第81話 保健室で…お手伝いする事になる
楓が廊下を(上履きは来客用のものを借りた)を歩いて保健室へと向かっていると、その方向からえも言えない臭いと微かなうめき声が聞こえて来た。
その臭いは楓にとっては馴染みのあるものだった、人の血や膿から出る異臭で一般人は嫌がるものだが戦場に身を置く事が多く、また軍人の父からの教えで慣れるようになっていた。
そんな慣れはまだ少年と言っていい年齢の自分には不釣り合いだと、何人も言われた事があるが安全な立場から物を言う連中ばかりだったので完全にスルーしていた。
角を曲がると、保健室の前の廊下に急ごしらえのベッドが20床無造作に並んでいて、そこには包帯などで覆われている怪我人が寝かされていた。
とりあえず、ドアが開け放されたままの保健室に入室すると女性の養護教諭と保健委員と思われる女子生徒達が厳しい表情で重傷者と思われる生徒を治療していた。
「失礼します、HSS特殊遊撃隊の如月です」
そう声をかけると、養護教諭たちはきょとんとした表情を見せる。
「あ、あれ?支援のHSSさん?到着は明日って聞いたわよ?」
さっきと同じやり取りだな、と心の中でため息をつきつつ楓は事情を説明する。
「ああ、先行してくれたのね、助かるわ。私はここの養護教諭の村上よ。この子達は各クラスの保健委員ね」
「それで、忙しい所すみませんが被害状況を確認させてもらえますか?」
「いいけど、手が離せないから話しながらでいい?」
そう話しながら村上は重傷者の包帯の取り換えをしている、血糊に苦戦している様子を見て楓は口を開く。
「ええ、それで構いません。手伝わせて下さい」
そう自分のバックパックから野外用のファーストエイドキットから小型のハサミなどを取り出す。
「手当出来るの?」
「ええ、妹が得意なんですが応急処置と治療のお手伝い…簡単な縫合までならなんとかこなせますよ」
「そう、それじゃ包帯の交換をやってもらえるかしら?」
「HSS了解です」
そう組織名を出して返事をすると、くすくすと村上が笑う。
「おかしいですか?」
「ううん、ごめんね。ここ1カ月支援なんか来なかったし、3日前の戦いでは行方不明者を出しちゃってね。支援してくれるところがあるって分かったから嬉しいの」
「俺は当然の事をしているだけです、それじゃどなたからかかりましょうか?」
「ええ、そうね。3番ベッドの竹田君の包帯交換をお願い」
「はい」
そう言われたベッドに着くと、坊主頭の男子生徒がほぼ全身に包帯を巻かれた状態で寝ていた。
楓の気配に気が付いたのか、目をうつろに開けたがすぐに閉じしまった。
包帯はあちこち血が滲んでいて、かなり深いものには虫がたかってしまっている。
「先生、局所麻酔などはやっているんですか?」
「ううん、総合病院の一般市民が優先になっているから、こっちにはほとんど回ってこないのよ。君は持っている?」
「いいえ、ファーストエイドキットの薬品は持っていますが麻酔は自分用しかないですね。自分の生存率に関わるので使いたくないんです。…すみません竹田さん、痛みますけど我慢してください」
村上から渡された使い捨てのエプロンをかけながら、医薬品の欠乏もあるのかと思いつつ竹田を励ましながらテキパキと汚れた包帯を取り換え、傷口にとりついていた虫を丁寧に除去する。
回復魔法が使える美冬が居れば、と思うが自分で出来る事をするしかない。
「そっか、仕方ないわね」
一瞬期待をした村上が表情を曇らせる。
「村上先生、一般市民が優先ってどういう事ですか?」
「この町だと、一般市民の安全が全てに優先されちゃうようになっているの、町長と校長の方針でね…。戦っての怪我はお前達の能力不足だって言われて、市民の怪我も防衛隊のせいにされちゃうのよ」
「なんですかそれ、普通は逆じゃないですか」
いくら何でも命をかけて戦った戦士に掛ける言葉ではない、楓の心に怒りの炎が灯る。
「次の選挙対策で、一般市民優先を公約にして再選を目指しているみたいですよ」
そう一人の女子生徒が同じように目に怒りを浮かべて話しかけてくる。
瞳の色と同じく肩くらいまでの青色の髪の髪をサイドアップにしたエルフの少女だった、猫のような釣り目が印象的な整った顔立ちをしている。
ほっそりとした体を包む制服と白衣は血などの汚れで汚れ切っている。
「あたしはリーサリア・シルバー。種族はミラージュエルフ、よろしくね。この惨状には驚いたでしょ?もう防衛隊を支援する態勢が崩壊しつつあるのは分かってくれた?」
舌峰鋭くリーサリアが楓に話しかける、怒りの感情が自分に向けられている事を理不尽に感じつつ楓が口を開く。
「さっき三島隊長と話しましたが、HSSに入っている情報とかなり食い違いがありますね。それについて聞きたいですけどいいですか?」
「シルバーさん、それ以上は…」
そう村上が言いかけるが、看病をしていた生徒のうめき声を聞いてそちらに注意を向けるのでそれは未発に終わってしまった。
「ええ、良いわよ。HSSとの情報が食い違っているのは学内でも各所の情報を統合していたサーバーを県警が取り替えた時から発生しているのよ、県警はあたし達に頼っているのに肝心なところで大人風を吹かして思い通りに動かそうとしている、大島隊長は県警に丸め込まれたクチよね。この問題の根はこの町の大人が子供達に負担をかけている事が当然だと思っているのよっ。市長を始めとする町議会、警察、軍もあたし達を見捨てたように支援に及び腰になっている、おかげで防衛隊はボロボロだけど一般市民はあたし達の状態を見なかったことにして安穏と暮らそうとしているし。まともな大人は村上先生、自警団とたまに来るギルドの人くらいなの…岩戸市とは全く違う状態になっているのは分かってくれた?」
言い募っているうちに怒りの捌け口に楓に使った事を分かったのだろう、徐々に言葉の棘が減って行く。
「はあ…君はこの状況に無関係だったわ、怒っちゃってごめんね。あと敬語は良いわ多分、あたしとタメだろうし」
「怒るのはしょうがないけど、さすがに自分にぶつけられるのはきついよ」
楓も15歳の少年である、いくら過去に来訪者との命のやり取りをしていても同年代の少女に怒りをぶつけられるのは理不尽と感じるので、一言だけ言い返しておく。
「いや…ほんとゴメンね」
さっきの剣幕と違って、小さくなっているリーサリアを見てこの学校に来て初めて同年代らしい姿を見て少し心が軽くなる。
「まず、HSSで協力できる事から始めましょう。まず医薬品の足りていないものを口頭でいいので言ってください、俺がまとめてHSSに送信します。今ならまだ間に合うでしょう」
そう村上に言って楓は携帯端末を録音モードにする、治療の手を止めないように音声入力モードにして声を後でテキストデータに取り込んで必要な情報だけを抜き出して宝翔学園に送信する方法を取る事にする。
「あと、回復魔法使いは居るんですか?」
「白田衛利君という魔法使いが居るけど、防衛隊の回復でオーバーワークで魔力欠乏を起こして、総合病院から帰って来た時からずっと寝込んでいるわ」
そう村上がカーテンで仕切っているベッドを指で指す。
「魔力欠乏ですって!?早く診せて下さい」
それを聞いた楓が血相を変えて村上に聞く、姉と妹が同じ状態になった事があるので楓は魔法使いに魔力欠乏が起きた時のリスクを知っている。
魔力欠乏は、魔力という名前を取っているので肉体的な欠乏症状と比べると危険度があまり知られていない現状がある。
身体的な欠乏症状と同じく魔力は魔法使いの身体に様々な影響を及ぼしているため、それが減る事で悪影響が出てしまうため、最悪魔法の能力を失う事や命を失う事も起きてしまう。
楓が白田の様子を見ると、足と手の末端部が蒼白になり、瞳の色が欠乏する典型的な魔力欠乏の症状が出ていた。
「この状態は、魔力枯渇に足を突っ込んでいます。あまり使いたくないですが、俺の手持ちの緊急エーテルの補給剤を使います。副作用がでかいので経過観察をしてください、呼吸困難の前兆…咳をし始めたらこの薬をお願いします」
ファーストエイドキットから無針注射器を取り出し、白田の腕に打った後に村上へ錠剤を渡す。
「楓君、助かったわ。ありがとう」
「いえ、魔力欠乏症は症例を多く見ないと判断が厳しいので仕方ないです。しかし、総合病院の医師が気が付かないのがおかしいですね。あと他に手伝いはありますか?」
これは村上のせいではない、総合病院に行ったのに魔力欠乏に気がつかなかった医師達の問題だろう。
「えっと…。今はここまでやってくれれば大丈夫よ、ありがとう」
「わかりました、HSSに連絡をしたいので落ち着いて連絡が出来る場所を知りませんか?あまり他に聞かせる事でもないので」
「そうねぇ。どこの教室も使っていそうだから。うーん」
「あ、村上先生。それじゃあ屋上の監視所はどうです?あそこなら人の接近にも気が付きやすいし、監視要員もいない時間だと思うわ」
そうリーサリアが言うと、村上も頷く。
「うん良いわね。楓君、このすぐ近くにある階段を屋上まで登ると、プレハブの監視所があるの。そこに鍵はかかっていないから使えると思うわ。他の先生には伝えておくから、それでいい?」
「ええ、助かります」
礼を言った楓は言われた通りの経路で屋上へと上がる。
階段の建屋を出ると、すぐそばにプレハブ小屋と物見櫓をくっつけたような奇妙な建物が見つかる、これが監視所だろう。
「無茶な構造だ」
強風が吹いたら物見をする足場がかなりグラつくだろうな、と思いながら室内に入り個人PCを取り出す。
気配を探ってみても誰も居ないようだ、敢えてドア開けっ放しにして階段からだれかが来てもすぐに気が付くようにして、PCを立ち上げる。
「そう言えば、サーバーを取られたって言っていたな。念のため個人回線で連絡をしてから情報を送ろう」
どうも情報関連に干渉している誰かの気配があるので、楓は個人端末を簡易暗号通信プロトコルに繋いでHSS本部の番号を叩く。
「これ、通信費がかかるからすぐに出てくれよ…」
身銭を切りたくない楓は、少し情けない事を思いながら数秒待つとスピーカーから聞き慣れたティスの声が聞こえて、二重の意味で安心したのだった。




