第70話 深夜2時半・如月家
楓は何かの夢を見ていたが、急に意識が覚醒する。
寝起きの耳に玄関に続く廊下を歩く美冬の足音を感知すると、跳ね起きてベッドの傍に立てかけていた闇切丸を引っ掴み極力音をたてないようにして廊下に移動する。
その耳に玄関のドアが閉まる音が聞こえて、軽い焦燥を覚えつつ楓も玄関から出ると
「あ、楓にい。起こしちゃった?」
寝間着の上に魔法使いのローブを羽織った美冬が、通路の手すりに体を預けて夜風にオレンジに近い茶髪を靡かせてそこに佇んでいた。
「ああ、前から言っているだろ?一人でなるべく出歩かないようにって」
言葉は強いが、声には心情が籠っている。
「うん、ごめんね」
「俺達もすまないな、お前を束縛していてさ」
美冬の横に行き、同じように体を手すりに預けて眼下に広がるまばらな街の光を眺める。
そうして、お互いに無言のまま数分たっただろうか。ゆっくりと美冬が口を開く。
「ね、楓にい」
「うん?なんだ?」
「この間、アレを使って確信したの。今までは気のせいかなと思ったんだけどね」
そこで声を落として、誰にも聞かれないように風の精霊にアクセスをして遮音魔法を展開する。
「あたしは徐々にだけど、それなりの精度で死を感知できるようになって来ているの。人、魔法使い、エルフ…来訪者も含めてよ」
「なんだって!?」
大きくなりそうな声を、努力して抑えて美冬を見る。
「うん、嘘だったら、気のせいだったら良かったんだ…でも間違い無いのよ。それで死が見える事で何がわかるかだけど、ある人や来訪者が死亡した場合、いつ、どこらへんで死んだかがボンヤリと感覚としてわかる段階。もちろん、死からの時間が短ければ短いほどその精度が上がるようだわ。これがね、結構怖いのよ…死を感じる時はあたしに向かって“生き返えせ”っていう思念が一定数飛んでくるの、それを防ぐ事が結構大変なの」
それを思い出したのだろう、ブルっと体を震わせて両腕で自分を抱きしめる美冬。
「防ぐ方法は無いのか?例えば精神系魔法でシールドするとかはどうだ?」
「やってみたけど、その最中に別の魔法を使う時はどちらかを解除しないといけない。楓にいも知っているように、魔法の重複使用は難易度が高い。それで精神魔法を解除した隙を突かれる場合がある。はあ、死の意識に引っ張られそうな時があるから、個人的に怖いよ…」
「情報化した魂の、生者への不正アクセス作用か…おい美冬?」
そう考え込む楓の腕をおもむろに美冬が抱え込む。一瞬それを押しとどめようとするが、美冬の身体が激しく震えているのを感知してそのまま美冬の好きなようにさせる。
こう言う時はどうしたらいいか、頭をフル回転させてライトノベルやネットの恋愛相談で得た情報から導き出した答えは、その手を握る事と声を掛ける事だった。
「大丈夫だ。俺はここにいて、美冬を引き留めている。物理的に離れても俺達兄妹は魂でつながっているはずだ。美冬に近づく死がたくさんいるなら、俺は兄として全て斃してやるよ」
「…うん」
美冬は視線を落としたまま、楓の言葉を心の中で反復させていた。
「もしかしたら、Eゾーンに出現する来訪者から精神安定の効果を持つ魔道具を見つけられるかもしれない。今の美冬の心に負担だったら、それを併用する事で防ぐ事が出来るかもしれない。買う事も出来るかも知れないけど、そもそも精神系の魔道具は市場に出回るかが不確定だ」
「そう…」
治すまでは言ってくれないのね、と美冬は少し残念に思う。
「お前のアレは、多分これから先もお前と共にあるはずだよ。自分に定着した魔法を切り離す事は自己の崩壊に繋がるケースはあるだろう?俺としては全て無くした方が美冬にとってはいいと思うが、もしそれを失ったとしても誰かがお前を狙う事は起きる可能性があるからな。俺にとっては、アレが世界に知られてアレを望む有象無象がお前を手中にして、意に沿わない魔法の行使をさせるだろう。それは俺が考える美冬と美夏に来る破滅の運命だと思う」
「…うん」
「それを防ぐためにはまず、お前がアレと共に歩める方法を探って、それでもダメだったら無くさせる方法を探そうと思っているんだ。これは美夏ねえとは話していないけどな」
「色々と考えてくれていたのね…ありがと」
「ただ、いつまでも俺が傍に居られるかはわからない。だから、俺達兄妹がそれぞれ1人である程度の事態に対応できるように、また協力が必要な場合の連絡手段などを早く完成をさせる事が必要だと思っている」
「そっか…」
美冬の胸をチクチクという痛みが占めて行く、これは嫉妬なのか焦燥なのか。
「だが、俺と美夏ねえは、お前を全力で守るそれを忘れないでくれ」
「うん、わかった…わかったよ」
俯き気味に美冬が答える、嬉しさもあるが寂しさと悲しさが美冬の心を占めるが、美冬の感覚がまた死を感知する。
「……楓にい、北東方向でかなりの数の死を感知したわ。どうする?」
「なんだって。うーん、夜だし情報不足だから介入は無理だな、だが何か考えておくか」
そう兄妹が話していると、楓の携帯端末が着信音を立てる。
「なんだ、この時間に…霞さんだって?もしもし…」
そう電話を受けている楓の表情が、不審からあっけにとられたものになって行くのを美冬は不思議そうに見守る。
通話を切った楓の表情は、一目でわかるほどに困惑の色を宿していた。
「霞さんは何て言ってたの?」
「ああ、どうやら岩戸市のEゾーン境界部分に行って、来訪者を倒したらしいんだが…。連中の体液とか穢れでドロドロだから湯浴み…シャワーを貸して欲しいらしい。実家の神社の保護も頼んでいるから、まあこれからシャワーを貸すくらいはいいと思って、OKしたんだけどな」
「それはしょうがないねー。困った時はお互い様だし」
頭の中で準備をするものを考えながら美冬は苦笑する、多分着替えも必要だろうと楓では思いつかない部分にも考えを広げる。
「あと10分くらいでこっちに走って来るようだ、ドロドロと言っているからそれなりに準備をしないとなー」
今日は寝不足確定だな、と言って楓は美冬を屋内に誘って霞を迎える準備を始める、その頃には物音で目が覚めた美夏がすごく眠そうな状態でそれに加わっていた。
本当に来訪者の体液(その時には渇いていたが)でドロッドロの状態で現れた霞を見て、楓達が絶句したのはジャスト10分後だった。




