んー、わかった。何とか時間開けるから」

「うれしいっ」


 春菜。今、なんて言った?

 イルミネーション。

 今年、モ……?


「ねえ。次に見にいったら、四回目になるんだねえ」

「そうだな。四回生の時に一緒して。一昨年と、去年と」

「ふふ。楽しみ」

「気が早いなあ。まだ先の話なのに」


 どういうこと?

 四回生の時に、一緒して……?


「また待ち合わせ、しよ。大地くん、時間に正確だから、春菜安心だよ」

「寒い中、女の子待たせるわけにはいかないからな。春菜は体弱いし」


 一昨年。大地は一時間遅れてきた。

 去年。二時間遅れた。

 頭が痛い。がんがんする。

 何してるの。あたし、何してるの。

 こんなとこで一人座って。二人はあそこで笑ってて。

 大地。あんたは、あたしの恋人でしょ。

 春菜。あんたは、あたしの友だちじゃなかったの。

 嘘。

 嘘。

 嘘。

 ぐるぐると、そればかりを考える。嘘。

 くり返す。その言葉ばかりを。




 気がつくと、二人はいなかった。テーブルには、空になったカップが二つ。

 あたしの前には、冷えきった紅茶があった。


「お客さま……? ご気分でも」


 田宮さんが声をかけてきた。あたしは首を振った。


「なん、でも。ありま……せ」


 呆然としながら、財布を出した。ほとんど口をつけていない紅茶の代金を払う。

 どこをどう歩いたのかわからない。気がついたら家にいた。

 ぼんやりと座り込む。それから、携帯を取り出した。

 登録してある大地の番号。

 睨み付けるようにして見つめる。長谷川大地。その名前を。

 それから、通話ボタンを押した。

 コール音が三回。四回。五回。

 留守録に変わる。切る。もう一度コール。

 三回。四回。五回。

 出てよ。出てよ、大地。

 また留守録に変わった。切って、もう一度。

 もう一度。

 何回目だろうか。がちゃ、という音がして、『はい』という大地の声がした。


「大地? あたし。珠子」


 震えていなかっただろうか、あたしの声。


『珠子? どうしたんだ、夜遅くに』

「ごめんね。声、聞きたくなって」

『なんだよ。らしくないなあ』


 いつも通りの大地の声。嘘だよね。あたしが見たの。あれ、間違いだよね。


「ちょっとね。落ち込む事あって。大地の声聞きたいなって。ごめん」

『まあ、良いけどさあ……俺、明日早いんだ』

「ごめん」


 謝ってばかりだな、と思った。


「ね、大地。最近会えないでしょ。今度、待ち合わせしようよ」

『うーん……』

「良いでしょ? あのさ。会社の人に聞いたんだけど……」


 一瞬、躊躇する。


「『パルミラ』って、知ってる? 喫茶店。すごく雰囲気が良いんだって。一度行ってみたいんだけど」

『パルミラ?』


 大地の声はどうだった? 引きつってなかった?


「そうなの。すごく良い感じだって。大地は知ってる? 行った事ある?」

『ないよ』


 何となく不機嫌そうに、大地は言った。


『見た事ぐらいはあるけどさ。『ルージュ』で良いだろ。珠子にはあっちの方が似合うし』

「そう?」


 大地。


「行った事、ないんだ?」

『ないよ』


 大地。あんた。あたしに、嘘、ついた。


『やたら高級なとこだろ……似合わねえって、あんなとこ、おまえには。あそこ、珠子のイメージじゃないよ。『ルージュ』の方が気安いし』


 春菜には似合うけど、あたしには似合わない?


「そう。……ごめんね。夜遅く」


 嘘ついた。あたしに。

 だって、


『眠いし、もう切るよ』

「うん。おやすみ」


 あたしがあんたを、見間違えるはず、ないじゃない。




 一週間、ぼんやり過ごした。仕事は失敗ばかり。ミスを繰り返すあたしに、渡瀬さんは心配そうな目を向けていた。


「ちょっと珠子ちゃん! あんたのせいで怒られたでしょ!」


 もちろん、真奈美の仕事なんて目を向けていなかった。そのせいで、真奈美は仕事にミスが増えたと思われたらしい。


「あたしのせい?」

「書類! 間違いだらけだって……」

「それ、あんたの仕事でしょ」

「今までは、あんたがやってたでしょっ!」


 なに勝手な事言ってるの。


「自分の仕事は自分でやるのが当たり前でしょう」


 通り掛かった渡瀬さんが、声をかけてきた。真奈美はすごい顔であたしと渡瀬さんを睨んだ。


「こんな地味な事、やってるヒマないのよ、あたしっ!」

「地味でもなんでも、自分の仕事は自分でやるものよ。あなたのミスはあなたがした事。人に文句言ってるより、さっさとやりなさい」


 真奈美は物凄い顔で渡瀬さんを睨むと、足音荒く去っていった。後で、平田さんに文句を言っている姿を見かけた。渡瀬さんの事を、「男日照りで欲求不満のババア」、あたしの事を、「親切で声をかけてあげたのに、恩を仇で返した地味女」と言っていた。

 そうか。

 親切で声をかけてるつもりだったんだ、真奈美。でも。

 あたしには全然、親切に思えなかった。それよりは、自分の仕事は自分の責任でやってほしかったな……

 家に帰る。部屋で一人、考えた。

 大地の事。春菜の事。会社の事。自分のミスの事。

 このままだと、渡瀬さんにもすごく迷惑かけてしまう。でもどうするべきなんだろう。

 考えた。

 考えて、考えた。あたしは、どうするべき?

 その時写真立てに目が行ったのは、偶然だったのか、必然だったのか。学生の頃から使っている、あたしの机。その上にある写真立て。

 大地と写した写真。

 その横にあるのは。加奈と春菜、三人で写した、卒業の時の写真。

 加奈。

 今より少し若いあたしたち。希望にあふれた顔をしている。春菜はふわふわした感じで、あたしはちょっぴり照れて恥ずかしそうに。そして、加奈は。

 すっと背筋を伸ばして。誇り高く顔を上げて微笑んでいる。


「加奈」


 陰口はすごかった。噂も。

 一緒にいるあたしまで、悪く言われた。でも加奈は、うつむいたりしなかった。いつもまっすぐ頭を上げて、背筋を伸ばして立っていた。

 泣いたのは、あの時だけ。

 加奈ならどうする? そう思った。あんたも、こんな気持ちだった? あたしと比べるのは間違いかもしれないけど。でも。

 加奈ならわかる? あたしの気持ち。

 裏切られて。信じていた人たちに。みじめで、つらくて。どうしたら良いのかわからなくて。不安で。それなのに、足を踏み出す勇気もない……でも。

 助けて、加奈。

 あたしは携帯を取り出して加奈の名前を呼び出し、通話ボタンを押した。

とりあえず、できている所まで上げました。続きは今夜。すみません、ここで切るってヒドイですね(*_*;

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